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6 僕急降下爆撃機

 六月下旬。


 気分転換にFw190A-8に乗ったレイアは機体を上昇させていた。


 その上昇角度はエンジン出力が許す限界を超えており、高度と引き換えに速度を失いつつある。


 今は速度を失う事こそが目的だ。


 曲芸飛行がしたいだけなのだから。


 好きな戦闘機パイロットは誰かと問われたら、インメルマンとレイアは答える。


 数多くいる撃墜王の中でも、如何にしてそれを成し得たかを空戦機動に名を残す事によって後世に伝えている者は彼以外にいないからだ。


 一般にインメルマンターンといえば、機首上げによって半円を描き、その最中に横転する事で縦方向にUターンする機動を指すが、競技空戦の解説者や評論家はこの機動を単に上昇反転と呼ぶ。


 レイアもまた、チームメイトが実戦で本当の意味でのインメルマンターンを行なってしまわないよう、縦方向の旋回については必ず上昇反転と呼称していた。


 インメルマンターンについては、その実在を疑う声もある。


 彼が愛機としたフォッカーE・Ⅲは黎明期の戦闘機であるが故にエンジン出力が足りておらず、縦方向のUターンは不可能。その前に失速してしまう。というのがその論拠だ。


 しかしレイアはその主張こそが、インメルマンターンの実在性を補強していると考えている。


 同時期の敵機は勿論、同じ機体を使う味方ですら誰も真似できなかった空戦機動を世界でただ一人実行していたからこそ、敵味方を瞠目させ、その名はヨーロッパを席巻し伝説となったのだ。


 インメルマンの愛機では単純な上昇旋回は不可能。


 だが彼と彼の技は同一視され、今なおその名は比類なき勇名と共に語り継がれている。


 故に。


 インメルマンの旋回(ターン)とは、こういう機動だったはずだ。


 A-8は遂に速度を失った。


 その瞬間、上昇の極点で、レイアはフットペダルを踏んだ。


 ラダーが生み出す揚力によって、A-8は横倒しになる。


 そして半瞬の間で機体の上下が入れ替わる。


 失速垂直反転。


 機体の上昇速度が零になる刹那を察知し、ラダーを使いこなし、重力を味方につけて初めて為し得る機動。


 曲芸だ。


 レシプロ戦闘機を用いる競技空戦において、インメルマンターンは全く実用的ではない。


 理由は幾つかあるが、一番致命的なのは、一瞬とはいえ機体が空中で静止してしまう事だ。


 静止目標への射撃など据え物斬りであり、余程の素人でなければ外さない。


 高速の戦闘機が互いに無線で連携しながら戦う現代の競技空戦において、失速するまで速度を落とし続ける事自体が自殺行為と言える。


 付け加えるなら、失速状態にある航空機の主翼周辺の気流は全くカオス的であり、ラダー操作のタイミングを誤った場合は勿論のこと、その時の機体の角度がイメージと異なっているだけでもスピンに陥りかねない。


 スピンし始めたが最後、どれだけ早く制御を回復できるかは半ば運任せであり、周囲に敵機がいればすぐさま狙い撃ちにされるだろう。


 レイアはフォッケシリーズであれば確実に失速垂直反転を行えるが、それは邪魔が入らないという前提であり、邪魔が入りかねない試合においては再現性が下がる。


 インメルマンターンは戦闘機の進化によって、戦闘機動から曲芸飛行へと立ち位置の変化を余儀なくされたのだ。


 滑走路に戻ろうと思ったレイアが下を見ると、一機のJu88が滑走路で大破炎上していた。


 技量未熟な一年生が急降下爆撃の練習で機体を損傷し、着陸時に機体を制御できず墜落したのだろう。


 元凶はわかりきっていた。


 爆撃隊隊長。ゴルト隊一番機操縦手。斎藤中。


 『僕は急降下爆撃機だぞ』が口癖の異常者。


 中の指導は常軌を逸しており、一、二年生の事故が多発。


 練習で使っているJu88の全損が相次いでおり、出費が増大している。


 来年以降も瑞穂空戦部が強豪であり続けるためには爆撃隊の練度維持が不可欠であるため大目に見てきたが、さすがに限度を超えている。


 練習方法を変えさせる必要があるが、それが容易で無い事もわかっている。


 急降下爆撃の練習そのものを、一時中断させるしか無いだろう。


 レイアは小さく溜息をついた。


 ほんの半年前まで、中は目立たない選手だった。


 中性的で線が細い外見。


 もともと戦闘機パイロット志望だったが、現ロート隊やヴァイス隊、ゼピア隊とは異なりレギュラーに入れず、爆撃隊として試合に出場。


 そのまま爆撃機パイロットとなったが、技量は平凡で、その点でも印象が薄かった。


 思い悩んだ中が通天閣投法を発案者した奇才、天本香織に『どうしたら急降下爆撃が上手くなりますか』と質問したところ『自分が急降下爆撃機だと思い込んだらええんとちゃうか』と返された。


 レイアが後で聞いたところではこれは全くの冗談だったらしいが、中は本気にし、自分が急降下爆撃機だと思い込むために催眠術に傾倒。自己暗示で自分を急降下爆撃機だと思い込むようになったらしい。


 課題の解決方法が独創的過ぎて理解不能だが、問題なのは爆撃隊のパイロット達が面白がって自分達に催眠術をかけるよう頼んだ事だ。


 その結果、自分を急降下爆撃機だと思い込む爆撃機乗りが続出。


 新しく入った一年生に対しても『お前は急降下爆撃機だ。角度四五度以下は許されない』と催眠術をかけ、急降下爆撃の練習をやらせるようになった。


 基礎をすっ飛ばした非論理的な指導により、技量未熟な一年生パイロットによる墜落事故が相次ぐ事となり、練習での出費が想定より遥かに多くなっている。


 大破したJu88は鎮火中。


 離陸用の滑走路を空けるためFw190がトーイングトラクターで格納庫に戻されているが、しばらく時間がかかるだろう。


 燃料には余裕があるので、レイアはもう少し遊ぶ事にした。


 校則にも記載がある様にフォッケウルフは偉大な戦闘機だが、量産開始当初は大きな欠陥が存在した。


 一つは低速域で前触れ無く失速状態に陥る事であり、着陸する際は速度を落としつつフラップを下げ降着輪を出さなければ墜落の危険があった。


 もう一つは高速域であっても主翼の迎角が一定より大きくなると突然主翼から気流が剥がれる事であり、高速域で機首を上げると機体のバランスを崩す恐れがあった。


 共に戦闘機としては致命的と言える欠陥であったため、改良される毎に是正処置が加えられ、A型の決定版であるA-8であれば偶発的に発生する可能性は非常に低い。


 ただし、基本設計は変わっていないため、翼端周辺の気流が剥がれやすいという特徴は残っている。


 実運用上は問題ないレベルであるが、意図的に発生させる事は可能だ。


 レイアは機体を左に傾けると機首を上げ、斜めの旋回に入る。


 そしてラダーを操作して機首を横に振ると、左翼の先端部が揚力を失い、一気に機首が下を向いた。


 すかさず反時計回りに横転しつつラダーを逆に操作する事で、左翼は揚力を取り戻し、機体は水平になった。


 機動としては旋回のショートカットであるが、有名な捻り込みとは似て非なるものだ。


 失速寸前まで速度を落とさなくても実行可能なのが違いの一つ。


 そしてもう一の違いが、完全なアンコントール状態になる事だ。


 所謂スピン、錐揉み飛行となるため、安定飛行に復帰するまでの所要時間と、未来位置が正確に予想できない。


 実行すれば編隊が崩れるか、最悪僚機と衝突する。


 味方と連携して使う事は困難であり、攻撃機動としての実用性は低い。


 敵機の意表を突く事はできるであろうから、追い詰められた際の窮余の回避機動としてなら意味はあるかもしれないが、非常に高い急降下耐性を持つフォッケシリーズであればダイブで逃げた方が確実なうえ味方の援護も恃みやすいので、やはり有用とは言い難い。


 故にこれも、曲芸飛行だ。


 時間を潰したレイアは誘導管制に従って着陸用滑走路に着陸。


 部室に戻ると練習終了を告げ、中を呼び出した。


 つり目がちで線の細い男子生徒が平然とした表情でレイアの前に立っている。


「夏の大会が始まるまで急降下爆撃の練習を中止する」

「正気か? 僕達は急降下爆撃機だぞ」

「試合に出る選手の練度に問題は無い。一、二年生は離着陸の練習だけで十分」

「機体の損耗が多い事を問題視しているのか?」

「まさにそう。お金の問題だけじゃない。滑走路の修理や機体整備にも時間が取られて非効率」

「事故が発生した時点でその日の急降下爆撃の練習は中止という約束は守っている」

「貴方の淹れるコーヒーが美味しいから大目に見た私が間違っていたわ」

「僕はコーヒー屋だぞ。これ以上何を差し入れろと言うんだ」

「何もいらない。ともかく、夏の大会が始まるまで急降下爆撃の練習は中止。それ以降の事はチームの状況を見て決める」

「……改善案はある。無事に着陸しなければならない、と追加で催眠をかければ、事故は減るかもしれない」

「その効果を確認するのにどれだけかかるのよ。そもそも催眠術で集中力が上がるとしても、実力以上の事はできないでしょ」

「催眠術には未解明な部分が多い。不可能と決めつけるのは早計だ」

「未解明な部分が多い手法を練習に取り入れてしまった事が誤りだったわね。というか、貴方が催眠術を解除できないのが一番の誤算!」


 レイアとて催眠術を非科学的の一言で切って捨てるつもりは無い。


 現に中の技量が劇的に上昇したため、スポーツ選手が試合前、或いは試合中にやるルーティンの様なものだと解釈していた。


 よって、催眠術には科学的根拠があり、少なくともかけた術者は解除できるものだと思っていた。


 ところが、実害が大きくなってきたので一旦催眠術を解除するようレイアが指示したところ、中は解除できなかったのだ。


 首を傾げる中にレイアが何度もやり直しを命じた事は言うまでもない。


 幸い中の催眠術に永続性は無く、個人差はあれど数日で効果が切れる事がわかった。


 ともあれ強制解除できないのはとても不便だ。


「そういえば、強制解除はできるようになったの?」

「まだだ」

「なら、強制解除できるようになるまで練習に催眠術を使う事も禁止するわ」

「横暴だ! 僕は最強の急降下爆撃隊を作ると天本先輩と約束したんだ」

「催眠術に頼らず実現したらいいんじゃない?」

「……仕方ない。一つ、試させてくれ」

「何よ」


 食い下がる中に苛立ちを覚えたレイアの前に、糸で吊り下げられたDo217の模型が現れる。


「お前は急降下爆撃だ。機体が上げる悲鳴は勝利への歓声だ」

「何も訴えてこない」

「駄目か。催眠術というものはかけられる側の協力も必要だからな」

「せめて急降下爆撃機を持ってきて! Do217は急降下爆撃機じゃない!」

「お前は急降下爆撃機だ。投下の瞬間にこそ本質がある」

「だから無理なんだって」

「お前は急降下爆撃機だ。風を切り、空を裂き、ただ落ちる存在だ」


 中が言い終わる前に、レイアは近くに合ったFw190の模型を手に取って中の眼前に突きつけた。


 そして中の瞳を覗き込む様にして告げる。


「フォッケウルフは偉大な戦闘機だ。フォッケウルフである貴方は必ず敵機を撃墜しなければならない」

「僕が……フォッケウルフ」

「かからないでしょ。もうこの話は終わり!」

「僕は偉大なる戦闘機……必ずや敵機を」

「六原!」


 少し慌てた様子の正吾がレイアに近付いて来る。


「どうしたのよ」

「警察が来とる。六原と月城に話があると」

「……二階の会議室で対応するわ。ペットボトルのお茶を用意して」

「その必要は無いよ」


 部室には背広姿の見慣れぬ男が二人いた。


 勝手に入ってきたのか。


「校長も教頭もいない。教員に訊ねても、学校評議会に問い合わせてくれ。ただの生徒が学校の最高責任者の如き存在となっている。あり得ない事だ。文科省が認可を取り消さない理由も、踏み込んで調査すべきだろうな」

「その件に関しましては、是正が必要な場合は具体的な方法を含めて連絡すると文科省から言われております」


 落ち着いた口調で話しながらレイアは警官に近付く。


「六原君か。用があるのは君と月城君だけだ」

「私が月城です」


 部室に入って来たハンナが直ぐに名乗り出る。


「短時間で終わる話ではない。車で来ているから、警察署に来ることを勧める」

「警察手帳の提示をお願い致します」


 レイアが言うと警官二人は素直に手帳を掲示した。


 昔見た記憶と相違無い。


 本物だろう。


「ありがとうございます」

「任意同行に応じるか」

「はい」


 頷いたレイアとハンナは二人の警官の後に続いて歩く。


 そして校門の前に停まっていたパトカーの後部座席に座ってシートベルトを着けると、パトカーは速やかに発進した。

次回、レイア、In the dark

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