4 スパイスの風
新学期が始まって一週間経った日曜日。
レイアは部室でバイトの相談を受けていた。
フロンティア高校から転校してきた四人は薬物中毒から順調に回復しており、今後の治療は通院で良いと医師から言われたらしい。
「禁断症状はだいぶ収まった。肝炎の再発もねぇ。だから、バイトしたいんだよ」
バレリア・リヴェロの発言の意図をはかりかねるレイアは曖昧に頷く。
「別に構わないけど。バイト禁止じゃないし」
「実はこの国に来てからバイトしたことが無いんだ。だから、どうやって雇ってもらったらいいかわからねぇ」
「そこらへんのコンビニに募集の張り紙がしてあるけど」
「私らに務まるのか、わからねぇ」
「覚えることが多そうだよね。私達にできるのかなぁ」
「飛行機の操縦よりは簡単なんじゃないかしら」
不安げなマイテ・オルモスにレイアは答える。
「レイアはバイトした事があるのか?」
「……去年の夏に、フィロ達が働いてるメイドカフェで二ヶ月ほど」
「あれかぁ。一回行ってみたけど、意味わかんねぇ。普通に料理を出しゃいいじゃねぇか」
「値段も高過ぎだよね。特に美味しいわけでもなかったし」
「特殊な業種ではあるわね。普通のバイトをしている人に話を聞いてみたら?」
「誰が何のバイトをしているかわからねぇ」
「まぁバイトしている人は少数派だから、適当に訊いて回るのは効率悪いわね」
「レイアは誰が何のバイトをしているか把握しているのか?」
「話を聞いた限りでは。人を紹介してもいいけれど、そもそもなんでバイトがしたいの?」
「今は仕送りで生活してるんだが、うちは貧しいんだ。これ以上負担をかけたくない」
「それは殊勝な心掛けね。マイテは?」
「同じだよ。弟達はもう働いてるっていうのに、私が働かないわけにはいかないよ」
「じゃあ、興味があるバイトは?」
「うーん、何ができるのかわからねぇ」
バレリアの回答に困ったレイアは晴嵐を見る。
「晴嵐。バイトの経験は?」
「無いよ」
「ま、そうよねぇ」
天祇グループの御令嬢である晴嵐にバイト経験が無いのはわかりきった話だ。
「私としてはバレリアとマイテは飲食店で料理を作るのが向いていると思う」
「料理が得意なの?」
「子供の頃から作ってはいたぜ。両親は働きっぱなしだったからな」
「アメリカに行って仕事が見つかったのは良かったけど、物価も高かったよねぇ」
バレリアとマイテは子供の頃にメキシコからアメリカに移民している。
しかも話を聞く限り、不法越境した非正規移民だ。
家族全員が無事に移民できたのは良かったが、その後の生活が苦労を伴うものだった事は想像に難くない。
「じゃあ仮に料理を作るバイトができるとしたら、時給は低くて構わないってこと?」
「そうだなぁ。料理作って食ってもらうのは楽しそうだな」
「家から近ければその分長く働けるしね」
マイテの発言には一理あるとレイアは思った。
時給面でフィロ達の職場が最強なのは間違いないが、店との移動に時間と電車賃がかかっている点は差し引いて考えなければならない。
バイト先が家の近くであるならば勤務時間を増やしやすく、空戦部と両立するハードルも下がる。
「とりあえず、この学校の近くの飲食店がバイトを募集していないか、部員から情報を集めるわ。もしあれば、その店に行ってみれば良い。一週間待って」
「恩に着るぜ」
「楽しみにしてるね」
とりあえずレイアは発言の通り、各小隊長を通じて近辺のバイト募集情報を収集した。
そして一週間後の昼休み。
再びレイア、バレリア、マイテ、晴嵐が部室に集まる。
今回はもう一人、インディゴ隊一番機を務める平山陽介も呼ばれていた。
「空戦部内で飲食店のバイト先情報を集めた結果、平山君の実家が候補に挙がったわ。平山君。実家の定食屋について説明して」
「姉御の頼みなんで説明しますけど、古臭い定食屋っすよ。俺が子供の頃は結構客入ってましたけど、今は親父が身体壊してて、代わりにお袋が料理作ってます」
「でもお母さんは元々接客担当だったから、作れる料理が少ないのよね」
「そっすね。最近は常連以外来てないんで、バイトはいらないかもしれないっすよ」
「聞いた話じゃ、この間までバイト募集の張り紙がしてあったそうじゃない」
「あの時は週五で店開けようとしてたんすよ。でも客が来ないから週三にしようってなって、それならバイトはいらないから剝がしたらしいっす」
「お前は店を手伝っていないのか?」
バレリアの問いに陽介は少し苛立たし気に答える。
「ちょっとは手伝ってますよ。帰って皿洗ったり」
「料理は作れないのか?」
「昔教わってましたけどね。仮に俺が高卒で後継いだところで、あんな古臭い定食屋流行らないっすよ」
「そうか。なら、私達が料理を作れば、お母さんは接客に専念できるってわけか」
「毎日来れるわけじゃないでしょ」
「翌日分を仕込んで帰る事はできる。開店日は増やせるんじゃねぇか?」
「増やしたところで客が来ないって言ってるんすよ!」
陽介がバレリアとマイテを歓迎しない事はわかっていた。
去年の冬の大会ではあまり活躍できなかったインディゴ隊であるが、優勝したせいもあってか特に落ち込んではおらず、来年は一年のヤーボ乗りをしごいて強いヤーボ中隊を作ると息巻いていた。
そこに私が晴嵐達四人を連れてきて、ヤーボ隊エースを示すシュバルツの名を与えたのだ。
面白くないに決まっている。
実力差が歴然であるためインディゴ隊から表立った不満は聞こえてきていないが、助ける義理も無い、というのが正直な思いだろう。
ともあれ、陽介が反発する理由を作った自覚のあるレイアは口を挟む事にした。
「平山君以外にも、実家が飲食店の空戦部員は存在する。しかし、厨房担当でバイトを募集しているところは無かった。ファミレスなら厨房のバイトはあるけど、学食のオペレーションと大差無さそうなのよね」
「確かにあれは、あまり面白くねぇな」
「バレリアとマイテは調理工程が複雑な方がやりがいがあると考えている。これは平山食堂にとってもメリットじゃないかしら」
「……先輩方がちゃんと料理できるならの話ですけどね」
「それについては実際に腕を見て判断する、という事で良いのよね」
「いいっすよ。親父にも話してあります。判断するのは親父なんで。因みに明日は来れるんすよね」
「レイア。行って良いよな」
「ええ。明日シュバルツ隊の練習は休みで。平山君はどうする?」
「俺は練習しますよ。……別にヤーボ隊から外されたわけじゃないですよね」
「勿論。そもそもシュバルツ隊は夏の決勝まで試合に出れないんだから、ヤーボ隊は貴方達頼みよ」
「了解っす! シュバルツ隊の先輩方は学校終わったら店に行ってください。定休日なんで」
「それなら今夜も行こうかな。平山君案内しろよ」
「今日来てどうすんすか」
「飯を食う。食って味を覚えんだよ。晴嵐も来てくれ。ドゥニャも呼ぶ」
「定食屋か。面白そうだね」
「シェアすれば何品も食べられるね」
「……期待しない方がいいっすよ」
「レイアも来るか?」
「私はフォッケウルフで新入部員の班割り決める予定だから。因みにフォッケウルフのバイトは間に合っているそうよ」
そう言いながらレイアは席を立った。
来週にでも行くつもり、と言おうかと思ってやめた。
それはバレリアとマイテがバイトする事に決まったらで良いだろう。
二日後の火曜日にはバレリアとマイテが平山食堂でバイトする事が決まったと聞いたが、様子を見に行くのは再来週となった。
その週の日曜は天祇食品の本社へ出張する事になったからだ。
竣工を間近に控えた新部室にはお菓子や軽食の自販機を置こうと思ったのだが、商品までは用意できないと瑞穂航空から言われたので、天祇食品に購入を打診した。
そしたら、ハンナと私がテレビCMに出る事が条件との回答が来た。
自販機に商品を置くだけでは釣り合わない気がしたので、校内に売店を設置する事も追加で希望したら、その点も含めて打ち合わせがしたいので本社に来いと言われてしまった。
この世で一番偉いのはスポンサーなので出向かないわけにはいかない。
CMに出るかは二つ返事とまではいかないが、既にハンナが単独で出ている天祇製薬のサプリメントCMと同じ広告代理店なので、内容は常識的なものだろう。
もっともハンナを起用したサプリメントCMは、一種の詐欺だ。
生まれついての筋骨隆々マッチョマンに筋トレ用品を宣伝させているようなものだ。
あれが許されるなら、資本主義は『人を金に隷属させるための仕組み』であると批判した祖国の政治家達にも一理ある。
打ち合わせの結果、CMが無難な内容であることを確認したレイアとハンナは出演を承諾。
商談を纏め、翌週には撮影に臨むこととなった。
CMを撮影した日の夕方。
予定通りの時間に帰ってこれたレイアとハンナは東大阪商店街に入り平山食堂へと向かう。
流行っていないという話だったので短時間で食事を済ませて帰れるだろう。
というレイアの予想は裏切られた。
平山食堂の店の前には行列ができていたのだ。
二週間前に聞いた話と違う。
しかし何が起きたのかは察せられた。
古びた定食屋の入り口に張り出された、『メキシコ料理あります』の張り紙。
経緯こそわからないが、作っているのはバレリアとマイテに違いない。
そしてそのメキシコ料理がこの定食屋の新たなウリになった、という事だろう。
三〇分並んで店内に入ったレイアとハンナは席に座ってメニュー表を見る。
チキン・ティンガ。カス・タコス。サルサ肉吸い。ヴェルデカツレツ。ピカディージョ。メヒカーナスクランブルエッグ。ピカディージョ……。
全て定食と名前がついているが、店内を見渡すと単にご飯とみそ汁が付くというだけで、断じて日本食ではなさそうだ。
かつての定番であったのだろう、唐揚げ定食や生姜焼き定食、かつ丼や牛丼といったメニューには取り消し線が引かれている。
サイドメニューにはナチョスやケサディーヤという記載があり、これをつまみに酒を飲んでいる客もいる。
「完全に別の店になったみたいだね」
「流石に何があったか気になるわね」
「姐御にハンナ先輩。お疲れ様っす」
言いつつ陽介が水の入ったコップをテーブルに置いた。
「平山君も接客しているのね」
「厨房にいても役に立たないんで」
「良い役割分担じゃない。ドゥニャもいるし」
「今週から来てるっすね。注文は決まりましたか?」
「私はヴェルデカツレツ定食とナチョス」
「私はヴェルデカツレツ定食とチキン・ティンガ定食」
「……ん? この後三人目が来ます?」
「いいえ、私達二人よ。そして貴方の聞き間違いでもない」
「そっすか。あーでも、このテーブルだと収まらないっすね」
「じゃあチキン・ティンガ定食とナチョスは後から持ってきてよ。レイアとシェアするから」
「了解っす。水のおかわりはセルフなんで」
そう言って陽介は立ち去り、十数分後に料理が運ばれてきた。
メキシコ料理の名に違わぬ香辛料が効いた味付けで、ご飯が進む。
ハンナは二人分の定食をペロリと平らげてしまった。
そしてその栄養は勝手に胸と引き締まった筋肉に向かう。
天祇製薬のサプリメントユーザーに知られてはならない不都合な真実だ。
「美味しかったねー」
「ナチョスは想像通りテクス・メクスだったけれど、それが彼女達の故郷の味なのかもしれないわね」
「じゃあ定食化されたメキシコ料理は何て呼ぶのかな。ハポン・メクス?」
「どうなんでしょうね。定食という単語が全てを包括しそうな気がするわ」
会計を済ませて店を出たレイアとハンナは、翌日バレリアとマイテに事のあらましを訊いてみた。
「私達が入ったから木曜以外は店開けるってんでバイトに行ったんだけどよ、お客さん殆ど来ねえの。食材が勿体ねぇから、ドゥニャに業スーで調味料買ってきてもらって、メキシコ料理作っておやっさんに食べてもらって、メニューに加えていいか訊いたんだ」
「最初はねー、おやっさんも微妙な顔してたよ。美味いとは言ってくれたけど。そしたら平山がさー、俺も賛成だって言ってくれたんだよ」
「俺はただ……お袋が気の毒だっただけっす」
「で、おやっさんが、部活と勉強の合間でいいから店を手伝うなら良いって言って、平山が了承したんだよ。だから翌日からメキシコ料理を出した。日曜はドゥニャに来てもらってさ、客引きやってもらったんだ」
「ドゥニャって手伝いで来てたの?」
「いや、バイトする事になったから、初日分から給料出てるぜ」
「ドゥニャも週二で来る事になったよ」
「調味料を買ってきたのはわかったけど、食材はどうしたの?」
「廃棄予定になったやつから適当に。鶏肉も玉ねぎもトマトも余ってたから、パシージャとグアヒージョとクミンと一緒に茹でて米に乗せて出したぜ。丼つーの?」
「今のはティンガだねー。私が作ったのはヴェルデカツレツ。かつ丼の味付けをサルサ・ヴェルデとセラーノに変えて余ってた千切りキャベツの上に乗せただけだよ」
「創意工夫で変わるものね。商店街を含めこの辺りにメキシコ料理屋が無いのも幸いしたかしら」
「そうなのか」
「二人のバイトを探すときに一応調べたけど、無かったわ」
「そんなら丁度いい。平山食堂をメキシコ料理屋に変えてやるぜ」
ニヤリと笑うバレリアにレイアが問う。
「私は部外者だけど、気になるのが、平山食堂が持続可能な店になったのかという事ね」
「あー、仮のレシピなら渡してるし、おかみさんはもう練習してるぜ? おやっさんも身体が良くなったら厨房戻るって言ってるし」
「それなら心配ないのかしら」
「レシピは仮なの?」
「近くの業スーに置いてない香辛料があるんだよな。アルボルとかセラーノとか。他の唐辛子で代用効くけど、本格とは言い難いよなぁ」
「材料費上がるし、どこまでやるかだよね」
「そのー、俺にも教えてもらっていいっすか? 手空いてる時でいいんで」
「んだよ平山ぁ。もしかして定食屋継ぐのか?」
「まぁ。何か俺が勝手に諦めてただけで、ちゃんと努力すれば、やっていけるんじゃないかって思いました」
「いいけどよ。やる気無かったら店から叩き出すからな」
「本気でやります!」
「本当か? お前らの空戦と着陸見てると腹が立つんだよな。程々で良いとか思ってねぇか?」
そこに踏み込んでくれて有り難いとレイアは思った。
前々から感じてはいたのだが、重要戦力とは見做していなかったので放置していたというのが正直なところだ。
「……俺も、ですけど、インディゴ隊の奴らも、そうです」
「やっぱりか! レイアは許してんのかもしれねぇけどよ、勿体ないぜ。試合に出られてんのによ」
「因みに私は許しているわけじゃないから」
「え!? いやでも、何も言われてないっすよね?」
「よくレイアがこんなの使ってるな」
「シウダー・フアレスなら一日と生きていけないレベル」
呆然とした表情の陽介と目が合ったのでレイアは口を開く。
「言いたい事はいくつもあるけど、そもそも貴方達私の話聞かないじゃない」
「聞いてるっすよ! 一番大事な話だと思ってます!」
「じゃあ何で未だに姉御呼びなの?」
「はい! え、はい? どういう事ですか?」
「馬鹿だぜこいつ」
「私達が転校してきてから、レイアが姐御呼びやめろって言ってるの二回は聞いたよ」
「え……マジっすか!?」
「自分達に都合の良いの事しか聞いてない。堕とすより堕とされるなとは、堕とさなくて良いという意味ではない。何一つ工夫が見られない」
陽介の顔がこの世の終わりみたいな表情になったのでレイアは言葉を切った。
「じゃあ俺は……どうし……いや、違う。リヴェロ先輩、オルモス先輩、俺達に空戦を教えて下さい! 強くないたいって気持ちはあるんです。本当っす!」
「だってさレイア。どうする?」
深々と頭を下げた陽介を見てバレリアが問う。
「ヤーボ隊の事は晴嵐に一任しているのよ」
「良かったな平山ぁ。お前運だけは良いぜ」
「は、はぁ」
「晴嵐はな、めっちゃすげぇんだぜ。なのに天才じゃない側の気持ちもわかる。教えるのめっちゃうめーんだよ」
「私達がレイアに引き抜いてもらえたのも晴嵐のおかげだよね」
「じゃあ天祇先輩にお願いしてきます!」
「その前にインディゴ隊を集めてきてよ」
「わかりました!」
元気よく言った陽介はレイアに向き直る。
「今まですいませんした! これからは、六原先輩と呼びます」
「レイアでいいわよ」
「あざっす!」
「晴嵐も苗字嫌いだから、晴嵐って呼んどけ」
「マジっすか!? てか晴嵐先輩って超可愛いっすよね!」
「本人に言ったら口にハバネロ詰め込むからな」
「薬漬けにしない優しさときたら、グアダルーペが福音をもたらすレベル」
「絶対言いません!」
「じゃあ行くか。根性から鍛えるぞ」
「うす!」
それから数週間でインディゴ隊は見違えた。
大きく変わったのは技量というより意識だろう。
インディゴ隊には空戦が下手という弱点があった。
それ故戦力としては数えにくかった。
だが今では自分より上手い相手との模擬空戦でもしぶとさを見せるようになった。
とにかく諦めない。
限界が来るか相手がミスを犯すまでひたすら粘る。
インディゴ隊を格下と見做して安直な攻撃を仕掛けた敵チームの選手は後悔する事になるだろう。
練習中、インディゴ隊の綺麗な着陸を見てレイアは思う。
最後まで集中している。
転校生のバイト探しが他の選手の成長に繋がるとは、競技空戦とは奥深いものだ。
平山がパワーアップした!
ついでにインディゴ隊もパワーアップした!
次回、レイア、自宅の前にそり立つ壁が出現するも何とか帰宅




