1 追放ソビエトさんチーム
一五歳まで東ドイツ人として生きたレイアにとって、東ドイツを一言で表現するならば、『不自由な国』だった。
個人の人生設計、言論と表現、国内外への移動、入手可能な物資。経済、政治、外交。
あらゆるものが不自由だった。
父が共産党幹部で母が日系商社勤務だったレイアは、幼い頃から国外の情報を入手可能であり、東ドイツの生活水準が西側諸国に劣っている事を知っていた。
その原因を、初めはソ連に搾取されているからだと思っていた。
しかしソ連に旅行した時に、その考えが間違っている事に気付いた。
ソ連も貧しかった。
九〇年代半ばのソ連は実質的な経済破綻状態であり、モスクワとサンクトペテルブルクでさえ明らかな物資不足で、大衆向けレストランの食事は不味かった。
そうした経験と多少の勉学によって、レイアは幼いなりの結論に辿り着いた。
ソ連型社会主義は絶対に失敗する構造になっている。
この回答が不正解となる唯一の状況は全ての国がソ連型社会主義を採用した場合、即ち世界革命論が実現した世界であると思われるが、社会主義国の盟主たるソ連自身が世界革命論を主張する人々を否定し、トロツキストとして粛清してしまったのだから、絶対と言い切ってしまって良いだろう。
実際に、ソ連は計画経済の失敗をある程度認め、八九年から部分的な市場開放を行った。
東ドイツも、盟主であるソ連に倣うという形で市場開放を行った。
既に中国という市場開放を経済発展に繋げた社会主義国家が存在したため、ペレストロイカと呼ばれる部分的に資本主義を導入する改革について、大人達がそれなりの期待感を持っていた事をレイアは覚えている。
しかし経済状況は更に悪化した。
社会主義と資本主義の悪いところを組み合わせたと揶揄される、最悪の経済システムができあがった。
この展開について父がある程度予見していた事は、レイアにとって印象的だった。
国民の大半が農村で生活しており、情報統制が容易であった八〇年代の中国と、社会主義国の中では最も工業化が進んでおり、制約はあるものの西側の情報さえ入手できる今の東ドイツでは条件が違い過ぎて、真似しても同様の効果は出ないだろうという意見だった。
シュタージの仕事を頑張る意味がなくなり、身の振り方を考えていた時期に、レイアは常々考えていた。
東ドイツが生き残る道はあったのか、と。
まず東ドイツが先進国になれる可能性はあったか。
即答で零。
国是であるソ連型社会主義が絶対に失敗するシステムだから。
そしてソ連の衛星国が経済的自由化と政治的民主化を実施できない事は、東ドイツを含む複数の東欧諸国で証明済み。
では東ドイツが存続できる可能性はあったか。
ソ連が経済の立て直しに成功していた場合は、ソ連軍の東欧諸国への駐留が続いていたであろうから、ソ連の衛星国として存続していただろう。
だが現実にはソ連経済は復活するどころか破綻状態となり、衛星国への干渉が困難となった結果、東欧諸国は次々と民主化していった。
こうなった時点で東ドイツの体制崩壊が不可避であった事は間違いない。
九九年一二月に行われた最初で最後の自由選挙においてドイツ社会主義統一党は惨敗した。
ドイツ社会主義統一党は大規模な選挙活動すら行わず、淡々と負けた。
その姿は、まるで東ドイツの滅亡を見届けに来た様だとさえ言われている。
恐らく、支配層である彼ら自身が、体制を維持する意欲を根本的に失っていたのだろう。
そしてベルリンの壁崩壊からたった一年で東西ドイツの統一が達成されたところから、東ドイツの国民殆どにとって、東ドイツとは消滅しても惜しくない無価値な存在であったことが窺える。
したがって、東ドイツの創設者であり生殺与奪権を握っていたソ連が経済的苦境に陥った時点で、東ドイツの消滅は確定していたとレイアは思っている。
こうした東ドイツの歴史において着目すべきは、東ドイツという国に一切の選択肢が無かった事だ。
七〇年代以降の経済停滞を主要因とする国民の不満を軽減するには改革に踏み切るしか無い。
しかし全面的な経済の自由化と政治の民主化はソ連の許しが得られない。
故に改革は、経済の専門家ではない父でさえ上手くいかないと予想できる部分的な市場開放に留めるより他に無い。
滅び方についても、選択肢は無かったと言って良い。
東ドイツ消滅の決定打となったのは姉を含む過激派によるベルリンの壁爆破であるが、仮にそれが起きなかったとしても、その数年後にソ連が消滅した時点で東ドイツは自らに存在意義とイデオロギーを与える存在を失うのだから、存続は不可能となり、消滅以外の滅び方は無かったとレイアは確信している。
そして九〇年代のソ連の惨状を目の当たりにしたレイアには、ソ連型社会主義が持続可能であるとは到底思えない。
ソ連の崩壊もまた、時間の問題だったに違いない。
ならば、東ドイツとは、その誕生時点で、いずれ消滅する事が運命付けられており、東ドイツ人がその運命に抗う術は絶無であったとレイアは思っている。
そしてその根本的な原因は、二〇世紀前半に行われた約三〇年に及ぶ闘争において最悪の負け方をしたからであるとレイアは考える。
個人の人生と国家を並びたてて語る事はできないが、教訓を得る事はできる。
絶対に避けねばならないのは、敗北ではなく、全選択肢の喪失である。
負ければ全ての選択肢を喪失する戦いに臨むのであれば、何としても勝たなければならない。
如何なる手段を使ってでも。絶対に。
二月下旬。レイア達は一二月に転校してきていたロシア人少女四人と模擬空戦をしていた。
この四人はソ連崩壊さえなければインターナショナル空戦部の次期エース小隊になっていたはずのパイロット達であり、優秀である事は想定していたが、実際に戦ってみると手強いどころのレベルではなかった。
二◯分の模擬空戦の結果、ロート隊は遂に撃墜確実の決定的瞬間を作り出せなかった。
途中から主導権を握る事はできていたが、公式戦で同じ相手と二◯分戦い続ける事などあり得ないのだから判定は引き分けだ。
Fw190D-9に乗り始めてから一ヵ月である事が信じられない練度であり、もっとこの四人の空戦機動を見てみたくなったレイアは一二機同士での模擬空戦を指示。
ロシア人四人にはヴァイス隊とゼピア隊を付け、ロート隊がブラウ隊とグリューン隊を率いる形で模擬空戦を行った結果、レイア達はとんでもないものを目撃した。
「撃墜だよ。グリューンフィーア」
「撃墜であります。グリューンアイン」
「当たってねぇですって! 躱しました!」
「今の無し! ずりぃぞなんか変な動きしやがって」
「潔さが日本人の美徳ではなくて」
「別にいいよ。続けようか」
今回の模擬空戦では一三ミリのペイント弾を使用し、撃墜は相手を照準器で捉えた側の申告制だ。
とはいえペイント弾が当たった側も衝撃は感じるし、嘘を吐いたところで機体に塗料が残るし、試合後にガンカメラ写真で確認も可能なので撃墜を宣告された側は認めるのが通例だが、レイアは掟破りを敢えて黙認していた。
「ブラウフィーア撃墜」
「神よ、まだ死ぬ定めではありませんね」
「道徳的退廃ですわ。ああ、ブラウツヴァイを撃墜」
「うっわやば谷園! 紙一重ってやつ?」
「教育はどうなっているでありますか!?」
「日本文化でいう手荒い歓迎でしょうか」
「離脱した者は全員復帰しなさい。高度四千で編隊を組み仕切り直す」
「ルールを明確にしてくださる? 何発当てればよろしくて?」
「ブラウ隊、ゲルプ隊、次に撃墜宣言を受けたら従って。そろそろ模擬空戦を終わりにする」
「了解っす。もう同じ手は食わねえ」
「結局最後に勝った奴が勝つんですよ」
「その自信がどこから出てくるのかわかりませんわね」
「ロート隊には注意だよ」
両チームは高度四千メートルですれ違い、縦の旋回を繰り返しながら有利な位置の奪取を図る。
レイアはヴァイス隊とゼピア隊を狙うよう指示を出しながらロシア人四人の空戦機動を観察する。
驚異的だ。あの攻撃機動を見るだけであの四人が高校生としては最高クラスの技量を有する事がわかる。
「ブラウドライ。撃墜だよ」
「ブラウアイン。撃墜ですわ」
「何で私達ばっかり狙うんですか!」
「ロート隊を孤立させるのが定石なんだけど」
「教育はどうなっているでありますか?」
ブラウ隊からの攻撃を回避したロシア人四人はあっという間に攻撃機動へと移り、逆にブラウ隊を追い詰め始めた。
その間にレイアは少し上昇。降下からの高速旋回でブラウ隊を追っている機体を照準した。
「グリューンフィーア撃墜」
「上方にロート! ブレイク!」
「遅いわよ。ルスラントツヴァイ撃墜。模擬戦を終了する」
「今終了でありますか!?」
「どういう条件ですか?」
「あはは。凄い独裁ぶりだ。まぁ僕らの実力は示せただろう。同志レイアの評価を聞こうじゃないか」
「そうね。ルスラント隊以外は機体を格納庫に戻し、状態確認および清掃」
滑走路に着陸した後、ロート隊の近くへロシア人四人が歩み寄ってきた。
「僕らの実力はどうだったかな?」
尋ねてきたのは一番機のヴラドレーナ・ヴァシーリエフ。愛称はブラーダ。
父親が元KGB第一総局次長であるためインターナショナルでの試合出場機会を失った選手の一人。
「政治的な理由で貴方達四人を手放したインターナショナルはあまりに愚かだわ」
「実力を認められたようで良かった。その意見にも同意だよ」
「あの攻撃機動の理屈を教えて」
「四機の位置と役割を入れ替えながら敵編隊に連続攻撃を仕掛ける。それだけだよ」
机上の空論と一笑に付す者もいるだろうが、レイアは目の前でその動きを見てしまった。
「実戦でも間違いなく有効だわ。あれは距離を測り損ねる。いつからあんな技を?」
「発想自体は去年からあったけど、本格的に練習したのは瑞穂に来てからで、試したのはさっきが初めてだよ」
「何故インターナショナルでは本格的に練習しなかったの?」
「あの技、『ブランマネョール』には欠点があるんだ。攻撃中に他の小隊の様子を見ている余裕が無い。僕らはインターナショナルで指導的立場になる予定だったから、ブランマネョールは他の小隊に習得させようと思ってた」
「習得できそうな小隊はあった?」
「いや。皆が苦戦している間に秋の大会が近付いたから監督が練習を中止させた」
ブラン。ロシア語で猛吹雪。
実戦で使えばその名に恥じない猛烈な殲滅力を発揮するだろう。
この四人が一緒に飛びたいと思っている理由もわかった。
才能に恵まれた四人で小隊を組まなければブランマネョールのような超高難易度の連携攻撃は不可能であり、本人達もそれがわかっているのだろう。
「ブランマネョールは貴方達だからこそできるのよ。さっきアーシャが一番機に入るところは見たけど、状況によっては暮夢が一番機に入る事もあるのね?」
「理屈のうえでは。ただ、そこまで連続攻撃の機会が得られる事も稀かと思います」
四番機を務める暮夢・ヴァルナフスキーが答える。
暮夢の父親は昨年極めて有名になった。
KGB第一総局第七部に所属しており、日本の大手新聞社でソ連評論家として活動していたのだが、ソ連が崩壊するとアメリカに亡命し自分がスパイであった事を公表した。
現ロシア政府からは嘘吐きの恥さらしと非難されており、インターナショナルに残っていればどうなっていたかわからない。
暮夢がどこまで予期していたか知らないが、瑞穂高校への転校を選んだ事は極めて慧眼だったとレイアは思う。
「三機になってしまった場合はデルタとエシュロンどちらになるの? 例えばさっきヴェータが堕ちた後も空戦が続いていた場合とか」
「先ほどであればエシュロンを選択し、私と暮夢でグリューンドライを狙います。ヴァイス隊かゼピア隊がロート隊をけん制してくれる前提でありますが」
答えたのは三番機のアナスタシヤ・ハイゼンベルク。愛称はアーシャ。
ドイツ系ロシア人。父親が元KGB第一六局局長。
非情に真面目で秩序を重んじる事が普段の言動から見て取れる。
「大体わかったわ。ブランマネョールは敵機から間合いと思考時間を奪う技。中隊規模での連携ができれば破壊力は更に増す」
「その通りであります」
「理解が速くて頼もしいよ。同志レイア」
「こちらこそ、改めて歓迎するわ。小隊名はゲルプ隊でいいわね」
「いいよ。赤でないなら黄色が良いと思ってた。機体にエンブレムを入れるのはあり?」
「尾翼なら」
「じゃあ向日葵にしようかな」
「可愛い趣味ね。瑞穂空戦部の実力はどうだった?」
「ロート隊。君達が現役最強の小隊だ。二番目が僕ら。二年生はレベルが高いね」
「わたくし達は新参であるが故に今まで言及しませんでしたが、一年生は優雅さに欠けますわ。再教育が必要と思います」
口を挟んできたのはスヴェトラーナ・ミハイロフ。愛称はヴェータ。父親が元共産党中央委員会文化部部長であるが故にインターナショナルでの試合出場機会を失った少女。
「言いたい事はわかるわ。小隊間の連携すら不完全。今が伸び盛りだから好きに飛ばせているだけよ。無駄の無い連携は今後教えていく」
「今後の成長に期待ですわね。品の無い飛び方は瑞穂航空の宣伝という観点でも悪影響でしょうから」
「宣伝効果もそうだけど、空戦部の獲得賞金が学校経営に直結しているから、とにかく勝たないといけない」
「獲得賞金はどのくらいを見込んでいるの?」
「基本的には全勝、つまり三冠を取らないと、経済的に苦しいわね」
「あははは。極左冒険主義だと非難する人はいなかったのかな」
「瑞穂航空グループも天祇グループもめちゃくちゃよ。でも私達はこの計画経済を成功させなければならない」
「成功するよ」
ブラーダは穏やかな表情で断言した。
「根拠は?」
「高校空戦で一番目と二番目に強い小隊がいるんだよ? 加えてここの指導部が優秀なのは去年実証されている。どうかな同志樹里。来年度の展望は」
いきなり話を振られた樹里は戸惑った様子だったが、少し間を置いて真剣な表情で答えた。
「……三冠は、可能です」
「いいね。史上初の三冠はまさに革命的だ。それ自体が最高の宣伝。瑞穂も天祇もこの学校を切れない」
ブラーダの発言を聞いてレイアは笑みを浮かべた。
この学校の経営を任された時、全く同じ事を考えたからだ。
瑞穂航空大学附属高校の存続を保証する唯一の手段。
それは史上初の三冠達成。
為し得れば、学校の経営状況がどうであれ、潰すことなどできない。
三冠を達成した学校を切り捨てるような事をすれば世間から見放され、瑞穂航空は今度こそ破滅するからだ。
「私もそう考えている。じゃあそろそろ機体を格納庫に戻しましょうか」
その時遠くから飛行機のエンジン音が聞こえてきた。
双発のプロペラ旅客機『DC-3』が着陸態勢に入っている。
「思ったより早かったわね。フロンティアからの転校生よ。一緒に出迎えましょう」
「機体は?」
「格納庫に戻すよう爆撃隊にメールしておくわ」
滑走路に着陸したDC-3の機体後部の階段から四人の少女が降りてきた。
「瑞穂高校へようこそ。体調はどう?」
「良くは無いよ。離脱期だからね。お迎えありがとう」
レイアの挨拶に、蒼髪でサングラスをした少女が答えた。
「お洒落なサングラスじゃない」
「フォリアの副作用だよ。メラニン色素が変質して紫外線に弱くなったんだ」
サングラスを外した晴嵐は自分の黄色い瞳を見せた後、またサングラスを着けた。
「それは難儀ね。話したい事は色々あるんだけど、体調は大丈夫かしら」
「座っている分には問題無いかな。三人も」
「なら部室に行きましょう」
部室に向かって歩き始めると、ヴラドレーナが晴嵐に話しかける。
「初めまして。僕はヴラドレーナ・ヴァシーリエフ。転校生同士、仲良くしよう」
「ありがとう。私の事は晴嵐と呼んで。他の三人も、ファーストネームの方が喜ぶよ」
「それなら僕の事はブラーダと。後で改めて自己紹介しよう」
「そうしよう。因みに四人とも既に主力って事は、レイアから聞いているよ」
「そうなのか。僕らは丁度さっき色を与えられたところなんだけど」
「ゲルプの名を与える事は決めていたのよ。皆が納得するタイミングを待っていただけ」
ヴラドレーナと晴嵐の会話にレイアが口を挟む。
「そういう事か。なら、晴嵐達の色も決まっているのかな」
「ええ。シュバルツの名を」
「黒、か。ドーピングに縋がった私達に相応しい色だね」
「堕天の翼の色というわけではないのよ」
「冗談だよ。この空戦部でのシュバルツの意味は知っている。トラビからの伝統だよね」
「ええ。先代が偉大過ぎて空席にしていたけど、遂に復活させるときが来たわ」
「身に余る光栄だよ。誠心誠意努めよう」
「シュバルツ隊とゲルプ隊には、空戦部の主力のみならず、学校運営の一翼を担って欲しい」
「同志晴嵐達は、この学校の現状を既に知っているのかい?」
「おおよそのところは。前例の無い試みだね」
部室に辿り着いたレイアは扉を開け、中に入りながら楽し気に言う。
「創りましょう。新たなる学校で、史上最強の空戦部を!」
次回、レイア、今年全ての公式戦を蹂躙する(54687)




