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5 東ドイツの残滓

 剣星高校との練習試合から二ヵ月以上が経った七月最初の土曜日の夕方。


 高校空戦夏の大会の抽選会場から戻ってきた衛徒に、レイアとハンナは呼び出された。


 場所は部室二階の書庫。綾音も椅子に座っている。


「どうしたんですか?」

「相談があるのよ」


 綾音までが真剣な顔をしているので、レイアも重要な話だと予想する。


「夏の大会一回戦はノストラムに決まった」


 空戦部に入って三ヶ月。レイアも高校空戦主要校の基本情報は頭に入っている。


 ノストラム実業高校。


 欧州最大の財閥であるノストラムが支援する高校。大正時代にイタリア商人が創設した商業高校を前身とするが、財政難により廃校寸前に陥ったところをノストラム財閥が買収した。


 商業を通じて主にラテン系の欧州文化を日本に広める事を理念とし、自由な校風とお洒落な建物で人気のある学校だ。


 部活動全般が盛んであり、空戦部の設備、機材も充実していると聞くが、強豪校というわけではない。


 過去の取材記事などを読むと、空戦を楽しむ事を第一としている印象を受ける。


「トーナメント表は見ました。悪くはない、ですよね?」

「ああ。ベストじゃないが良い方だ。だから、俺も欲が出てきた」

「鹿島君だけじゃない。私もよ」

「欲と言いますと?」

「抽選会場でマスコミに『ライヒスリッター学園に勝てば空戦部存続という話は本当か』と訊かれまくった。他校の奴らもめっちゃ気にしてた。話がどんどん大きくなってる」

「藤巻先輩は何か知らないんですか?」

「知らないとさ。トラビの理事会は検討中の一点張り。リッター学園側は否定してるんだが、やや弱腰な印象だ。ヒールにされかけてるからな。日本人は判官贔屓だ」

「ほんとそうね。去年まで誰も東ドイツの事なんて気にしてなかったのに」

「これは俺と藤巻の予想だが、トラビの理事会が傍観しているのは、俺達の実力を測りかねているからだ。もしリッター学園に勝つなんて無理だと判断すれば、合併交渉で不利になる前にリッター学園に話を合わせるだろう」

「つまり、夏の大会において理事会に、もしかして可能性はあるのでは、と印象付ける必要があると」

「その通りだ。幸か不幸か夏の大会でリッター学園との直接対決は無い。故に、俺達は二回戦までは完勝したい」

「決勝まで進んだ場合、リッター学園と当たる可能性はあるんじゃないですか?」

「先輩方は、準決勝を辞退するつもりですね」

「そうだ」

「え……ああ、そういう事ですか」


 ハンナも理解したらしい。高校空戦に関する雑誌を少し読めばわかる話だ。


「準決勝辞退は印象が悪い。それを補うためにも、二回戦までは完勝したい。完勝して機体の損耗を最小限にすれば、編成を強化して秋の大会に臨める。これなら理事会も諦めないかもしれない」

「完勝するためには、試合前に敵の編成と作戦を知っておく必要がある。私とハンナが、それをやればいいわけですね」

「貴方達には断る権利がある。そして仮にやってくれるとしても、バレた場合は必ず、私達が庇う。顔が知られていなければ、私達がやった事にする」


 かなり悩んだ事が察せられる綾音の悲壮な覚悟の表情に、レイアは笑い声が漏れてしまった。


「全く安全なので安心してください。私達は安全ピンですから」


 レイアのジョークに、衛徒が少し笑う。


「え、どういう事?」

「安全ピンとはシュタージの比喩です」

「ああそうなの」

「因みに今のジョークは生徒会には言わないでください。懲役二年はごめんですので」

「生徒会は人民警察じゃねぇよ」


 衛徒がおかしそうに笑っている。


「え、今のもジョーク? ごめん、私はついていけない」

「当然ですよ。東ドイツは常に上昇しているんですから」

「ははは。レイア絶好調だね」

「先輩方に頼られたら嬉しいじゃない」

「それは同感」

「しっかりと準備をして行います。作戦時間は試合一週間前から試合前日までとします」

「事後でもいいから活動内容は教えて。口裏を合わせる時に必要だから」

「わかりました」

「必要経費の支払い方法すら決まってないうちに悪いんだが、ノストラムの制服を二着用意してくれないか。お前達も必要なら四着になる」

「何故です?」

「湯雲と西園が突撃取材をしたいんだと」

「それは不法侵入です」

「試合前に取材する事で納得させた。土日の練習を休んでる場合じゃないからな」

「それもバレたら問題になりそうですが」

「試合前に対戦相手の滑走路や格納庫に行ってはいけないという規則は無い。普通に挨拶する場合もあるからな。だからバレても非難されるくらいで済む」

「それは湯雲さんと西園さんにとってリスクと釣り合っているんでしょうか」

「湯雲がノストラム空戦部エースのサインがほしいんだと。特に橋口」

「そんな理由で……」

「もしお前らが制服を用意できるなら、許可しようと思う。今年はできるだけ良い一年にしたいと言ったのは俺だしな」

「わかりました。私達がサイズを確認して準備します」

「言っといてなんだが、用意できるもんなんだな」

「女子高生の中古制服は需要があるため流通しています。ハンナのサイズは難しいと思いますが、それはこちらで何とかします」

「なんか知りたくなかったわ……」

「あと二人の学生証も用意しておきます。低品質になるでしょうが、一回きりなら大丈夫でしょう」

「ニンベン師の知り合いがいるのかよ」

「滅多なことを言わないでください。ここにも盗聴器があるかもしれません」

「無いだろ。……無いよな?」

「探してみる事をお勧めします。我が同志が来る前に」

「お前……凄く調子に乗ってないか?」

「あの、大丈夫です。私が制止します。私が守ります」

「そこまで弱くないわ」

「知ってるよ。でも、あの日決めた事だから」

「あの日って何だ。まさか、赤月のベルリン事件の事じゃないよな」

「……あの日東ベルリンにいたことは事実ですが、私達は巻き込まれただけです」

「……ジョークだよ。俺も報道された事以外は知らん」

「そうですか」

「情報収集頼むぞ」

「了解しました」


 赤月のベルリン事件とは九九年六月に東ベルリンで発生した、東ドイツ消滅の決定打となった大規模テロ事件である。


 その半年後に行われた最初で最後の民主的な選挙でドイツ社会主義統一党は惨敗し、西ドイツによる東ドイツの吸収合併が決定した。


 レイアとハンナが部室から出ていったのを窓から確認した後、綾音がため息をついた。


「貴方が地雷を踏んだ時のあの二人の目、怖かった」

「しくじった。あの二人が元体制側の人間だってことを忘れてた。だがあの六原の反応が一瞬遅れた。何かあったな」

「赤月のベルリン事件の事は新聞でしか知らないけど、本当にあの事件に関与していたとすれば……当時一三か一四歳でしょ? なんてことなの」

「六原は巻き込まれただけと言った。ならば俺達にとってはそれが真実だ」

「そうね。あの二人の過去に私達が何かできるわけじゃない」

「まぁ一つわかったのは、迂闊に東独時代の事を訊くのは危険だ」

「そうね。じゃ、私はバイトだから帰るわ」

「じゃあな」


 空気中の水蒸気が多いのか、この日の夕焼けはいつもより赤かった。


 それから二週間後。夏休みに入って最初の金曜日。レイアとハンナはノストラム実業高校のある鹿児島へ訪れていた。


 鹿児島空港から出たレイアとハンナがバスに乗ろうと歩いていると、横から声をかけられる。


「ちょっとインタビューいいかな?」

「はい」


 それは決して了承の意ではなかったのだが、身体をそちらに向けると二人組の男の片割れにマイクを向けられた。


 その背後にはテレビカメラを担いだ男が二人。パネルを持った男が一人。


「おお。やっぱり、めっちゃ美人やん」

「美人だから声かけたんかい。明らか地元の人ちゃうやろ」

「いや芸能人かと思ってん」

「なおさら地元関係ないやんけ」


 なんだこれは。芸人というやつか?


 時間に余裕はあるが、早くバスに乗りたい。日本の夏は暑いのだ。この鹿児島という場所は特に。


「ああ。ごめんねー。これ『ご当地の歩き方』っていう、地元の学生とかにグルメとか名所とか教えてもらう番組やねん。でも二人は地元の学生じゃないやんな」

「はい」

「おお! 日本語聞き取り完璧やん! やっぱ関西弁は世界で通用する」

「んなわけあるか。日本育ちか留学生やろ」

「そやな。二人は留学生?」


 面倒臭い。だがいきなり逃げるのは不審だし、行きたいバス停から遠ざかってしまう。


 ここはいつもの設定でいこう。


「はい。ドイツから。中一から日本にいて、今は高一です」


 単にドイツと言えば日本人は勝手に西ドイツと勘違いする。あとは適当に相槌を打っておこう。


「日本語ペラペラやん。今はどこに住んでんの?」

「東京です」


 どの辺りかと聞かれた場合の回答も用意していたが、男の話は思わぬ方向に行った。


「そっかー。じゃあ鹿児島には旅行?」

「はい」

「どこ行くん?」

「何かお勧めありますか?」

「俺らが訊かれるんかい。そりゃ阿蘇山とかやろ」

「ありがとうございます。明日寄ってみます」


 そう言って立ち去ろうとしたのだが、そうは問屋が卸さなかった。


「待って待って! 暑い中ごめんな。本題いくわ。俺ら『スカウト・Newcomer!』って番組持ってんやけど、二人を招待したいねん。MC側の刺客って事で」


 MC……司会者の事か。断ろう。


「興味ないです」

「勿体無い! 君も可愛いけど、さっきから黙ってるそっちの君、めっちゃ背高いやん! え、モデル?」

「え、違います」

「じゃあええやん! まだどこにも所属してないって事やろ? 二人一緒でさ、番組出てよ! 日本語も完璧だし、歩き方も、こう、背筋がピシッとしてて、めっちゃかっこいい! 絶対いける! 俺達の芸人人生賭ける」

「勝手に巻き込むなや!」

「じゃあこの二人にオファーあったら、お前の目は節穴って事やな」

「それはずるいやろ。今日一番の取れ高やん」

「せやろ。見て、身長同じくらいなのに腰の高さ全然違う。ほんまに同じ人間なんか?」


 芸人の片方がハンナの隣に移動して腰のあたりで手を動かす。


 それを合図に二つのカメラがハンナにフォーカスしたのがわかった。


 こいつらの主目標はハンナだ。


 レイアは自分が平和ボケによる初歩的なミスを犯していた事に気付く。


 この国で、ハンナは、目立つ。


 レイアの身長は日本人男性の平均程度。金髪ではあるが茶色がかっており、瞳も紺色とそこまでの派手さは無い。


 しかしハンナの背は更に高く、親友のレイアが羨ましくなるほど綺麗な金髪で、瞳は緑と、非常に人目を引く外見をしている。


 しかも薄着で来てしまったので、そのメリハリのある身体も存在感を大きくしている。


「とりあえず出て? 絶対恥はかかせないから!」

「いやあの、家庭の事情で忙しくて」

「あー、まぁ親御さんの許可はいるわな。ほなこうしよ。青桐、名刺」


 おそらくはディレクターと思われる男が名刺を渡してくる。


 そこにはコンビ名と連絡先が書かれていた。


「家帰ったら電話して。最初は遊びに来るだけでもええよ。番組観覧無料にしとくから。そしたら――」

「あ、バス来た!」


 丁度いいところに乗る予定のバスがやってきたので、レイアとハンナは走り出す。


「じゃあ電話してな〜」


 流石に追ってくる事はなかった。


「びっくりしたね」

「Scheiße。これで今日私達が鹿児島にいたという証拠が残った。高校空戦で取材されれば特定される」

「そうだね。でも引き返さないんでしょ」

「一回なら偶然扱いよ。この国なら。でも二回目はリスクが増える。以後気をつけましょう」

「うん。次は早朝に移動しようか。涼しいし」

「そうね。東ドイツが日本に唯一勝る点。それは夏の過ごしやすさ」

「もう一つあるよ。人混みの少なさ」


 数十分ほど乗ったバスを降りたレイアとハンナは、近くのコンビニのトイレでノストラム実業高校の制服に着替える。


 到着した時は丁度放課後に入った頃らしく、正門から多くのノストラム生が下校していた。


 二人は堂々と正門から侵入し、ロマネスク様式の校舎へと向かう。


 建物は全体として白と青を基調としているが、細やかな装飾が優美だ。


 無機質なトラビ高校の建物とは対極にある。


 どちらに通いたいかと問われれば、誰もがノストラムを選ぶだろう。


 生徒の憩いの場になっている巨大な湖の中央には帆船が飾られていた。


「地中海のイメージかな」

「地中海に行った事あるの?」

「知ってるくせに」


 二人は滑走路の方に向かい、滑走路周辺を歩きながら遠目で空戦部の施設を観察する。


 全体的に小綺麗ではあるが、施設の規模はトラビとそう変わらない。


 見取り図の通りの場所に空戦部の部室がある。


 障害になりそうなものは特に無さそうだ。


 二人は一旦滑走路から離れ、お洒落な図書館があったのでそこで涼み、閉館前に外に出ると、整えられた茂みの陰に身を隠した。


 芝生の上でうつ伏せになる事数時間。


 部室から光が消え、何人かが正面扉から出てきたのがわかった。


 更に一時間様子を窺ったが、生徒が戻ってくる様子も、部室の窓に人影が見える事も無かった。


「おそらく無人。行くわよ」


 手袋をしたレイアとハンナは部室の裏側に周り、格納庫と屋根付き通路で繋がった扉の前に立つ。


 ハンナが扉近くの壁に耳を当てている間、レイアは工具で鍵穴をこねくり回す。


 約一分で扉が開き、中へ入った二人は十分ほど静止した。


 人の気配は無い。


 靴を脱いだレイアは口を開く。


「絨毯に観葉植物。お洒落な部室ね」

「私はまだ暗闇に目が慣れてないんだ」

「でもこれは見えるでしょう」


 レイアが指を指したのは巨大なテーブルと、その上に広げられた地図。


「明らかにブリーフィング用だね」

「ええ。地図は私達と戦う四国沖バトルフィールド。わかりやすいわ」

「じゃあ盗聴器は、印刷機の裏かな」

「ええ。カメラは、あのプランターの上にするわ」

「じゃあ盗聴器付けるね」


 ハンナが一階を歩き、レイアは階段を登る。


 この部室は二階建てで、巨大なテーブルがある打ち合わせスペースは吹き抜け。


 階段は二階の更に上まで続いており、その先の扉から屋上に出られると思われる。


 レイアは階段から吊り下げられたプランターの一つを持ち上げて階段に置き、土を掘り返して電池箱を埋めると、緑に塗装したプラスチック片の上にカメラを置いて俯角を調節。


 プランターを階段下に戻して、階段を降りる。


「ちゃんとレンズはこっち向いてるわ。あのカメラが回収されたらそのまま私達が捕まる証拠になる」

「あれは、隠しカメラがあるって疑って探さないとわからないよ」

「小さいものね。日本製は素晴らしいわ」

「盗聴器の設置に問題無し。あと鍵があったよ。形状からして入ってきたドアの鍵。マスターキーかも」

「型を取っておきましょう。回収の時役に立つかもしれない」

「オッケー」


 撤収した二人は近くにあるビジネスホテルに泊まり、翌日の最も早い便で大阪国際空港に移動、昼過ぎにはトラビ高校に帰着した。

次回、レイア、床屋で回転してるやつのカンタートルクに敗北

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