17 マキャベリズム
高校空戦秋の大会のトーナメント抽選会から一週間経った土曜日の夜。
レイアとエレンは大阪にあるホテルの中華レストランにいた。
窓からの展望は素晴らしく、眼下に大阪の夜景が広がっている。
個室に入ってしばらく待っていると、晴嵐とドゥニャが個室に入って来た。
「お待たせした」
「私達が早く来ていただけよ」
給仕にコートを預けると、晴嵐とドゥニャも席に座る。
「随分と高そうなレストランだ」
「盗み聞きの心配が無いでしょう」
「確かにそうだね」
「今日はエレンを連れて来たわ。中学空戦で貴方と同じチームだったそうだけど、覚えているかしら」
「勿論覚えている。でも、今の技量は全く別人だ」
「私は晴嵐に憧れていた。サインください」
「早いって!」
エレンがどこからともなく出した色紙をレイアが引き戻す。
「ははは。ドーピングしている選手のサインが欲しいのかい?」
「欲しい。晴嵐は世代最強の選手だった。病気の事は残念だったが」
「そうだね。でも今は飛べている事に感謝している」
「試合に出ているという事は、病気自体は治っているのか?」
「医師には完治したと言われている」
「その手術においてフォリアを使い、未だに薬から抜けきれていない。という認識でいいのよね」
発言したレイアは晴嵐から訝しげな視線を向けられる。
「どこまで知っているのかな」
「貴方は心臓と肺の癌になり、同時移植をする際に、脳死を防ぐためフォリアを使った」
「どうやって知ったのかな」
「それは秘密よ」
「……同時移植は成功した。フォリアが無ければ死んでいたというのもその通りだ」
「勝手に調べてしまって悪いが、他の三人も病気になったと聞いた。三人も、もう治っているという認識でいいのか」
「ええ、はい。治っています」
晴嵐から視線を向けられたドゥニャが答える。
「そうか。だったら、すぐにとはいかなくても、フォリアを止める事に問題は無いんだな」
「いきなり止めると禁断症状がでるけど、適切な処置さえ受けられれば止められると信じているよ」
店員が前菜を運んできたので四人は会話を中断し、しばし舌鼓を打つ。
何やら考え込んでいた晴嵐は、空いた皿を下げてスープを配膳し終えた給仕が去ると口を開く。
「こちらの事情について話そう。その代わり、六原さんは賭けに応じてくれ。条件は夏と同じだよ」
「ちゃんと事情を話してくれるなら、応じるわ」
晴嵐は前回あった時より心を開いていると思われる。
中学時代の知り合いが当時の実力を覚えていて、未だに心配してくれているという事実が嬉しいか。
そうなるとサインの件は緊張をほぐすという点で妙手だったのかもしれない。
「私達が中毒者になったのは飲食物にフォリアを混ぜられていたからだと以前六原さんに話したが、学校に指示を出したのは天祇製薬とIntegra Performanceだ。体調に異変が出始めたところで学校から説明があった。高校空戦の公式戦で総合優勝したら全員を治療する、と。だから負けるわけにはいかないんだ」
「その約束は本当に守ってもらえるのか? 外部の医療機関は頼れないのか?」
「契約書を取り交わした。それに治療法が無いドーピング薬は欠陥品だ。フォリアを他のスポーツ戦争に広げていきたいインテグラと天祇製薬にしてみれば、依存症治療のデモンストレーションもしたいところだろう」
「それだったら、優勝しなくても、インテグラと天祇製薬はお前達を治療せざるを得ないんじゃないか?」
「そういう期待もある。でもドーピングから逃げられないとわかった時点で、私達は本気で優勝を目指すと決めた」
「それは、仮に今すぐフォリアを止められるとしても、冬の大会が終わるまでは止めないという事か?」
困惑したようなエレンの声に対し、頷いた晴嵐の黄色い瞳からは決意が窺えた。
「勝手にフォリアを投与されていた事を伝えられた時、私はフロンティア空戦部は存在するべきでないと確信した。消滅させる方法は単純だ。全員でやめればいい」
「全員退部しても、契約は履行されるのか?」
「されるという内容だ。せめて書面に取り交わして欲しいと私が申し出た時、学校側は受け入れた。その条件は、六原の土地を手に入れる事も契約に含む事だった」
「じゃあ総合優勝はしたがレイアの土地は手に入らなか……そうか。そういう事か」
「うん。だから六原さんとの賭けの条件を、『その大会で順位が上だった方の勝ち』としているんだ」
「……因みに賭けの対象の土地に何があるのか知っているのか?」
「私は単に手に入れろと言われているだけだ。あまり興味は無いけど、大層なものみたいだね」
話題が自分の土地に移ったのでレイアは口を挟む。
「あのやり方は効いたわよ。随分悪質じゃない?」
「だから夏前に言ったんだ。インテグラグループが強引な手に出るかもしれないと」
「秋の大会でもこちらが勝ったら、何かしらの報復があるのでしょうね」
「おそらくは。あと賭けの内容にも含んでいるけど、あの土地の地下にあるものを破壊、廃棄した場合も何をされるかわからないから、もし見つけているならそのままにしておいた方が良いと思う」
「ご忠告をどうも」
レイア答えた時、扉が開いて主菜が運ばれてきた。
魚、肉、野菜料理であり、かなり量が多い。
レイアは中国の伝統的なマナーでは大皿料理は少し残すのが礼儀であると習った事があるが、マナーも何も私はこの量を食べきれない。
主菜を食べながらレイアは考える。
どんな情報が役に立つかわからない状況だ。できるだけ情報を引き出しておきたい。
「フロンティア空戦部員は全員今年で終わりにするつもりなのでしょうけど、よく学校側が認めたわね。空戦部って学校の目玉だと思うんだけど」
「意味が無い事に気付いたからだと思う。フロンティアにアレスの二軍としての価値は無い。アレスの選手を懸命に練習させる脅しとしての効果はあるのかもしれないけど、アレスが大会で優勝できない理由は個々の技量不足ではないからね」
「どの道フロンティアは空戦部をなくすつもりだったと」
「あと一、二年と決めたからドーピングの実験場にした、という事だと思うよ」
「来年全員で退部する事は総意なの? 優勝してドーピングを止められるならもう一年やりたいという選手だっているんじゃない?」
レイアの問いに、晴嵐は少し悲し気に首を振った。
「来年度以降も競技空戦を続けたいという部員は一人もいなかったよ。だから私はフロンティア空戦部は無くなった方が良いと考えている。スポーツなんだから、楽しいからという理由で空を飛んだって良いはずだ。でもフロンティアの環境ではそうはならない。ただ空戦が嫌いな人間を増やしているだけだ」
「……僅かではあるけど、試合後に喜びの感情を抱いている選手がいるように見えるわ」
「よく見ているね。外じゃ喜ばないよう皆注意しているんだけど。貴方の言う通り、試合に勝つと楽しいんだって。そして勝つための練習は苦痛じゃないんだって。でも皆フォリアのおかげである事はわかっているから、最後に優勝して空戦を辞める。全員で決めた終わり方だよ」
「ドーピングした状態で練習の成果を実感できるの?」
「……練習の成果を実感できる機会はある。Integraグループのおかげでね」
「皮肉が効いていそうな話ね。どういうこと?」
「投与したフォリアの濃度や経過時間の影響を調べるため、改造した戦闘機の座席後部に搭載した装置で飛行データを収集している。そのデータは私達にも開示されるから、状況判断や連携が上達しているかわかるんだよ」
そういえば、倉見先輩が入手した練習データの中に『Monitoring & Integrated Rearseat Archive』という名称が登場した。
MIRAと略称されるその単語は文脈からしてデータ収集装置だろうと推測していたが、正解だったか。
「貴方達のモチベーション向上のためではないでしょうね」
「まさか。単にたくさんのデータが欲しいってだけに違い無いよ」
「本当にやりたい放題されているようだけど、貴方の御両親はどう思ってるの? 事情はどこまで知っているのかしら」
「……父は他界してる。母は家を出た」
「天祇グループ会長の孫である点は変わらないでしょう」
「そうだね。でも私だけ特別扱いという事は無かったよ。私をフロンティアに入れた時点で、計画は決まっていたのかも」
「日本でフォリアを製造しているのは天祇製薬かしら」
「多分、ね。祖父はアンモラルな人間だし」
晴嵐は苦笑しながら言った。
「今すぐ空戦部を解散し、知っている事全てをマスコミに告発。そして薬物治療の支援を求めた方が良いんじゃないかしら。フォリアを持ち出せば、外部の病院でも治療は可能でしょう。貴方は正義の告発者となり、世間的な心証は大幅に回復する」
「その提案は、春先にした」
「部員達が拒否したと?」
「否定的ではあったね。優勝すれば確実に治療してもらえるわけだし、何より、勝ってみたいんだって。一丸となったチームで」
「ドーピングの期間が長くなれば、副作用も酷くなる」
「一年だけであれば、メラニン色素の変質以外の後遺症は残らないと医師は説明している」
「では今後も貴方は優勝を目指して部長を務めると」
「うん。巻き込まれた選手達の確実な治療と、納得できる終わり方を用意したい」
晴嵐という人間がお人好しである事はわかった。
他の部員はともかく、晴嵐だけは世間から同情を集めればプロにだって行ける人材だ。
しかしそれは部員達を裏切る行為であると考え、部長を続けるつもりでいる。
真実かどうかわからない医師の説明を信じ、自分の将来より部員達の心情を優先している。
随分と献身的だ。
そして過酷な環境下にあるチームを一つに纏め上げている。
並の求心力ではない。
非常に興味深い人物だとレイアは思った。
フロンティア空戦部の他の部員はどう考えているのだろうか。
「トイコッチさん。貴方から見て晴嵐はどうなの?」
「希望です! 心臓と肺を交換して飛ぶ晴嵐様は『生還の象徴』! そんな晴嵐さ、晴嵐から優勝すれば治療できると言われた時、私達は初めて希望というもの感じたのです。そして交流戦でアレスに勝った時、希望は確信に変わりました。晴嵐さ、晴嵐はまさに天使! 私達はそれに――」
とりあえず絶対的な存在である事はわかった。
レイア途中から聞くのを止め、食事をしながら思案する。
先月発表された瑞穂航空の再生計画骨子において、売却ないし撤退を検討する不良採算部門の中に瑞穂高校の名前があった。
ただし、航空業界で働く人材を増やしたい政府は難色を示しており、経営権を買った高校を一年で売却する事については高校空戦ファン以外の人間からも非難の声が上がっている。
そしてこの間の記者会見で、瑞穂航空再生タスクフォースのリーダーを務める人物が口走った言葉が巷でちょっとした話題となっている。
せめて二冠。
文脈からして、瑞穂高校を存続させるには空戦部が二冠を達成するくらいの宣伝効果が欲しい、という事だ。
過去に秋と冬の大会を連覇した学校が存在しない事を知らないが故の発言であろうことから、世間では『せめて○○』という言葉が大喜利の様な形で広まっており、瑞穂空戦部が二冠を達成すれば瑞穂高校は存続するかのような雰囲気になっている。
再生タスクフォースは否定しているものの、空戦部が二冠を達成できれば、瑞穂高校が存続できる可能性はかなり高くなるだろう。
宣伝効果という点は誰にも否定できなくなるのだから。
二冠を目指す上でフロンティア空戦部は大きな障害であるが、ドーピングを止めさせる事も、結束を乱す事もできそうにない。
結局、正面突破しかないか。
そう考えた時、レイアは重大な事を思い出した。
「秋の大会から使用が認可されたB-29。あれはフロンティア高校に供与されるの?」
「いや。明日のアレスとの交流戦で決まる。エスデス全体としても、強い方にB-29を与える事で問題無いんだろうね」
「フォリアに加えてB-29まで使うつもり?」
「……何としてでも優勝しないといけない。特にアメリカ人達はB-29を希望と捉えている」
堂々と言ってはいたが、多少の葛藤は感じられた。
フォリアが引き上げるのは自分の実力、空戦の技量。
しかしB-29は違う。単なる性能の暴力だ。技量の問題ですらない。
それでも、手に入れば使うというわけだ。
こちらもその前提で作戦を立てなければならない。
「理解はできるわ。手段を選んでいられない状況になったらなりふり構っていられないわよね」
会話を続けようと同調したのだが、晴嵐が乗ってこなかったのでレイアも口を閉じて食事に戻った。
これ以上会話を続けて欲しい情報は、特には無いか。
デザートを食べ終えたところで、レイアは向かいの晴嵐とドゥニャに声をかけた。
「お開きにしましょう。そっちは明日試合なのでしょう」
「待って。賭けの件は、夏と同じ条件だよ。私は可能な限り事情を話した」
「わかったわ。賭けは必ず受ける。条件は前回と同じ」
「ありがとう。決勝で会おう」
「支払いは済んでるから」
「そうなのか。ご馳走様」
「また会って話しましょう」
店を出て少し歩いたところで、エレンが口を開いた。
「久しぶりに会えて良かった。やはり晴嵐の本質は善だ。手段を選ばない一面があるとわかったが、レイアほどじゃない」
「どうしてそこで私を落とすの?」
「別に落としてはいない。レイアの方が勝てる人間だとは思っている」
「それはどうも」
「でも残念でもある。私達も晴嵐達も困難にぶつかっている。もしレイアと晴嵐が手を組んだら、魔女と天使が手を組んだら、間違いなく最強なのに」
「私達だけで今年の瑞穂を最強にするのよ」
「そうだな。単に、ロマンの話だ」
エレンは少し遠い目をして答えた。
それから三日。秋の大会一回戦を五日後に控えた火曜日の夕方。
Ta152に乗って水平飛行するDo217に対する垂直降下と急上昇を繰り返していた樹里が滑走路へと着陸する。
コックピットから出てきた樹里の足元はおぼつかず、エレンに支えられながら部室へ入って行った。
昨日から異常な飛び方を続けていた樹里の様子が気になったレイアは、練習終了を告げてから部室へ向かう。
部室では樹里がソファの上で横になっていた。
「だいぶ無茶な飛び方を続けていたわね」
「この飛び方が……私でも可能か確認していました」
「結果は?」
「可能です。よってロート隊とヴィオレット隊は全員可能です」
「前上方背面垂直攻撃、だったかしら」
「はい。著名なエースパイロットが発案したB-29迎撃戦法です。有効である事は五六年前に証明されています」
「宮本さんからB-29の飛行に成功したと連絡があったわ。ありがとう。間に合わせてくれて」
「私の仕事ですから」
「明日が練習休みで良かったわ。最後の方はドルニエの主翼にぶつかりそうだったし」
「ぶつかりそうで良いんです。ぶつかりそうだから良いんです」
「は?」
「ところで、明日剣星高校に行っても良いですか? 一回戦の作戦要領はできていますから」
「構わないわ。B-29の調査ね」
「はい。B-29の中に入って写真を撮りたいんです」
「余念が無いわね」
「B-29の内部の写真は貴重なんですよ。エンジン音も録音したいですねぇ」
基本的に趣味目的で行く事がわかったが、別に咎める事ではない。
「気付けにコーヒーを淹れたぞ」
「私も頂くわ」
部長席に座ったレイアはエレンからコーヒーを受け取り、樹里が作った一回戦の作戦要領を読む。
正攻法と呼べる内容だ。
普通に戦えば勝てると樹里が考えている事が窺える。
一回戦の相手、アイリス農業大学附属高校は高校空戦に黎明期から参加している名門校であるが、強豪校というわけではない。
去年の実績も大した事ないし、今年の夏の大会も一回戦負けしている。
レイアとしても、過剰に警戒すべき相手だとは思っていない。
二頁目以降には使用が想定される航空機とその対策が書かれている。
「貴方がいないなら私から説明しておくけど、特筆すべき注意点は?」
レイアが問うと、樹里は起き上がって答える。
「Yak-3です。前から使っていた機体ですが、先日インタ-ナショナルから二〇機購入しているので、直掩で使って来ると思います。戦い方はそこに書いた通りです」
「他にはある?」
「あとは例年通りと思います」
「それなら、明日宮本さんに伝えておいて。金曜日に対B-29の練習がしたいと」
「わかりました」
「そういえば、インターナショナルはYak-9Mもオリエントに売却していたわね。インターナショナルとは二回戦で当たる可能性があるけど、今年はYakシリーズを使う気が無いのかしら」
「多分ですけど、そう思います。来年度は規模を縮小せざるを得ないと学校が言っているわけですから、使用機体は絞るでしょう」
「あのソ連がここまで追いつめられるとは、未だに信じられないわ」
「そうですね。ソ連といえばとにかく強大な国という印象です」
ニュースを見ている限り、ソ連という国の消滅は不可避な状況となっている。
祖国の消滅を経験しているレイアが追い詰められていくソ連を見て抱く感情は虚しさだった。
社会主義国の優等生と言われた東ドイツも、世界第二位の超大国と呼ばれたソ連も、テロや内戦がきっかけで脆くも崩れ去った。
かつて日本のフラッグキャリアであった瑞穂航空も経営破綻した。
その庇護下にあれば大丈夫と思えるような国や組織も、実態は空疎なのかもしれない。
ならば、この学校を来年も存続させるには、自力で苦境を覆す必要があるのだろう。
考えて、実行する必要がある。
状況を回天させる決定的な一手を。
次回、レイア、祖国がなくなるとどうなるのかと子供達に問われ自由契約と回答




