6 公正な戦い
夏の大会のトーナメント抽選が行われた翌日の日曜日。
ロート隊四人は夏の大会に向けた作戦会議のため、閉店後の喫茶店『フォッケウルフ』に集まっていた。
「ソ連政府は構成国の大幅な自治権強化と軍の撤退を盛り込んだ新連邦条約を提案しましたが、現在交戦状態にあるバルト三国およびウクライナは既に拒否の回答を表明しています。また、国内での民主化運動も激化しているとの事で、ソ連の今後は全く見通せない状況となっています」
テレビからソ連の窮状を伝えるニュースが聞こえてくる。
「日本で育った私としては、ソ連という超大国がここまで追いつめられるなんて想像もできませんでした」
「それはソ連の情報統制が上手く行っていた事の証左でもあるけど、私は初めてソ連に行った時にソ連も東ドイツも限界だと悟ったわ」
「レイア殿とハンナ殿はソ連に行った事があるんですか?」
「ええ。観光で。東ドイツよりは豊かだろうって思って行ったら、物が全く無いのよ。余っているのは労働者だけ」
「どのレストランも行列なんだよ。どこで食べたって同じ味なのに」
「八百屋の店主に訊いてみたのよ。農作物の配給はモスクワ優先じゃないのかって。そしたら今は貿易船が優先だって言われたわ」
「それはジョークなんでしょうか」
「残念ながら、違ったでしょうね」
仔牛のカツレツを食べながら雑談していると、ニュースは国内の話題に切り替わる。
「会社更生法の適用を申請した事により、瑞穂航空は正式に経営破綻した事になります。負債額から日本史上最大の倒産になる事は間違い無く、経済アナリストによると一年以上前から実質的には経営破綻していたはずであり、その原因はバブル崩壊から不況が続く間も高コスト体質を変えられなかった――」
「エレン、テレビを消すかチャンネルを変えてくれる?」
「消そう」
そう言ってエレンはリモコンでテレビの電源を切った。
瑞穂航空経営破綻のニュースは聞き飽きた。
経営陣を刷新し、大規模リストラと債務整理による再建を目指す。
この情報だけで瑞穂航空からの支援など望むべくも無い事がわかるし、新たな経営陣や企業再生支援機構の方針によっては瑞穂高校自体が消えてなくなるだろう。
瑞穂高校を存続させるために現状できる事は、公式戦勝利による存在価値のアピールだけだ。
レイアはテーブルの上に置いたトーナメント表のコピーを見ながら言う。
「錨桜が反対側に行ったのは幸運だけど、一回戦の星条は強敵。対艦攻撃じゃ向こうが上手。正攻法じゃ勝算低いわね」
「それを踏まえて言うんだけど、今年はできるだけ諜報は控えたいな」
ハンナの発言にレイアは驚く。自分一人への相談無く、いきなりエレンと樹里も交えて意見を言ったからだ。
「え、あの、どうして?」
困惑するレイアに対し、ハンナは予め答えを用意していたかのように落ち着いて話す。
「理由は二つあるんだけど、一つはチームワーク」
「チームワーク?」
「特に、チーム全体の成長のため、かな」
真意が見えない。現状の瑞穂空戦部に大きな不和や分断の兆候は無いとレイアは考えている。
今年の目標が公式戦総合優勝である事もチーム全体に周知しているが、無謀、不可能、といった否定的な意見は聞いていない。
「意図を教えて」
「私達が子供の頃憧れてたスポーツ選手がさ、ドーピングしてたってバレて、証拠の無い選手まで国際大会から永久追放されたよね」
「ええ」
「何故ドーピングをしてはいけないか。気になったから西側の新聞も読んだよね」
「覚えてるわ」
「理由は確か、スポーツの公正な競争と、社会的価値を損ねる、だったかな」
「日本人にとっては、諜報もドーピングと同じであると」
「うん。仲良くなれたからこそ思う。やっぱり私達とは違うよ。少なくとも東ドイツ人よりは倫理や道徳を重んじてると思うし。あと日本人って努力って言葉好きだよね」
「そうね。去年実感したわ。その努力好きに助けられたわけだけど」
「だからさ、日本人の多くは正々堂々戦うべきだと思ってるし、精一杯やって負けるなら仕方ないと思ってる人だっていると思う」
「でも現状は去年と似たようなもの。瑞穂航空からの支援は絶対無い。一回戦負けなどしていてはこっちも破産する。それに一回戦負けするようなら瑞穂航空から見限られるかも」
ハンナの意見は私の事まで考えての事だろう。
もしこの静止を振り切って私が突っ走れば、悲劇が発生するかもしれない。
しかし、軽々に判断もできない。
「私だって考えも無しに正々堂々って言ってるわけじゃないよ。星条戦については、こういうのはどう? 味方への隠し事は無し」
ハンナのアイデアを聞いてレイアは爆笑した。
「それ良いわ! 相手が勝手に勘違いしただけってわけね。防空はどうするの?」
「そっちは考えてない。参謀長の意見を聞こうよ」
「そうですね。ハンナ殿発案の作戦なら爆撃は高い確率で成功するでしょうから、直掩は最低限として、戦闘機隊の主力を迎撃に充てるのが良いと思います」
「星条の戦術は多方向からの分散攻撃の可能性が高いわよね」
「はい。一昨年の夏は錨桜と接戦、去年も高い戦果を上げていたので、変えてこないと思います」
「片っ端から堕とすしかないか」
「基本的には。偵察機があれば優先順位も付けやすくなります」
諜報には手間とリスクが付き纏う。
やるにしても回数の極小化が肝要だ。
ハンナが諜報に反対しているうえに効果的と思われる代案を出してきているのだから、星条戦は諜報無しで臨む方が賢明だろう。
コップの水を飲んだレイアは会話を再開する。
「一回戦はそれで勝てると仮定して、他の試合はどうするの? 諜報無しで錨桜に勝つのは難し過ぎるわ」
「確かに夏の大会で錨桜に勝つのは厳しいと思う。でも今年の目標は総合優勝だよね。だったら秋以降にチームが強くなるような手段の方が良いんじゃないかな」
「……諜報している事がチームにバレれば諜報頼みになって、チームが弱体化するということ?」
「うん。諜報が完璧であるほど、作戦説明の時に皆は察するよね。そしたら自分達の練習の意味に疑問を持つかもしれない」
「根拠がありそうな言い方ね」
「瑞穂航空が倒産したせいで皆戸惑ってるよ。何人かに訊かれたもん。やっぱり諜報やるのかって」
「え、訊かれたの!? それで、何で返したの?」
「レイアに相談してみますって」
「なんで私に訊かないのかしら」
「ハンナの方が話しやすいからだろう」
「男子から人気があるのはわかるけど、女子も? 何で?」
「愛嬌じゃないか」
「愛嬌に自信があるわけじゃないけれど、そもそも相談しやすいかに愛嬌は必要?」
「黒さがにじみ出てしまっている可能性はある」
「……じゃあどうしたら良いっていうのよ」
「純粋な笑顔を見せればイメージも変わるだろう。爽やかな感じの」
「爽やかな笑顔ね。表情を作る訓練は受けているわ。こんな感じ?」
レイアの笑顔と仕草を見て、正面に座っていたエレンはコーヒー飲み込んで咽せ、斜め向かいの樹里はフォークを皿に落とした。
「……何で黙るの? 樹里は笑い過ぎ!」
「すいません。表情を作る訓練というのがジョークなんですよね」
「それは本当なんだけど。ねぇハンナ」
「うん。レイアも評価は高かったんだけどね」
「それは良い。レイア。もし今年MVP取ったら、トラバントの広告に映ってくれないか? 今の笑顔と仕草で。内面を知らなければ、いけるかもしれない」
「はぁ? 私は高いわよ」
「じゃあハンナにする」
「一体私を何だと……いや、言わなくていいわ。ハンナ。もう一つの理由は?」
「この間も話したけど、そもそも公式戦にいくら勝っても、高校の存続とは関係ない可能性あるよね」
「ええ。勝ち星が増えるほど世論は味方に付けられるでしょうけど、経営判断には影響しないかもしれない」
「だから、最悪の事態になった場合は、諜報はせずに一年間戦ったって事にした方が良いと思う」
「……その通りだわ。諜報は行わないものとし、高校の存続はチームとしての強さにかかっている。これでいきましょう」
「それが良いよ。日本人の価値観を大事にすれば、レイアは皆を統率できるよ」
「ただし、フロンティア戦は例外。最少人数で諜報は行う。賭けの件もあるし、フロンティア空戦部が何をしているのか知っておきたい」
「そうだね。フロンティア戦だけならリスクも少ないし、バレても、ドーピングはいけない事だからって言い訳できるかな」
「準備はできてるから後日説明するわ」
「さっきの笑顔だと嬉しい」
「ポーズはもっと良くなるんじゃないかな」
「その話終わり! 樹里、三回戦にはフロンティアが上がってくると見て良いわね」
恥ずかしくなったレイアが話題を変えると、笑いを堪えている樹里が鞄から新聞を取り出した。
「ええ。はい。非常に高い確率で。このニュース、驚きましたよね」
樹里が広げたスポーツ新聞には、一週間前に行われたアレス征界大附属高校とフロンティア高校の空戦部の練習試合の記事が載っている。
フロンティア高校の反乱!? 練習試合でアレスに勝利!
この見出しを付けた記者はこの事件の本質をよく捉えているとレイアは思った。
この二校は姉妹校であるため毎年一、二回ほど交流戦をやっている。
そしてフロンティア高校が勝つのは今回が初であると記事に書いてあるが、試合後の天祇晴嵐の発言と合わせて考えれば、これが初勝利以上に大きな意味を持つ事がわかる。
試合内容は四◯機同士の制空戦。
結果だけを見ると一方的というほどではないが、それは機体性能に差があるからだ。
アレス側がP-51で統一しているのに対しフロンティア側はP-40とP-63の混成。
パイロットの技量でフロンティアが上回っている事は明らかだ。
そして試合後に晴嵐は告げた。
フロンティアはアレスの二軍ではなくなった。約束通り、試合出場者はフロンティアに転校するか、搭乗機体をフロンティアに貸与するか選べと。
そして四◯機のP-51がフロンティア高校に貸与された。
この展開から、アレスとフロンティアの支援元は同じエスデスでも経営陣は分かれており、一枚岩ではない事が予想できる。
晴嵐の要求が通ったのも、フロンティアの方を支援する企業群がアレスに圧力をかけたと考えれば辻褄は合う。
故に反乱なのだ。
晴嵐は実力行使によってアレスとの力関係を逆転させた。
そしてフロンティアの内情をある程度知っているレイアが驚いたのは、この練習試合がマスコミに一般公開された事だ。
そのせいで、大きく触れられてはいないものの、フロンティア空戦部には薬物使用の疑いがあるため、公式戦においてはドーピング検査を行うと高空連が勧告したと記事に書かれている。
フォリアは副作用が大きい。誤魔化しは効かない。
しかし強度の依存症がある事を考慮すれば、夏の大会までに完全に止める事は難しいだろう。
本当に公式戦でも使うつもりなのか。
そうなれば世間からの非難は間違いない。
そんな状況でドーピング薬に関連する物が瑞穂高校の地下に存在したことが露呈すれば、私達まで疑われる事になるだろう。
あの土地を現時点で引き渡すわけにはいかない。
「ドーピング疑惑の扱いが小さい事にも驚くわ。さっさと身体検査して出場停止にしてくれれば良いのに」
「エスデスが圧力をかけているのかも。高校空戦のスポンサーでもあるし」
「そうね。あと、P-51がフロンティアに渡ったのはキツイわね」
「二回戦でアレスと当たるなら二戦連続でP-51と戦う可能性があります。アグレッサー機が欲しいですね」
「買えなくはないが、損傷機体を直せなくなるかもしれない」
固定資産登録済の機体の補充として同じ機体を購入する場合は高空連から助成金が出るが、新規に機体を購入する場合は全額負担だ。
そして所有機体が増えればその分固定資産税も増加する。
現在の瑞穂空戦部は去年の夏に手に入れたお金の残りを切り崩しながら活動しているので、アグレッサー機という用途が限定された機体を気軽に購入して固定資産登録する事はできない。
「宮本さんに相談してみるわ。トーナメントの反対側だからこの夏は対策しないでしょうし」
「一時的な機体の交換とかになるかな」
「それだと助かるけど。まずは相手の要望を訊いてみましょう」
まずは様子見のつもりでレイアがP-51をアグレッサー機として貸してくれないかと朱里に連絡すると、即返事が来た。
回答は、貸し出しの対価としてロート隊四人をメイドカフェMIYA大阪支店で雇用したいというものだった。
レイアとしても自分達がメイドカフェで働く事にどれほどの価値があるのかはわからなかったが、去年も勧誘されているので驚きは無い。
ロート隊四人で話し合ったが、エプロンドレスを着て給仕をするバイトをする事に反対意見は無かった。
フィロ達が働き始めてすぐ客として様子を見に行き、いかがわしい店ではない事を確認しているので不安は無い。
焦点になるのは労働時間だが、雇用条件は来週の日曜日に直接説明するとの事だったので、レイアは了承の旨だけ書いてメールを返信した。
次回、レイア、商店街の草野球で打ちごろと言われ変化球習得を決意




