4 始まりの賭け
ゴールデンウィーク明けの水曜日。午後の授業を欠席したレイアはFw190D-9に乗って横田にあるフロンティア高校に向かっていた。
フロンティア高校の外観はアレス征界大学附属高校と同様に普通であり、スポーツ戦争と関わらない普通科の生徒にとっては、運動部が盛んな私立高校に過ぎないものと推察される。
一方でアレスと同じくスポーツ戦争用の広大な敷地がある事も上空からだとよくわかる。
滑走路と駐機場もトラビより広く、片側には多数の格納庫が並んでおり、アレスの二軍と言われてはいても決して見捨てられた存在ではない事が窺える。
D-9が着陸するとすぐ隣にアメリカ製の車が停止し、運転席から朱鷺色の髪の少女が姿を現す。
「副部長のドゥニャ・トイコッチです。正門まで案内します」
「ありがとうございます」
レイアが後部座席に乗り込むと車は速やかに発進し、正門まで移動。
待機していたタクシーに行先を告げ、レイアは横田から遠くないホテルへと移動した。
場所を指定したのはレイアであり、ラウンジに席を予約してある。
店員の後についてアフタヌーンティーを楽しむ客の間を歩き、白いクロスのかかった円形テーブルへと通される。
向かい合うように洒落た布製の椅子が二つ置かれ、そのうちの一つに晴嵐が座っていた。
清純そうで可愛らしいというのが第一印象。
中学時代にマスコミから天使と持ち上げられていたのも納得。
ドーピングとはまるで縁の無さそうな雰囲気だ。
尋常ならざる髪と目の色をしていなければ、だが。
店員に注文を伝えた後、レイアから口を開く。
「お待たせしたわね」
「いいえ。来てくれてありがとうございます。うちは秘密主義なので、表立ってそちらに行く事が難しいんです」
「対等な立場で話しましょう。貴方の事を調べているうちに、赤の他人という気がしなくなったのよ」
「じゃあ、そうしようか」
席に座りながら提案したレイアに晴嵐は同意した。
「中学時代は随分有名だったようね」
「そうだね。まさかあそこがピークだとは思わなかったけど」
「ドーピングが悪い事だという自覚はあるようね」
「当然だよ。うちの部員も皆同じ」
「中学空戦最強と言われた貴方が何故ドーピングに走ったのか。とても気になるところだわ」
「貴方は私達が何の薬を使っているか知っているかな」
「フォリア、でしょ」
「正解。医師たちもそう呼んでいるよ。東ドイツ発祥の薬だというのも事実かな」
「ええ。とは言っても、私の知る限りフォリアは失敗作。とても使える代物じゃなかったはずだけど」
「私達も詳しい事は知らされてないよ」
「それでも知っている事はあるのでしょう。今日はそれを聞きにきたのよ」
「あまり話せる事は多くないかな。それと、こちら側からも要望があるんだ」
「手紙には練習試合と書いてあったわね」
注文の品を運んできた店員が立ち去ると、晴嵐は口を開く。
「練習試合は建前だよ。こちらの要望は三月に貴方が買った瑞穂高校の敷地の一部。あの土地を売って欲しい」
「何故?」
「買うのはフロンティアだから、私も理由は知らない」
「私にメリットが無いと思わない?」
「トラビ法人に問い合わせて売却額を聞いた。フロンティアは三倍出す」
「お金には困ってないのよ。ドーピングしている学校の土地がすぐ隣にできるって、とても怖いと思わない?」
「気持ちはわかるよ。瑞穂までドーピング疑惑をかけられかねない」
「十倍出すなら考えても良いけど」
「三倍以上になると、穏便に済ませるというメリットがフロンティア側からなくなるかも」
「いきなり脅してくるのね」
「空戦部の飲み水や食べ物にフォリアを混ぜて、中毒にしてから告知するような学校だからね。何をするかわからない」
「ドーピングは自分達の意志ではなかったという事ね」
「この情報提供は誠意だよ。私としてもフロンティアが他校にまで迷惑をかけるのは避けたい」
「フロンティアとしてはあの土地をいつまでに購入したいの?」
「知らない」
今日この場に来た理由は情報収集だ。
よって如何に晴嵐から情報を引き出せるかが目標達成の肝となるが、その晴嵐は中学時代最強と言われた戦闘機パイロット。
状況判断や駆け引きには優れていると考えるべきで、このままダラダラとお喋りしていても埒は明かないと思われる。
こういった場合に情報を入手したければ、こちらも相応のリスクを負わざるを得ないというのが前職で得たレイアの経験則だった。
「今ここで土地の売却を突っぱねてしまうとフロンティアが何をするかわからない。であるならば、賭けをしましょう」
「土地を賭けて?」
「ええ。そっちは土地購入額の三倍のお金」
「……空戦で決着が着くなら、幸いかな。なら、練習試合の日時と条件を決めようか」
「練習試合ではなく公式戦よ。夏の大会の」
「だいぶ期間が空くね」
「その代わり、賭けの履行が保証されるわ。高校空戦の公式戦を対象とした違法賭博の胴元を知っている。そこに依頼すれば賭けは必ず履行される。胴元の信用に関わるから」
「違法賭博の胴元を知っているんだね。流石元シュタージ」
「よく調べてるじゃない」
「私は教えられただけ。賭けは、夏の大会で順位が上だった方の勝ちという条件でどうかな」
「良いけど、貴方達がドーピングによって失格になった場合はこちらの勝ちとするわ」
「その心配は無いよ」
「それはドーピングを使わないという意味?」
「使ったとしても、失格にならないよう学校が何とかするだろうね」
「一介の学校法人にそこまでの権力があるかしら」
「私の要求は、私達が公式戦でもドーピングを使い、世間から厳しい非難を浴びていようとも、賭けとは無関係であり、夏の大会の公式結果によってのみ勝敗が決まる。また、同じ順位で終わった場合、貴方の土地は購入時の金額でフロンティアに売却される」
「優勝する自信が無いの? ドーピングまでして」
「私としても学校を説得する必要がある。だからもう一つ条件を付け加える」
「何よ」
「賭けの対象は土地の地下に存在する物資、施設を含むものとし、賭けの終了まで移動を認めない」
「……あの土地の地下に、何かが埋まっていると言いたげな条件ね」
「フロンティアが欲しがってるのが土地そのものでない事くらいわかるよ」
「でも何が埋まっているかは知らないと」
「うん。学校を納得させるためには、念を入れた条件の方が良いと思っただけ」
「それなら、こちらが勝った場合のそちらの支払いは天祇製薬の株式としてもらうわ」
「何故?」
「株なら値上がりするかもしれないじゃない」
「……掛け合ってはみる」
「賭けの条件は決まりで良いかしら」
「そうだね」
晴嵐の同意を聞いたレイアは呼び鈴を鳴らし、店員を呼ぶ。
「ブレンドを一つ。貴方は?」
「話は終わりじゃないのかな」
「最終確認の前にブレイクよ」
「……ココアを一つ」
店員が去っていった後、レイアは問う。
「ところで、何で一年以上も姿を消していたの?」
「賭けの最終確認をするんじゃないの?」
「言ったでしょ。急旋回と。貴方の事を気にしている人は沢山いるのよ。うちにいるエレンとか」
「エレン。湯雲君か」
「覚えているのね」
「中学時代の事は忘れない」
「賭けでこちらが負けてしまうと土地を売ってそれっきりになりそうだし。話せる範囲でいいから」
「……空戦から離れたのは、療養のため。病気は完治している」
「どんな病気?」
「答えたくない」
「私は、貴方が積極的にドーピングを使う人だと思っていない。そもそも、ブランクがあろうとも貴方ならどの学校の空戦部にも入れたはず。つまり貴方は病気が完治した時点でフォリアの中毒状態になっていて、フロンティア空戦部以外の選択肢が無かった。違うかしら」
「……正解だよ」
「となると病気の治療にフォリアを使ったと考えるのが自然よね。そしてフォリアを提供したのがエスデスに属する企業であれば、フロンティア空戦部の現状とも辻褄が合う。貴方の治療にフォリアを提供した組織や会社の名前を教えて」
「……」
「この質問は貴方の事情に限っての事よ。私の知られたくない過去を貴方は知っているのに、貴方の過去は全く教えてくれないの?」
店員がコーヒーとココアをテーブルに置いて立ち去るまでの間、晴嵐は目を伏せて考えている様子だった。
そして諦めたように口を開く。
「Integra Performance」
晴嵐の表情から怒りや恨みは感じられなかった。
だが、再びこちらを向いた黄色い瞳からは私に対する警戒心を感じる。
お人好しなのか共感を誘ったら質問に答えてくれたが、これが限界だろう。
これ以上踏み込んで賭けの話がなくなり強引な手段に出られたら本末転倒だ。
「教えてくれてありがとう。賭けに応じると約束するわ。今日決めた条件と、土地の権利書のコピーを胴元に送るから、手数料振り込みの案内が来たら内容を確認して。手数料を振り込んだら結果を待つだけよ」
「わかった」
それ以降、レイアと晴嵐は必要最低限の会話しかしなかった。
会計を済ませ、同じタクシーでフロンティア高校に向かう。
晴嵐はそのまま駅に向かうというので、レイアだけがフロンティア高校の正門前でタクシーを降りた。
「それじゃあ身体に気を付けてね」
黙ったまま頷く晴嵐を見たレイアはタクシーのドアを閉め、フロンティア空戦部の滑走路へと向かう。
とりあえず、色々と抱え込んでいる事は察せられた。
とはいえ同情してすんなり土地を差し出すほど私はお人好しではない。
フロンティア高校が欲しており、空戦部の部長である晴嵐が窓口を務めるあたり、目的はフォリアに関する何かである可能性が高い。
私が買った土地からそんなものが出てくれば、正々堂々戦う瑞穂高校空戦部というイメージ構築が破綻する。
まずはあの土地の秘密を調べ、それから今後の対応を考えよう。
滑走路に止まっているD-9に乗り込んだレイアはエンジンを始動して離陸する。
トラビマイスターの理事会にヒアリングはするが、私に土地を売却したところから何も知らない可能性が高い。
そうなると、調べるべきは東大阪の歴史と自治体が持っている資料だ。
レイアは調査の手順を考えながら瑞穂高校へ飛行。
着陸した後は部室に顔を出し、残っていたハンナと一緒に帰路に着いた。
「晴嵐はどんな人だった?」
「堕天使」
「堕ちてるんだ」
「夏の大会でフロンティア空戦部と賭けをする事になったわ。こっちはフィロ達が住んでる土地を賭ける」
「何でそんな事に?」
「断れない状況だったのよ」
帰り道の間、レイアは晴嵐との会話をハンナに説明する。
家の鍵を開ける頃には陽は完全に落ちていた。
「本当に公式戦でもフォリアを使うつもりなのかな」
「あえて使う事で動かぬ証拠とし、マスコミに告発して助けを求めつつ世間の同情を誘う作戦かもしれないわね」
「そうだと良いね。高空連がまともなら一回戦の時点で失格になると思うし」
「ただ、晴嵐は失格にならないと言っていた。ドーピング集団が相手なら負けても瑞穂航空のイメージに傷は付かないでしょうけど、賭けの件があるからやはり負けられないわね」
言いつつソファに座ったレイアがテレビの電源を入れると、ニュース番組が映し出される。
「次はお天気の情報です。気象庁に……はい。はい。え……! 速報をお伝え致します。瑞穂航空が導入を予定していた新型旅客機の選定を巡って、贈賄が行われていた事が発覚しました。事件の発覚は今日の昼頃。内部告発よるもので、既に汚職リストがインターネット上に公開されているとの事です。その内容の真偽は不明ですが、リストには瑞穂航空経営層のみならず政治家の名前もあるとの事です」
脳の理解が追い付かないレイアは呆然として画面を見つめる。
「告発によれば、アメリカの航空機メーカーIntegra Wingworksから瑞穂航空および日本政治家に対する賄賂だけで五〇億以上の資金が流れたとされています。ただ今追加の情報が入りました。瑞穂航空の株価が急激に低下。東京証券取引所がストップ安を宣言したとの事です」
レイアは思わず悲鳴を上げた。
「何これ!?」
次回、レイア、ムーンサルトの練習中に子供に声をかけられ捻挫




