3 フォリア
ゴールデンウィーク中の日曜日。
瑞穂空戦部の滑走路に一機の戦闘機が着陸した。
烈風。零戦の後継として開発されながら、遂に日の目を見なかった艦上戦闘機だ。
奇麗に三点着陸した烈風のコックピットから出てきたのはレイアの姉、アルマ。
今日は瑞穂も錨桜も空戦部の練習が休みであるため、一緒に遊びたいというレイアの要望に応えてやって来たのだ。
練習が休みの日に飛行する事は基本的に禁止であるが、例外もある。
その飛行が練習目的でないと高空連の監視員に認められた場合だ。
終戦までに実戦投入されなかった烈風は高校空戦では使用が認められておらず、数も一機となれば練習目的で無い事は明らかなので飛行が認められた。
事前申請の通りの場所と時間に着陸すれば、高空連の信用を失う事も無い。
レイア達はアルマと一緒に、東大阪商店街から少し離れた場所にある喫茶店『フォッケウルフ』に向かった。
まずはお喋りしつつ早めの昼食をとり、その後はボーリングとゲームセンターで遊ぶ予定だ。
五人がそれぞれ注文したところでレイアが話を始める。
「こうしてたまに会えるようになったのも、練習制限の良さですね」
「そうだな。それに一年生が辞めてしまわないのも良い」
「それはそれでレギュラー争いが熾烈になりそうですね。錨桜の場合」
「大鳥前監督も今年からは練習体制を見直せと仰っていたらしいからな。錨桜にとっても練習制限は悪い話ではないと思っている」
「しかし錨桜の三年生方には物足りなかったりしませんか?」
「お前の方こそどうなんだ? 去年の後半はうちより練習していただろう」
「あれを続けるのは強烈なモチベーションが必要ですね。部の存続を賭けるような。今は姉さんと会えるくらいの休日は欲しいです」
「私も同じだよ。今年は別に、三冠を目標にはしていないからな」
「しかしそれでも、レベルが大きく落ちる事は無いですよね。錨桜は中学空戦エリートの憧れですから」
「手がかからない事は間違いない。全員基礎はできている。言わなくても整列しているし」
「羨ましいです。こっちなんか暴走族がいるんですよ? 入部時に抜けろと言っていたのに抜けてなくて。次やったら退部だと先週脅したところです」
「それは錨桜では考えられない話だな。うちの一年は教えなくても勝手に規律を守る」
「全員基礎ができているという点も羨ましいですね。こっちはグライダー飛行からですよ」
「一年生の平均的な技量の差は大きいだろうな。しかし、この間土地を買ってあげたクロアチア人四人は、既にフォッケを乗りこなしているそうじゃないか」
「あの四人は色んな意味で想定外の拾い物でした」
「土地を買ったという話なのですが、アルマさんはどんな会社を起こしたんですか?」
運ばれてきたカフェオレに砂糖を入れながらエレンが問う。
「ネットのウェブサイトに表示されるバナー広告を作る会社だ」
「全然イメージが沸きません」
「興味があったらレイアに詳細を訊いてくれ。お金は役員報酬という形でレイアに渡した。瑞穂高校の敷地の一部を買うと聞いた時は驚いたがな」
「そうしないと不法占拠で補導されたあげく難民である事がバレてしまいますから」
「そんな話を聞かされては、お金を出さないわけにはいかないからな。瑞穂高校がものの一週間で売却に応じた事も驚いたが」
「トラビマイスター理事会は後一年で如何に高校を高く売り抜くかだけを考えています。空戦部の倉庫を作るためと言ったら、妥当な額で売ってくれましたよ」
「再開発でもあれば地価が上がりそうな場所だ。不動産投資としても悪くはなかったんじゃないか」
「あの、去年までの錨桜は休みが無かったと聞いていますが、アルマさんはいつ仕事をしていたんですか?」
「実は広告バナーを表示するプログラムのベースは前職で開発したコンピューターウィルスなんだ。それを改造して開発期間を短縮。あとは一緒に錨桜に入った二人と分担して隙間時間にな。初めは学費や生活費を稼ぐことが目的だったんだが、思ったより引き合いが多くなったので、今はレイアとハンナ君にも手伝ってもらっている」
樹里からの質問に答えた後、アルマは少し嬉しそうに微笑んだ。
「私達の生活費も底を付きそうだったので、姉さんには本当に助けられました」
「当然の事だ。妹を助けるのが姉の役割なんだ。エレン君と樹里君もレイアが随分とお世話になっていると、よくメールで聞いている。何か困った事があったら、レイア経由ででも相談してくれ」
「それでは相談なのですが、ウェブサイトに表示される広告でトラバントの宣伝をする事はできますか?」
「できる。が、車の広告だと掲載するサイトが限られそうだ。旅行や観光地を紹介するサイトが主になるか。クリック保証型だから広告主の意志で契約を打ち切る事は可能だ」
「広告を作るので、制約や条件を教えてください」
「レイアから私のアドレスを聞いてメールしてくれ。返信する」
「わかりました」
運ばれてきた食事をしばし口に運んだ後、アルマが会話を再開する。
「メールに書いたように、レイアに相談したい事がある」
「はい。何でも話してください。私は姉さんの役に立ちます」
「ありがとう。楽しい話ではないんだが、聞いてくれ」
「あの、その話私達が聞いても良いんでしょうか」
「ああ。レイアからハンナ君、エレン君、樹里君は信用できると聞いている。それに、現時点ではあくまで懸念の話だ」
「ありがとうございます」
「姉さんが喫茶店でいいって言ったのも、そこまで深刻な話じゃないからですよね」
「そうだ。まずは近況報告。この間フロンティア高校と練習試合をして負けたよ」
「それは残念ですね。しかし、主力メンバーではなかったのでしょう?」
「そうだ。大半が一年生。現時点での実力を測るのには丁度いい相手だと思ったんだが、予想と異なる展開になってしまった」
「それほど強かったのですか? フロンティアが」
「先に写真を見せよう」
そう言ってアルマは封筒から一枚の写真を出してテーブルに置いた。
青髪に黄色い瞳の女子生徒が映っている。
「天祇晴嵐。フロンティア高校二年生。空戦部部長。天祇製薬の御令嬢だ」
「髪染めにカラコンですか。派手な趣味ですね」
「だといいんだが」
「ところで、何かを言いかけているような表情なのは何故ですか?」
「橘花が断りも無く撮影したからだ。勝手に撮るなとでも言いたかったんだろう」
「そうですか。それで、この天祇晴嵐がどうかしましたか?」
「こいつ一人に八機やられた。練習にならないから編隊を組み直して悠紀羽三姉妹が徹底マークしたが、撃墜できなかった」
「手練れですね。しかしこの選手、去年の試合に出ていたでしょうか」
「調べたが、出ていない。しかし、転校生でもなかった。それがいきなり部長だ。加えて言えば、そもそもこのレベルの選手がフロンティアにいること自体がおかしいんだ」
「確かにそうですね。樹里、フロンティアはアレスの事実上の分校、という認識でよかったわよね」
「はい。経営元はアレスと同じくエスデス(Association for the Development of SportsWarfare)で、アレス征界大附属のスポーツ戦争科の生徒が成績不良と見做された場合に転校する学校です。逆にフロンティアで良い成績を収めた生徒がアレスに転校する事もあります」
レイアの質問に樹里が答える。
「その通り。フロンティア高校のスポーツ戦争科は謎が多いし黒い噂も絶えないが、良い成績を収めた生徒がアレスに復帰した実例は何度もある。エスデスのとっての本命はアレスのはずだが、天祇晴嵐が今からアレスに転校しても夏の大会に出られない。余程の事情があるのか」
「素行でしょうか。大手製薬会社の御令嬢がフロンティア高校にいること自体が不自然ですし」
「あの、天祇さんは中二、中三の頃にU15日本代表に選ばれています。当時の記事を読んでも期待する声ばかりで、素行の話は無かったと思います」
「そうなると、ますますフロンティアにいる理由がわからないわね」
「実は中学時代のエレンは天祇さんと同じチームに所属していました」
「そうなのか?」
アルマの問いにエレンは頷く。
「はい。人望があり、大人からの信頼も厚かったです。中三の頃はU15日本代表のキャプテンに選出されました」
「やはりそうか。ただ、同学年の桜曰く、中三の頃はU15日本代表を辞退したらしいな。そして忽然と姿を消したと聞いた」
「私も体調不良としか聞いていません。特に仲が良かったわけではなかったので」
「これも桜に聞いた事だが、誠実な性格で、誰にでも分け隔てなく接する人間だったらしい。それが訳も言わずいきなり行方不明というのは不可解だ」
「そう聞くとこの派手なファッションも不可解ですね。中学時代から髪染めたりしていたの?」
「いや。アメリカ人ハーフだから真っ黒ではなかったが、髪を染めたりはしていなかった」
エレンの答えを聞いた後、レイアはアルマに尋ねる。
「試合の後悠紀羽さん達は天祇さんと話さなかったのですか?」
「橘花は話しかけていたが、部員の救護をすると断られていた。実際試合後のフロンティアの選手は皆体調が悪そうで、吐いてる者もいた。しかし晴嵐は救急車を呼ぶ事はせず、格納庫の中で介抱している様子だった」
「異常ですね。絶対何かを隠しているじゃないですか」
「試合前に晴嵐が挨拶に来たが、暑くもないのに汗をかいていた。それにあの髪は、おそらく染めたものじゃない」
アルマの話を聞いて、レイアは合点がいった。
「姉さんのいう懸念とは、『フォリア』ですね」
「そうだ。症状がフォリアに似ている」
「そのフォリアとは何ですか?」
店員がデザートを持ってきたので一旦会話を中断し、その後アルマはケーキの上に乗っていたミントをフォークに乗せながらエレンの問いに答える。
「ラテン語で葉を意味する単語で、とあるドーピング薬の秘匿名だ」
「そのフォリアを、フロンティア高校使っているという事ですか?」
「現時点では憶測だ。東ドイツがスポーツでドーピングを多用していた事が九〇年代に露呈したが、軍事面でもドーピング薬を研究していた。その薬物のコードネームがフォリア。しかし致命的な欠陥を克服できないまま東ドイツは消滅した、と聞いている」
「東ドイツで活動していた姉さんならではの情報ですね」
「断片的な情報だがな。致命的な欠陥とは強烈な中毒性と禁断症状により兵士が持たないという問題。後は、メラニン色素の変化で見た目も変わるという噂があった」
「後半はフォリアっぽいですが、長期服用はできない代物だったんですよね」
「だから、フォリアだとは断定できない。しかしカメラで録画した映像を見るに、フロンティア空戦部が似たような薬物を使用している可能性は高いと思う」
「フロンティア側のガンカメラ映像が入手できたんですか?」
「いや、この練習試合は無観客、ガンカメラ映像のマスコミ提供も無しという条件だったんだ。だから予め各機体に後ろ向きのカメラを付けておいた」
「天祇さんの動きはどうでしたか?」
「率直に言って化物だ。卒業した先輩方に映像を見て頂き、おかしいとの見解を頂いた」
「おかしいとは?」
「回避機動や離脱に入る瞬間を狙い撃ちされている。問題なのはその反応速度を常に維持していたという事だ。集中力が人間離れしている」
「なるほど。脳神経を強化する薬物を使用していれば辻褄は合いますね」
「あの。晴嵐は、ドーピングをするような人間ではありませんでした」
レイアとアルマの会話にエレンが口を挟む。
「うむ。それについては橘花も同じ事を言っていた。最強の中学生パイロットにして人格者。飛ぶ事を運命づけられた天才。事実なら、ドーピングなどデメリットしかない」
「他の選手はどうだったんです?」
「視力と反応速度については驚異的だ。後ろに付かれるとあっという間に堕とされる。しかし攻撃以外の面で未熟さがあるから、堕とせないというわけではなかった。しかし髪の一部だけ色が違う選手がいた点といい、気になる」
「インナーカラーが流行っているか、薬物の副作用か、ですね」
「私の主観としては、ドーピングしていたのではないかと思っている。晴嵐にも何かしらの事情があってだ。しかし、公式戦で使えば失格になるだろう。フロンティアが何を考えているのかわからない」
「そのフォリアという薬物の長期使用は危険なんですよね」
「私の知っている限りでは、そうだ。そもそもドーピング自体が有害な物だ。東ドイツでは何人ものアスリートが後遺症に苦しむ事になった」
エレンの問いにアルマが答える。
「それなら晴嵐には止めさせたいです。仮に使っているなら、ですが」
「同感ではあるんだが、如何せん悠紀羽三姉妹ですら話ができない状態ではな。現状で妙案は思い付かない」
フロンティア空戦部ドーピング疑惑の話はデザートを食べ終わる頃には終了となり、その後はボーリングやゲームセンターで楽しい時間を過ごした。
その日の夜。ハンナと一緒に家に帰って来たレイアがポストを開けると、一通の封筒が入っていた。差出人はフロンティア高校空戦部。
日中の話を思い出し、家に入ってから急いで封筒を開ける。
中身は一通の手紙。
瑞穂高校空戦部との練習試合を希望します。承諾の意志がある場合は、条件について打ち合わせるため、当部への訪問日時を記載して返信用封筒にて投函して下さい。なお、打ち合わせは部長同士の一対一で行いますので、ご了承下さい。
その後に記載された回答期日は一週間後であり、電話番号やメールアドレスの記載も無いところから、とりあえず一旦会って話したいという意思が透けて見える。
レイアとしてもフロンティア空戦部のドーピング疑惑は気になっていた。
仮にフォリアだとすれば、東ドイツのドーピング問題を蒸し返して欲しくないので速やかに止めて欲しい。
そしてエレンもまた晴嵐がドーピング使用を止める事を望んでいた。
何故面着での打ち合わせを希望しているのかはわからないが、ドーピング疑惑を調査するうえでは好都合。
打ち合わせに応じる事を決めたレイアは葉書に三日後の一五時に訪問する旨記載すると、その日のうちに返信用封筒に入れて投函した。
次回、レイア、子供を助けようと川に飛び込むも浅い川底に激突




