1 亡国の少女達
修了式から数日後の夜。
レイアとハンナは外出する準備をしながらテレビを観ていた。
「東西ドイツマルクの交換に端を発するマルクの暴落は収まっておらず、ライヒスリッター学園はトラビマイスター高校の買収断念を発表しておりました。ここで新たにトラビの買収計画を発表したのが高校空戦進出を狙う瑞穂航空であり、昨日協議が纏まったとの発表がありました」
アナウンサーが一旦話を中断すると、キャスターがお金の動きを描いたフリップボードを取り出して説明を続ける。
「トラビの買収はリッター学園に独占交渉権が付与されていたため、まず学校法人トラビマイスターが経営権の五一パーセントをリッター学園に売却。そこに交渉権譲渡費を上乗せして瑞穂航空が購入という形で纏まりました」
「ひとまずはトラビ高校が存続して良かったですね。空戦部も一安心というところでしょう」
「そうですね。瑞穂航空大学の附属校としての生徒募集は来年度からという事ですが、それに向けた設備更新および残り四九パーセントの経営権購入計画もトラビマイスターと共同で進めているという事です。また今の三年生は希望すれば大学部に進学できるとの事ですので、空戦部以外の生徒も安心でしょう」
「生徒が困る事があるとすれば、学校名が長い事でしょうか」
「瑞穂航空トラビマイスター高校は読み上げるのが大変ですね」
アナウンサーとキャスターが揃って笑ったところでレイアはテレビの電源を消した。
「結果的にはライヒスリッターと合併するより良い形になったわね」
「日本最大の航空会社だし、今年の途中で出資してくれるかも」
「アピールした方がいいわね。校籍マークを瑞穂航空のエンブレムに変えて良いか問い合わせましょう」
「そうなると今までみたいにトラビって略すわけにもいかないね」
「そうね。瑞穂高校と略すのが妥当かしら」
家を出たレイアとハンナは、瑞穂高校のある丘の麓へ向かう。
春休みに入って三日後、空戦部は盗難被害に遭った。
盗まれたのは格納庫に保管していた食料品と、工具が数個。
格納庫から物を持ち去る二人の少女の姿が防犯カメラにしっかりと映っていたので犯人が空戦部員でない事ははっきりしている。
警察に任せるのが無難な対応なのであろうが、カメラに映った少女二人が中学生くらいに見えた事がどうも気になったので、レイアはこの事件は自分が対応すると部員達に告げ、被害届を出さずにいた。
最近この辺りの林に複数の人間、或いは動物が住み着いているという噂が立っている。
噂が本当なのだとすれば、空戦部に窃盗に入った二人組の少女はホームレスという事になるが、ここ日本において家出した少年少女の話を聞くことはあっても、未成年のホームレスという存在は寡聞にして聞かない。
もし本当にホームレスであるならば相応に深刻な事情があるのだろう。
ならば騒ぎが大きくなる前に、窃盗の件は伏せたうえで警察に連れていこうとレイアは考えていた。そうすれば家に帰るか、保護施設に入る事が可能なはずだ。
「この辺りだよね。噂だと」
「ええ。足跡が残ってるわ。一人分で大きさは女性か子供」
道路から林の中へと続く斜面に人が歩いた痕跡が残っている。。
「レイアも優しいよね。いや、優しくなった、のかな」
「そうね。もし野崎先輩が中学生くらいのホームレスが盗みを働いている場面を目撃したのなら、とりあえず話を聞こうとすると思うのよ」
「そうだね。野崎先輩なら、もう一度盗みに来ることを見越して手紙を置くのかも」
「そういった対応でしょうね。大した物盗られてないし。でも私達ならば、もう少し積極的に動ける」
「普通は二人で山狩りはしないよね」
僅かな月明かりを頼りに黙って斜面を登る事一分ほど。
レイアは立ち止まって口を開く。
「……足跡が途切れてるわ。偽装しているのかも」
「隠れられるとやっかいだね。住居だけ見つかったらどうする?」
「そうなったら空戦部員を交代制で総動員してやるわ」
その後更に進んだところでレイアは立ち止まり、ハンドサインで状況を伝える。
ロープトラップだ。
ハンナがナイフでロープを切ると、少し離れた場所で何かが地面に落ちる音がした。
単なるホームレスではない。
この先にいるのは何だ? 年端も行かぬ少女達ではないのか?
警戒心を強めて先に進むと、またしても罠。
おそらくはスネアトラップ。
ロープを切って先に進むと、木とテントで組み立てられた構造物が見えた。
地面に伏せて状況を伺うレイアは集中力を高め周囲の様子を窺う。
十数分待ったが、人影は無い。
レーネとハンナは左下半身を地面に付け、左腕で上体を保持しながら前進する。
するとまたしてもロープがあったので切断すると、前方を竹が通過していった。
これは、バンブーウィップ!?
東ドイツにいた頃ベトナム人労働者から教わった事がある。
竹の射出速度によっては重傷を負わせる事も可能なトラップだ。
一般人の発想ではない。一体何者だ?
好奇心が湧いてきたレーネが左腕で身体を前進させると、竹がもう一本飛んできて頭上を通過した。
私はトラップに引っかかっていない。今のは遠隔操作されたもの。私達は既に捕捉されている!
撤収という選択肢は無い。
後退中に攻撃される可能性があるし、こんな危険な場所に他の空戦部員を連れて来るわけにはいかない。
今夜ここで正体を掴んでやる。
腹ばいとなったレーネとハンナは肘を交互に出す事で前進し、人工物の手前まで接近した。
ここまで来れば、人の気配はわかる。
一つは、真上か。
構造物の上から飛び降りてきた人影を躱したレイアは、足元に入り込み脚を掴んで引き倒す。
レイアが取り押さえた小柄な少女は何かを叫んでいた。
これは、セルビア・クロアチア語か?
この少女の攻撃に呼応してもう三人が姿を現した。
いずれも少女で大した武器も持っていない。これならハンナの敵ではない。
レイアは先ほど入手したロープで取り押さえた少女の手を縛る。
襲撃してきた三人の少女はハンナの打撃と足技を食らって地面に倒れたが、うち二人が起き上がってきた。
降参を促したいが、セルビア・クロアチア語は片言でしか喋れない。果たして通じるか?
レーネがそう思った時、少女の一人が両手を上げて降参の意を示した。
そしてセルビア・クロアチア語で何かを喋った後、日本語で話しかけてきた。
「私達は投降します。神に誓って抵抗しません」
「……投降を認めるわ。しばらくは両手を上げておいて」
「わかりました」
「こらー! ほどけー! 投稿するって言ってるだろー!」
レイアの足元にいる小柄な少女が叫んでいる。
「貴方達は投降すると言ったのだから、質問に答えて。虚偽の発言は禁止よ」
「はい。偽りなく答える事を誓います」
「貴方達の家はどこ?」
「ここです」
「そう。なら、三人は中に入って明かりを点けて。言っておくけど、貴方達じゃ私達には勝てないわよ。ハンナ、その三人と中に入って」
「おっけー。ところで君達日本語通じる? 英語の方がいい?」
「日本語でお願いします。ある程度わかります」
「それは良かった。私達は警察じゃないし、何か助けになれるかもしれないから正直に話してね」
「貴方がたの慈愛の心に感謝します」
「もしかして神対応きた?」
「ほどけー! ほどいて下さい! 竹飛ばしたのは謝りますから!」
二発目の竹槍はこの少女が発射したのか。
行動に殺意を感じる。
レイアが縄をほどいてやると、少女は走って他三人の後を追った。
この四人の境遇は非常に気になる。
ひとまずレイアは少女達が家と呼んでいる構造物の作りを確認する。
地面に埋めた木材を支柱に緑色の布を掛け、その上に木の枝を載せている。
入口から中に入ると布の内側には土嚢が積まれていた。
その内側の地面は一メートルほど掘り下げられており、土嚢で階段が作ってある。
斜面も一部が平らに均されており、ベニヤ板が敷かれ、寝袋が置かれていた。
照明は灯油ランプであり、家具はタンスが一つあるだけだ。
「これは、防御陣地ね」
「家ですが」
「普通は家にこんな擬装はしないのよ」
「私達も初めは河原にテント張っていたんですよ! でも警察の人に撤去されたんです! それで仕方ないから森の中に家を作ったんです」
「マジぴえん。God is dead」
「今のところ私達は貴方達をどうこうしようとは思っていない。だから質問には正直に答えること。まず、出身地は?」
「ユーゴスラビアです」
「ユーゴ、という事はセルビア人かしら」
「違う! 私達はクロアチア人です!」
「悪かったわ。ユーゴスラビア連邦共和国の出身という事ね」
「違います。私達の祖国は社会主義連邦共和国です」
「……その国、もう無いんだけど」
「なくなりました。しかし、私達の出身はユーゴスラビア社会主義連邦共和国なのです」
「嘘ではありません。神に誓います」
神に誓うと発言した少女は胸元にロザリオを下げている。この家屋の中にも、ロザリオのアクセサリーがいくつか置かれている。
つまりこの四人はローマカトリック教徒であり、クロアチア人だというのは真実だろう。
では何故クロアチア出身であると答えないのか。
「貴方達はクロアチア人だけど、故郷はクロアチア共和国の領土ではないという事ね」
「その通りです」
「紛争に巻き込まれたのね」
「はい」
「どうやって日本に来たの?」
「日本から来たPKO組織の船に乗りました」
「不法入国ね」
「そうです」
「何故難民を受け入れている国ではなく、日本を選んだの?」
「私達に生きる術を教えてくれた人が、日本人だったからです」
「ユーゴの紛争地帯にいた日本人。何者かしら」
「私達は単にチューイと呼んでいました。チューイは五五年前にアメリカ軍と戦って生き残ったそうです」
「この防御陣地の作り方も、チューイから教わったの?」
「そうです。チューイはいつも日本の雑誌や漫画を持っていて、私達に見せてくれました。そして私達が日本に行きたいと言ったら、日本語を教えてくれました。あとこれは家です」
「いい話の様に聞こえるけど、チューイは貴方達を日本に送った後どうするつもりだったのかしら。この国は基本的に戦争難民を受け入れていないのよ」
「それでも、私達が日本に行ってみたいと言ったのです。そしたらユーゴの義務教育修了証明書を準備してくれて、日本の友愛スラビア高校に行けと言われました。険しい道になるだろうが、ここにいるよりマシだと」
「その高校ももう無いじゃない」
友愛スラビア高校はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の支援によって空戦部を創設した学校であるが、ユーゴスラビアの崩壊に伴い経営破綻状態となった。
その後しばらく日本政府の支援によって運営されていたが、一昨年にアラビア半島最大の財閥であるナシャートが経営権の大部分をセルビアから買収し、学校名をオリエンタル高校に変更している。
スラブ系の学校だった名残こそあれど、今はアラブ系の学校になったという話だ。
「チューイもそこまでは知らなかったんだと思います。ともかく他に入れそうな学校がないか探したところ、隣の行政区画にトラビという学校があって、希望すればほぼ入れる状態だと聞いたのでここに来ました」
「一時的に身の安全を確保するって意味じゃ瑞穂は悪くないと思うけど、入れるかな」
「願書を出して試験を受けたら合格しました」
「思った以上にこの学校ザルだね」
「生徒が来るだけ有難いと思ってるんでしょ。というか、四月から瑞穂に通うってこと?」
「そのはずです」
「学費は?」
「チューイの用意してくれた口座の預金で払えました。しかし、それで無一文になりました」
「働き口は?」
「殆どありません。この国では、ほぼ必ず住所というものを聞かれます。しかし、河原という回答では不十分なようです」
「戸籍だとか住民票とか意味わかんねーんですよ! 社会保険とか税金とか私達いらないですし」
「事情はある程度わかったわ。とりあえず明日朝八時に瑞穂高校の正門前に来て。食事を用意しておくから」
「神の施しきたー!」
「ありがとうございます。感謝します」
「慈悲深き方々に神のご加護があらんことを」
「Thou shalt not steal」
「はい。決してしません」
「次やったら、私達は助けない」
「……ああ! フィロ、ナタリア!」
「捨ててあるのかと思ったんですよ!」
「エステルだってそこら辺に生えてたって言ったらめっちゃ食べたじゃーん」
「あと罠も仕掛けないこと。じゃあ私達は帰るわ」
「じゃ、また明日ね」
レイアとハンナはクロアチア人少女四人が住んでいた防御陣地を出て、家路についた。
翌日、レイアとハンナが瑞穂高校の正門前に着くと、四人は既に待っていた。
「おはよう。いつから待ってたの?」
「二時間くらい前です」
「……時計は読めるのよね」
「はい。しかし、勝手に格納庫に入るわけにもいかないので、待つしかありませんでした」
世間ズレしているというより、この国に居場所が無いという解釈が適切だろう。
助けてあげたいという気持ちはあるが、深入りのし過ぎも良くない。
あくまで支援に留め、この四人が実力で日本に居場所を作れることが望ましい。
「お腹空いたよね。スープ作るから待っててね」
訓練用の飛行機を保管している格納庫に移動してアイントプフを提供すると、三人は十字を切るや否や食べ始め、一人だけが祈りを口にしてから食べ始めた。
余程空腹だったのか、鍋一杯のアイントプフは十数分で消え失せる。
「食べ終わったかしら」
「はい。足りません!」
「名前を教えてくれたら食べ物をあげるわ」
「フィロ・ユリッチです」
フィロ。昨日真っ先に襲いかかってきた少女。
紛争地帯出身だからかもしれないが、短気な性格と思われる。
体格は小柄で、オレンジ色に近い髪色が特徴的だ。
「ナタリア・セグッチ。よろっちでーす」
ナタリア。茶色の髪にロザリオの髪留めを付け、ブレスレットには天使を模した装飾とカトリック感のある女。
しかしフィロと一緒に窃盗に及んだ点と口調の軽さから、敬虔ではない印象を受ける。
「テレサ・コバッチです。よろしくお願いします」
テレサ。昨晩自分達の境遇を説明してくれた栗色の髪の少女。
ハンナとの戦闘能力差を察知し真っ先に降伏の意を示した辺り、状況判断に優れるのかもしれない。
「エステル・ラディッチです。施しに感謝しています」
エステル。黄色味がかった髪色の少女。
ロザリオのネックレスを付け、食事前に祈りを口にしていたところから、四人の中では最も敬虔なカトリック教徒と思われる。
「私は六原レイア。瑞穂高校の二年で、空戦部の部長をしているわ。空戦部とは、スポーツ空戦を行う組織の事よ」
「私は月城ハンナ。二年生で空戦部の副部長だよ。よろしくね」
「ハンナ。カロリースティックを一本ずつこの娘達に」
「うん。はいこれ」
「なんだ。レーションですか」
ハンナから栄養補助食品を受け取ったフィロが不満げに言う。
「今はそれしかないんだ。昼食も用意するから待ってて」
「仕方ないですね。……あれ、けっこう美味しいです」
「美味しいよね。私も最初はE-Portionみたいなものかと思ったけど、お菓子みたいでびっくりした」
フィロがカロリースティックを頬張っていると、テレサが口を開く。
「先ほどからレシプロエンジン音が聞こえますが、今まさにスポーツ空戦をしているのでしょうか」
「ええ。日本の高校のスポーツ空戦には公式大会があるから、そこで勝つための練習よ」
「飛行機に乗って安全に戦える。凄いですね」
「貴方達も飛んでみる?」
「ここで飛んでもいいんですか!?」
「いいわよ。飛ぶと言っても、練習機に乗っているだけになるけれど」
「レシプロ戦闘機なら自力で飛べると思います。訓練を受けていました」
「ユーゴでスポーツ空戦をやっていたの?」
「いいえ。輸入したスポーツ空戦用の戦闘機で戦う訓練です」
「戦うって、レシプロ戦闘機で?」
「はい」
「機体の名前は?」
「Yak-9という名前でした」
「その戦闘機で何をする予定だったの?」
「わかりません。部隊名は戦闘ヘリコプター大隊でした」
「なんとなくわかったわ」
おそらく高価な戦闘ヘリコプターの損害を減らすための囮役だ。
チューイなる人物が中途半端な計画でこの四人を日本に送った理由も見当がつく。
タイムリミットが迫っており、一刻も早く紛争地帯から逃がす必要があったのだろう。
「私も飛びたいです!」
「それじゃあまずは、空戦防具を着けましょうか」
「これが空戦防具だよ。留め方は普通のベルトと同じ」
ハンナは段ボールから空戦防具を取り出し、ベルト部分を四人の少女の腰に巻き付ける。
「Yak-9で訓練していたと聞いたけど、まずはBu181に乗ってもらう。それで水平に飛べるなら、次はフォッケのS-8に乗ってもいい」
席から立ったレイアとハンナはBu181のキャノピーを開け、少女四人に操縦方法を教える。
そして二機のBu181をタキシングで滑走路に出すと、自分達は左座席に移動し、一人ずつ右座席に座らせて実際に操縦させた。
念のため常に横から口を出してはいたが、実際のところ四人とも慣れた様子であり、離陸も水平飛行も板についていた。
その後、練習機をFw190S-8に変更し、レイアとハンナは後部座席に座って少女四人の腕前を見る。
Yak-9で訓練していたという話は信じられる手並みだった。
着陸の操縦は自分達で行ったレイアとハンナは練習機から降りると四人から少し離れてドイツ語で確認し合う。
「ハンナ、どうだった?」
「二人ともちゃんと飛べてたよ。特にテレサちゃんはお父さんがパイロットで、グライダーの練習をしていた事もあるんだって」
「それは期待できるわね」
「そっちの二人はどう?」
「基礎はできてるわ。フィロは性格に難ありだけど。勝手に宙返りするし」
「見てたよ。フォッケに乗るの初めてでしょ。宙返りできるのは凄くない?」
「ええ。訓練期間三ヶ月というのが本当なら、才能があるかも」
「とりあえず四人とも適正に問題は無しって事だよね」
「そうね。じゃあ、予定通りいきましょうか」
レイアは四人の方へ向き直り、少し近付いてから口を開く。
「良い話があるわ。貴方達、空戦部に入らない?」
次回、レイア、遊園地でゴーカートに轢かれ昏倒




