2 マスメディアの誤報
四月上旬。レイアは入学式に参加していた。
校長が一般的な事を喋っている。
春休みは充実していた。
レイアの親友である月城ハンナも入部初日にレギュラー確定の評価を獲得。
そして他にも春休み中に入部してきた一年生が二人いたが、共に廃部の危機にある事を承知で基礎練習を始めていた。
レイアは普通の学校生活というものに憧れていたので、同級生と一緒に部活をするというのは楽しかった。
校長が壇上から降りた後、生徒会長が壇上に上がる。
背後の大型スクリーンに『入学おめでとう。生徒評議会』と表示される。
「新入生諸君。入学おめでとう。生徒評議会会長の藤巻イリスだ。生徒会からのお知らせを、新入生全員が集まるこの場を借りて発表する。まず、当高校は二年後にライヒスリッター学園と合併するので、諸君らが三年生になると同時に消滅する。国際情勢が関わる話なので仕方がない事であるが、私はこれを残念に思う。だからせめて、世間の記憶にだけでも、トラビマイスター高校の名を残したいと考えている。そのための施策がこれだ」
イリスが言い終わると同時に、スクリーンの表示が変わる。
空戦部入部者に下記の特典を支給・付与。
食券百枚。ノンアルビール券二百枚。学業無関係物預け入れロッカー使用権。ドイツ製ソーセージ優先購入権。学業成績上位者に図書券(詳細は検討中)。
「また、東大阪商店街を中心とする学外からの差し入れについても、空戦部に優先支給する。私としても、数ある部活の中で空戦部のみを優遇してよいものか逡巡した。しかし、ライヒスリッター学園に対し一時期でも実績で上回っていた事がある組織は空戦部のみであり、メディアへの露出が最も多いのもまた空戦部である。よって優遇処置を決定した。なお、特典へのただ乗りを避けるため、食券百枚とノンアルビール券二百枚については入部から半年後に支給するものとする。以上」
そう言ってイリスは壇上から降りた。
周囲からざわめきが聞こえる中、レイアは目を閉じて少し微笑む。
目論見は成功した。藤巻イリスの父親は東ドイツの政治家であり、やはり汚職をしていた。
証拠となる写真が入った封筒をイリス宛として藤巻家の郵便受けに入れたのが四日前。その後家から変声機付きの電話でイリスと話したのが三日前だ。
東ドイツの政治家は西ドイツとの合併後に過半数が警察の捜査対象となると半ば真面目に語られている状況において、汚職の証拠が流出すれば藤巻イリスの父親の有罪は確定。
故に空戦部を優遇しろという要求はすぐに通るだろうと考えて電話したが、最初の電話で教えられた個人携帯にかけ直した後は、脅迫と言うより交渉になってしまった。
胆力があるのか、父親の事がどうでも良いのか。いずれにせよ頭の回転は速そうだった。
逆に質問してくるのでプロファイリングされているのかと勘ぐってしまい、予算増額や現金直接支給の要望は撤回して約束を取り決めた。
まぁ藤巻イリスが立案、発表した優遇処置でも十分効果は期待できる。
トラビ高校空戦部が抱える問題の第一関門は突破した。
レイアがそう思った時、携帯が振動。メールの着信だったので内容を確認する。
差出人は衛徒。宛先はレイアとハンナ。
『放課後誰よりも早く部室に来い』とだけ書かれていた。
タイミングからしてこの空戦部優遇に関しての話だろう。
勝手なことをしたから怒っているのか?
しかし私達の仕業である証拠など掴んでいまい。
それに空戦部優遇は鹿島先輩にとっても良い話のはず。
昼休みにハンナと相談したが、やはりできるだけ白を切りつつ相手に喋らせる事で意見は一致した。
六限の授業は初回なので早めに終了。終礼が終わると同時に席を立ち、駆け足で一階へ駆け下り、第二校舎を横切って滑走路区域に進入。部室に入った。
可能最短で到着したはずだが、衛徒は既にソファに座っていた。
そして立ち上がると、ついて来いと言って二階に上がっていった。
怒っている感じではなかった。ただ真剣な表情だった。
二階にある二部屋のうち、書庫へ連れていかれる。空戦資料が収まった本棚に挟まれて長机が置いてある。
「扉閉めろ」
部屋の中まで入った衛徒はドイツ語で言った。
「何の御用でしょうか」
レイアは扉を閉めつつドイツ語で質問。ここからはドイツ語での会話となった。
「率直に言う。お前らシュタージだろ」
内心驚いたが、表情には出ない。ハンナも同様。
「いいえ。私達は非公式協力者ではありません」
「知ってるよ。お前らはA総局の正規職員だからな」
「その嫌疑は無理があります。HVAは基本的に大学卒業者であり、私達では年齢が合いません」
「お前達は年齢以外の経歴を詐称している。お前らは総合技術学校在学中に高等学校課程を修了し、総合技術学校と大学の両方に籍を置きながら訓練を受け、二年ほど前に諜報員として日本に入国した」
「荒唐無稽です。シュタージは正規職員だけで十万人いるとの噂です。そこまで人材難に陥っているとは思えません」
「三日前、藤巻から連絡があった。空戦部を優遇するよう脅迫を受けた。相手はシュタージでもなければ調べようがない情報を持っていた、と」
藤巻イリスから連絡があったのか。それなら私達が疑われるのは道理だ。
入部初日に生徒会長についてだいぶ質問したのだから。
だが、証拠は掴めていないはずだ。
「私達は東ドイツ出身ですから、疑われるのはわかります。しかし証拠も無く悪名高いシュタージであると決めつけられるのは不愉快です」
「言っておくが、学歴詐称の証拠は用意できるからな」
嘘をついている人間は瞳孔や表情筋で判別できる。しかし鹿島先輩からは嘘の気配が無い。
事実を述べているのか。それとも並外れた演技力の持ち主なのか?
鹿島先輩が何者なのかは気になるが、予定通り白を切り続けるべきだ。
東ドイツは今年で消滅する。シュタージも夏には解散が決定しており、既に準備が始まっている。
私達には既に解任通知が来ているし、行動履歴も遠くないうちに削除されるはずだ。
「シュタージ呼ばわりは止めてほしいです。同じ東ドイツ国籍ではありませんか。あと、一階に人が入ってきたので、この話は終わりにすべきです」
「だからドイツ語で話してんだろうが。だが長話も無用か。お前らが素直になれるよう教えてやる。俺の父親はシュタージだ。だから三日前に藤巻から連絡があってすぐ、親父に頼んで十代の日本派遣職員はいないか調べてもらった。すぐ見つかったよ」
そういう事か。ならば観念するしかあるまい。鹿島先輩の父親と直接的繋がりは無いが、階級は確実に上。逆らわない方が良い。
「事情は把握致しました。仰る通りです。解任前のつてを利用し、藤巻イリスの父親について調べました」
「認めてくれて嬉しいぜ。曹長殿」
「階級までご存じとは」
「一週間でよく証拠を掴んだな」
「それについては幸運でした。東ドイツでは汚職が一般的なため金の動きだけでは対象を絞り込めない事が多いと第三局の同志が言っていましたが、藤巻イリスの父は額が多過ぎて見つけられたそうです」
「それで、藤巻を脅したか」
「はい」
「まったく、言いたい事は一つだけだったのに、無駄に手間を取らせやがって」
衛徒の表情から緊張が取れたので、レイアも神妙な態度を取る。
「申し訳ございません」
「有名選手になりたいのにトラビに入った理由はわかった。東ドイツ籍の人間が他の学校に入ったら、経歴は詳細に調査されるだろうからな」
「仰る通りです」
「俺はお前らのやり方を否定はしない。だが、今後諜報活動をする時は、必ず俺に相談しろ。俺には一年この部を守る責任がある。勝手にやったら……叩き出す」
「了解です」
レイアとハンナが頷いた時、ドアの外から綾音の声が聞こえた。
「もう入っていいかしら」
ドイツ語だった。それに対して衛徒は日本語で返す。
「構わん」
すると呆れたような顔で部屋に入ってきた綾音が日本語で話す。
「藤巻さんの空戦部優遇宣言には驚いていたけど、二人の仕業だったのね。あと鹿島君も諜報員だったとは驚いたわ」
「それは違う。俺じゃなくて父親だ」
「シュタージね」
「まぁ、そうだ」
「へぇ。諜報という単語から推測したんだけど、いい線だったかしら。で、二人は現職?」
「いいえ。もう解任されているので無職です」
「ただの学生というわけね。まぁ今後は事前に鹿島君に相談する事になったみたいだから、心配無いかしら」
「はい。勝手な行動を取り申し訳ございませんでした」
「因みに私も二人のやり方を否定しないわ。何であれ新入部員を増やしたのだからお礼を言いたいくらい。でも今回はやめておくわ」
「ああ。空戦でも勝手な行動は厳禁だからな」
「そうね。二人に負担が集中してもよくないし」
「……というか、お前ドイツ語わかるのかよ!」
「聞き取りはおおよそ。喋るのは片言レベルよ」
「お前は……純正日本人だよな」
「純正って何よ。この学校は二外がドイツ語なんだからそんなにおかしくないでしょ」
「いや……あの授業に何の意味があるのか俺は疑問だ」
「まぁ不足はしてるわね。私も多少独学したし」
「先輩方。部室正面にかなりの人数が集まっています」
「入部希望者かしら。私にも少し話声が聞こえるわ」
「行くぞ。せっかく会長が便宜を図ってくれたんだ。有効利用しないとな」
少し肝を冷やす場面もあったが、結果的には吉と出た。
部長、副部長の理解が得られたのは大きい。
それに、私達のやり方を否定せず、認めてくれたのは嬉しい。
レイアはこの先輩達のためにもっと働きたいと思った。
一階に降りると、一人の女子生徒が部室に入ってくる。
「外えらい事になってんで」
春休みの全体練習には必ず来ていた二年生女子。天本香織。特技は急降下爆撃で爆撃コーチを務める。
「千田とブルーノのクラスは授業が長引いてるのか。抜け出して来いよ」
衛徒が携帯電話を見て嘆息する。
「ともかく今いる人で対応しましょう。明日香ちゃん。悪いけどコンビニ行って入部希望届と予定表をあと五〇、いや、百枚刷ってきて」
「了解です!」
言われた二年生女子、白瀬明日香はドアから飛び出していき、自転車に乗って爆速で走って行った。
「とりあえずあてらで表に机並べときます」
「お願いね。私は外に出て待ってもらうように言うから」
「それと部長はん。忙しいところ悪いんやけど、これ見てほしいねん」
「新聞、一枚だけか」
「今日の夕刊なんやけど、どえらいこと書いてあるっていうてさっき印刷屋のおっちゃんが持ってきてくれてん。ガセかもしれへんけどな」
そう言って新聞紙を手渡すと、香織も会議室からの長机運び出しを手伝い始めた。
衛徒が立ったまま新聞に目を通す隣でレイアも記事を読む。
確かに、見出しからしてとんでもない内容だった。
西独と東独の代理戦争!? 交渉決裂。命運は空戦部の対決へ!
その記事が説明しているように、ライヒスリッター学園の理事会は新大学を設立し、ライヒスリッター学園をその附属校とする計画を立てている。
また、その段階でトラビマイスター高校が合併する事は双方が合意しており、既定路線だ。
問題はリッター学園とトラビ高校が主張する合併の形態に食い違いがある事であり、未だ解決はしていない。
リッター学園はトラビ高校の新入生受け入れを今年から停止し、二年後に吸収合併すると発表していたが、トラビ高校は今年も新入生を入学させている。
またリッター学園は新大学設立費用を負担する代わりに、トラビ高校空戦部の機材を年度末に譲り受ける予定だと発表しているが、トラビ高校空戦部の廃部は確定したわけではない。
非公式ではあるが、トラビ高校側としては新入生受け入れを止めるつもりは無く、二年後の合併において在校生は無試験でリッター学園に編入できる事を要求しており、認められなければ合併前に空戦部の機材を競売に出すとの発言もある。
そしてリッター学園とトラビ高校の主張の溝は向こう一年で埋まるようなものではないので、リッター学園とトラビ高校の合併は今年度の高校空戦の成績が上位であった方の主張が通る事になるかもしれない。とこの新聞記事はセンセーショナルに煽っている。
空戦部員として気になる点は、仮にトラビ高校の主張が通るのだとすれば、空戦部は来年度も存続する、と読み取れる事だ。
「鹿島先輩は何かご存じですか?」
「皆目。だが誤報だと思う。リッター学園にメリットが無い。トラビ側の勝手な主張だとしても、空戦部の予算が増えなかった点と矛盾する」
「ですよね。私も入学前に少し調べましたが、こんな話ありませんでした」
「記者の願望か。机が喋ったか。いずれ否定するような記事が出るだろう。だが、そうだな。六原、外の野崎を呼んで来い」
衛徒に言われたレイアは、外で団子状態だった入部希望者を四列に並ばせている途中の綾音に声をかける。
「野崎先輩。鹿島先輩が呼んでいます」
「わかったわ。六原さんもついてきて」
そう言われて部室に戻ると、衛徒が口を開いた。
「野崎。例の件、今ここで発表すべきと思う。二週間後だ。前に話した通り、勝負にはなるだろう」
「詳細を詰めるより、宣伝効果を優先というわけね。いいんじゃない? 練習の観点でも先延ばしは良くないと思うし」
「なら挨拶してくる」
そう言って衛徒は部室の外に出ると、ほぼ四列に並んだ入部志望者達に向けて口を開いた。
「入部志望者諸君。空戦部部長の鹿島だ。これほど多くの希望者が来てくれた事を嬉しく思う。人数が多いので、今日は入部届を書いて、今月の予定表を持って帰ってもらうのみとする。中学空戦の経験者は、主に乗っていた機体の記入を忘れないように。それと、重大なお知らせだ! 我が空戦部は二週間後の日曜昼に、剣星高校と練習試合を行う! それを見て入部するか決めるのも良いだろう。場所は若狭沖バトルフィールド。この件は別途告知するから、校内の掲示板を確認しておけ。以上だ」
言い終わってから数秒入部希望者達を眺めていた衛徒は、ぎょっとした表情になって再び口を開く。
「あー、そこで入部希望者みたいな顔で並んでいる生徒会長は、話がしたいので部室に入ってくれ」
呼ばれたイリスは衛徒に続いて部室へと入った。
イリスと目が合ったレイアは軽く会釈して視線を外す。
脅迫した人間だと看破される可能性はある。
一年生なのに既に入部して部室にいる四人は異質な存在だ。しかも四人ともドイツ人ハーフ。
少なくとも疑われはするだろう。
まぁ、父親が汚職している藤巻先輩は立場が弱いはずなので、口論になる可能性は低いと思うが。
当のイリスは衛徒と話し始めた。
「入部希望者みたいな顔という認識は正しい。私は入部希望者だ」
「一年前に辞めたお前が、何故だ?」
「一度辞めた人間は入れてもらえないのか?」
「そういうわけじゃないが、一応、理由を聞いておきたい。わかるだろ?」
衛徒が意味ありげに言う。
「もう一度空戦がしたい。本当は高校空戦を続けたかった。他意は無い」
「じゃあ何で辞めた」
「父から生徒会長になるよう指示があった。また、その準備として成績を一位にしろとも。だが空戦部と学業を両立しようとすると、両方半端になるとわかった。だから一旦学業に専念する事にした」
「で、晴れて生徒会長になれたから、空戦部に復帰か。こちらとしては、今朝の一件もあるし、歓迎しよう。だが生徒会の方はいいのか?」
「生徒会の仕事は定型業務で仕組化すれば誰でもできる。副会長時代にそういう状態にしておいた。会長になってからしばらく様子を見たが、予定通り、私は判子を押すだけの存在となった。だから生徒会室にいても暇なんだ」
「事情はわかった。生徒会長が仕事をしないという噂の真相もな」
「ははは。皆私に聞くより判断基準を書いた要領書を見るようになったからな。おかげで空戦部に専念できる」
二人の会話を聞いてレイアは思う。
電話で話した時、大きな弱みを握られた状態でありながらも譲れない一線を引いて強気の交渉をしてきたのは、生徒会の権限で実現できない事は約束できないからだったのかもしれない。
遅れてやってきた先輩達が入室し、ほぼ全員が揃った部室の窓際へ移動した衛徒はカレンダーの四月第三土曜日を赤丸で囲む。
「さて、もう後には引けなくなった。二週間後、剣星高校と練習試合だ!」
次回、レイア、バッティングセンターで二打席連続死球




