1 トラビ高校入学
三月下旬の昼。六原レイアはトラビマイスター高校を訪れていた。
入学式までまだ十日あるが、空戦部に入る事は決めているので、先に挨拶しておこうと思ったからだ。
届いたばかりの制服を着て、レイアは滑走路の方向に向かう。
部室を探して歩いていると、格納庫の隣にあるコンクリート製の武骨な建物に、『空戦部』という表札が掛かっていた。
レイアはドアを四回ノックする。
しばらく待ったが誰も出てこない。
もう一度ノックしても返答が無いので、レイアはドアノブに手をかけた。
鍵がかかっていない。
不用心だ。しかし日本の治安の良さはこういうところに現れるのかもしれない。
扉を開けて建物の一階に入ると、ソファに座ってテレビを見ていた男子生徒が、イヤホンを外してこちらを見た。
中肉中背、中性的な顔立ち。
黒髪だが瞳が青い。純粋な日本人ではなさそうだ。
「誰だお前」
すかさずレイアはお辞儀をした。
第一印象が大事なのは世界共通。
頭を上げた後、日本では大事とされる菓子折りの入った袋もそれとなく身体の前に出す。
「初めまして。六原レイアと申します。空戦部に入れて頂きたく、本日は挨拶に参りました」
「今度入る一年か?」
「はい。学生証も所持しています」
「まだ春休みも序盤だが、もう入部希望か。やけに気合が入ってるな」
「はい。私は高校空戦で有名選手になりたいと考えています。そのためには一日でも早く練習を始めた方が良いと思い、今日挨拶に参りました」
「有名選手? うちでか?」
「はい」
「……まぁ、入部するなら歓迎する。ソファに座れ」
「ありがとうございます。靴は、脱ぐんですよね」
「お前留学生か。出身は?」
「ドイツ民主共和国です」
「それでトラビに、か」
「はい」
部屋に入ったレイアは男子生徒と向かい合うようにソファに座る。
テーブルの上には大量の空戦写真と、高校空戦を録画した思われるビデオテープが置かれていた。
きっとこの人は本当に競技空戦が好きなのだろう。
「俺はトラビ高校空戦部部長。鹿島衛徒だ」
戸棚から紙コップを取り出して戻ってきた衛徒が名乗る。
「部長さんでしたか。よろしくお願いします。これは、つまらないものですが」
言いつつレイアは菓子折りの入った袋をテーブルに置いた。
「高校の部活で入部する時、普通は菓子折りなんか持って来ないけどな」
インスタントコーヒーを入れた紙コップにお湯を注ぎつつ衛徒は言う。
「そうでしたか。私は日本在住期間が短いので、その辺りの知識は不十分です」
「その割には日本語が達者だな」
「勉強しました。ところで、鹿島先輩も留学生でしょうか」
「いや。東ドイツ生まれだが、生まれてすぐ日本に来た」
「そうですか。目の色からつい訊いてしまいました」
「よく訊かれるよ。ミルクと砂糖は?」
「不要です。ありがとうございます」
東ドイツにおいて砂糖は入手難易度が高かった。日本ではそうでもないようだが、遠慮しておいて損はないだろう。
「さて。高校空戦で有名選手になりたいと言ったな。なら、確認しておかないといけない事がある。まず、トラビが二年後にライヒスリッター学園と合併する話は知っているな?」
「はい」
「なら、トラビ高校空戦部が今年度末で解散するという噂は?」
「知っています」
「噂ではあるが、俺は可能性が高いと思っている。少なくともリッター学園はそう要求しているし、トラビの理事会は検討中と発表しているが、リッター学園の譲歩を引き出したいだけだろう」
日本において高校空戦は人気なので、空戦部を取り巻く環境についてもニュースになる。
ライヒスリッター学園とトラビマイスター高校が二年後に合併するのは決定事項だが、リッター学園側が吸収合併を狙っているのに対しトラビ高校側はできるだけ対等な立場で合併したいと考えており、空戦部がその取引材料にされているという話は少し調べればわかる事だ。
「それについても、新聞で読んだことがあります」
「だったら、すぐにでも転校すべきだと思わないか。転校してから半年は公式戦に出れんが、一年生なら大した事じゃないだろ。空戦部が無くなったら、有名選手になりようがない」
「今年一年で有名選手になります」
「大きく出たな。競技空戦の経験があるのか」
「東独で。国防スポーツの一環ですが」
「現時点でそれなりに飛べるというわけか。なら、ますます歓迎したい。来年があるかもわからん部活だが、本当にいいんだな?」
「はい。入部を希望します」
「わかった。少し待ってろ」
そう言って衛徒は立ち上がると携帯電話を取り出し、少し離れたところで会話を始めた。
「もしもし。鹿島だ。状況は? 実は、入部希望の新一年が来てる。留学生で、競技空戦の経験があるらしい。搬入が終わったら相手をしてくれないか。ああ、軽く飛ばせてみようと思ってる。わかった。待たせておく」
電話を切った衛徒は再びソファに座る。
「今副部長に電話した。三〇分くらいでここに来れるらしい。女同士の方が話しやすいだろ」
「副部長は女性の方ですか」
「そうだ。今は格納庫で物資搬入の立会をしている。この後時間はあるんだろ?」
「はい。用事はありません」
「よし。ところで、トラビに拘る理由は何だ? もしかして、すぐレギュラーになれそうだからか?」
「いいえ。フォッケウルフが好きだからです」
レイアはよどみなく答えた。
想定していた質問だ。高校空戦で有名選手になりたいというのは本音だが、留学先にトラビ高校を選ぶ行為とは矛盾する。
かと言って本当の事は話せないので、別の理由を用意してある。
『Fw190』通称フォッケウルフはドイツ製戦闘機であるため、東独出身の私が好んでいても不自然ではないはずだ。
「なるほど。確かに、フォッケを主力として扱っているのはうちくらいだな。フォッケのどこが好きなんだ?」
「あげればキリがありませんが、大きな機首部から尾翼にかけて直線的に絞られていく形状がマッシブな印象で好みです」
「すると空冷派か。良かったな。うちの主力はA-8とF-8だ」
「故にトラビを選びました」
「A-8とF-8ならどちらがいいんだ?」
「マウザー四丁の重火力で敵機を解体するのは快感でしょうし、一トン爆弾で目標を吹き飛ばすのも心が躍るでしょう」
「おぉ。いや、同感だ。頑丈な点も財布に優しい」
使用する機体の事はさして重要ではない。聞くべきはこの部活の現状。それを知って初めて、今年一年で私がどうするべきなのか考える事ができる。
「入部するにあたり、私も現状を知っておきたく思います」
「何が知りたい」
「この空戦部は去年、一回戦や二回戦に勝っても次の試合を辞退していましたね。何故ですか?」
「金が無いからだ。機体の補充や修理には金がかかる。公式戦に勝てば賞金で賄えるが、負けたら自腹。そしてうちの部の予算は高校空戦界最低。だから、強豪校と当たったら辞退していた。先輩方が俺達のためにと、機体や部品を残してくれたんだ」
「予算が少ない原因は、東独からの支援が減っているからですか?」
「そうだ。東西ドイツの合併が決まってから西ドイツの支援はなくなり、東ドイツの支援も減少の一途だ。そして東独は今年で消えるから、支援もなくなる。それも空戦部が消滅する可能性が高い理由だ」
「空戦部はリッター学園とトラビ高校の取引材料にされています。存在価値を上げるため、予算を増やしてもらえないでしょうか」
「それは俺も期待した。だが、昨年と同額だった」
「今年度予算は決定済みですか……。決めたのは誰ですか?」
「生徒評議会だな」
「なら最終決定権を持つのは生徒会長ですね?」
「形式上はな。今の生徒会長は判子推しただけだろうが」
「生徒会長の名前はわかりますか?」
「藤巻イリスだ」
「顔はわかりますか?」
「選挙の時のポスターがある。書類の山から見つかったら後で渡してやるよ」
「その他に会長の情報はありませんか?」
「情報と言われてもな。見た目の話ではないんだろ」
「つまり……世間話に使えそうな情報です」
「藤巻は空戦部員だった事がある。一年で辞めたが。因みに元部員だからといって予算を増やしてはくれなかった」
レイアはコーヒーを口に含みつつ少し思案する。
「元部員という事は住所がわかるのではないですか?」
「引っ越してなければな」
「教えてください」
「……駄目だ。お前何か企んでるだろ。余計な事はするな。お前が生徒会長から怒りを買ったら空戦部が迷惑するんだぞ」
「わかりました。ではイリスという名前についてですが、ハーフですか?」
「ドイツ人ハーフだ」
「高校入学前の事はわかりますか?」
「一五の時留学してきたと言ってた」
「出身は?」
「何なんだよお前は! 生徒会長じゃなくて空戦部に興味を持てよ! 部員は何人いるかとか、聞く事あるだろ」
「すいません」
レイアが謝るのと同時に、部室のドアが開いた。
「せっかく入ってくれる一年生相手に何を凄んでいるの?」
入ってきたのは女子生徒。優し気な印象を受ける。
肩のあたりで二つに結んだ黒髪に黒い瞳。多分日本人だろう。
「ああ……少し盛り上がっただけだ。こいつが件の留学生。腕を見てやってくれ」
「わかったわ。初めまして。私は野崎綾音。副部長をしているわ」
「六原レイアです。よろしくお願いします」
「副部長兼会計兼参謀補佐兼ヤーボコーチな」
「……その情報今必要だったかしら」
「自己紹介は正確な方がいいだろ。ここ使うか?」
「いいえ。経験者というなら早速飛んでみましょう」
「自由にやってくれ」
「そう。じゃあ行きましょう」
レイアは衛徒に頭を下げると、玄関で靴を履いて外に出た。
「入部してくれてありがとう。今年は新入部員来ないんじゃないかって心配していたところなのよ」
「私の友人も入部予定です。今日は来ていませんが」
「それは嬉しいわね」
「野崎先輩は、その、兼務が多いですね」
「資金不足でコーチを雇うお金が無いのよ。あと収支もきちんと見ておかないと、廃部を待たずに破産なんてことになりかねないし。ごめんね、貧乏くさい話で」
おそらくデスクワークでも優秀なのだろう。そうでなければ会計と参謀補佐まで兼任となる理由が無い。
「わかって入部していますから」
「でも今年は悔いが無いように、皆が楽しめる空戦部にするつもりよ。そのために去年節約したの。大会は全部出るし、辞退もなるべくしないつもり」
「楽しみです」
「競技空戦の経験があると聞いたけど、何に乗っていたの?」
「フォッカーD・VIIです」
「私も乗った事があるわ。操縦しやすくて良い機体よね。ということは戦闘機志望かしら」
「一応は。しかし、チームとして必要であれば、他の役割でも参加します」
「気持ちは嬉しいけど、そもそもまともに飛べる人が足りてないから、好きな機体に乗っていいわよ。でもまずはこのBu181ね」
連れてこられたのは滑走路脇の格納庫だった。訓練用と思われる飛行機が何機か並んでいる。
主翼と胴体に描かれた、黒赤黄の方形と黄色のTはトラビの校籍標識だ。
空戦防具を着けたレイアは複座練習機の右座席に座り、エンジンを始動すると滑走路へ移動させ離陸。
そして左座席の綾音の指示に従い、いくつかの空戦機動を行った。
その後はFw190S-8に乗り換え、前部座席に座って綾音の指示通りに機体を飛ばす。
最後に射爆場へ訓練弾を撃ち込み、二人は部室へと戻った。
「どうだった?」
「凄いわこの娘! 基本はできてるし、二百メートル先からホーネッカーの肖像画に命中させたわよ!」
「それは凄いな。視力いくつだ」
「三・〇です」
「……会って初日の先輩に冗談言うタイプか」
「いえ、事実です」
「ドイツ人と日本人のハーフだよな。どっかの民族の血が入ってるとかではなく」
「はい。東独でも視力検査では驚かれました」
「そうか。ともかく、即戦力って認識で良いな」
「ええ。本人の希望通り、戦闘機隊に入れましょう。六原さん。入ってくれて本当にありがとう。レギュラー確定よ」
「ありがとうございます」
「しかも、六原さんの友達も入部予定で、同じくらい飛べるそうよ」
「そいつは幸先がいいな。二年どもの刺激になると良いが」
「それは六原さんの役目じゃないわ」
「そうだな。六原は野崎とメアドを交換しておけ。俺達も毎日来ているというわけではないから、練習したい日は野崎に連絡するんだ」
「そうね。前日までに連絡くれると嬉しいわ」
「ありがとうございます。次は友人も連れてきます」
「楽しみだわ」
綾音と携帯電話の連絡先を交換したレイアは、空戦防具を返して部室を去り、校舎へと向かった。
トラビ高校の空戦部が問題を抱えている事を想定はしていたが、人員不足の問題は非常に深刻だ。
野崎先輩はまともに飛べる人が足りてないと言っていた。
そんな状態で公式戦に出ても、数で勝る敵にひたすら追い回され、選手として注目されるどころの話ではない。
幸いなのは今の三年生の技量には期待できる点だ。
去年のトラビ高校は公式大会を一回戦ないし二回戦に勝ったところで辞退しているが、勝った試合は余裕があった。
冬の大会の三回戦のみ戦って負けているが、惨敗というほどではなかった。
勝算ありと判断したからこそ、辞退しなかったのだろう。
そして当時のレギュラーの半分は今の三年生。弱いという事はないはず。
となると、チーム力を手っ取り早く底上げする方法は、飛ぶ事はできる人材を大量に確保して頭数を揃え、優秀な三年生や、私が戦果を上げるための囮部隊を編制することだ。
予算が既に決まってしまっているという点も踏まえれば、新入部員を増やすことが私のできるチームへの貢献となるだろう。
玄関から校舎に入ったレイアは見取り図を確認。手袋をすると二階に上がり生徒会室のドアに手をかけるが、鍵が閉まっていた。
周囲には人がいないものの、校舎内では何度か生徒とすれ違った。
部活や自習で登校しているのかもしれない。
レイアは女子トイレの中の用具室に入る。
そして時折腕時計を見ながら陽が落ちるまで突っ立っていた。
日没から十数分。薄暮。
女子トイレから出たレイアは周囲に人の気配が無い事を確認し、生徒会室の前に移動すると、ドアの鍵に工具を突っ込んだ。
一般的なシリンダー錠。何度も練習してきた所作。
一分弱で解錠し、レイアは入室した。
周辺確認。先客、防犯カメラ無し。窓のカーテンは閉まっている。
机が五個。本棚が四個。キャビネットが一個。段ボール箱数個。
生徒会長の机を見つけたレイアは引き出しの鍵穴に工具を突っ込む。
狙いの一つとして生徒会の通帳、あるいは会計簿がある。
生徒会長である藤巻イリスはドイツ人ハーフの留学生。そしてトラビ高校にいるのだから出身は東ドイツの可能性が高い。
東独において権力者の汚職は仕事の基本だ。
ならば、藤巻イリスも生徒会長の権力を利用して汚職をしている可能性は十分にある。
ただ、通帳や会計簿を見つけても、それだけで汚職の証拠とする事は難しい。
照合先、例えば藤巻イリス個人の通帳が必要となる。
しかし、流石にそれは生徒会室に置いていないだろう。
また、贈賄が物品で行われていた場合、短期間での立証は不可能だ。
故に最大の狙いは藤巻イリスの個人情報。
住所、家族構成、親の名前などがわかれば、突破口になるかもしれない。
パスポート、身分証明書……あるわけない。東独にいる親からの手紙はないか。
探し始めて十数分。レイアは役立ちそうなものを見つけた。
生徒手帳。
学校に置きっぱなしにしていたのか。通常であれば大した代物ではないが、留学生の場合は……やはりあった。学歴証明書!
レイアの生徒手帳にも添付されているもので、日本の高校へ入学資格がある事の証明であり、主に学歴が記載されている。
しかし今重要なのは、保証人として親のサインが記入されている事だ。
名前からして父親。
苗字が違うのは、母親が複合姓で留学ビザ取得の際に母方の苗字を使ったからか?
巡回する警備員の足音が聞こえたのでレイアは作業を止め机の下にしゃがみ込む。
他に役立ちそうな情報は緊急連絡先。家の住所と電話番号が記載してある。
レイアは役立ちそうな頁を全て暗記すると、生徒手帳を机に戻し、鍵を開けたときと同じ要領で施錠する。
これ以上の長居は無用だ。
足音で警備員が三階に行った事を確認すると、レイアは生徒会室を出て、鍵穴に工具を突っ込み施錠。
一階の玄関に防犯カメラが無いのも確認済み。
玄関の鍵を解錠して外に出るが、施錠はしない。
単に警備員か用務員のミスと判断されるだけであり、一分弱その場に留まるリスクに見合わないからだ。
正面玄関を出た後は校舎の西側に向かい、塀の前で跳躍。よじ登る。
塀を乗り越えたレイアは夜闇に消えていった。
次回、レイア、ラーメン胡椒の蓋が外れ悶絶




