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19 希望の曇天

次回、レイア、回転寿司で黄赤黒の順で皿を取り続けご満悦

 年が明けた一月上旬の日曜。


 練習を中断したゲルプ隊四人は、昼休憩のため格納庫に入った。


 外は氷雨が降っており、手足の先が特に冷える。


 レイアは共産党宣言を手に取ると、火を点けて薪の入ったドラム缶の中に放り込んだ。


 紙が着火剤となって薪に火が燃え広がり、暖房としての機能を果たすようになる。


「この共産党宣言が最も役に立った瞬間ね」

「共産党宣言。入学の時に渡されましたが、読むようにさえ言われませんでしたね」

「東ドイツの消滅が決まってるのに読んだところで、だよね」

「私は東ドイツで読んだけど、表紙以外は必要ないわ」

「表紙は必要なんですか?」

「赤信号は停止。世界共通でしょ」

「ああそういう。元々は支配階級への反抗を意味する色でしたっけ」

「そうね。本当に反抗すると捕まるけど」

「私も東ドイツにいたころ読んだけど、よくわからなかった」

「湯雲さんはザクセン州の出身よね」

「そうだが」

「なら理解しているじゃない。社会主義はsiegen(勝利する)というスローガン。ザクセン語では社会主義はsiechen(衰える)と言うのでしょう? 正しいわ」

「ザクセン訛りを揶揄したジョークか?」

「そうね」

「……やっぱり笑えない」


 昼食は東大阪商店街から差し入れられた野菜を使ったアイントプフだ。


 四人が鍋を囲んで食べていると、テレビに高校空戦冬の大会のトーナメント表が表示された。


 解説者が一回戦の見どころを説明しているが、やはり注目は一回戦でいきなり当たる事になったトラビマイスターとライヒスリッターの対決だと述べていた。


 戦力的には互角と解説されていたが、レイアは全くそう思っていなかった。


「一回戦で当たるのは理想的だわ。合計出撃ポイントが少ないからK-4は出てこないでしょう。G-6なら散々練習した」

「負ける気がしないと父に伝えたら、会場にフォッケウルフの広告を出すと言っていた」

「例の新車ね。もう見た目がトラバントじゃないっていうか、あれ日本車のデザインをパク――」

「錨桜が反対側にいったのも僥倖だったな。大阪は一月より二月の方が降水確率が高いんだ」

「練習時間も稼げるしね」

「二回戦はビロード農工とフロンティアの勝った方。三回戦は、下馬評だとビクトリアですかね」

「どこが上がってこようがどうでもいい」

「確かに、その通り」

「今私達がやるべき事は他にある!」

「練習熱心なのはいいけど、ちゃんと食べないと身体が冷えるわ」

「私達は、互いを名前で呼び合うべきだと思う」

「……どういうこと?」

「二年生を見ていて思った。下の名前で呼び合うのは、仲が良さの現れではないかと」

「どうなんでしょうね。三年生は苗字呼びが大半ですよね」

「私は賛成だわ。名前で呼び合うのは、なんと言うか、普通っぽい!」

「私と樹里は偽りなく普通だ」

「まさに今のだよね。湯雲さんと西園さんは中学時代から仲が良いから下の名前で呼ぶ。私とレイアも同じ。全員下の名前で呼び合ってこそ、小隊の結束力が強まるんじゃないかな」

「勿論私も反対じゃありませんよ」

「全員の気持ちは同じというわけね」

「ただその、呼び捨てというのは、敬意に欠けるというか、私の腕は三人には到底及ばないので、対等でないというか」

「対等よ。作戦計画において鹿島先輩は私より貴方を頼っている。得意分野の違いよ」

「えーっと、つまりその、いきなりというのは」

「気恥ずかしい」

「はい、そうです! 私は昔から友達が少なく、エレン以外を下の名前で呼んだことがありません」

「それは私も同じだ」

「実は私もなのよ。親が政府高官だと、どうしても警戒されちゃって。ハンナくらいかしら」

「月城さんはどうですか?」

「日本に来てからはレイアだけ」

「まぁ二人は日本の中学校に通っていたわけではないですもんね」

「だから、日本の学校に通っていると私に実感させて」

「わかりました。では、レイア殿、ハンナ殿、でいきます」

「下の名前に殿を付けるのはどうなの? 日本語的におかしくはないんだっけ」

「わからないけど、呼び方を強制するのはおかしいから、それでいいんじゃない?」

「そうね。これからもよろしく、樹里」

「よろしくお願いします! レイア殿、ハンナ殿」

「私に殿は付かないのか?」

「……付けた方がいいでしょうか」

「いや、いらない」

「好きなように呼び合うのっていいね。トラビに入って本当に良かった」

「同感だけど、まだよ。空戦部を存続させなければならない」

「そうですね。となると、練習あるのみですか」

「スープも無くなったし、再開かしら」

「持ってきたパン食べるから待って。今日は冷えるからか、お腹すいちゃって」

「ハンナがそう言うんじゃないかと思って、母が作ったザウアーブラーテンを持ってきた。温めるから食べてみてくれ」


 そう言ってエレンは鞄から飯盒を取り出し、空になった鍋の代わりに分隊ストーブの上に乗せた。


「ありがとう。ところで私って食いしんぼだと思われてる?」

「うん」

「そっか……まぁ、うん。そうだよね」

「それは喫茶店料理の練習?」

「そうだ。どうせならザクセンの味を知ってほしいと、バターミルクを使ったらしい」

「でもお父さんはザクセンリンクジャパンを諦めてないのよね。保険ってこと?」

「いや、母は本気になっている。会社が存続した場合は、店名はフォッケウルフにするらしい」

「汎用性高いね」

「流石フォッケウルフ」


 それから一週間後の冬の大会一回戦。


 トラビ空戦部はライヒスリッター学園に勝利した。


 二回戦のビロード農工学校との試合結果は完勝と言ってよいものであり、準決勝の剣星高校にも危なげなく勝利。


 反対側のブロックでは実力と伝統の錨桜高校が対戦校を圧倒。


 三試合連続の一方的な試合結果で決勝進出を決めており、トラビ空戦部にとっては想定通りの展開となった。


 なお、今年度の公式戦総合優勝はこの時点で一一勝無敗の錨桜高校に決定。準優勝は八勝二敗のトラビマイスター高校に決定していた。


 そのためトラビ高校空戦部を存続させるべきと公に述べる評論家や解説者も現れており、世論に押されたライヒスリッター学園の理事会は遂に譲歩した。


 冬の大会で優勝した場合のみ、トラビ高校空戦部の存続を認める。


 負けた場合は予定通り廃部。交渉にも応じない。


 厳しい条件ではあったが、文句を言う者などトラビ空戦部にはいない。


 事の発端となった飛ばし記事から九ヶ月。ようやく明確な条件が提示されたのだ。


 あとは試合に勝つことだけに集中すればいい。


 レイアとしても、何らかの理由でトラビ空戦部の存続が決定すれば安心はできる。


 しかしそうなればチームの士気は激減し、決勝戦自体の勝ち目は無くなるため、両親と早期に合うためには姉の撃墜を狙う以外に無くなってしまう。


 存続した空戦部も、大人の事情で存続したというどこか穿った目で見られる事になるだろう。


 やはり、勝利してこそだ。


 勝利によって掴み取った成果のみに、堂々と誇る事ができる真の価値がある。


 決勝進出が決まった頃には、トラビ空戦部の誰もが、錨桜が相手でも勝ち目はあると考えているようだった。


 その自信の多くは夏以降の猛練習と冬の大会での快進撃に根ざすものであるだろう。


 しかしレイアは、大量の水を大気供給して雲を作り出して利用するという荒唐無稽な嘘が、チーム内で『この方法なら勝てる可能性がある』から『この方法ならきっと勝てる』に変わりつつあるのではないかと思っていた。


 水の大気供給が変えるのは、天気ではなくチームの意識だ。


 私は自分がついた嘘を、最後まで貫かねばならない。


 レイアの決意と集中力も、決勝戦が近付くにつれ研ぎ澄まされていった。


 決勝戦五日前。


 決勝戦の会場である若狭沖バトルフィールドに入場したトラビ空戦部は、機体の他、様々な機材の搬入を始めた。


 大量の水については、東大阪商店街の運送会社や町工場の社員に大型トラックで空戦部の格納庫まで来てもらい、貯水タンクを荷台に積んで東大阪商店街に戻り、様々な飲食店で給水して若狭沖バトルフィールドの格納庫まで輸送するという方法で運び込む。


 多額の水道代を東大阪商店街に負担してもらう事になるが、商店街の人達は快く承諾してくれた。


 大量の水が必要な理由は、空戦部員の飲食用、或いは新型戦闘機が大量の冷却水を消費するなどと説明していた。


 少し考えれば明らかにおかしい量の水が四日間かけて運び込まれており、疑問を呈する者もいるにはいたが、勝つ確率を上げるためと説明するだけで納得してくれた。


 今や東大阪商店街関係者の殆どがトラビ高校空戦部の応援団に所属しており、冬の大会決勝戦をある種の祭りの様に捉え、熱狂状態にあった。


 そして試合前日の夜、トラビ空戦部は四日間かけて運び込んだ水の大気供給を開始した。


 発電機でポンプを動かして細かい水滴を噴霧し、格納庫の中から熱風を当てて気化させる。


 水滴の量が多過ぎると格納庫の前に水溜まりができてしまうので、水滴の噴霧量は目視で調節する。


 これを使用可能な全ての格納庫で行っていた。


 作業の要である発電機の冷却水温度と潤滑油温度をレイア達が確認していると、格納庫に持ち込んだテレビからスポーツニュースの音が聞こえてきた。


「遂に明日に迫りました高校空戦冬の大会決勝戦。純然たる空中戦の頂点を決める戦いとして例年注目されていますが、今年はトラビ高校空戦部の存亡がかかっており、例年以上に関心を集めています」

「明日は公平な立場で解説致しますが、トラビ高校を応援したい気持ちもあります。今年のトラビ高校は強いですね。夏から急激に伸びました。何度やり直しても今年の決勝はトラビ対錨桜になるでしょう」

「そのトラビ高校は錨桜に勝った場合のみ空戦部の存続が認められます」

「本当に意味がわかりませんね。錨桜高校も迷惑でしょう」

「実際に取材した記者によりますと、部長の藤金選手から、大鳥監督の葬儀で忙しい。うちは関係ない。迷惑。と言われたそうです」

「藤金選手はよく対応しましたね。私なら二◯ミリ二号銃で追い返しています」

「監督のご逝去により錨桜側の生徒にも精神的な乱れが生じている可能性もあります」

「そんな生やさしいチームじゃないですよ。大鳥氏の遺言が『不精に亘る勿かりしか』ですからね。微塵の乱れも無いでしょう」

「となるとやはり錨桜有利と」

「優位なのは間違いありません。しかし、絶対ではなくなったと思います」

「トラビの勝ち目もあるわけですね」

「明日は天気が崩れるとの予報ですので、神風が吹く、かもしれません。勿論、悪天候で試合が延期にならない事を願っています」


 発電機の各温度は静定状態となった。配管の状態やポンプの負荷にも異常は無い。


 このまま一晩連続運転する事に問題は無いだろう。


「調子はどうだ」


 夕食から戻ってきた衛徒がレイアに話しかける。


「良くないですね。水の気化速度が想定より遅いです」

「理由は?」

「気温が低く、空気中の水蒸気量が多いからだと思います」

「だろうな。予報じゃ明日は雨か雪だ。ひとまず試合前の賭けには勝ったな」

「後は午前中から降ってくれれば最高ですね」

「これ続けるのか。ここにある水なんて自然にとっちゃ大海の一滴だろ」

「明日早朝にタンクを回収しに来てもらいますが、タンクは空と伝えています。勿論余裕は見てくれるでしょうが、あまりに水が残っていると積み残しが出ます」

「計画に説得力を持たせるはずの水が、却って邪魔になるとはな」

「それに今更、水の大気供給には意味が無いなどと、私の口からは言えません」

「俺だって言えねぇわ。何とか全部気化させるしかないか」

「こんな時のために持ち込んだ電熱線をタンクの中に突っ込んでいます。今ミスト発生器から出ている水はお湯です。ただ、ポンプの保証水温が六〇℃なので、ハンナに監視してもらっています」

「わかった。監視を代わる。お前ら飯食ってこい」

「ありがとうございます」


 夕食をとり終えたレイア達は再び格納庫に戻ったが、各機器の運転状態に異常は無かった。


 明日の試合に出場するメンバーは十分な休息をとる必要があるため、ここからは決勝戦に出ない一年生達に交代で機器を監視してもらう事になった。


 夜の間に異常発生の連絡が入る事も無く、レイア達は十分な睡眠を取る事ができた。


 決勝戦当日の早朝。起床したレイアとハンナは格納庫に行って状況を確認する。


 全てのタンクが空になっていた。


 これならばタンク回収に手間取る事はないだろう。


 レイアは格納庫の中で発電機やポンプを監視していた一年生達に労いの言葉をかける。


「皆お疲れ様。ここからは私達がやるから、貴方達はホテルに戻って試合まで休んでて」


 試合に出ない彼らの命運まで私達は握っている。


 そう思うと一気に脳が覚醒した。


 停止した発電機からガソリンを抜いていると、試合に出る選手達が格納庫にやってきた。


 分担して設備を解体し、陽が昇ってしばらくした頃にやってきたトラックに順次積み込んで搬出。


 時刻は午前八時を回ったが、薄暗い。


 灰色の雲が空を覆っているからだ。


 加えて非常に寒く、天気予報は昼前から降雪と伝えていた。


 ただ、地上からだと雲の厚さや高度がわからない。


 午前八時からは飛行可能なので、トラビ空戦部は四機のDo217を離陸させた。


 うち三機の爆弾倉は空であり、乗り込んだ各小隊長が雲の上の様子を確認するために飛んでいる。


 しかし、うち一機は爆弾倉に作戦の要となる物質を搭載していた。


 最後の仕上げだ。


 Do217の爆弾倉が開くと、粉末状のドライアイスが下方の雲に向かって落下していく。


 これで雲の成長をより促せたはずだ。


 滑走路に戻るため四機のDo217が高度を落としていると、三機の一式陸上輸送機が姿を現した。


 彼らもまた雲とその上の状況を確認に来たのだろう。


 着陸したDo217を格納庫に戻すと、トラビ空戦部員達は試合に使う戦闘機を格納庫から出し始めた。


 顔に冷たい感覚を覚えたレイアは頭上を見上げる。


 曇天からは雪が降り始めていた。

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