死にたがりアライアンス
すっぽんぽんで布団に入るというのは変な感じがする。裸族ではないので、なんだか罪の意識みたいなものがある。ただ布団に入るだけでもそうなのに、それが他人の布団となると、その感覚はなおさら強い。でも、その他人というのが紘だから、もう少し入っていてもいいかと思う。普段紘が寝ているわけで、においを嗅いだりしてしまう。
その紘は、すっぽんぽんではないが、パンツ一丁で布団のわきに座っていた。あぐらをかいて、ゲームのコントローラーを触っている。その丸い背中がなんとなく私は気に入った。布団から起き上がると、うしろから抱きついて、大してない胸をわざとのように押しつける。我ながらなかなかあざとい。
「なにしてんの?」と聞いた。
「Bボタンが硬い。長年の手汗かな」
「ねえ、布団入ったら? 寒いでしょ」
「うん」
と言ったが、動こうとはしない。男というのは一度白いものを出すと脳みその温度が二度下がると聞いたことがある。つまり私に興味なしである。さっきはおっぱい揉んだくせに。
布団に入ってさっきのことを考える。紘が私にこすりつけて、私がいつものようにマグロをやって、特に甘い言葉も交わし合わずに、そのくせ別に悪くもなく、そして早漏らしい紘がわりにすぐに静かになって、ティッシュで拭いて、ゴムを片付ける。それからいつものように紘がごめんと言って、私もいつものようにこっちこそと言った。お互いに、早いことを謝ったのでも、貧乳なことを謝ったのでもない、と思う。たぶんお互いに何を謝ったのかわかっていない。でも謝る必要がどうしてもあって、そういうとき、紘の顔は本当に死にたそうになっている。たぶん私も大差ない。
死にたいから寝ている。こう言うとかなり聞こえが悪い。逃げているように聞こえる。投げやりに聞こえる。短絡的な脳が、快楽を求めて、自分を大事にせず、色情狂よろしく、乱れている気がする。私は、それは違うと、言いたいけれど、うまく言えない。でもこの関係が汚いと言われると(誰にも言われたことはないし、そもそも知っている人がいないが)、むっとする。なんだかわからないが、間違っていないと言いたくなる。子供っぽいだろうか。
「死にたいね」と私が言った。
「うん」と紘が言った。それから布団に入ってきた。
紘はなぜ最後までやらないのだろう。責任を持ちたくないからか、それともそれが責任の持ち方なのか。わからないけれど、私たちはペッティング以上のペッティングをして、あと一歩のところまでいっている、それでいて付き合ってもいない、好きだと言ったことも聞いたこともない、ただの友達だ。セフレだ。してないけど。
布団の中でもぞもぞする。目が合って、くすくすした。Bボタンは、後戻りするためのボタン。硬いまま、誰も押さない。
何度も肌を触れ合って、私たち、やっぱりただの友達だ。
×
捨てられる準備はできている。
そもそも私は紘のものではないので、捨てられるという言葉が該当するかわからないが、それでも、たとえばある日、紘が「日向には飽きた」と言って、それまで散々私の肌を使ったくせに、それがぱたりと止んで、スマホにメッセージが返ってこなくなっても、それでいい。諦めてしまえば楽だ。自分がばかだったと思って済むならそれでいい。自分を大事に? ご冗談。こんなもの大事にしてなんになる。
そう思っているのに、紘からのメッセージは今日も来た。
『まだ先だけど、ゴールデンウィークどこか行かない?』
なんでこんなことを送ってくるのだろう、と考えつつも、友達なら別に普通か、とも思う。自分たちで関係に変なものを挟んだせいで、普通がなんなのかよくわからない。
『行ってもいい。行かなくてもいい』
我ながら意味不明な返信をする。そもそも文面で愛嬌を出すのが苦手だ。手紙ならいいのにと思う。手紙の時代に生まれたかった。それならまだ堅くていい。骨格標本みたいな文章でいい。語尾が伸びなくていい。エクスクラメーションもいらない。笑もいらない。スマホで書くと、自分の文章が、仏頂面をしている。私にお似合いではある。
『行ってもいいなら、ショッピングモールとか』
『いいよ』
『怒ってる?』
やっぱり聞かれる。慣れている紘でも聞いてくる。
『怒る理由がありません。むしろ怒ってると聞かれることに怒る』
それへの返信は早かった。
『笑』
笑われてしまったのか、笑ってくれたのか。
スマホを置いて、ベッドに寝転がる。十秒後、またスマホを手に取った。
『紘にとって私はなに?』
と書いたのはメッセージアプリではない。私が日記代わりにしているメモ帳だ。すぐに消した。こんなことを気にしている自分が嫌だ。消えたくなる。うっかりすると、悪いものに呑み込まれそうだから、スマホを捨てて、一階に降りて、ポン吉を撫で回した。ポン吉は舌を出してにたにたしていた。
部屋に戻ってスマホを見ると、メッセージが来ている。大槻からだ。
『ブルグルが新曲MV上げてるの、いまさら気がついた』
彼女は独り言みたいな内容をよく送ってくる。
『あそ』と返す。
『相変わらずの塩対応、ごっつぁんです!』
どんなに無愛想でも構ってくれるので、私としては嬉しかったりする。そのMVを見て、話に乗ってあげられるようにしておこうと、怠惰な私が思うくらいだから、彼女の存在は大きい。
曲はやっぱりそれほど私好みではなかった。歌詞だって平凡だ。なんてことない。でもこのバンドは、紘も好んで聴くらしい。だから情報を横流しする。
『ブルグル、新曲MV上げたって』
既読も返信も間もなくだった。
『もう見た。ロードムービー的でよかった』
そこに立て続けにメッセージが来たと思ったら、大槻からだ。
『ロードムービー感あってめちゃよかった。視聴必須』
この二人は好みが本当によく合うのだ。たぶんこの二人がくっつけば、私なんかが近くにいるよりはるかに収まりがいいだろうと思う。それなのに二人は学校で話しているのを見たことがないくらいだ。もったいない気がする。今度それとなくくっつけてみようかと考えた。
自分から捨てられにいく。負け犬根性が、少し寂しい。
×
「日向って常田くんと仲良いの?」
突然聞かれて、口から心臓が出るかと思ったけれど、体はちゃんとそうならないようにできていて、ただ胸の高いところでどくどくしただけだった。大槻は核心をつくとき、急に来る。わざとというより、天性のものらしい。
「常田って誰だっけ」と逃げの一手。クラスメイトを把握していない薄情女になってしまった。
「ごまかすなごまかすな」と何か知っているふうである。「私、見ちゃったんだなー。日向と常田くんが並んで歩いてるところ。しかも夜だった。エロい!」
突っ込んでほしそうな「エロい!」だった。エロいことなんてあると思ってませんよというのが言外に伝わってきたけれど、たぶん見られたその日も私はおっぱいを揉まれている。紘はなんだかんだ送ってくれるのだ。夜だったということは、紘のおばあちゃんに晩御飯までご馳走になった日に違いない。唐揚げおいしかった。
「あの日は……偶然会って」
「偶然会って並んで歩くかなあ。会話続かなくない?」
もう全部ぶちまけちまおうかとも思った。一年のときからセフレでやりまくりで、会ったら必ずお互いの声を「死にたいね」という波長で揺らして、そのくせたぶんお互い処女と童貞で、そのすべてたぶん勇気が足りないせいで、そういうこと引っくるめてぶちまけようかと思ったけれど、それでもなお大槻が友達でいてくれるかわからなくて、結局。
「常田くんもブルグル好きらしいから、その話したの」
「えっ、ほんと? すごいなブルグル。私がファンをしてるだけのことある」
「常田くんは薔薇の騎兵隊が好きらしい」
「まじで? 私もだ」
「話してみたら? 案外趣味合うかもしれないし」
我ながら変なアシストをしている。でも正しいアシストでもあると思う。大槻には幸せになってほしいし、紘はちょっと死にたがりだけれどそれができるやさしさがある、ような気がするし、それで紘がたとえば死にたさをすっかり忘れてしまって、ぽやぽやあっとした笑顔を咲かせるようになったら、それはいいことだ。私たちは死にたさを二つ並べておくから、いつも二人とも、互いに「ごめんな」という顔をしているのかもしれない。でもそんなのは、忘れられるなら忘れたほうがいい。
「ちょっくらちょっかいかけてくるか」
大槻がそう言って紘の席に向かった。何を話しているのか、遠いし、聞こえるわけはないのだけれど、紘が珍しく慣れない相手にもすらすら話しているのが見えて、それはたぶん私には引き出せない何かで、悔しいのか、嬉しいのかわからなくて、わからない中に、変な苦味があった。いや紘、君、私の前ですらぽつぽつとしか話さないじゃん。なんで大槻にはそんなに流暢なんだ。立板に水かけてんじゃねえ。そういう内なる叫びは無視しておく。そんな叫びがあること自体、自分を大事にしすぎていて、自分にとっては気持ち悪い。私は自分を大事にしない。そう決めている。それで守ってきた。何をかはわからないけど守ってきた。壊れやすいいちばん柔らかな部分を守ってきた。
でもなんとなく胸がひんやりして、その日の紘のメッセージは全部未読無視した。そしたらそのうちスマホは静かになった。いまごろ大槻とやり取りしてるんだろうか。
久しぶりに『死にたいノート』を開けた。ひたすら死にたいと書いて写経の代わりとする。結局私たちの繋がりはこの四文字からしか生まれなかった。紘が私と最後のところで繋がらないわけがわかった気がした。
×
河川敷の夢を見た。
紘と出会ったのは、もちろん学校なのだけれど、本当に二人が出会った気がしたのはその河川敷だった。紘はそこでノートを開けて、サインペンでひたすら死にたいを書いていた。それを偶然のぞき見た私は、「うわあ、痛いやつ」と思いながら、気づいたら話しかけていた。
「なんで死にたいの?」と私は聞いた。
「わからない。でも、普通に暮らしてるときにふと、視界に墨が下りてきて、ああ、自分は死にたいんだな、と思う。友達と馬鹿笑いして、涙が出そうで、幸せで、やっと静かになって、そのあと、ああ、死にたい。ばあちゃんがお小遣いをくれて、好きなもの買っておいでって言って、頭にいろんな買いたいものが浮かんで、無意味にスキップしたりして、止まって、あっ、死にたい。そうなる」
「私も。似たようなもんだよ。死にたさに理由っていらないよね」
セフレになったのはそれよりずっとあとだけど、なるべくしてなった気もする。たぶん私たちが男同士とか女同士でもなったんじゃないか。そんな気がした。
週末、私は紘の家に行った。来てしまった、と思った。何しに来たんだろう。おばあちゃんのいない時間、いつもならするする中に入って、ゲームでもして、映画でも見て、二人の肩が近くにあって、なんとなくそっちに流れていくのだけど、今日は違うぞ、と思った。今日は決別だ。すぱん、と切ってしまう。同じ量の死にたさを分け合って、量は変わらないのに分け合ったぶん、軽くなった気がするあのごまかしは、もうやらない。
そう思って来たのに、気がついたらキスをしていた。私は紘を押しのけた。紘が「なに?」という顔をする。なにじゃない。すぱんだ。すぱんと、切る。
「もうやめよ」ついに言った。「こんなの、考えてみれば汚らわしい」
言いたいことと、かなり違った。汚いなんて、思ったことはない。もし汚くても、いちばんきれいな汚さだった、私の中では。でも紘は、いつかそう言われるんじゃないかと思ってました、みたいな目をして、うなずいた。そうだね、と紘が言いそうで、私は手のひらで紘の口を塞いだ。そのまま押し倒して、私が上になった。私が上に乗るのはなかったことだ。新しい景色だった。全部紘任せだったと、わかった。
紘の頬が急に濡れた。ほんとに一瞬わからなかった。私が泣いていたのだ。気づくと涙がぼろぼろと、ブドウくらいの大きさで落ちて、紘の顔が濡れていく。
「日向……?」
「ねえ紘、いまも死にたい?」
紘は変な顔をした。当然だ。どっちを答えても間違いになるような聞き方を私がしていたのだ。紘の手が伸びてくる。私の涙が、紘の指に拭われた。
「日向」紘が落ち着いた声で言った。
「なに?」
「いまさらかもしれないんだけど」
「うん」
「僕たち、付き合わない? というか、付き合おう」
私は答えがはっきりしすぎていて、かえって答えにくかった。だから泣いた。紘は頭を撫でて、意味のわからない「ごめん」を一つ言った。意味はわからないけど、その思いはわかった、気がする。
×
不思議なことが起こった。付き合いだして以来、私たちに体の関係がなくなったのだ。そして相変わらず、「死にたいね」と言ったら「そうだね」と返す日々が始まった。つまり死にたさは何も変わっていないのである。じゃあ何が変わったのだろう。付き合うってなんだ。わからない。
でもだんだん、これでいいという気もしてきた。紘に心境の変化があったのかもしれないけれど、相変わらずぽつぽつとやさしいことを言うし、遊びに行ったら、手を繋いできたりする。愛か。なんだか恥ずかしい。おっぱい揉まれても恥ずかしくなかったのに。
紘の部屋もエッチをしないなら普通の部屋だ。二人並んで愚にもつかない恋愛映画を見ながら、ちょっと肩に寄りかかってみた。紘が頭を乗せてきた。聞いてみよう、と思った。
「ねえ紘」
「ん?」
「まだ死にたい?」
紘が手を握ってきた。でも全然、そういう雰囲気のあれではない。むしろ友愛だった。どんな形でも、もう友達ではないのに。
紘がやさしい声で答える。
「死にたいよ」
「そっかそっか」
この返しで喜んでいる私という人間がわからなくなった。でも結局、それは思い出を大切にするごく当たり前のカップルと同じなのだ。海で出会ったからいつまでも海を見にいく二人がいるように、死にたさで出会った私たちは死にたくあり続ける。それを遠ざけて、私たちは初めから生きていたかったんですよという顔はできない。
私はなぜか笑っていた。そしたら紘もくすくすした。死にたいと言っても励まされないことの安心を、私たちは知っている。私たちはこれからも、何もかも諦めてしまいながら、ほどよくやっていくのだろう。この世界のどんな部分でさえ、私たちには必要ないのだし。それに、いまの死にたさは、こんなにも温かいのだし。




