マグネシウムが燃えた
とある油絵の大家が亡くなって、その人となりを遺影とともに記事にしようという記者は山ほどいたが、大家の娘さんがその中から選び抜いた記者は、まだ学生にすぎなかった私たちだった。
「父は外では立派な紳士として通っていましたけど、うちでは気分が不安定な癇癪持ちでしたの」
娘さんは大画家の悪評を、まるでその好敵手になったように喋り倒した。そしてそれをいちいち証明するように、彼の古いアトリエには割れた花瓶だの切り刻まれたカンバスだのが見つかるのだった。私はまたそれをいちいち写真機で撮影し、明るすぎるマグネシウムの光をアトリエの窓から漏らした。
いつしか、取材メモを取る学友が姿を消し、アトリエには私と娘さんだけになった。
「あなたはなぜ父親の恥とも言える部分をべらべら喋るの?」
私は少し抗議の意味を込めてそう問うた。私はこの大画家のことをこのごろ好きになりかけていたところだったから、彼を貶めるようなこの娘さんにかすかな敵意を持ったのだ。
「父は真実を描く画家だった。だから私も真実を話すの。遺伝よ」
「だからって……」
「ちゃんと記事にしてくださいね。これは私の復讐なんですから」
その邸宅をあとにして五分ばかり歩いたとき、私は急に忘れ物をしたことに気づいた。しかし何を忘れたのかはわからなかった。あのアトリエに戻れば、それがわかるという気がした。
学友はそんな私を見てにやにやした。それからからかうように、
「お前は性格の悪い女のほうが好きだもんな」
などと言った。私はその意味をわからないふりをした。
アトリエに戻ると、私が忘れたのはカメラの替えのフィルムだったとわかった。
「私を口説きに戻ってきたのかと思った」
娘さんはそう言った。私はどうもそんなふうに見られるところがあるらしい。
「そうだ。これも撮ってくださる?」
娘さんはそう言うと突然ボタンになったワンピースの前を解き始めた。私は目を背けるべき義務も忘れてまっすぐ見ていた。そのボタンはへそのところまでが外された。娘さんはあちらを向き、季節を迎えた花が開くように、袖を抜いて上半身をあらわにした。
その背中には、すでに治っているのにやけに生々しい、大きな火傷の痕があった。
「それは……」私は尋ねるような、ただ心理的に引いているだけのような、どっちつかずの声を出した。
「これも父の作品の一つです。六歳のころに熱湯をかけられて。私は父の作品を背負って生きていかなければならない。だから父に復讐できるのは私だけ」
まもなく、マグネシウムが燃えた。
大画家の人となりを示す記事は、学生新聞の垣根を越えて広まり、絵画の世界にちょっとした論争を巻き起こした。あの大画家の描く光のやさしさは真実か否かという論争だった。しかし私たちはその論争にちっとも関心がなく、また次の取材対象を探し始めていた。
「そういえばお前、なんで娘さんの背中を記事に載せさせなかったんだ?」
学友が思い出したように言った。そしてやはりにやにやした。
「そんなんじゃない」私は先手を打って否定した。「生々しすぎるからやめたんだ」
「その写真はいまどこに?」
私は学友をさらににやにやさせるだろうと知りながら、その写真の行方についてはっきりとしたことが言えなかった。その写真は私の日記帳に貼ってあった。しかし実際、なんの偽りもなく、それは私にとって恋人の背中なんかではなく、ある画家が残した魂の苦悩についての一枚絵だと感じていた。
その写真のすぐ下には、『復讐』という文字が作品のタイトルであるかのように書きつけてある。




