EP 5
親父系貴公子と、武の激突(勘違い)
屋台の前に現れたのは、仕立ての良いスーツをヨレヨレに着崩し、目の下に真っ黒なクマを作った男だった。
「……あァ? なんだこの屋台。美味そうな匂いさせやがって。おい店主、ビールはあるか?」
気怠げにタバコの紫煙を吐き出す男。ワイズ皇国における魔族穏健派のトップにして、過労死寸前の側近ルーベンスである。
しかし、リアンが返答するよりも早く、ルーベンスの目が屋台の横をトボトボと歩いていた『公式ライブTシャツ姿の女』を捉えた。
「――見つけたぜ。この限界オタクのクソババアが」
「ひっ!?」
ルーベンスは音もなくラスティアの背後に回り込むと、そのTシャツの襟首をガシッと掴み上げた。
「る、ルーベンス!? なぜお前がここに! 決裁書類はどうした!」
「お前が放り投げたせいで、俺が徹夜でハンコ押してきたんだよ!! なあラスティア様よォ、国家金庫をスッカラカンにして、何が『聖地巡礼』だ。俺の胃袋に穴を開けて殺す気かァ!?」
ルーベンスから放たれる、純度100%の『殺意(過労とストレス)』。
それは先ほどの魔王の覇気よりも遥かにドス黒く、禍々しい闇属性のオーラとなって、フェス会場の空気をビリビリと震わせた。
だが、このポポロ村でそんな物騒なオーラを撒き散らせば、即座に『アレ』が飛んでくる。
「ちょっと、そこの目の下にクマ作ってるおじさん。うちの村のお祭りで、お客さんに何してるのかな?」
タンッ、と。
ルーベンスの背後に、ウサギ耳の少女が軽やかに着地した。
村長キャルルである。彼女は両手に愛用のダブルトンファーを構え、ウサギ耳をピーンと逆立てていた。
「あァ? なんだこの獣人は」
「私はこの村の村長、キャルルだよ。うちのリアン君の屋台の前で暴れるなら、容赦しないよ」
ルーベンスは面倒くさそうに首をポキポキと鳴らし、ギロリとキャルルを睨みつけた。
「俺は今、世界で一番イライラしてんだ。……邪魔すんなら、ミンチにして串焼きの具材にするぞ、ウサギ」
ルーベンスの足元の影がドロリと蠢き、そこから鋭い棘が無数に生えた漆黒の『魔鞭』が姿を現した。触れただけで肉を削ぎ落とす、えげつない拷問武器である。
それを見たキャルルも、「ふーん。星になりたいなら、特別に特等席(宇宙)を用意してあげる!」と、装甲車を一撃で粉砕する『流星脚』の構えをとる。
最強の魔族側近 VS 最強のウサギ耳村長。
一触即発。フェス会場のど真ん中で、村が一つ消し飛ぶレベルの武力が激突しようとした、まさにその時。
ドンッ!! と。
殺気立つ二人の間に、冷たい水滴をまとった特大の木樽ジョッキと、肉汁が滴る極厚の『シープピッグ串』が突き出された。
「店の前で埃を立てるな。他の客の迷惑だ」
「あ?」
冷ややかな声と共にそれを提供したのは、無表情で鉄板の前に立つリアンだった。
「……殺気立ってるようだが、あんた、相当胃が荒れてるな。目の下のクマがうちの弟にそっくりだ。とりあえず、これを腹に入れてから落ち着け。おっさん」
「……誰がおっさんだ」
ルーベンスは不機嫌そうに舌打ちをしたが、目の前に突き出されたエールビールの冷気と、焦がしニンニク醤油の暴力的な香りに、ゴクリと喉を鳴らした。
彼は魔鞭をスッと影に仕舞い込むと、携帯灰皿(魔導具)にタバコを捨て、木樽ジョッキをひったくって豪快に煽った。
「…………ッ!!」
ゴクゴクゴクッ! プハァッ!!
よく冷えたエールビールが、徹夜明けの乾ききった喉と荒れた胃袋に、まるで砂漠のオアシスのように染み渡っていく。
さらに、分厚いシープピッグ串に荒々しくかぶりつく。
ジュワァァァァッ。
噛み締めた瞬間、濃厚な脂の甘みと、ガツンと効いたニンニクの刺激、そして焦げた醤油の香ばしさが口の中で大爆発を起こした。
「……兄ちゃん」
ルーベンスの顔から険しい表情がスゥーッと消え去り、代わりに「気の良い近所の親父」のような、だらしない笑顔が浮かんだ。
「分かってんじゃねえか。徹夜明けの体に、このニンニクと脂……そしてキンキンに冷えたビール。最高にキマるぜ」
「そうだろ。……うちのタレは特製だからな」
串焼きを肴にビールを煽るルーベンス。それに合わせてリアンも「お疲れさん」と自分用の麦茶を傾ける。
先ほどまでの殺伐とした空気が嘘のように、二人の間には『男の友情(親父モード)』のような謎の絆が芽生え始めていた。
「おい! なんだその美味そうな串と酒は! 私にもよこせルーベンス!!」
襟首を掴まれたままの魔王ラスティアが、ジタバタと暴れながらヨダレを垂らす。
「お前はダメだ。抱き枕カバーが欲しけりゃ、最後尾から並び直せって言われたんだろ。ほら、二時間待ちの列の最後尾はあっちだ」
「そんな殺生なああああっ!!」
ルーベンスに蹴り飛ばされ、涙目になりながら長蛇の列の最後尾へと走っていく魔王。
奇跡的にフェス会場での戦闘は回避され、リアンの屋台は再び大盛況の波へと飲み込まれていった。
しかし、彼らはまだ気づいていなかった。
この圧倒的な匂いと熱気に満ちたグルメフェスの裏側で、真の『絶望』が静かに這い寄っていることに。




