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最後の依頼

 日本に帰ってから一ヶ月。良治は一人で新幹線の中にいた。

 色々と大変だった。警察への報告、職場と療育園への連絡、近所の人達への挨拶に、マスコミへの対応。ちなみに、良治側の実家へは何も連絡していない。

 とにかく目まぐるしい日々だった。初日こそ、夫婦共に諸事情による腰痛でゆっくり休んだが、それ以降は休む暇もないという表現がぴったりだった。当然、洸太の世話も入ってくるため、寝るとき以外は常に何かしら動いているような状況だった。

 それがようやく落ち着いた頃、良治は異世界での約束を果たすため、一人で遠出したいと由美に相談したのだった。それを聞いた由美は『久しぶりにワンオペ洸太を堪能したい』と快く送り出してくれた。

 目的地近くの駅に着き、新幹線を降りる。そこからさらに在来線を乗り継ぎ、目的地に着いた時には、既に正午目前だった。

「うおおお……お……!か、体が……!」

 体を伸ばすと、あちこちからバキボキと音が聞こえる。浮揚馬車三日間よりは楽だとはいえ、さすがに数時間電車に揺られ続けるのは中年の体に堪える。

 地図アプリを起動し、住所を確認する。駅からバスで10分らしいが、そのバスが30分ほど来ないようだった。

 仕方なく、地図を頼りに歩きだす。歩くことそのものは、異世界ですっかり慣れているため、20キロ程度なら休まず歩くことができるようになっていた。

 急ぐこともないため、良治はゆっくりと町中を歩く。さすがに平日であるため、あまり人影は多くない。良治も本来なら仕事だったはずだが、会社の方が色々と気を使ってくれて、出社は来月からとなっている。

 みんなが仕事をしてる中、自分だけ休みなのは最高だな、などと思いつつ歩いていると、程なく目的地が見えてきた。

 そこは、何の変哲もない一軒家。表札には『佐々木』と出ている。

 良治は一度、ネクタイを直した。色々悩んだ結果、服装はスーツである。見ず知らずの私服の人間よりは、スーツの方がまだ警戒されないだろうという判断である。

 インターホンを押す。ややあって、がちゃりと音が聞こえた。

「はい、どちらさまでしょう?」

 疲れた感じの声だった。良治は軽く深呼吸をすると、努めて明るく声を出した。

「初めまして。わたくし、宮田と申しますが――」

「すみませんが、間に合ってます」

 完全にセールスお断りモードだった。通話を切られる前にと、良治は慌てて言葉を繋ぐ。

「いやっ、セールスじゃないんです!その、伸行さんのことでお話がありまして!」

 その名前を出した瞬間、明らかにインターホンの向こうの警戒度が上がった。

「……うちにはそんな者はおりませんが」

 これは下手したら警察呼ばれるだろうなと考え、少し悩んだ後、早めに切り札を切ることにした。

「97年の夏、自転車で坂道を飛ばして、止まり切れずに車に撥ねられて亡くなったんですよね。その日のお弁当は、とんかつだったはずですが、合ってますか?」}

 返事はなく、しばらく沈黙が続いた。

「ええと……母ちゃん、俺、伸行だけどさ!俺、この人に伝言頼んでて、話だけでもきいてくれねえかな!?……と、こんな話し方ですよね?」

 ガチャッと、通話が切れる音が響いた。

 さすがに不審人物すぎたかと、次の接触の方法を考えていると、家のドアが開いた。

「……詳しく、聞かせてもらえますか?」

「あ、はい。お邪魔しますね」

 家の中に通されると、そこは昭和とまではいかないまでも、平成中期で時が止まっているようだった。

 元々の作りが古い上に、リビングではブラウン管テレビが現役である。そしてその近くに、笑顔の高校生の遺影が飾ってあった。

「……あの子が死んでから、ほとんどの物はそのままなんです」

 良治の視線に気づいたのか、伸行の母が口を開いた。

「女手一つで、高校まで育てて……大きくなって、生意気な口きくようになって、いきなり……いなくなって……」

 勧められるままに椅子に座ると、伸行の母も腰を下ろした。

「……宮田、なんて友達は、あの子の周りにはいませんでした。だけど、さっきの喋り方は、本当にあの子そっくりで……あなたは、一体――」

 その時、付けたままのテレビからテテン、という効果音と共に、白々しいほど明るい声が聞こえてきた。

『さあ、今週の話題は、こちら!一年半も行方不明だった父子が突然の帰還!現代の神隠しと言われた、宮田 良治さんと洸太君が、先月いきなり帰ってきたということです!本人の話では、違う世界にいた、などと述べているそうなんですが、これについては――』

 プツンと、伸行の母がテレビを消した。だがその前に、顔写真付きで紹介された宮田 良治の顔と、目の前の宮田と名乗る男の顔はしっかり見比べていた。

 しばらく、どちらも口を開かなかった。が、先に伸行の母が、微笑を浮かべつつ尋ねた。

「……あの世にでも、行ってらしたの?」

「や、いわゆるあの世ではないんですが……この世でもないですね。あっちの世、とでも言いますか」

 もはや隠す必要もないかと、良治はスマートホンをテーブルの上に出した。

「そこで、私は伸行さんの生まれ変わりと会いました。そして、彼からのメッセージを預かっています」

「メッセージ……?」

「では失礼しまして」

 動画フォルダの記録を少し遡り、目的の動画を探し出すと、画面を軽くタップする。すると、画面から慌てた男の声が響いた。

『ちょっ、待ぁ!?え、マジで始めてます!?』

『始めてます。充電切れる前にどうぞ』

『宮田さん強引だってよく言われないッスか!?』

 画面の中のノブユキは、頬骨の辺りをカリカリと掻きつつ、一つ一つの言葉を探すようにして話し出した。

『あ~、えっと、母ちゃん?あの、ごめんな、先に死んで……えーと、その……とんかつも、食えなくって、ごめん。あれ、前の日に俺がとんかつ食いてーって言ったから、作ってくれたんだよな?あれ食えなかったの……マジ、一番心残りかも』

 伸行の母は口元に手を当て、画面を食い入るように見つめている。

「これ、は……伸行です……!本当に……!」

「やっぱり、わかりますか?」

「あの子、困るとこうやって、頬骨のところ搔くんです……!あの癖、そのまんま……!」

 画面の中のノブユキは、視線をうろうろ彷徨わせつつ、言葉を繋ぐ。

『あの、さ。ほんとに、感謝してる。母ちゃん、結構わがままだってさせてくれたし……ほんとは、俺も……その……返し、たかったよ。でも、ほんと……ごめん。散々迷惑かけて、最後に特大の親不孝しちまって……』

「迷惑なわけ、ないでしょ……!この、馬鹿息子……!」

 零れる涙を拭いもせず、伸行の母は画面を見つめている。

『ええっと……そ、そうそう!俺さ、結構こっちでは楽しくやってるんだよ!ほら、ここってRPGみたいな剣と魔法の世界でさ!正直、魔法はあんまり得意じゃないけど、剣とか槍とかはめっちゃ使えるし!あ、でも危ないとか言われそうだな……まあいいや、とにかく元気にやってるんだ!で、その、何が言いたいかって言うと……うん、その、謝るだけじゃなくって、ありがとうって、言いたかったんだ。俺のこと、育ててくれて、優しくしてくれて、叱ってくれて……生んでくれて、ありがとうって、さ……そ、それで!俺はこっちで、元気でやってるからさ!俺のことは忘れて……いや、ちょっと覚えててほしいかな?まあ一年に一回くらい思い出してくれれば、それでいいや!だからさ……母ちゃんも、母ちゃんの人生を、ちゃんと生きてほしいんだ。たぶん、あれだろ?どうせ俺の部屋とかそのままだろ?俺わかってんだ』

「生意気言ってんじゃないわよ、この馬鹿息子……!」

『……たぶん、生意気言うな、この馬鹿息子、とか思っただろ』

 ピクッと、伸行の母の頬がひきつった。

「はっら立つわ、この阿呆息子……!」

『んまあ、馬鹿でも阿呆でもいいんだけどさ、とにかく、先に死んでごめん。俺を育ててくれて、ありがとう。そんで、母ちゃんの人生を、ちゃんと生きてほしい。馬鹿息子からの、最後のお願いだと思って、叶えてくれたら、嬉しいな。じゃあ、これで……バイバイ、母ちゃん』

 それから数秒、手持無沙汰な様子のノブユキが映っていた。

『……で、テイクツーやります?」

『いやいやいやいやいや!宮田さんが一発撮りって言いましたよね!?こんなん一回でいいッス!十分ッス!』

『すみません、やりたそうな顔してたのでつい』

『どんな顔ッスか!?してませんからね!?』

 そして、二人の笑い声と共に、動画は終わった。

 静寂が満ちるリビングの中、伸行の母は何とも言えない顔で座っていた。悲しめばいいのか、怒ればいいのか、それともいっそ笑えばいいのか、判断がつかないようだった。

 たっぷり五分ほど経ってから、伸行の母は口を開いた。

「……宮田さん、ありがとうございました。おかげで、息子の元気な顔が、また見られました」

 そう言って頭を下げると、伸行の母は良治の目をまっすぐ見つめた。

「それで、その……不躾ながら、お願いがありまして……聞いていただけますか?」

「私にできることであれば」

 良治が頷くと、伸行の母は席を立ち、一枚の写真を持ってきた。それは小学校の運動会の写真で、金メダルを見せる、恐らくは伸行の姿と、肩を組んで銅メダルを見せる誰かの姿があった。

「この子は、伸行の幼馴染で……康弘(やすひろ)君といいます。実は、伸行が死ぬ前日……康弘君と遅くまで遊んで、夜更かしをしたんです。それで、起きるのが遅くなって、大急ぎで学校に向かって……車に撥ねられたんです。彼は、ずっと泣いて、謝ってきました。『伸行が死んだのは俺のせいです』って……あの子は今も、それを引きずってるんです」

「ああ、名前は聞きました。五百円貸しっぱなしだったとも」

「本当にあの子は、しょうもないことばっかり覚えてるのね」

 呆れたように笑ってから、伸行の母は真面目な顔で良治を見つめた。

「あなたの、伸行の真似はそっくりでした。声の感じも、かなり似てましたから……」

「なるほど。では、『リョウジ』として、依頼をお受けしましょう。つきましては、少々ご協力いただけますか?」

 こうして、二人の作戦会議は一時間ほどで終わり、良治は銀貨一枚ならぬ、百円玉一枚を受け取ると、佐々木家を後にするのだった。


 木下 康弘は、いつも通りの日常を送っていた。

 何の変哲もない、大部分の日本人が送るのとまったく同じ日常である。

 しかし、そんな日常であるからこそ、ふっと考えてしまうことがある。

――伸行が生きてたら、あいつは何してたんだろう。

 帰らなきゃ、という親友を何度も引き止め、夜遅くまで付き合わせた。そして翌日、寝坊して遅刻しそうになった親友は、車に撥ねられて死んだ。

 自分が殺したようなものだと、ずっと思っていた。そんな自分が幸せになる資格はないと思い、ずっと他人を遠ざける人生を送ってきた。

 昼休みがもうすぐ終わる。また仕事かと思っていた時、ポケットの中の携帯が震えた。

 画面を見ると『公衆電話』の文字。非通知だけじゃなくて、公衆電話も着信拒否しようと思いつつ、それでも何となく電話に出た。

「はい、木下で――」

『おう康弘!?すげえな、マジでお前も携帯持ってんのかよ!」

 その喋り方に、心臓がドクンと跳ねる。

「なっ……の、伸――!」

「あ、悪り!百円分しか喋れねえから一気にいくな!俺な、今別の世界で楽しくやってんだ!生まれ変わりってやつ!だから、お前が俺殺したとか、訳わかんねえこと考えんなよ!?俺が馬鹿やっただけだから!お前彼女とかいる!?いない!?まあどっちでもいいや!お前が楽しくやってりゃ!」

「た、楽しくなんか、やれるわけがっ――!」

「あとそうそう!お前、俺の香典、ちゃんと五百円分増やしたよな!?増やしてなかったら、今度母ちゃんに届けといて!あとお前のベルば――!」

 そこで早くも時間が来たらしく、通話は突然途切れた。最後の『ベルば』とは一体何か考え、やがて呆れたように呟く。

「ベル番か……ポケベルなんか、残ってるわけないだろ……!」

 ぽたりと、涙が零れる。それは後から後から溢れ、床に黒い染みを作っていく。

「えっ!?き、木下部長!?どうしたんですか!?大丈夫ですか!?」

「お、おい、誰か救急車……救急車か!?いいや、とりあえず呼んで来い!」

 周囲の心配の声も、まったく耳に入らなかった。ただ、さっきの電話の声だけが耳に残っている。

 別の世界にいるという彼が、一体どうやって電話をかけてきたのかは知らない。だが、あの話し方は間違いなく、親友の伸行だった。

 一言も責めなかった。それどころか、こちらの心配までされた。返せなかった五百円のことまでしっかり覚えていた。

 想いはすべて涙となり、零れていく。それと共に、自分の中で凍り付いていた時間も、溶けていくのを感じていた。

 彼の言葉を、無駄にするわけにはいかない。もう、心配させるわけにはいかない。もう、かつていなくなった親友のことで思い悩むのは、終わりにしなければならない。

 だが、25年ぶりに聞いた親友の声の懐かしさと、長い呪縛から解き放たれた安堵に、もう少し浸っていたかった。

 そうして、彼は本当に呼ばれた救急車が到着するまで、その場で泣き続けるのだった。


 通話時間の切れた公衆電話から離れると、良治はホッと息をついた。

 異世界での講習でもたまに披露しており、好評を博してはいたが、ここまで重大な用件に物真似を使ったのは初めてである。聞いた感じでは、うまく騙し通せたようだった。

「ともあれ……これで、異世界関連は全部終わりかな」

 約束は果たし、追加の依頼も終えた。あとは、また元の生活に戻るだけだ。

 とはいっても、それが意外と難しいのだ。物がない時、うっかり洸太のスキルに頼ろうとしたり、必要のない場面でも洸太の手を取ろうとしたり、そもそも人の気配などに敏感になり過ぎており、家の近くを誰かが通るだけでも警戒してしまうのだ。

 だが、これもやがては消えていくのだろう。異世界に慣れたように、いつかはこちらの世界にも元通りに慣れていくはずだった。もっとも、習慣こそ消えても、異世界での記憶はどう頑張っても消せそうにはないが。

 良治はスマートホンを取り出し、妻にすべて終わったとメッセージを送る。すると、すぐに通知音が鳴り、洸太のゲームに付き合わされている写真が送られてきた。とはいえ、由美の顔は心底楽しそうであり、可及的速やかに戻らなければいけない様子でもない。

 おおよその帰宅時間を知らせ、スマートホンをポケットに戻す。そして空を見上げ、懐からそれと同じ色をした大きな鱗を取り出す。

「……もう、『リョウジ』として依頼を受けるのも、終わりだね」

 静かに呟き、ドラゴンの鱗を懐に戻す。そして、良治はゆっくりと歩き始めた。


 異世界に突然現れ、様々な偉業を成し遂げた英雄は、駅の中へと消えていく。その姿は行き交う人々の中に混じり合い、あっという間に見えなくなっていくのだった。

以上で完結となります。

途中で二度もPCが壊れた時はどうなるかと思いましたが、無事に終わることができました。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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