非日常から日常へ
いつものパートの帰り。いつもの家路。いつもの夕焼け。
この一年半の間に、すっかり当たり前となったいつもの光景だった。
由美の両手には買い物袋があり、その中身はスナック菓子詰め合わせである。今日は面倒な客に当たったため、自分へのご褒美として千円分ほど買い込んだ。あとは家に帰って、映画でも見つつ貪るかと楽しみにしていたのだが、家のドアに手をかけた瞬間、動きが止まった。
――何か……いる?
家の中から、音が聞こえるような気がする。よくよく耳をすませば、話し声も聞こえる気がする。
由美は買い物袋をその場に落とし、ドアノブを回した。すると、掛けていたはずの鍵は開いており、中にはやはり人の気配がある。
音もなく玄関に滑り込み、傘立てから一番尖った傘を引き抜く。そして、リビングのドアに手をかけた瞬間。
「……あ、もしかして由美さん?帰ってきた?」
懐かしい声が聞こえた。
「……え?え!?」
由美は傘を放り出し、リビングのドアを開けた。
「おかった」
「おかえり……あ、いや、ただいま……かな?」
何でもないようにそこに立っていたのは、一年半前に行方不明になった夫と息子だった。
「う、うそ……!?良治、さん……洸太……!?」
良治は困ったような笑顔を浮かべ、洸太から手を放す。
「ごめん、遅くなって。でも、何とか……約束、果たせたよ」
良治が言い終える前に、由美は彼の胸に飛び込んでいた。記憶にあった胸よりずいぶん逞しくなっていたが、それは間違いようもない夫の胸だった。
「……いっ……今、までっ……ど、どこに……!しん……ぱい、したん……だからっ……!」
「……ごめん。ちょっと、色々あってさ」
良治の胸に、由美の涙がしみ込んでいく。それでも、二人は構わずに抱き合っていた。
遡ること十数分前。
元の世界に帰ることを諦め、コウタだけを帰そうとするリョウジに、衛兵の隊長が叫んだ。
「おい!その子の肩を掴め!早く!」
「えっ……そ、そんなことしたら、この子まで……!」
「思い出せ!あんた、この世界に来た時、どうやって来たって言ってた!?」
その言葉で、ディランも気づいた。
「そうか!お前のスキルは『自分の世界で起きること』は普通にできるんだったな!?つまり、お前一人では無理でも、『その子と一緒に世界を渡る』ってのは、できるはずだよな!?」
「っ!?」
もう、コウタの全身が扉の向こうに行きかけている。リョウジは大慌てでその手を掴むと、引かれるままに扉へと向かう。
するりと、扉の向こうまで体が動いた。先程は明確に弾かれたはずの扉の中へ、それが当然であるかのように、リョウジの体は元の世界の側へと動いた。
「帰……れる、んだ……俺も……!」
また、家に帰れる。また、妻に会える。まだ、息子の成長を見ることができる。
一度は、完全に諦めた道だった。しかし、彼等のおかげで、今こうして自分は元の世界に戻ることができた。
再び涙が浮かびかけ、しかしそれを拭うと、リョウジは皆の方へ振り返った。
「……皆さん、本当にありがとうござ――」
「だり」
『早く閉めろ』と言わんばかりに呟くと、洸太は容赦なく扉を閉めた。
「洸太ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
良治は慌てて扉を開けるが、そこは見慣れた自宅の外でしかなかった。たった今まであったはずの、トリアの町はどこにもなく、眼前にはただただ夕暮れの日本の街並みが広がっていた。
「洸太は……ああもう……!まあ、しょうがないか……」
言いたい言葉はまだあったし、もっとしっかりお礼の言葉も伝えたかった。しかし、繋がりか完全に断たれてしまった今、それは叶わぬ願いだった。
帰ることのできた嬉しさより、今生の別れにおいて不義理を働いてしまったような気まずさを良治が感じている中、洸太は久しぶりの自宅にご満悦だった。
「あーりよ、おいよ。げっか」
「ん?ゲームしたいの?その前にちょっと、お着換えしよっか。いつまでも異世界風ファッションでいるわけにもいかないでしょ」
もはや終わってしまったことは仕方がないと、良治もようやく切り替える。そして、荷物の整理などを始めたところで、玄関に続くドアの向こうから人の気配を感じ、良治は妻の名を呼ぶのだった。
「洸太、洸太……!大きくなったねえ……!」
由美は目元に涙を浮かべつつ、洸太の頭を優しく撫でる。洸太は無言でその手を振り払い、いつもゲーム機が置いてあった場所を漁っている。
「うん、間違いなく洸太だこれ……良治さん、大変だったでしょ?」
「うん、めっちゃ。死ぬほど大変だったし、何度か死にかけたし」
「だろうね。で?そのコスプレは何?」
良治と洸太の服装を眺め、由美はそう尋ねた。
「あと、それ……モーニングスターも。本物?」
「フレイルらしいよこれ。もちろん本物」
「何、異世界召喚でもされたの?」
冗談めかして尋ねる由美に、良治は優しい笑顔を向けた。
「そうだよ……って言ったら、どうする?」
「詳しく聞く」
「だよね」
良治は楽しげに笑い、長らく世話になったシルバーシープのマントを外し、向こうの世界で購入した服を脱いだ。
「あ、一応……ステータス、オープン」
思い出したように言うも、当然のごとく何も起こらない。それに満足げに頷くと、良治は日本の服に着替え、久しぶりの自宅のソファに腰を下ろした。
「とりあえず、しばら~くは話すネタに困らないよ。一夜ごとに一日分の話でもしていく?」
「千夜一夜の真似だったら、半分ぐらいにしかならないけど?」
由美は冷蔵庫から缶ビールと濁り酒を取り出し、プシュッといい音を立てつつ、濁り酒を良治に渡した。
「なら、一夜ごとに半日分の話を……」
「偶数の日は睡眠報告になるんじゃないの?」
「さすがに半日寝てることはなかったよ」
グラスを持ってくるのも面倒になり、良治は濁り酒の瓶にそのまま口をつける。そのままごくりごくりと二度喉を鳴らすと、瓶から口を離し、大きく息をついた。
「……とりあえず、今日は思いっきり飲んでもいいかな?」
「私は元々、そのつもりだけど?」
良治と由美は笑顔を交わし、改めて缶と瓶をぶつけあった。そして再び飲もうとしたところで、洸太がゲーム機を持って歩いてきた。
「とた、あいっあー」
「ん、どうした?ああ、充電がね……じゃあこれ、充電器差して……ああダメダメ、外したら動かなく……待って、待ってって」
「だりよ!おいあー!だり!」
「あー、懐かしいなこの感じ。はいはい洸太、お母さんがやってあげるから、ちょっとお父さん解放してあげて、ね?」
「だり!だりぁ!おぉああぁぁぁ!!!」
「これ、このまま不機嫌日付変わるまでコースかな……」
「そんな気がする……久しぶりだから堪えそうだわぁ……」
少なくとも、今日はあんまり飲めなそうだなと、良治も由美も一年半ぶりのささやかな宴会は諦めることにした。
だが、焦る必要もない。今日が駄目なら、明日にすればいいのだ。明日が駄目でも、最悪一週間も待てばチャンスはある。
もう、良治はS級冒険者のリョウジではないし、洸太はワールドマスターのコウタではない。
たった一人で子供の世話に追われることもないし、四六時中スキルに目を光らせることもない。
普通とは言えなくとも、ちょっと変わった家族という日常に戻った彼等には、時間はたっぷりある。
宮田家の日常は、この先もずっと続いていくのだから。
あとエピローグ2話で完結です




