帰りたい 帰れない 帰ってほしくない 帰したい
「私は人を好きになる資格がないかもしれません……」
ギルドマスターの部屋に入るなり、アイシャは暗い声で言った。
「いきなりどうした。もう一日休むか?」
「だって、私……この状況が、ずっと続けばいいって思っちゃうんですよ……リョウジさんは、ずっと元の世界に帰るために頑張ってきて……その手段がなくなって……なのに、私、それが嬉しいって思っちゃうんです……」
言いながら、アイシャは応接セットに勝手に座り、そのまま机に突っ伏した。
「いやまあ、そりゃ……俺だって正直、このままあいつがいてくれりゃいいと思ってるぞ」
仕方ないので、ギルドマスター自らお茶を淹れると、それを受付嬢の前にそっと置く。
「て言うより、正直あいつに帰ってほしいって思ってる奴いねえんじゃねえか?」
「だからこそなんですよー!せめて私だけでも、帰る手段を見つけること応援したり、手伝ったりしなきゃいけないのに……う、うぅ……帰って、ほしくないんですよぅ……」
そんなアイシャにかける言葉が見つからず、ディランは軽く息をついて正面に座った。
「いっそこの町に永住してほしいです……そのままずっと、ギルドの職員として暮らしたいです……」
「そうして欲しい気持ちは一緒だが……ただ、一応言っとくぞ?」
ディランは真面目な顔で、アイシャの目をまっすぐに見つめた。
「それ、間違っても絶っっっ対に本人に言うなよ?」
「うっ……そ、それは、まあ、その……私も、命は惜しいですから……」
本人の危険性はさておき、彼の知識と技能は、もはやこの町にとってなくてはならないものとなっていた。
学校での教師としての活躍はもちろんのこと、先日作ったベアリングなどは革命的と言っても良いほどの技術だった。球や円筒を作らなければならない都合上、多少の技術は必要だが、それでも転がり抵抗が今までの半分以下となり、ただの荷馬車が貴族の物にも劣らないほどの乗り心地となった。しかも馬への負担も減り、さらには緩衝器まで併用することで、国全体で物流の速度が上がることが見込まれている。
あまり大きな声では言えない分野である拷問に関しても、彼の知識は豊富であり、費用も労力もかなり抑えた、それでいて苦痛は十分に見込める技術も知ることができた。
それに関連して、医学分野も大きく発展した。傷の自然治癒に関しては、これまであまり研究されて来なかったのだが、その具体的なメカニズムがわかったことで、ポーション類の効果を底上げ、あるいは特化させることができそうだった。
「正直……あいつを帰すのは、損失でしかねえ。けど、あいつは帰るために頑張ってきたわけで……はぁ、ままならねえよなあ」
ディランは席を立つと、窓から学校を見つめた。今もリョウジは、あそこで教鞭をとっている。
「あいつが、そう簡単に諦めるとも思えねえが……やれやれ、どうしたもんだかな……」
講師としての慌ただしい一日が終わり、リョウジは宿屋に帰ってきていた。
色々練習した結果、最近はスキルを個人に向けて発動することができるようになり、コウタが全然違う場所にいてもワールドマスターが発動してしまうことはなくなった。すると、孤児院の子供やギルドの職員などがコウタの相手をしてくれるようになってきており、コウタは昼間存分に遊んだ後、睡眠薬を飲む前に寝てしまうこともあるようになっていた。
この日も、そういった『ボーナスの日』であり、リョウジはコウタをベッドに寝かせ、自身は机にノートを広げていた。
その中には、実現可能そうな日本の技術がびっしりと書き込まれていた。乗り物に関しても、三輪車や自転車、自動車にモーターボート、飛行機に飛行船など、あらゆる物が書かれており、そのメカニズムについてもわかる範囲で説明書きが付いていた。
「そういえば、船に関してはどこまでの物があるのか、聞いてなかったなぁ……パドルシップくらいはあんのかな?」
そう呟きつつ、後部外輪、側部外輪、そしてスクリューについての図解と説明を書きこむ。
実のところ、リョウジは元の世界に帰ることを、半ば諦めつつあった。
一年にわたる旅の中で、元の世界に戻れる可能性があったのは、イヴァンのスキルだけだったのだ。他はドラゴンであろうと、エルダーリッチであろうと、元の世界に帰すことはできないと言われている。
そして、イヴァンのスキルは、もうなくなっている。
となれば、もう世界を渡る術はなく、あったとしても、それを見つけるまでに、何十年かかるかわかったものではない。
だからこそ、リョウジは知っている技術を隠さないことに決めたのだ。
それらが実現すれば、この世界でも暮らしやすさは格段に上がるだろう。そして、その技術を教えた自分の地位も安泰である。もっとも、そもそもが現役S級冒険者であり、最古のドラゴンの討伐者であり、他にも数多くの功績があるため、少なくとも富に関しては心配ないのだが。
「……でも、なあ」
リョウジはペンを止め、ノートを畳む。そして、安らかに眠っているコウタの顔をじっと見つめた。
この世界が、果たして息子にとって良い世界なのか。
何でも自由に好き勝手出来ることを考えれば、いっそ理想郷かもしれない。だが、恐らくはかつて似たような者が現れ、それが今はいないとなると、きっと無敵の存在ではない。こうした睡眠時などの不意打ちを受ければ、死の危険だって有り得る。
なら、きっとこの世界は、息子にとって良い世界ではない。
ならば、何とかして息子だけでも、元の世界に帰すことはできないだろうか。
最近は、ずっとそればかりだった。自分は無理だったとしても、せめて息子だけ元の世界に帰せないか。それぐらいであれば、何かしらの手段があるのではないか。
「……」
リョウジはじっと、コウタを見つめる。
実のところ、彼の中には一つだけ、試してみたい案があった。むしろそれは、この世界に召喚された直後からずっと考えていたものであり、可能性の上で考えるのならば、最も高いと言えるものでもある。
だが、何をどう考えても、どうしても問題がある。
その問題を押してでも、この案を取るべきなのかどうか。それが、最近の悩みだった。
しかし、最近はその意思も固まりつつあった。
コウタのような子供は、この世界では特に異質の存在である。こういった子供が生きられる環境は一つもなく、もしも自分が死んだら、最悪の場合、コウタ討伐依頼が出される可能性もあるのだ。いや、可能性どころか、まず確実にそうなるだろう。
であれば、少なくともコウタは、この世界に留まるべき存在ではない。ならば、何としてでも元の世界に帰してやらねばならない。
「……由美さん、ごめん……もしかしたら、約束、守れないかも……」
誰にともなく呟くと、リョウジは大きく大きく息をついた。
そして、その翌日。グルーガの店へと、何やら設計図を持って向かうのだった。




