再びの講師
ワールドルーラー事件から一ヶ月が経った。
舞台となったゼーストの町は平穏を取り戻し、既に日常が戻ってきている。元々、イヴァンは豪華な屋敷以外にほとんど興味を示さず、犠牲になったのも衛兵とオウリス侯爵の騎士などが大半であったため、住民自体にはほとんど被害がなかったことも一因である。
一方のトリアの町は平和そのものであり、完全に町の名物となった冒険者の初心者講習も大盛況である。
「たとえば……『ギルドマスターに、ウェーバーさんは似ている』と『ギルドマスターと、ウェーバーさんは似ている』とでは、どのような違いがあるかわかりますか?意味するところはほとんど一緒ですが、本当に細かいところが違う、というところがわかれば、まずは大丈夫です。では、その違いですが――」
リョウジは現在、初心者講習の講師として働いていた。ほぼ伝説と化している、現役S級冒険者の講習ということで、さらなる生徒の増加が起きたのは言うまでもない。
本当に初心者向けの講習は、既に体制が確立できている。しかし、それ以上の教育となると、手も知識も足りない。特に、初心者講習を受けて学ぶ楽しさに目覚めた者が一定数おり、そういった者達からさらなる高度な学習を求める声が上がっていたのだが、ただでさえ手一杯なところにそんな講習を増やすことができるわけもなく、そういった者達の声はずっと放置されてきたのだが、ここにリョウジが入ることでそういった声に応えることができるようになった。
もはや講習は、冒険者向けというものを完全に逸脱しており、講習を受けているものは冒険者の卵以外にも、商人の卵や研究者の卵など、様々な卵が集うようになっている。それを受けて、トリアの町長もついに動き、冒険者ギルドの建物が増築され、増築分は学校として使われることとなった。
これまでは私塾のようなものだったが、町の支援を受けた学校になったということで、料金体制なども見直された。
元々が冒険者の講習だったということで、リョウジ達が受けた部分までは無料、ただし講習が終わった後に、大銀貨一枚分までギルドの依頼を受けることになっている。
そしてそれ以上の教育や知識を求める場合は、それに見合った金額となっており、現在リョウジが担当している言語学ともなると、金貨3枚もの費用が掛かる。しかし、それでも生徒数は思った以上におり、これにはリョウジも驚いたものだった。もっとも数に驚いていたのはリョウジだけで、むしろ周囲は一部の研究者しか対応できないような学問を、わずか金貨3枚という格安の料金で教えてもらえることに驚いていた。
そのリョウジは、冒険者としての活動は、あれ以来一切行っていない。何しろ、続ける理由がなくなったのだ。
元々が、元の世界に戻るため、召喚した者を探し続けていたのだ。しかし、その召喚者はこちらを戻す気もなく、その能力も今は失われた。であれば、危険を冒す理由など一つもないのだ。
一方で、講師としては大歓迎されている。この世界の者に比べ、広く深い知識を持ち、冒険者としても大成功を収めたものとあっては、人気が出ないわけが無い。であれば、ますます危険を冒す理由がなくなる。
「――では、ここで少し休憩しましょう。もし質問などあれば……はい、そちらの方」
「すみません、今回の講習とは関係ない話題でもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ」
「では、リョウジ先生に質問なのですが……私は、魔力が多い方です。ですが、魔法そのものは使うのが非常に苦手で、基本的なものしか使えないんです。一体どうすれば、強い魔法が使えるようになるんでしょうか?」
その質問に、リョウジは苦笑いを浮かべた。
「え~、魔力もなく魔法も使えず、相手のそれも封じる私には難しい質問ですが……」
そう前置きした上で、リョウジは言葉を続ける。
「そもそも、『強い魔法』とはどのようなものでしょうか?範囲が広い、破壊力が大きい、速度が速い、発動が早い……あるいはこれらを総合したものか。魔力そのものは多い、しかしそれらが出せないというのであれば、樽の大きさに対して口が小さすぎる、というところでしょうか?」
「た、樽?」
「はい。魔力が樽に入っていると考えましょう。あなたの樽には他の人の倍ほど魔力が入る。しかし、小指の先程度の穴しかないせいで、それをうまく放出できないのではないでしょうか。であれば、穴を広げるか、勢いよく噴き出させるか、そのどちらかで解決できないでしょうか?もっとも、私自身が魔力無いので、この理論が正しいかは未知数ですが……よかったら、魔法の研究をしているマギウスさんという方を紹介しましょうか?町が非常に遠いのと、ご本人が人間じゃなくてエルダーリッチなのが大丈夫であれば、ですけど」
わからないことであっても、わからないと切り捨てるのではなく、自身の知識の範囲で答えてくれる誠実さは、確実にリョウジの講習の人気を高めていた。しかし何より、さらりと国難級の魔物の名前が出てきて、しかもそれを紹介するなどという爆弾発言が出るところは、リョウジの講習が人気な一番の理由である。そして、S級というのはまともに見えても、どこかしらがおかしいんだなと、聞いている全員が頭の中で納得するのだった。
「ほれ、今日の給料だ」
「ありがとうございます。でも、もっと少なくても大丈夫ですよ?」
「いや、これでも頭おかしいレベルだからな?学者クラスの知識持った、現役のS級に講師やらせてこの程度とか、普通は命の危機だからな?」
その日の夕方、講習をすべて終えたリョウジはギルドマスターの部屋にいた。一日の報酬は大銀貨2枚であり、かつての十倍である。宿泊代と食費がギルドもちであるところは変わっていない。
「まあ……もう、必要もありませんからね」
「……そうか」
「おぅた。おいおぅった。あいんえりえりあ、とあと」
「トマトね……今日はトマト系で何か探そうか」
まったく空気を読まないコウタは、空気が重くなった時の救世主である。心の中で、ディランはコウタに手を合わせていた。
一般人に影響が出るため、治外法権スキルを町全体に広げるようなことはしていないが、盗聴防止なども兼ねて学校全体程度は覆っており、その中で遊んでもらっているため、以前のように完全にワンオペ育児という状態ではなくなり、その点はリョウジも多少の余裕を感じていた。
「んで、確か明日は講習休みだったよな?グルーガと馬車作るんだったか?」
「正確には、馬車の車軸ですね。浮揚馬車があるんで、どこまで需要があるかはわかりませんが、転がり抵抗を極限まで抑えた車軸を作ってみようかと」
「あれはあれで、かなり繊細な乗りもんだからなぁ。維持費と製作費が抑えられるんなら、需要は確実にあるぞ」
「それは期待できそうです。では、ついでに緩衝器も色々試してみましょうか」
「とあと」
「トマトね、ちょっと待ってね。一応、いい物ができたら報告させてもらいますので、技術献上……でしたっけ?するのであれば、そこは自由で――」
「……とあとっ!」
「わかったわかった、待てなくなったのね。ではマスター、私はこれで失礼します」
コウタを宥めて抱き上げ、リョウジは笑顔で頭を下げる。
だが、部屋を出る寸前。コウタを見つめるその顔に、ふと寂しげな表情が浮かんだのを、ディランはじっと見つめていた。




