第29話 時の欠片
数日後、準備が整った。
「......これで、あっちに行けるのか」
俺は、ドロテアが作り上げた、奇妙な道具を見つめた。
糸で編まれた、小さな輪。
その中心に、白い粉を練り込んだ、硝子の珠が埋め込まれている。
「うん。天の魔王様の力、借りない」
ドロテアは、はっきりと言った。
「......借りないのか」
「借りられない、が正しい」
彼女は、輪を、俺の手のひらに乗せた。
「あの人、気まぐれ。都合よく、何度も分身、出してくれるわけない」
「......だよな」
天の魔王が、こっちの都合になんて、付き合ってくれるはずがなかった。
あいつは、あくまで、気分で動く。
「だから、別のやり方、考えた」
「......別の?」
「あの人が、前に、分身たちを『見せた』。あれ、無から出したわけじゃない」
ドロテアは、指先で、輪をなぞった。
「あの人は、ただ、隠れてたものを、見えるようにしただけ」
「......見えるように?」
「あの分身たち、たぶん、ずっと、あの場所に、いた」
その言葉に、背筋が、冷たくなった。
「......ずっと?」
「終わった時間軸の、行き場のない魂。あそこに、溜まってる」
ドロテアは、淡々と、そう言った。
「私たちの扉なら、あの人に頼らなくても、たぶん、あそこに行ける」
俺は、しばらく、何も言えなかった。
......あいつら、ずっと、あそこにいるのか。
行き場もなく。
終わることも、できずに。
「......分かった。行こう」
俺たちは、あの日と同じ、いびつな裂け目を、もう一度開いた。
灰色の靄。
見上げるほどの、玉座。
でも、今日は――誰も、こちらを見ていなかった。
天の魔王の気配は、遠く、静かなままだった。
靄の中に、あの日と同じ、無数の人影が、ぼんやりと浮かんでいる。
「......おい」
俺が声をかけると、近くにいた一人が、こちらを向いた。
見覚えのある、傷だらけの顔。
「......また来たのか」
「頼みがある」
俺は、正直に、事情を話した。
一時的に、身体を貸してほしいこと。
その時間軸の記憶を、覗きたいこと。
でも――それが、どういう意味を持つのか、ドロテアが、代わりに説明した。
「これをやると、あんたの魂、ここから、解放される」
「......解放?」
「終われる。ずっと、ここにいなくて、いい」
その言葉に、傷だらけの男は、しばらく、黙り込んだ。
「......終わるって。消えるってことか」
「たぶん」
「......戻ってこれないんだよな」
「うん」
ドロテアは、はっきりと、頷いた。
「無理にとは、言わない」
男は、しばらく、俺の顔を見つめていた。
自分と同じ顔を。
「......なあ」
「なんだよ」
「お前の時間軸、まだ、何も決まってないんだよな」
「......ああ」
「なら、俺の記憶、使ってくれ」
男は、静かに、そう言った。
「......いいのか」
「正直、飽きてたんだ。ここに、いつまでもいるの」
男は、乾いた笑いを、こぼした。
「終われるなら、それでいい。お前が、ちゃんと、あいつを助けられるなら」
「......ありがとう」
「礼はいい」
男は、ドロテアのほうを見た。
「......で、どうすればいい」
「その輪、握って」
ドロテアが、手のひらの輪を差し出した。
男は、迷わず、それを握った。
「あとは、私が繋ぐ」
ドロテアは、輪に触れ、静かに、目を閉じた。
――ビシリ。
空気が、微かに震えた。
輪の中の、白い珠が、淡く光り始める。
「......始まるよ」
ドロテアの声に、緊張が滲んでいた。
俺は、頷き、男の手に、自分の手を重ねた。
「――じゃあな」
男が、最後に、そう言った。
その顔は、驚くほど、穏やかだった。
光が、二人の手を包み込む。
視界が、白く、染まっていく。
一瞬、男の輪郭が、薄くなった。
まるで、重ねていた紙が、一枚だけ、そっと剥がれ落ちるように。
淡い光の粒になって、男の姿が、ふわりと、宙に溶けていく。
「......ありがとな」
最後に、そう聞こえた、気がした。
光が、消える。
俺の手のひらには、あの輪だけが、残っていた。
そして――頭の中に、見たこともない光景が、一気に流れ込んできた。
――夜の、見知らぬ路地。
「シア、俺......君のことが好きだ」
聞き覚えのある台詞が、知らない声で、紡がれる。
同じ言葉。
同じ場所――のはずなのに、シアの返事が、違った。
「......ごめんなさい」
「......え?」
「私、あなたのこと、そういう風には見れない」
断られていた。
あの夜、あいつは、プロポーズを、断られていたんだ。
――場面が、飛ぶ。
暗い部屋。
酒の匂い。
自暴自棄になった自分が、壁を殴っている。
「......なんでだよ」
「なんで、俺だけ」
その隣に、いつの間にか、エイナが座っていた。
「......ねえ、ルクラン」
「......うるさい、放っておいてくれ」
「私で、我慢しない?」
その台詞に、あの時の自分は、乾いた笑いをこぼしていた。
「......お前で、我慢しろって?」
「うん」
「......いいよ、別に」
投げやりな声だった。
俺の知ってる、あの温かい始まり方とは、まるで違う。
――また、場面が飛ぶ。
崩れていく、王府。
床に倒れた、剣神――親父の姿。
「......なんでだよ、親父」
「なんで、俺には、継がせてくれないんだよ」
「......ルクラン、待て。落ち着け」
「うるさい!」
剣が、振り下ろされる。
血の匂いが、鼻をつく。
「......これで」
震える手で、地面に転がる、光る核を、拾い上げる。
「これで、俺も――」
核を、口に含む。
身体の中を、何かが、駆け巡っていく。
力が、流れ込んでくる。
そして――同時に、何かが、聞こえた。
微かな、規則正しい音。
まるで、時計の針が刻む音のような。
「......これ、は」
あの時の自分は、戸惑いながら、その音に、耳を澄ませていた。
『......剣神の核には、時の欠片が、混ざってる』
誰かの声が、頭の中に、響いた。
エイナの声じゃない。
もっと、古い、乾いた声だった。
『使い方は、教えない。でも、覚えておくといい』
『核を継いだ者には、刻まれた時間が、視える瞬間がある』
そこで――記憶が、途切れた。
「......っ、はぁ、はぁ」
俺は、地面に膝をつき、荒い息を吐いた。
「......大丈夫?」
ドロテアが、心配そうに、俺の顔を覗き込んでいた。
「......ああ、なんとか」
俺は、頭に流れ込んできた記憶を、必死で、整理しようとした。
シアに、振られていたこと。
エイナと、投げやりに始まったこと。
親父を、殺してしまった、あの瞬間。
そして――核を継いだ者だけが聞こえる、あの音。
「......あった」
「......何が」
「戻る方法。あいつの時間軸に、ヒントがあった」
俺は、震える声で、そう言った。
「剣神の核には、『時の欠片』が混ざってるらしい。核を継いだ奴には、刻まれた時間が、視える瞬間がある――そう言ってた」
「......誰が」
「分からない。エイナじゃない、別の誰かの声だった」
俺は、自分の左手を見つめた。
まだ、俺は、親父の核を、継いでいない。
でも――もし、あの分身の言う通りなら。
「......親父を、見つけないといけない」
「......そう、なるね」
ドロテアは、静かに、頷いた。
「完璧じゃない。でも――足がかりには、なる」
ドロテアは、しばらく、俺を見つめていた。
それから、小さく、頷いた。




