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第26話 23800番目の僕

あれから、何日経ったのか、もう正確には分からない。


一度目は、天の魔王の力によって、問答無用で追い返された。

だから今度は、俺たちの手で、もう一度、あの場所への道を見つけるしかなかった。


俺は、ドロテアとルルの力を借りて、あの日と同じ、いびつな裂け目を探し続けた。

そして、ようやく――見つけた。

前と同じ、空間そのものが破れたような、歪な穴。


「......本当に、行くの」

ルルが、不安そうに俺の肩に留まりながら、そう言った。


「ああ」


「天の魔王様だよ? あの人、機嫌次第で何するか分からないんだから」


「それでも」


俺は、裂け目に向かって、足を踏み出した。


「聞くだけでも、聞いてみないと」


裂け目の向こうは、相変わらず、灰色の靄が立ち込めていた。


でも、今日は――違った。

靄の奥に、ぼんやりと、輪郭が見えた。

見上げるほど、高い場所。

そこに、玉座のようなものがあった。

そして、そこに座る、巨大な「何か」。


姿は、はっきりとは見えない。

でも、確かに、こちらを見ている。


「――エイナを、返してくれ!」

俺は、声を張り上げた。

「頼む! あいつを、こっちに戻してくれ!」


『......ああ、また会えた』


頭上から、声が降ってきた。

やけに、嬉しそうな声。

背筋が、ぞわりと粟立った。


『そんなに焦らなくても、ちゃんとここにいるよ。今度は、逃げたりしないから』


「......誰だよ、お前」


『ひどいなぁ。そんな他人行儀な口、久しぶりに聞いた』

声には、拗ねたような響きすらあった。


「エイナを、返してくれって言ってるんだ!」


『......ああ、あの子』

声色が、わずかに変わった。

『君は、どうして、あんな子のことばかり気にするの』


「......は?」


『僕のほうが、ずっと前から、君のことを見てるのに』

その言い方には、隠しきれない不満が滲んでいた。


「意味が分からない。頼むから、エイナを――」


『駄目』


きっぱりと、遮られた。


『あの子は、あの子の時間を生きてる。誰にも、邪魔できない。君にもね』


「......っ」


『それに――』

声は、そこで、愉快そうに笑いを含んだ。

『君に、見せてあげたいものがあるんだ』


「......なんだよ」


『せっかく、会いに来てくれたんだもの。手ぶらで帰すのは、可哀想でしょ』


玉座の「何か」が、わずかに、手を上げた。

――いや、手と呼べるかどうかも、分からない。

ただ、何かが、動いた。


その瞬間。

周囲の靄が、大きく波打った。


「......な」


俺は、思わず後ずさった。


なんだよ、これ。

なんなんだよ。


頭が、追いつかなかった。


靄の中から、次々と、人影が浮かび上がってくる。


一人や二人じゃない。

十人、二十人――もっとだ。

どれも――俺の顔をしていた。


嘘だろ。

嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ。


心臓が、変な音を立てていた。


ある者は、立っていた。

傷だらけで、片目が濁った者。

やけに老けた者。

何の感情もなく、ただ立ち尽くす者。


――そして、立っていない者もいた。


地面に、力なく横たわったまま、動かない者。

その中の何人かは、明らかに――もう、息をしていなかった。


「......っ」


喉の奥が、ひゅっと鳴った。

吐きそうだった。


倒れたまま、動かない「俺」の一人。

胸の辺りが、大きく抉れている。


別の一人は、首から下が、ほとんど残っていなかった。


見るな。

見るな、見るな。


そう思っても、目が離せなかった。


――あの日の光景を思い出した。

あの教会。

棺の中で見た、俺自身の死体。


『日の魔王の葬式へ』


あのときは、意味が分からないまま、ただの悪夢だと思おうとした。


でも――まさか。

あの棺の中の死体も、全部――俺だったのか?


分からない。

確かめようがない。


でも、似ている、と思ってしまった自分がいた。


「......なんだよ、これ」


声が、震えた。


近くにいた、傷だらけの一人が、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「......久しぶりだな、って言っても、お前にとっては初めましてか」


「......誰だよ、お前」


「お前だよ」


その男――俺は、皮肉っぽく笑った。


「いや、正確には、お前の先輩、ってところかな」


「......意味が分からない」


「そうだろうな」

男は、周りを見回した。

「ここにいるの、全員、俺たちだよ」


「......全員」


「エイナと、一緒に時間を過ごした、俺たちだ」


その言葉が、頭の中に、うまく入ってこなかった。


......全員、俺?

倒れているのも、全部――俺?


意味が、分からなかった。

分かりたくもなかった。


「まさか」

声が、掠れた。


「察しがいいじゃん」

男は、肩をすくめた。


「エイナは、何度も何度も、繰り返してるんだよ。過去に戻って、また別の時間軸を生きて。その先で、また俺たちに――お前に、出会う」


「......何度も、って」


「さあ、正確な数までは知らないけど」


近くにいた、別の人影が、口を開いた。

「俺の番号は、18902」


また別の声が続く。

「俺は、21447」


「俺は――もう覚えてない」


声が、次々と重なっていく。

まるで、途方もない数の「俺」が、この場所に、積み重なっているみたいだった。


頭が、くらくらした。

「......番号?」


「エイナが、俺たちを呼ぶときの数字だよ」

最初の男が、そう言った。


「あいつ、律儀にカウントしてるからな。何回目の俺か」


「......お前は、何番なんだよ」


「さあね」

男は、はぐらかすように笑った。


そのとき、傷だらけの男の後ろから、また一人、こちらに歩いてきた。

やけに、目つきが鋭い男だった。

纏っている空気が、他の誰よりも、重く、冷たかった。


「――おい、23800号」

その男は、俺を見て、そう言った。


「......は?」


「お前のことだよ」


男は、あごで俺を示した。


「お前は、23800回目のルクランだ」


「......二万三千......」

数字の大きさに、目眩がした。


「お前は、どんな時間軸を生きたんだよ」

男が、俺に尋ねた。


「......まだ、何も。エイナが消えたばかりだ」


「へえ。じゃあ、これからか」

男は、興味深そうに、俺を見た。


「参考までに、俺の話、聞いてくか」


俺は、答えられなかった。

でも、男は、勝手に話し始めた。


「俺は――親父を殺した」


「......は?」


頭が、真っ白になった。


親父を、殺した。

こいつが。

俺が。


「剣神の座を、奪ったんだよ。核ごと、食った」


淡々と、男は言った。

まるで、他人の話でもするみたいに。

その落ち着きが、逆に、気持ち悪かった。


「そうしたら、俺自身が、剣神になった。力も、称号も、全部な」


「......なんで、そんなことを」


声が、震えていた。

自分の声とは思えないくらい。


「さあな。理由なんて、もう、よく覚えてない」


男の目には、何の光もなかった。

そのことが、何より、俺を怖がらせた。


「気づいたら、国中から追われる身になってた。実の親を殺した、化け物としてな」


「......お前」


続く言葉が、出てこなかった。

否定したかった。

こんなの、俺じゃない。

俺は、そんなこと――


でも、目の前にいるのは、紛れもなく、俺の顔をした男だった。


「同情はいらない」

男は、それだけ言うと、俺に背を向けた。


「これが、俺の時間軸だ。お前とは、違う」


「待てよ」


「なんだよ」


「エイナは――エイナは、そこにいたのか。お前が、そうなるまで」


男は、しばらく黙っていた。


「......ああ、いたよ」


「じゃあ、なんで――止めなかったんだ」


「止めたさ」

男の声が、ほんの少し、揺れた。


「でも、止まらなかった。俺が、勝手に、そうしたかったから」


「......」


「エイナのせいじゃない。全部、俺の選択だ」


男は、それだけ言うと、靄の中へと、溶けるように消えていった。


俺は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。


周りには、まだ、無数の「俺」がいた。

生きている者も、動かない者も。

それぞれが、それぞれの時間軸を、生きて、終えた者たちだった。


玉座の「何か」は、相変わらず、こちらを見ていた。

嬉しそうに。

まるで、これで君も、僕のことを分かってくれた、とでも言うように。


『......どう? これが、君の知らない、君だよ』

その声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。


俺は、答えられなかった。

頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。


エイナが、何度も、何度も。

同じ顔をした、違う俺と。

出会って、笑って、そして――終わらせてきた。


殺されたのも、殺したのも、全部、俺。


考えれば考えるほど、気持ち悪くなった。

足元が、揺れているみたいだった。

立っているのが、やっとだった。


だから、あんなに、俺のことを、分かってたのか。

分かってて、当然だった。

何万回も、繰り返してきたんだから。


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。

悲しいのか、怖いのか、気持ち悪いのか。

自分でも、もう、区別がつかなかった。


ただ、吐き気だけが、ずっと喉の奥にへばりついていた。


「......うそだろ」

誰に向けたわけでもない言葉が、勝手に零れた。


答える者は、誰もいなかった。


俺は、23800番目の、ルクランだ。

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