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私の中に住むあの女は、ヤンデレ魔王  作者: ミルクティー猫
第四章 タイムループ編
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第20話 実体化

二日目の朝も、結局は同じだった。


崩れた回廊、焼け落ちた書庫、誰もいない兵舎。

俺たちは王府の隅々まで歩き回った。

けれど、親父の姿はどこにもなかった。


「......ルクラン」

ロルファが、俺の袖をそっと引っ張った。


「もう、休もう?」


「......まだ、東側を見てない」


「昨日も同じこと言ってたよ」


俺は足を止めた。


......分かってる。

そんなこと、言われなくても分かってる。

でも、足が動かなかった。


「......親父は、剣神だぞ」

俺は誰に言うでもなく、そう呟いた。


「あの人が、簡単にくたばるわけない」


「うん」

ロルファが、静かに頷いた。


「だから、今は――」


「......分かってるって」

俺は、ロルファの言葉を遮った。


苛立ちが、声に滲む。

分かってる。

分かってるのに、止まれないんだ。


「......ごめん」

しばらく黙って、俺は呟いた。


「......もう、いいよ。休もう」

言葉にした瞬間、身体から力が抜けていく気がした。


「戻ろう。ドロテアのところに」


「......うん」

ロルファは、少しほっとしたような顔をした。


俺たちは崩れた廊下を引き返し、応接間へと向かった。


扉を開けると、ドロテアは昨日と同じ場所に座っていた。

床には、あの栗色の髪の人形が、まるで祭壇に供えられたもののように、丁寧に置かれている。


「......来たんだ」

ドロテアは、俺たちを見て、小さく呟いた。


「親父は見つからなかった」

俺は正直に言った。


「今日はもう捜さない。だから――」


「うん」

ドロテアは頷き、人形の傍にしゃがみ込んだ。


「準備は、できてる」


胸の奥が、じんわりと熱くなった。


『やっと、だね』


エイナの声が、頭の中に響く。

その声には、隠しきれない高揚が滲んでいた。


「......痛いのか、これ」

俺は小声で尋ねた。


『さあ? 私にも分からない』


「他人事かよ」


『他人事だもん、私にとっては』

エイナは、くすくすと笑った。


ドロテアが立ち上がり、俺の前に来る。


「手、貸して」


「......は?」


「実体化には、宿主の血が要る」

ドロテアは、感情のない声で淡々と告げた。


「少しだけ、我慢して」


俺が答えるより早く、ドロテアの指先が、俺の手のひらに小さな刃を走らせた。


「......っ」


鋭い痛みが走る。

赤い雫が、ぽたりと床に落ちた。

その血は、人形の胸元へ、吸い込まれるように染み込んでいく。


「エイナ」

ドロテアが、人形に向かって静かに呼びかけた。


「約束、覚えてる?」


『もちろん』

俺の口から、いつの間にかエイナの声が漏れていた。

『私が、この身体を借りるのは、今日で最後』


その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。


――借りるのは、今日で最後。

つまり、こいつはもう二度と、俺の身体を乗っ取らないってことか。


『じゃあ――始めるね』


熱が、胸の奥から、急速に引いていくのが分かった。

まるで、栓を抜かれた水のように。

血に染まった人形が、震え始める。


――ビキッ。


硬い陶器の関節から、亀裂のような音が響いた。


「......え」


ロルファが、小さく息を呑む音がした。


栗色だった人形の髪が、ゆっくりと色を変えていく。

栗色から――深い、若草のような緑へ。

閉じたままだった瞼が、震えるように動いた。


――パキン。


陶器の指先が、まるで殻を破るように、ぴくりと動く。

俺は、その光景から目を離せなかった。


命なんて、あるはずのないものに――

命が、宿っていく。

人形の胸が、小さく上下し始めた。


呼吸。


一度、二度。


そして――

ゆっくりと、瞼が開いた。

現れたのは、深い翠色の瞳。


「......あ」

小さな唇から、掠れた声が漏れる。


「......あはっ」


声は、次第に大きくなっていった。


「あはは......あはははははっ!」


人形――いや、もう人形とは呼べない少女は、両手を持ち上げ、自分の指を一本ずつ見つめていた。

まるで、生まれて初めてそれを見たかのように。


「動く......動くよ、ルクラン!」


少女は、はしゃぐように立ち上がった。


そして、俺のところまで駆け寄ってくると――

両腕を、俺の首に回してきた。


「......おい」


「触れる! ちゃんと、触れてる!」

その声には、隠しきれない歓喜が滲んでいた。


「今までずっと、君の中からすり抜けてばっかりだったのに」


エイナは、俺の胸に頬をすり寄せた。


「これで、ちゃんと――抱きしめられる」


「......離れろ」


俺は反射的に彼女を押し離そうとした。

けれど、その手には、確かな重みと体温があった。


......本当に、実体化したのか。


「気持ち悪い......近い」


「近くていいの。これが、私の望みだったんだから」


エイナは楽しそうに笑い、俺から一歩下がった。


改めて見ると――外見は、十四、五歳くらいだろうか。

翠色の瞳。

長めの赤みがかった髪。

着ているものは、まだあの橙色のチャイナドレスのままだった。


「......ロルファ、大丈夫か」

俺は横を見た。


ロルファは、口を半開きにしたまま、固まっていた。

「......え、あの、今の、何? 誰? いつの間に人形が――」


ロルファは、おろおろしながらエイナを見つめた。

そして、なんとか状況を飲み込もうとするように、恐る恐る口を開く。

「......え、えっと。よろしくね、小妹?」


「......は?」

エイナの笑顔が、一瞬で凍りついた。


「今、小妹って言った?」


「......ち、違った? だって、見た目すごく小さいし――」


「私、二万歳なんだけど」


「......え?」

ロルファが固まった。


俺も固まった。


「に、二万......?」


「うん。二万歳」


エイナは腕を組み、心底不服そうな顔をした。

「見た目で判断するの、失礼だと思わない?」


「い、いや、その、ごめん......」

ロルファは、すっかり気圧されたように後ずさった。


俺は思わず、額を押さえた。


......こいつ、実体化した早々、何をやってるんだ。


「説明はあとだ」

俺は溜め息をついた。


正直、俺自身もまだ理解が追いついていない。


「初めまして、だね」


エイナは、ロルファのほうを見て、にっこりと笑った。


「エイナだよ。よろしく」


「......よ、よろしく......?」

ロルファは、戸惑いながらも、そう答えた。


その様子を見ていたドロテアが、静かに口を開いた。

「......これで、貸しは返した」


「うん、ありがとう」

エイナは軽く頷いた。


それから、ふと表情を改め、じっと俺の顔を見つめてきた。

「......ねえ、ルクラン」


その声色が、さっきまでとは違う。


「なんだよ、急に」


エイナは、しばらく黙って俺を見つめていた。

その目には、珍しく、迷うような色が浮かんでいる。


「もし――」


「もし?」

俺は、その先を待った。


エイナは、口を開きかけて――

そのまま、静かに閉じた。


「......ううん、なんでもない」


「気になるだろ、そこまで言っといて」


「言わない~」


エイナは、あっさりとそう言い切った。

「今はまだ、言わない」


その笑顔は、いつも通りのはずだった。

なのに――どこか、無理に作られたもののように見えた。


「......おい」


「気にしないで」


エイナは俺の頬を軽くつつくと、ドロテアのほうへ視線を移した。


ドロテアは、何も言わずに、じっと床を見つめていた。


「......まあ、いっか」


エイナは伸びをしながら、部屋の中をぐるりと見回した。


「それより、この身体、もっとちゃんと見せてよ」

彼女は、自分の手のひらを何度も開いたり閉じたりしている。


「爪も生えてる。ちゃんと血も通ってる。すごくない?」


「......はいはい、すごいすごい」

俺は、適当にあしらった。


「なにその適当な反応」


「実感が湧かないんだよ、まだ」


「じゃあ、触って確かめれば?」

エイナは俺の手を掴み、自分の頬に押し当てた。


「......離せ」


「あったかいでしょ」


「離せって」


ロルファが、そんな俺たちのやり取りを見て、小さく笑った。


「なんか、二人とも、いつも通りだね」


「......うるさい」


つかの間、部屋の中に、少しだけ普段通りの空気が戻った。

けれど、それも長くは続かなかった。


――カラン、カラン。


遠く、微かに、鐘の音が響いてきた。


「......今の、なに?」


ロルファが、窓のほうへ顔を向けた。

俺たちも、つられてそちらへ視線を移す。


遠く、王府の外壁の向こうから――

黒い煙が、一筋、立ち上っていた。


「......街のほうか」

俺は目を細めた。


「なんか、緊急の合図みたいな鳴らし方だね」

エイナは、窓の外を眺めながら、のんびりとそう言った。


「......この気配」


彼女は、指先で顎を撫でながら、独り言のように呟く。

「フェルゼンじゃないなぁ」


「じゃあ、誰の――」


「うーん」


エイナは、俺の質問を遮るように首を傾げた。

その口調は、相変わらず気の抜けたものだった。


「アヴィナの気配に、似てるかも」


「......は?」


「まあ、本人にしては弱すぎるけどね」

エイナは、まるでお菓子の味を当てっこするみたいな、軽い調子でそう言った。

「でも、無関係でもなさそう」


「......おい、それ、けっこう深刻な話じゃないのか」

俺は思わず詰め寄った。


「そう?」

エイナは、きょとんとした顔で俺を見返した。


「まあ、行ってみれば分かるんじゃない?」

その気楽さが、逆に不気味だった。


こいつは、いつもこうだ。

どれだけ重い話でも、笑って流す。


......それが、こいつなりの誤魔化し方なのかもしれない。


俺には、そう思えて仕方なかった。

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