第2話 偽物
シアは死んだ。
俺に、シアを守る力がなかったからだ。
「ごめん……シア……」
涙を拭うこともせず、俺は仮面の男が落とした黒い長剣を拾い上げた。
刃先を自分の胸へ向ける。
もう、迷う理由なんてなかった。
シアのいない世界に、俺一人で残る意味なんてない。
俺は、そのまま剣を突き立てようとした。
「ルクラン」
剣先が、胸に触れる寸前で止まった。
「……え?」
俺は固まった。
その手を止めたのは――
温かい手だった。
その手が、俺の手首をそっと掴んでいる。
俺の手首を掴んでいたのは――シアだった。
胸には、傷ひとつない。
「シ……ア?」
声が震えた。
堪えていた涙が、とうとう頬を伝って落ちていく。
シアは、何事もなかったかのようにそこに立っていた。
白いドレスには血の跡ひとつなく、胸にも傷はない。
そして――
俺が何度も見てきた、あの優しい笑顔を浮かべていた。
「もう、なんでそんなに泣いてるの?
まるで子供みたい。
大丈夫だよ。あたしはここにいるから……」
俺はもう、完全に壊れていた。
ただ泣きながら、シアを強く抱きしめた。
「ごめん……ごめん、シア!
もう会えないと思った……俺、もう少しで……」
俺はシアの肩に顔を埋めたまま、声を上げて泣いた。
シアは優しく笑いながら、俺の背中をそっと撫でてくれる。
「大丈夫だよ。もう大丈夫。
これからは、きっと全部うまくいくから」
だが、俺からは見えなかった。
シアの顔に浮かんでいた優しい笑みが、ゆっくりと歪んでいく。
その瞳の奥には、ぞっとするような愉悦が浮かんでいた。
――ズブッ。
背後から、冷たい刃が俺の胸を貫いた。
「…...!?」
痛い。
けれど、その痛みを感じるより先に――俺は何かがおかしいことに気づいていた。
シアの指が、俺の傷口へゆっくりと入り込んでいく。
そして――
血に濡れた指先が、まだ脈動している魔力核を撫でた。
魔力核。
誰もが身体の中に持つ、魔力の源。
「あはっ……まだ動いてる」
楽しそうな声。
「ねえ、聞こえる?」
指先が、魔力核を軽く押す。
「……この音」
「……やっぱりな」
俺は顔を上げ、彼女を見つめた。
「もう、そんな猿芝居はやめてくれ」
「シアの心臓は、とっくに止まってる」
「……お前は、最低な役者だよ」
――その瞬間。
胸の傷が、びくりと動いた。
裂けた肉が、ゆっくりと塞がっていく。
「……え?」
傷口から押し出されるように、刃が抜け落ちた。
――カラン。
俺は、呆然と自分の胸を見つめた。
……なんだ、これ。
どうして……傷が治ってる?
まさか、シアが治してくれたのか?
……いや。
違う。
そんなことをするような女じゃない。
……まあ、傷が治ったんなら、いいか。
「ん?」
シアの姿をした女が、わずかに首を傾げた。
俺はその手首を掴む。
「……その顔で、そんな気持ち悪いことをするな」
「シアの顔を使ってるだけで――」
俺は女を睨みつけた。
「もう一度、殺したくなる」
「あらあら……バレちゃった~?」
女は正体を見抜かれても、慌てる様子などまるでなかった。
むしろ、嬉しそうに笑っている。
「ほんっと、つまらない男の子ねぇ~」
女は甲高い声で笑った。
そして、もう片方の手を自分の顔へ伸ばす。
指が、頬の皮膚を掴んだ。
――ぐいっ。
「……ふふっ」
そのまま、思い切り引っ張った。
――ビリィッ!
引き剥がされた皮膚は、地面に落ちることもなく、光の粒となって消えていった。
その下から現れたのは、青い着物を身にまとった女だった。
その着物には、八角形の星のような紋様が描かれている。
女は、病的な笑みを浮かべていた。
……まあ、顔は悪くない。
女は、俺の胸元をじっと見つめていた。
その口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「やっぱり、前と変わらず鋭いのね……」
女はゆっくりと俺の耳元へ顔を寄せた。
「……魔王様~」




