第12話 父さん
もしそうだとしたら……。
ルルなら、何か知っているはずだ。
「……ルルは?」
俺は無意識に肩へ目を向けた。
……いない。
「また、ルルがいなくなった?」
俺は辺りを見回した。
けれど、あの青い小さな生き物の姿はどこにも見当たらない。
(おい。)
『なに?』
(ルル、見なかったか?)
『あの青ネズミ、いなくなったほうがせいせいするじゃん。あははっ』
(……うるさい。)
まあ、いいか。
たぶん、何か用事でもあって、一時的にどこかへ行ったんだろう。
……でも。
何かがおかしい。
ふと、さっきのことを思い出した。
それなのに――
どうして今まで、俺以外の誰もあのことを覚えていないんだ?
ロルフィも覚えていない。
ルルも今はいない。
それどころか――
俺自身でさえ、あれが本当に起きたことだったのか、分からなくなってきた。
「……」
突然――
ゴウッ!!!
医療室全体が、激しく揺れた。
まるで何かが、建物に猛烈な勢いで叩きつけられたような衝撃だった。
窓ガラスが激しく震え、壁まで低い轟音を響かせる。
「……っ!」
俺は慌てて、ベッドの木枠を掴んだ。
身体がベッドごと大きく揺さぶられ、耳元では木材が軋む音まで聞こえた。
「父さん――!」
その直後――
廊下から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「クル――!」
聞き慣れた声。
父さんだ!
医療室が、再び激しく揺れた。
「――!」
俺は反射的にベッドの縁を掴んだ。
さっきよりも、明らかに大きな揺れだった。
照明が揺れ、天井が震え、机の上に置かれていた薬瓶同士がぶつかり合っている。
「父さん……これ、いったいどうなってるんだ?」
「今はそんなことを言ってる場合じゃない!」
父さんは俺の手首を掴んだ。
いつもより、ずっと強い力だった。
「俺についてこい!」
「ちょっと――」
靴すらちゃんと履けていないのに、俺はそのままベッドから引きずり下ろされた。
俺たちはよろめきながら、医療室を飛び出した。
廊下には、いつもの静けさなんてまったくなかった。
遠くから、ときおり鈍い音が響いてくる。
誰かが叫んでいる。
それに、金属同士がぶつかり合うような音まで聞こえた。
誰かが戦ってる?
いや、待て。
この辺りで喧嘩なんて、誰もするわけないだろ。
だって、俺の父さんは剣神なんだから……。
……何か、とんでもないことが起きてるみたいだ。
俺は一度、後ろを振り返った。
医療室の扉は、まだ開いたままだった。
ほんの数歩しか離れていない。
なのに、妙な感覚がした。
まるで、自分がさっきまで安全だった場所から、どんどん遠ざかっているような――。
「父さん……」
「喋るな」
父さんは振り返らなかった。
「まずは生き残れ」
その言葉に、俺は一瞬呆然とした。
……どういう意味だよ。
父さんは普段、何事も気にしていないような顔をしている。
少なくとも、俺の中ではそういう人だった。
だけど今は――
その声が、異様なほど低かった。
俺たちはすぐに別の部屋へと辿り着いた。
父さんは扉を開け、中に誰もいないことを確認すると、すぐに俺を中へ引っ張り込んだ。
「ここにいろ」
「え?」
「いいか、よく聞け」
父さんはしゃがみ込み、両手で俺の肩を掴んだ。
その顔には笑みがなかった。
ただ、真剣な表情をしている。
父さんがこんな顔をするのは、珍しい。
「ロルフィを探せ」
「ロルフィ?」
「あいつは倉庫にいる」
「倉庫……?」
俺はすぐには理解できなかった。
なんでロルフィなんだ?
どうして倉庫にいる?
それに――
外で、いったい何が起きてるんだ?
疑問が次々と頭の中に浮かんでくる。
だけど、父さんは俺に質問する時間すら与えてくれなかった。
「見つけたら、あいつのそばにいろ」
「父さんは?」
父さんは一瞬、黙った。
そして――
ゆっくりと立ち上がった。
「俺は剣を取りに行く」
「戦うのか?」
「ああ」
あまりにも迷いのない返事だった。
俺は、逆に何も言えなくなった。
「でも……」
「心配するな」
父さんは俺の肩を軽く叩いた。
「俺は剣神だぞ。まだお前に心配されるほど老いちゃいない」
冗談のつもりなのだろう。
だけど、俺は笑えなかった。
何が起きているのか、まだよく分からない。
それでも、俺には分かった。
これから父さんは――
ずっと、ずっと遠くへ行ってしまう。
だけど――
嫌だ。
行かせたくない。
もう、嫌なんだ……。
もう……。
俺は、ただこれ以上誰かを失いたくない……。
言えよ……ルクラン。
早く、言え……。
早く引き止めろ……。
俺は父さんの肩に触れようと手を伸ばした。
だけど、その手は空中で止まった。
俺は、相変わらずこんなにも情けない。
父さんは俺に背を向けると、壁際へ歩いていった。
そして、隠し扉の奥から一本の長剣を取り出した。
金属が擦れる音が、部屋の中に響く。
「早く行け」
「……うん」
俺は扉を開けた。
「ロルフィを見つけたら、勝手に動くな」
背後から、もう一度父さんの声が聞こえた。
「分かった……」
俺は振り返らなかった。
だって、俺はあまりにも情けないから。
全部、俺のせいだ……。
俺は涙を流しながら、走った。




