第二話「そして肉体は生まれ落つ」
夜。深夜。
ぐごごとルームメイトの鼾が響く中、俺は妙な感覚と共に目を開けた。
「なんだ...?」
下腹部が重い。春先故にまだ少し肌寒い夜。かけた筈の布団の感覚もない。だが、どこか艶めかしい、柔らかい、あたたかな重さ。すべすべとしたそれはまるで人肌の様で。
「...うふふ」
目が覚めた。
なんだ、ではなかった。
だれだ、と言うべきだったのだ。
全裸の女がいた。たおやか、という言葉をそのまま描いたかのような豊満な肢体。一切の明かりがない中、カーテンの隙間から差し込む、頼りない月明かりですら輝く白磁の肌。流石に暗すぎて顔やらは良く見えないが...それでも確実に美人である事だけは見て取れた。
「ーーー!」
顔が熱を持つ。
この感覚は。
下腹部の、感覚は。
じり、と視線を下げる。影になってよく見えない。が。それは確実に女の下半身が乗っている。
なんだ。これは夢か。欲求不満が極まってついに淫夢でも見るようになったのか。
だが、あまりにもその感覚は生々しい。碌に女性との交流などしてこなかった俺だ。女性の下半身の感触など知るはずもないのに、リアルな感触が俺の脳内で再生されている。
そうはならない筈だ。
ならば、これは現実か?
もっとそうはならない。そうなってはいけない。
なのに。
「かわいらしい」
ぷるん、と。見えない筈なのに瑞々しいと確信させる、にべもなく噛り付いてしまいたいと思える果実が如き唇が。福音の様な、可憐で、かつ荘厳な音を紡ぎ出す。
「だれ、だ...!」
ようやく、俺の口から声が出る。
身をよじろうとする。動かない。
この女に圧倒されている?いや、これは違う。金縛りの様に動けない。
女は、そんな焦る俺を見て、愛おしそうに笑う。
「わたしはあなた」
...何を。
「あなたはわたし」
紡がれる音は美しく。しかし訳が分からない。
「わたしに名前はない。あなたのものだから」
...どう、いう...!
「だから。私をよろしくね?」
そう言い、女はたおやかな指を、俺の腹に当てーーーー!
「ッづ!?」
凄まじい痛みが走る。腹が...いいや、胎が、痛い!?
「随分と、待たせてしまったけれど。産まれるわ。もうすぐ...」
「う...産まれる...ッ!?」
いつの間にか胎が膨らんでいる。嘘だろッ!?
「馬鹿野郎!...俺は...男だぞ!」
必死になって悲鳴を上げる。だが、女は一つくすりと笑い。
俺の意識はそこで途絶えた。
ぴぴぴぴぴっ。
愛用の目覚まし時計(閉店セール900円)の小うるさい音が俺の意識を掬い上げる。安物故に音が大きくなく、この程度ではケンセイは起きない。それをいいことに先に起きておく習慣がついている。
「...夢か...」
全裸の女に襲われた挙句孕まされるとか言うとんでもない夢だったな...。そう思いつつ、確りと被さっている掛け布団を引きはがすべく、隙間に右手を差し入れる。
...ふにゅ。
「....ふにゅ?」
何かに手が触れる。何か柔らかく。暖かい感触。思わず二度、三度と手を動かす。
もむもむ。
...なんだ、これ。
俺、ではない。揉む感触は手にのみ伝わった。他の一切の部位に感触は伝わっていない。
....。
たーっ、と冷や汗が頬を伝う。
そうっと左手も差し込んで、もむもむ。
ふにふに。
...。
さーっ。
血の気が引いた。
ゆーっくり。
ゆーっくりと布団をめくる。
果たしてそこには、美少女が居た。
歳の程はおおよそ二歳少し下だろうか。まだあどけなさを残し、それでも大人に少し足を踏み入れた、学術的に称するなら、第二次性徴に足を踏み入れたあたり。胸はつつましやかで、尻は小ぶり。ロリ体形と言うにはメリハリがついている。つーっと視線を上にあげれば、可愛らしい顔。小さな顔に着いたパーツは、寝顔というある種間抜けですらある筈のその表情において、文字通り天使が如き神秘を放つ。頭に湛えるはピンクゴールドに輝く髪。金属の様で、絹の様な、そんな不可思議な髪。そして。
黒く短い角が生えていた。
「んぅ...」
少女が寝返りを打つ。さんざ揉み下し、あまつさえ全裸の所布団を剥いて、寝苦しいと考えたのだろう。薄い身体が俺に正対する。髪とは違うピンクが覗いたあたりで俺は視線を上に向けた。
「なんだってんだ...」
豊満なあの女とは違う少女。夢ではなかったが、夢ということか。古典映画の様な感想だな。それともアレが親でコレが俺から生まれた娘なのだろうか。んなアホな。
では、と考える。本家のアイツの様に、俺は洞察力には優れていない。けれども少しは自信のある思考力で何事かと考える。
コイツが俺の娘な確率...0%。俺は男だし、そもそも俺の体内に10といくつかの歳の少女なんぞが爆誕したら腹が破けるに違いない。
俺に惚れて夜這いをして来た奇特な娘...0%。そもそもだれだこいつ。というか角の説明がつかない。
と言うことは。
まさか...と思考する。
こいつは。
俺の。
「んみゅう...」
声に、思わず俺は視線を下ろす。ゆっくりと。瑠璃色の瞳が顔をのぞかせる。ああ、美少女だ...などと、言っている場合ではなかった。
起床一番、紡がれた言葉こそ。俺が求めていた答えにして、ある種一番求めていない答えだったからだ。
「...おはよう。貴方が私の主様?」
おお、神よ。
これまじでどうすんのさ。
...などと言っている場合ではない。ええと。とりあえず。
「...ええと。とりあえず君が精霊というならそうなんだと思う」
答えを返す。ちょっと信じたくないが、我が家の家訓の一つに”全ての不可能を排除して最後に残ったのが真実だ”というのがある。とても信じられないが、偉人であった本家のその人が言ったんだから間違いない。めちゃくちゃに信じられないが。
ふふ、と寝惚け眼を擦りながら笑う少女に、俺はとりあえず事態の収拾を諦めた。
「...服を、着よう」
...。
「.....ということは、だ。まさか、この少女が君の相棒なのか?」
30分後。俺の前にはまた別の美人が居た。
「ええと。まあ....はい?」
彼女の名は妃・R・レベッカ。椅子に座ると床につきそうなほど長い氷色の長髪、切れ長の双眸、そして出るところは出て、引っ込むところはひっこむ...なんてもんじゃない豊満そのものな肢体。通称”冬の女王”。その長大な氷色の髪に違わず、絶対零度を操る、”学院最強”にして”生徒会長”。後ついでに”ミス浅間富士”、”最多学年主席”、”四つのファンクラブを持つ女”etc...。まあとにかくすごい人だ。
とりあえずと思って寮母に連絡したらあれよあれよと彼女が直接出張ってきたのだ。
そしてこの状況である。
借り物とは言え俺の部屋に、美少女が二人もそろっている。
「すさまじい光景だ...」
「何がだ」
ぼそりとつぶやくと、耳元から声。
「んだよバル。相変わらず眼鏡の反射が眩しいぞ」
「先輩をつけろマヌケ。それとバルじゃない。パルだ!」
振り返ると、ちんちくりんが仁王立ちしている。色黒で、薄い金髪のもじゃっとした髪を首あたりまで伸ばしている。男のガキが学院に入り込んだのかと見まがう容姿だが、パル・ヴァルマ。歴とした上級過程二年生で、女である。厚ぼったい眼鏡さえなければ虫取り網でも引っ掴んでのっ原でも駆け回っていそうなもんだが、これで結構なインテリだ。
ひょんなことからの腐れ縁というか、どうにも出会うことが多く、いつも言い合いになる仲。腐れ縁でいいな、うん。
ちなみにだが、寝起き頭のままレベッカ先輩にナンパしようとしたケンセイはこいつに丸めて窓の外に捨てられた。これには俺もにっこりである。
「おや、知り合いか」
少し意外そうな顔をしたレベッカ先輩がパルに目を向ける。
「ええまあ。下級過程の時にちょっと。生意気なヤツですが...嘘は吐きませんよ」
きらん、と眼鏡を光らせるパル。彼女の眼鏡はいつもギラギラと光を反射し、その裏側を見せようとしない。
理由を知っているだけに少し思うところはあるが、それはそれとして阿呆のような見た目なのはしょうがないと思う。
「...で、それはそうと、私はいつまでこうしてればいいわけ?」
むす、と腕を組んでそういうのは例の少女、俺の精霊。随分と待たされてお冠らしく、ちょこんと座った俺のベットでぷんすこと擬音を発している。
「いや、すまない。ええと...なんと呼べばいいのか」
しまった、名前なんて付けてないぞ。
少女出現からここ、あまりに慌てすぎて完全に忘れていた。そもそも初邂逅から五言くらいしか喋っていないが。
「”ペンドラゴン”」
しかし、少女は名乗った。
とても、声高々に。
「名前はそこのアホ面がつけるわ。だから私が名乗る字はペンドラゴン。最強にして誇り高き竜よ!」
ばばーん!と言いたげに立ち上がる。
...ベッドの上で。
「あいた!」
案の定、さして高くもないベッドの天井に頭をぶつけてマットに沈んだ。
「ふむ、ペンドラゴン、か」
そう言い、レベッカ先輩は腕を組みかえる。
「パル、聞いたことは」
「全く」
そういう二人に、少女...改めペンドラゴンは愕然とした顔をする。
「えっ知らないの!?ペンドラゴンよペンドラゴン!誇り高きペンドラゴン!噓でしょ!?これだから人類はダメなのよ!100年や200年で何でもかんでも失伝させて!」
むきー!とばんばんベッドをたたき出すペンドラゴン。...長いな。名前を付けることは望まれているようだしなにか短いのを考えて置こう。
「まあ、そりゃ死ぬからな。...逆になんでお前は生まれたばっかりだってのにそんなこと知ってるんだよ」
俺が混ぜっ返すと、ペンドラゴンはバカを見る目をする。
「知らないの?...ああそうか。喋れる子なんてなかなかいないからこれも失伝ね。...ええとね。私たちには原書目録っていうものがあって、そこには先人...歴代の精霊たちの記憶が入ってるの。あなたたちでいう百科事典みたいなものよ」
「...あー、バル、これ歴史的な発見じゃないか?」
「パル先輩と言え。学会がひっくり返るな。古典漫画みたいに」
ずこー!とひっくり返るおっさんの図を想像してしまった。ウケる。
「ふむ。では、だ。一応確認だが、ペンドラゴン君はこの彼、アッシュ君の相棒ということでいいんだね?」
「再三言わせないで欲しいわね。ええ、そうよ。そいつが私の主様ってわけ」
アホ面呼ばわりしたり主様と言ったりと不安定な奴だな。
「ふむ。ならば。普段はどうするつもりかな?」
どうって。...ああー。
精霊は、”霊”と名こそ付いているが、歴とした一つの生物だ。当然ながら”住処”が必要となる。小型の精霊ならば一部の者は部屋で飼ったりもするらしいが、基本はそれ専用の宿舎が存在し、そこで一括管理される。ある程度生態ごとに区分けこそあるが、少なくともほぼ人である彼女に合う房はないだろう。
「別にこの部屋で暮らせばいいじゃない」
...と、言うのも困る。
「...少なくともお前の姿は女の子なんだ。ここは男子寮。わかるか?」
俺が言ってみるものの、反応はにべもない。
「嫌よ。無理に連れていくなら噛みつくわよ」
「...だ、そうだが?」
にまーっとした顔をしたレベッカ先輩が振り返る。
「なかなか懐かれているじゃあないか、アッシュ君」
「顔合わせから30分と立っていないんですけどね」
「何よ。何年あんたに引っ付いてたと思ってるのよ」
「確かにほかの人よりも二年も長く一緒にいましたがねぇ!」
閑話休題。
「ま、実際仕方がない、というやつだ。そもそも女性型の精霊が出て来るなんて誰も想定していない事態でね。迅速な盥回しの結果私に白羽の矢が立ってしまったのさ」
それは、まあ、なんというか、ご愁傷様だ。
「受け入れ態勢がない以上、おそらくしばらくの間君に管理してもらうことになるだろう。...服の面倒も含めてね」
ちらりと見る。明らかにサイズの合っていない服を無理やり着ているペンドラゴンが映る。なお、これはパルの服だ。少女と聞いてレベッカ先輩がパルの服を供出させたらしいが、意外と身長...スタイルのいいペンドラゴンには小さかったようだ。悲し気なパルの表情が思い起こされた。
「幸いここは立地的にもちょうどいい」
この部屋はちょうど素戔嗚寮の3階(最上階)、その外れに当たる場所にある。一番人通りの少ない場所だった。
「まあ、風呂の面倒は何とかしよう。...水が嫌いでなければね」
馬鹿にしないで、猫じゃないんだからという返事に安心したように笑うと、レベッカ先輩は続ける。
「君のルームメイトは...ちょうど確かこの寮には個室に空きがあったはずだから...そこに移ってもらおう。三階から放り投げられた詫びも兼ねてね」
あれは自業自得だとは思うが...ま、あの軽薄野郎をペンドラゴンと一緒にさせたくはないし。精霊ということを加味すると早晩ヤツの死体が上がりそうだ。
奴には宿無しがお似合いですよ、というバルの主張を煙に巻き、にこりと笑って去ろうとして。
「おっと忘れていた」
ぴらりと紙切れを二枚渡される。
「何ですか、これ」
「片方は領収証を張り付ける紙だね。三か月間は必要になるたびに教務課に行けば都度くれるから、早めに必要物品をそろえておくといい。食費は難しいだろうがそれ以外なら出してくれる。もう一つはペンドラゴン君の登録用紙さ。ついでだからこの場で名付けまで済ませてしまってくれ」
ええ。
「こういうのってもうちょっとこう、ろまんちっくに決めるモンじゃないんすか」
「私のセリフじゃない?それ」
ぶー垂れるとあきれ顔のペンドラゴンから指摘が買える。反論できん。
「ははは。いいコンビになりそうだ。ほら、教務課には私が持って行ってやるからさっさと決めたまえ」
ええ、と思って考える。
ネーミングセンスはない方なんだ。
勢いで考えたらポチとか言いかねないタイプ。だが我が相棒にして美少女に着けてやる名前としてはあまりにも不適だ。
真面目に考えよう。
大体こういう時のパターンは三つ。神話から取るか、単語から考えるか、人名から取るか。レベッカ先輩の相棒の”アナスタシア”は人名から取った例。北方の王女の名前だったかな。パルの相棒、”カルナ”は故郷の神話から取った例だった。
ふむ。
と目を向ける。多方面に呆れ顔を向けていた彼女が向き直る。
ふむ。ふむ。ふーーむ。
「ちょっと、そんなにまじまじと見ないでよ」
「いや、美少女だと思ってね」
「は、はあ!?」
あまり考えず口に出すとわたわたと慌てだした。なんだ。かわいいものにかわいいと言って何が悪い。
少し表情が歪んだが観察を続ける。ピンクゴールドの髪。朝も思ったが金属のような感じもするが、とてもきめ細やかでさらさらだ。黒い角。まるで黒曜石の様な輝きを放ち、ねじれのない素直な角。目。瑠璃色の、透き通るような大きな瞳と、勝気な雰囲気の吊り目。小ぶりな鼻に、果実のような唇。白磁の肌は向こうが透けて見えそうなほど。
何から何まで完璧だ。欲を言えば体形にもう少しメリハリが欲しいが、将来に期待と言ったところ。つーか将来なんて約束されたようなものだろ、こんだけかわいいんだぞ。
「ははは、なかなかなプレイボーイだな。何時もあんななのか?」
「........ええ、まあ」
「いつか刺されるな」
レベッカ先輩とパルが何か言っているが、そんなことはどうでもいい。
俺はペンドラゴンから目が離せなくなっていた。
どこか、なつかしさすら覚えるような気がした。
ゆっくりと、視線はその瑠璃色の瞳に吸い込まれていく。
おどおどと揺れる瞳に、俺は星の輝きを見た。
「スピカ」
漏れ出すように。湧き水が一滴、染み出すように。自然と、その名前が口を吐いた。
「ふむ、由来は星、かな?」
レベッカ先輩の言葉に、こくりと頷く。
スピカ。おとめ座α星。”旧時代”から...いいや、我らが起源の、さらに前より受け継がれし伝承。最も明るき乙女の星。同時に春を象徴する星であり、真珠と呼ばれる星でもある。
ぴったりだと思った。
「スピカ...ふうん」
一瞬悩むようなそぶりを見せ、彼女は頬をほころばせた。
「悪くないわね。どんな酷い名前を付けられるかとドキドキしてたけど。杞憂だったみたい」
やかましいわ。
「じゃあそういうことね!そこの青いの、よくわかんないけど、名前の決定に必要、ってことなら頼んだわよ」
「おい、こら失礼だぞ」
「なに、名前で呼ばれないことには慣れている」
思わず注意するが、当の本人は笑って流した。...二つ名多いですもんね、あんた。
「貸しなさいマスター、私が名前を書いてあげる!」
そういいながらスピカはベッドをずかずかとケンセイの机に向かい、ぐちゃぐちゃのまま放置されたそれからボールペンを拾い上げて。俺の手から名前の登録用紙をひったくると、でかでかと名前欄に”スピカ・ペンドラゴン”と書きなぐった。
「うーん汚い」
「い、いいでしょ読めるんだから!」
どうやらテンションが上がって自分が一度も文字を書いたことがないということを失念していたらしい。それに加えグーで握りこんでいるのを見るにどうも、原書目録とやらには文字の形は乗っていてもペンの持ち方は記されていないようだし。
「いいさ。精霊直筆のサインとなればもしかしたらとてつもない貴重品かもしれんしな」
「うっ、だったら書き直したい...」
飾られるこの紙を想像したのだろう、スピカはげんなりとした顔をした。
「会長、そろそろ...」
「ああ、分かっているよ」
考えてみればもうそろそろ授業開始だ。立ち上がったレベッカ先輩はするりとスピカから登録用紙を奪い取るとにまりと笑った。
「今日は授業の出席を免除しておくので、早めに服を買いに行くと良い。...パルの服が完全に伸びる前にな」
スピカを見る。うん、ぱつぱつだ。
先輩はひとつ苦笑して、ああそれと、と続ける。
「公式文書に修正液は使えない。覚えておくといい」
そして先輩は颯爽と去っていった。




