第一話「そして言は肉体となり」
じゃばじゃばじゃば。ごうんごうんごうん。
学生寮、男子寮素戔嗚舎の一角、ランドリー室で、俺...砕賀・F・アッシュは左腕に巻き付いた包帯を弄りつつ、ボケっとした顔で回る洗濯物を眺めていた。
だばばば。
少し古くなったそれは、がたがたと震えながら洗濯物を洗っていく。
「なにボケっとしてんだよ」
ぽかり。後ろから頭を叩かれた。
「何をするんだ、ケンセイ」
「叩きやすそうな後頭部してるのが悪いんだろう」
そういって悪びれもしないのは織田ケンセイ。真っ黒な髪を肩口まで伸ばし、細い目といい口調といいチャラっとした雰囲気を滲ませる軽薄男。
「そうはいってもやることないからな」
あとは携帯端末を眺めるくらいか。目ぼしい動画も今日は上がっていなさそうだ。本格的にやることがない。
「勉強でもしろよ」
「課題なんてとっくに終わらせたよ。お前みたいに提出直前までうだうだしてる性質じゃあない」
そう返すとケンセイはケ、といいつつも俺の隣に座る。
「いやあ、俺の洗濯物までねえからもしかしてと思ったが、やってくれてるとはな」
「寝坊助のお前に任せてたら乾かないからな。感謝しろよ」
「ははぁ~」
わざとらしく平伏するケンセイに、俺はふふんと胸を張る。
...既に、ランドリーを回すには少々遅い時間というのは、気にしないでおこう。
団栗の背比べとは言ってはいけないのだ。
「...そういえば明後日だったか?」
そんな阿呆な会話を繰り広げていると、ケンセイがそんなことを言う。
「ん?」
「ほら、あれだよ、何たらレースってやつ」
そう言われ、俺もようやくそれに思い至る。
「ああ、騎乗競走祭ね...」
そういえば、と思い出し思い切りげんなりとした顔をする。
「お前が悪いんだろあれは」
「そうか...?」
「...相手を判って言ってるなら蛮勇、判ってないなら究極馬鹿だ。どっちがいい」
じとりと半眼で睨むケンセイに苦笑するしかない。
「せめて蛮勇の方で頼むぜ。...だが、喧嘩売ってきたのは向こうだぞ」
「だぁから立場考えろよ!曲がりなりにも相手はあの秋津麗奈!秋津皇国のお姫様だ!いいか!俺たちが今両の足で...おっと踏みしめてはなかったな。足をくっつけているこの地のだ!」
だがなぁ。と。俺はその時の情景を思い出す。
「貴様もレースに出ろ!」
そんな言葉が後ろからかけられたのは、鍛錬場で日課の鍛錬をしていた時だった。
誰にかけられて言葉なのかと周囲を見渡し、
誰もいないことを確認して、
こいつはなんでそんな阿呆なことをと振り返り、
この人はなんでそんな阿呆なことをと思った。
秋津麗奈。
この極東の島国、我らが学園、浅間富士霊騎学院の所在地、秋津皇国を治める皇の娘。
漆黒の美しい長髪に、紅蓮の瞳を湛えた少女。秋津乙女は慎ましやかこそが、と言われるが、それをすべて裏切って、それでもなお美しいと断言できる烈火の美貌。スレンダーのスの字も無きながら、下品とは微塵も思わせないのはある種芸術だろう。
そう、彼女は文字通り天上人である。二世とはいえ少なくともこの国の国民のはしくれとしては。だが、そんな彼女が俺に話しかけている。
レースに出ろと。
「...嫌だが」
原則、学園では身分の差を気にしないことになっている。姫殿下であろうとも、基本は敬語で接する必要はない。...本人がそう望んでいるらしいことは以前小耳に挟んでいた。
「出ろ」
びしい!と指を指して俺を睨む麗奈。
「何故だ」
「貴様が高等課程にいるからだ」
...なるほど。
過程その他の一切を排したその言葉に、しかし俺は納得してしまった。つい、と俺の視線はどうしても左腕の包帯に移る。
「...なんだその包帯は。あれか、巷に言う中二病というやつか」
それを見とがめた麗奈がそんなことを言う。...いや、確かに定番の会話ではあるのだが。
「この学園最高身分のアンタもそういうんだな。持病みたいなもんだよ」
「中二病が?」
「そうじゃない」
天然ボケなのか何なのか、急に間抜けた会話に流れかけるが、おほんと咳払いをして路線を戻す。
「一応聞いておくけど、なんで俺が高等課程にいちゃいけないんだ?」
「解っているのだろうがあえて言う。それは貴様が精霊を発現させていないからだ」
ああやっぱり。
この国...この世界では、皆何かしら、生まれつき”紋章”を持って生まれる。その子供の才能を記したものであり、”力”の紋、”知恵”の紋、”魔法”の紋、そして”精霊”の紋に分けられる。”紋章”は本来、子供の才能を助長するものでしかない。確かに競技者たちは”力”の紋を持つ者が多いし、政治家や学者は”知恵”の紋、魔法使いは”魔法”の紋を持つ者が多い。だが、それは絶対ではない。”知恵”の紋で世界大会で金メダルととったアスリートもいれば、”力”の紋で魔法使いとして大成した者の話は有名だ。
だが”精霊紋”はそうじゃない。
体のどこかに刻まれる、ただ唯一規則性のないそれは、すなわち”精霊”の卵に他ならない。
”精霊”。人類が持つ最も強大な力にして、人類最大の相棒”魔”に対峙することができる唯一無二の存在。それを宿すのが俺たち、精霊使いなのだ。
この学園、浅間富士学院はそんな精霊使いを集めた世界有数の学院だ。その教育課程は下級過程と上級過程に分かれており、それは年齢での区分け以上に。
”精霊が生まれたか”が関わっている。
「精霊は...遅くとも!14歳までに生まれるのが通例だ。そんなお前がなぜ上級過程にいるのか。その疑問に対する答えは一つしかない」
そう、つまり不正だ!などと言いかねないお姫様に俺はは忠告しておくことにした。
「不正だ!というつもりなら...そうはならない。この学院は皇立だ。すなわち秋津姫、あんたのお父様が運営している学院だ。不正を認めたらあんたは自分のお父様に文句をつけていることになるぞ」
「そんなことはわかっている。貴様は私をなんだと思っているのだ」
「唐突に訳分らん因縁をつけて来る勢いの人」
むきー!と音を立てて怒った。まあそうなるか。
「じゃあなんだ。騎乗競走祭...騎乗タイプの精霊が列挙する中、精霊を持たない俺が必死こいて駆け足をしているのを眺めたいのか?」
「馬鹿者。私も参加するのだ、そんな間抜けなお笑いなど企画するものか」
...なるほど。つまり手の内はばれてると。当然か。
「簡易召喚か」
簡易召喚。精霊を持たぬものが、精霊の力の一端を使う方法。魔法の一種であり、最低限であれば一般人でも使用可能ですらある普遍の技術。
俺はそれを使って進級試験を突破した。
「学園でも異例の惨事。妙に強力な簡易召喚で本来”本物”の精霊が共に居なければ突破不可能な試験を突破した謎の男...それがお前だ」
惨事って言うなよ、悲しくなっちゃうじゃないか。
「つまり、試験官の判断が間違っていた、と。そう言いたいわけだ」
言うと、お姫様は残酷にも大仰に頷いた。
「ああ。そうだ。逆に聞くが、貴様は精霊部隊と言われて偽物が混ざっていて我慢が効くのか?」
「さあな」
肩をすくめると、ふん、と不機嫌そうな返事。
「では、我慢が効く者ばかりではことを覚えておくと良い。だろう、出来損ない殿?」
名付けられた渾名...そのなかでも酷いものを口にする麗奈。軽いその口調。込められた意味、その半分も理解できては居ないらしいが。少し、カチンときたところはある。
だが、ここでムキになっては良いことはない。呆れて取って返させるというのは意外と有効な手であるのだ。適当に煙に巻いて...。
「それとも何か、もしや、貴様に宿る精霊は既に死んでいるのではないか?主同様の出来そこない...いいや、この場合は生まれ損ないと言ったところか」
ぷちん。
俺は脳の血管がキレる音と言うモノを久しぶりに聞いた。
どうも、幾らかこのお姫様に告げ口...もしくは入れ知恵をしたものがいるらしいことは伝わってきた。恐らく、この勝気な女の子は義憤に満ちていることだろう。だが、ソイツは伝え忘れたらしい。いいや、もしかしたらあえて伝えなかったのかもしれないが。
ああ。
そうとも。
「ふん」
殊勝な態度とやらをかなぐり捨てる。...最初からそうじゃなかったかもしれないが。最後のそれすらも捨て去った。
剥き出しにされた感情は、怒り。
一歩踏み出す。滲む雰囲気が変わったのを感じたか、それとも気圧されたか。麗奈がじり、一歩後退る。
「俺を煽ろうというなら、大成功だ。褒めてやるよ。100点満点さ」
大体、その手のヤツは去年の内に一掃したと思ったんだがな。
「俺の様な人物には興味なさそうだもんな、お前。知らなかったなら一応言っておくよ。俺の精霊...相棒をバカにしたヤツは例外なくぶちのめすことにしているんだ」
ぎゅ、と拳を握る。
ひゅ、と麗奈が息を呑んだのが聞こえた。
「...ッ、暴力に訴える気か」
「別に、停学なら留年するまでに4度まで喰らえるんだろ?」
そもそもが精霊なんて暴力装置を育てる学園だ。暴力沙汰に関して校則が緩い。
だからという訳ではないが、俺はその手の悪口を言う奴をぶちのめしてきた。当然...。
「生粋の平等主義でな。踏みとどまってもらえると思うのなら...そうは、ならない」
じり、じり、じり...。
少しづつ、迫り、後退り、壁へと近づいて行く。
悪意、と言うよりは怒りへの恐怖と言うべきか。それに晒された経験がないのか否か。格闘訓練でも上位であるはずの彼女は、顔を青くしつつも後退していく。...まあ、その訓練の学年一位俺なんだけど。
とっ。
遂に、ゆったりとした鬼ごっこは終わりを告げる。麗奈が壁に背中を付き、焦ったように壁を触る。先ほどまでの勢いは何処へやら。何処か兎の様な雰囲気を纏う彼女に...俺は、思い切り拳を振るう。
ドゴン!
「...ッ」
つう、と麗奈の頬を冷や汗が伝う。俺の拳は、ちょうど頭一つ低い麗奈の左側頭部3ミリメートル、すれすれの壁を打ち付けていた。
そのまま俺はずい、と顔を近づける。
何を予感したのか瞑られる目を黙殺し、右の耳元に唇を寄せて囁く。
「...ま、勝負の形態を提示してくれるというならば、乗ってやろう。たかがレースで何が変わるかは知らないが。お前をぶち抜いて、出来損ない以下のお姫様にしてやるのは、中々に痛快そうだ」
とす、と崩れ落ちるお姫様を尻目に、俺はそのまま踵を返して立ち去った。
「ーーーとまあ、そう言う訳だ」
「いやどういう訳だよこのおばか!!」
事情を話したところ怒られた。何故だ。
「寧ろそこは俺に同情してくれてもいいんじゃないか?」
「そりゃまあ災難だったとは思うがよ。...ってか修練場の謎の穴はお前か。微妙に話題になってたぞ」
「しまった、直しておくのを忘れてた」
カッコつけるのが優先だったな。
「はー、お前は妙に腕っぷしは強いからな。まあその場でぶちのめさなかったのは褒めてやるぜ。皇女の顔に傷でも作りやがってたら俺は証人になってやったところだぜ。検察側の」
やれやれと首を振るケンセイ。
「だがよ。あのお姫様の鼻を明かせる、ってぇなら...そうだな。応援くらいはしてやるぜ」
...そう言えば。
「お前はあいつと同じクラスだったな」
そんなことを言っていた気がする、と聞いてみれば、ケンセイはつい、顔を上げる。何かを思い出すときの癖だ。
「ああ。まあたまたまな。...ぶっちゃけ高慢だからなぁ。一回ぐらい泣きを見て欲しい、って思うのもしかたねえのかもしれん。もしかしたら、そんなやっかみに巻き込まれた...んだったりしてな」
だとしたら飛んだとばっちりだ。だが。
「それだったら、真正面から喧嘩打ってきた姫様の方が好きだがな」
「そいつは同感。陰湿なヤツは男女問わず好きじゃねぇ」
けけけ、と二人で笑い合うと、ちょうどランドリーの回転が止まる。
「おっと、終わったらしいな」
「帰りは運べよ」
「へいへい」
まあ、何とかなるだろう。
俺はそう考えていた。
この時は。
この夜から、俺の運命が大きく変わるとも知らずに。




