俺の事情 深山悠貴の場合
イライラさせられる。
笑顔で子供に指導をしている楡崎を見ていると、理由のわからないイライラが募る。
ただ、一人一人を尊重し、丁寧に指導しているだけなのに、無性に苛つく。
頭を撫でて褒め、子供達に笑顔を向けられてさらに深まる笑みにムカつく。
そもそも、あいつは初対面から苛つかせる奴だった。
ランキング発表後の顔合わせ、あいつは酷く冷めた目で周りを見ていた。
そうなるのはわからないでもない。
中等部からのトップランカーの中にぽっと出の外部生がいるんだからな。
トップが要職に就くのは中等部からの定石だ。
一緒に仕事をしていれば仲間意識が生まれる。
グループとして出来上がっているところに新規が入るには難しい。
おまけに霞がやたら敵意を持っていた。
うまく隠してはいたが、機微に敏感な奴は気がつく。
あの時も楡崎だけじゃなく俺や大島、吉野と丁子も気がついていたと思う。
だが、その態度は如何なものか。
皆が交流しているのを他所に、壁際で佇んでいる楡崎に近づいた。
「よぉ」
軽く手をあげる。
楡崎は無表情だった顔に警戒の色を浮かべた。
「俺は深山悠貴、風紀の次期委員長だ。何かと関わる事があると思う。よろしく頼むわ」
「深山……」
ジッと俺を見た後、軽く目を見開いた。
なんだ?
「ユキ?」
イラッとする。
「ユキじゃねぇ!悠貴、ユ ウ キ だ!ユキって呼ぶんじゃねぇ!」
畜生、初等部の頃の嫌な思い出が…っ!
それに……俺のことをユキと呼んでいいのはモモだけだ。
初等部の頃、俺は喘息持ちで体も弱く生っ白くヒョロヒョロだった。
目付きは今と変わらず悪かったが、ぱっと見が女の子だったらしい。
弱いくせに威勢だけはよかったため、面と向かっては無かったが、影でユキちゃんと呼ばれていた。
俺はそう呼ばれるのが大嫌いだった。
初等部2年の夏休み、俺と10歳違いの上の兄の2人は親に連れられて山と川と田畑しかないような田舎に連れて行かれた。
そこで出会ったのがモモだ。
先に来ていた悪ガキの所為でそこでもユキと呼ばれることになったのは業腹だったが、モモが呼ぶ“ユキ”はなぜか許せた。
モモは不思議な子だった。
染井の双子の片割れの手を引っ張って、悪ガキを従え率先して遊んでいた。
笑ったり不貞腐れたり、忙しなく動く表情。
そんなに大声でもないのに、よく通る声は遠くまで聞こえ、見失ってもモモのいる場所はすぐにわかった。
俺は、俺よりも小柄なモモの求心力、統括力に憧れた。
ガキだったから、純粋にカッコイイと思ってた。
それを悟られるのが嫌で反抗的な態度をとってしまったけれど。
モモの側は居心地がよかった。
誰もが笑顔でいられた。
元気いっぱいのモモ。
でも、俺は見てしまった。
ふとした瞬間に垣間見た、どこか大人びた静かな表情。
遠くを見つめるその目に、横顔に、俺は感情が掻き乱され、戸惑った。
手を引かれている蒼太が羨ましかった。
モモを独り占めにしたいと思ってしまった。
神社裏の山で遊んでいた時、体力のない俺は一人遅れてしまう。
置いて行かれることに不安になり、不覚にも泣きそうになっていた。
「ユキ、大丈夫?」
しゃがみ込んでいた俺をモモが迎えに来てくれた。
「モモ…」
「あぁもう、泣くなって」
「泣いてない」
「うん、泣いてない泣いてない」
頭を撫でられた。
そに手が優しくて嬉しいけれど…
「…ムカつく」
つい、反抗的な態度をとってしまう。
「うん、ごめん。で、動けるか?」
「うん」
「ゆっくり行こうぜ」
「うん。…なぁ、アオは?」
「ナコに預けてきた。アオも心配してたから」
「そっか」
「ほら、手、引いてやるよ」
スッと差し出された手。
ずっと繋ぎたかったモモの手。
「うん」
思ってたよりずっと柔らかくて細っそりした手をそっと握ると、
「もっとちゃんと握らないと離れちゃうよ」
ギュッと握り返してくれた。
それがとても嬉しかった。
「こっちを抜けた方が近道なんだ。ちょっと坂だけど」
そう言って案内された道ははっきり言ってキツかった。
今ならわかる。
アレは道じゃない。
坂でもない。
崖だ。
喘息の発作もなく登り切ったのは奇跡だろう。
道とは全然違うところから現れた俺たちを見て、みんなが驚いているのがなんだか嬉しかった。
「モモちゃん!」
蒼太がモモを呼び、モモは俺の手を離してそちらに駆けて行った。
俺はそれが羨ましくて悔しくて、モモの手の温度が残る掌をギュッと握り込んだ。
その時、見つけた。
モモの付けていたヘアピン。
長めの前髪を留めていた小さなピンクの鳥が一つ付いた可愛らしいヘアピン。
駆け出した時落ちたのだろうそれは、ポツンと地面に残されていた。
俺はそれを拾ってポケットに入れた。
モモに渡さなきゃと、返さなきゃと思いながら手放せず、小さなヘアピンは俺のポケットの中。
その日の夕方、先に帰っていったモモを見送りながら、今日だけ持っていよう、明日はちゃんと返そう、そう考えていた。
夜の宮。
篝火が焚かれ、闇の中に浮かび上がる拝殿。
その舞台に謡い舞うモモがいた。
以前祖父に連れられて見た能装束のような衣装を小さな体に纏い、金色の冠の飾りを揺らし鈴を手に舞うモモは、目の前から消えてなくなりそうだった。
ふわりと翻る袖がまるで鳥の翼のようで、飛んでいってしまいそうだった。
俺は泣きそうな気持ちでポケットの中のヘアピンをずっと握りしめモモを見ていた。
差し伸べられる手から、翻る袖から、モモの全身から淡い光が溢れているように見え、その光が溢れれば溢れるほど周りの空気が透き通って行くのを感じた。
心の中に蟠っていたものが解かれ消えていくのも感じた。
いつのまにかモモの舞に引き込まれ、周りの喧騒すら聞こえなくなっていた。
けれど…
俺は怖かった。
モモがその光と一緒に消えそうだったから。
俺の手の届かないところへいってしまいそうだったから。
握り込まれたヘアピンが、熱を持ったように感じた。
翌朝、帰る支度をしていた兄にヘアピンのことを話した。
父に直接言うのが怖かったからだ。
兄から父に話が行き、ヘアピンを返すためモモのいる本家に行くことになった。
寝込んでいるモモには会えなかったが、本家の主人である老女に会うことができた。
その人は、辿々しい俺の話を真剣に聞いてくれた。
「そのピンを見せておくれでないかぇ」
そう言われ、俺は老女に近づき差し出した。
ヘアピンを手に取りジッと見ていた老女はフッと笑うと、ヘアピンを俺に返してきた。
「これはお前さんが持っておいき。あの子にはお前さんから直接返せばいい」
「モモに会えるんですか?」
「そうだねぇ、今は無理だけど、縁の糸が紡がれればまた会うことができるよ。それまでお前さんが持っていなさい。その方があの子も喜ぶ」
「……わかりました」
「こんなこともあるんだねぇ。…悠貴…と言ったかね?」
「はい」
「いい男になるんだよ。心の強いいい男におなり。お前さんらならきっとあの子を守れるよ」
「……モモを…?」
「そうさね。私からもお願いするよ。再び会うことが叶ったのなら…その時は、どうかあの子を守っておくれ」
俺はヘアピンを握りしめて頷いた。
「絶対に守るよ」
老女は微笑むと、
「頼もしいねぇ」
うんうんと頷き返してくれた。
帰りの車の中で俺は父に強くなりたいと言った。
父は少し驚いたようだが、すぐに笑って快諾し、
「そうか、お前も男だな」
そう言って頭を撫でてくれた。
俺はもうからかい混じりにユキちゃんなんて呼ばせない。
ユキと呼んでいいのはモモだけだ。
だから…
「いいか、楡崎。金輪際二度と俺のことをユキって呼ぶんじゃねぇ!」
「………わかった。すまない」
「ふんっ」
すぐに踵を返した俺は気がつかなかった。
詫びて頭を下げた楡崎が傷ついた顔をしていることを。
「深山、退屈じゃないか?」
声をかけられハッとする。
「深山?」
訝しげに楡崎が見ていた。
「あぁ、ちょっと考え事をしていただけだ。退屈じゃねぇぞ。見てるだけで色々参考になるからな」
「そうか?…まぁ、そうならいいけど」
楡崎は俺の隣で壁に背を預けた。
壁にもたれている所為か、いつもより視線が低い。
「もう指導はいいのか?」
「ん、代わってもらった。まだ本調子じゃねぇみたい。疲れ易くってな…」
そう言う楡崎の表情には力がなかった。
少し頬が上気している。
熱が出たか?
「大丈夫か?」
確認するため首に手を当てる。
潤んだ目が俺を見ていた。
光の加減だろうか、赤味を増したその色が吸い込まれそうに深い。
しっとりと汗ばんだ肌が手に吸い付くようで俺はそのまま肩へと手を滑らせて…
「深山…?」
「…っ!」
俺は今、何をした?!
何をしようと…
「どうしたんだ?」
俺の手でさらに寛げられた襟から左肩を少し見せ、キョトンと俺を見上げてくる。
その無防備な顔に心臓が跳ねた。
目が離せない。
「深山?」
怪訝に顰められた眉、その表情が妙に色めいて見える。
頬に手を当て目を覗き込むと、戸惑いながら楡崎も視線を合わせてきた。
親指を滑らせ薄く開かれた唇に触れる。
「深山…」
震える唇から俺の名が零れ落ちる。
その唇を親指で押し下げ…
「楡崎………フガッ!」
いきなり顔を鷲掴みされた。
「深山、顔、近い」
「………すまん」
てか、今、俺は何をしようとしたんだぁぁぁぁぁっ?!
頭を抱えしゃがみ込む俺を他所に、呼ばれた楡崎はそちらへ行き、入れ違いに俺の側に誰かが立った。
チラッと見ると、さっきまで楡崎に指導されていた中学生くらいのガキが一人。
「兄ちゃん、残念だったな。でもな、師匠にチューしようなんざ100万年早いんだよ」
俺はガックリと膝をついた。
「まぁ、俺以外は気がついてないから安心しな」
うるせぇ。




