⑴ 拉致
その日の帰宅途中、私のアパートの近くで黒服の男を数人見かけた。
何かを警戒しているような……
そして、私のアパートの前で、黒服の2人の男が黒塗りの車に、詩織を無理やり乗せようとしている。
私は鞄を落として咄嗟に走った。
詩織が誘拐される!
必死になって男を掴み、叫んだ。
「離せ!」
しかし、相手は武道家のような男達である。
腕力の無い私は腕を背中で捻じられ、地面に押さえつけられた。
「おやめなさい!」
詩織は、手持ちのバックに刺してあるノック式のボールペンを抜いて、声をあげた。
そして、ボールペンのボタンに親指を当てて言った。
「このボタンを押せば、データは破壊されます!」
男たちは止まった。
続けて詩織は男達に向かって言った。
「このペンの中に、メモリーカードが入っています! ボタンを押せばカードは割れて、研究データは失われます!」
詩織は男達に険しい目を向けている。
男達と詩織との間で、空気がピンと張り詰めた。
するともう一台、近くに停められていた黒塗りの車から1人の女性が降りて、私たちに向かって歩いてきた。
上品な感じの女性だ。
女性は、穏やかな表情で、黒服の男に言った。
「手荒な事はしないよう、伝えました」
「申し訳ございません」
そしてその女性は、私と詩織に向かって言った。
「驚かせてしまいました。浅野詩織さん。里中玲さん。私どもは、あなたがたを保護する為に来ました」
私は返した。
「保護? この扱いは、拉致でしょう!」
「申し訳ございません」
そして、その女性は詩織に向かって言った。
「どうか、わたくし共にご同行下さい」
……どうする、相手の正体が解らない。
しかしここで暴れても、詩織を助けて逃げられそうにない。
今の私は、黒服の男によって、地面に押さえつけられている。
考えろ、この状況に於いて、私と詩織が持つ力は、詩織が握っているメモリーカードのみ。
詩織が応えた。
「わかりました。私1人が同行しますので、レイさんを離して下さい」
「詩織!」
とっさに叫んだ。
しかしその女性は言った。
「その申し出は受け入れられません。あなたがたは事の重大さを、すでに理解されているはずです」
……やはりこの件、既に大きな組織が動いている。
その女性は話しを続けた。
「あなた方は危険な組織にマークされています。どうか私どもを信じて、ご同行下さい」
……たしかに、その可能性はある。
しかし、この女性の言ってる事を、信じて良いのか?
無言の時間が続いた。
やがて詩織は、その女性に向けて言った。
「わかりました。ただし! レイさんに危害を加える事は絶対に許しません! その時は、このボタンを押してデータを破壊します!」
女性が穏やかに応えた。
「わかりました。そのお約束をお守りします」
そして私を地面に押さえつけていた男は、私から離れた。
詩織は私に駆け寄り、抱き付いた。
ノック式ボールペンにカードを仕込み、ボタンを押すとカードが破壊される。
よくそのような準備をしていたものだ。
詩織はそのボールペンを握りしめ、ボタンから親指を離さない。
詩織の指が震えていた。
……そのボールペン? いつも勉強する時に使っている只のボールペンだ。
という事は、ボタンを押せばデータは破壊されると言った話は、フェイク?
私は大きく息を吐いた。
なんという子だ。
次回:保護による拘束




