最終話:恋を許された神子
春だった。
王都の街路には花が咲き、柔らかな陽射しが石畳を照らしている。
数ヶ月前まで混乱の渦中にあった大神殿も、今では少しずつ姿を変え始めていた。
腐敗した神官たちは処分され、
閉ざされていた制度は見直される。
そして、“神子”という存在も。
「……本当に、変わりましたね」
神殿の中庭で、リュシエンヌは静かに呟いた。
かつて一番好きだった場所。
なのに以前は、ここにいても空は遠かった。
自由なんて知らなかったから。
「感慨深そうですね」
背後から、低く穏やかな声が響く。
振り返れば、ルヴァルトが歩いてきていた。
今日は騎士服ではない。
深い紺色の正装。
公爵家嫡男としての姿だった。
「……また勝手に神殿へ」
「正式な許可は取っています」
「最近そればっかりですね」
「便利なので」
全然反省していない。
けれど、その軽口に自然と笑ってしまう。
そんなリュシエンヌを見て、ルヴァルトはふっと目を細めた。
「その顔」
「え?」
「好きです」
あまりにも自然に言われて、リュシエンヌは一瞬固まる。
「……不意打ちやめてください」
「本音です」
「だから困るんです……!」
顔が熱い。
するとルヴァルトは楽しそうに笑った。
最初に会った頃より、ずっと柔らかい笑い方だった。
◇
神殿改革後、リュシエンヌは以前のように“隔離された神子”ではなくなった。
民の相談に乗り、
地方へ赴き、
祈りを捧げる。
神に仕える役目は変わらない。
けれど今は、“人として生きること”を許されている。
そして今日は――。
「緊張していますか」
ルヴァルトが隣で囁く。
大神殿の大広間には、多くの貴族や騎士たちが集まっていた。
王家主催の祝宴。
その理由は一つ。
「……少しだけ」
本日。
リュシエンヌとルヴァルトの婚約が、正式に発表される。
以前なら考えられなかった。
神子が誰かと結ばれるなど、許されなかったから。
けれど今は違う。
王家も、民も、彼女を祝福していた。
「逃げます?」
小さく囁かれ、リュシエンヌは思わず彼を見る。
「逃げません」
「即答」
「もう逃げないって決めましたから」
そう返すと、ルヴァルトは少しだけ目を見開いた。
そして、堪えるように額へ手を当てる。
「……本当に無理」
「何がですか」
「好きすぎて理性が危ない」
「ここで言わないでください!」
リュシエンヌは真っ赤になる。
すると周囲の騎士たちが苦笑していた。
「副団長、顔が緩みすぎです」
「怖いくらい機嫌いいな今日……」
完全に周囲へバレている。
ルヴァルトは昔から無表情気味だったらしいが、最近は明らかに違った。
特にリュシエンヌ関連になると隠せない。
「……本当に変わりましたね」
「貴女のせいですよ」
「責任転嫁がひどい……」
そんなやり取りすら、幸せだった。
◇
祝宴が終わった後。
夜風に当たりたくて、リュシエンヌは一人バルコニーへ出た。
王都の夜景が広がっている。
静かな光。
あの日、この景色を見ながら思ったのだ。
自分は恋をしてはいけない、と。
なのに今は。
「一人で泣いてませんよね」
後ろから声がする。
「泣いてません」
「なら良かった」
ルヴァルトが隣へ並ぶ。
夜風が彼の髪を揺らした。
「……覚えていますか」
リュシエンヌは小さく笑う。
「最初に会った時、あなたが言ったこと」
「どれです?」
「“泣くのを我慢している顔”って」
「ああ」
彼は穏やかに目を細めた。
「当たっていたでしょう」
「悔しいですけど」
「今は?」
問われる。
リュシエンヌは少しだけ考えて、それから静かに答えた。
「……今は、幸せです」
その言葉に、ルヴァルトの表情が柔らかく崩れた。
まるでずっと、その言葉を待っていたみたいに。
「なら良かった」
優しい声だった。
リュシエンヌはそっと彼を見上げる。
あの日。
彼が手を伸ばしてくれなければ、自分はきっと今も檻の中だった。
感情を殺して。
孤独なまま。
けれど彼は、“神子”ではなくリュシエンヌを見つけてくれた。
愛してくれた。
「ルヴァルト」
初めて、自分から名前を呼ぶ。
彼が少し驚いた顔をした。
「……はい」
「ありがとうございます」
「何に対してです?」
「私を、見つけてくれて」
胸が熱い。
涙が滲む。
でも今度は、悲しい涙じゃない。
するとルヴァルトは、静かに彼女を抱き寄せた。
「こちらこそ」
耳元で低く囁く。
「生きていてくれて、ありがとうございます」
その瞬間。
リュシエンヌは泣きながら笑った。
もう我慢しなくていいのだと、
ようやく心から思えたから。
神に捧げられた少女は、
初めて、一人の女性として愛される幸福を知った。
そしてこれからは――。
愛する人と共に、
自分の人生を生きていく。




