あるいは、死の女王
出発の刻。 カエサルは、執務室の重厚な扉の前で彼女を待っていた。 これから踏み出すのは、単なる街路ではない。数万の暴徒が石を握りしめ、弟王プトレマイオス13世の軍勢が暗闇から矢を番えて待つ、死の包囲網だ。 カエサルは、磨き上げられた胸当て(ロリカ)の感触を確かめ、戦場へと赴く前の、あの氷のように澄み渡った意識のなかにいた。
だが、廊下の向こうから現れた「それ」を見た瞬間、彼の呼吸は不規則に乱れた。
そこにいたのは、朝食の席で黄金の輝きを放っていた女王ではなかった。 「歩く死装束」――。 そう形容するほかない異様な姿が、静まり返った回廊をこちらへ向かって歩いてくる。
彼女が纏っているのは、生者が着るためのドレスではなかった。古代よりファラオが永遠の眠りにつく際、その亡骸を包むために使われる最上級の「白い亜麻布」だ。 漂白を重ね、骨のように白く、そして皮膚の一部のように薄いその布は、眩しすぎる地中海の太陽の下で、不吉なほどに透き通っている。 髪には飾り一つなく、その白い首筋には、死の儀式にのみ使われるミルラ(没薬)の、苦く冷たい香りが、重く、濃密に立ち上っていた。
カエサルは思わず息を呑み、無意識のうちに腰の剣の柄を、指が白くなるほど強く握りしめた。
「……その格好は何だ。お嬢さん」
絞り出したカエサルの声には、微かな――彼自身が認めたくないほどの――「焦り」と「恐怖」が混じっていた。
「大王への参拝というより、冥府の王への嫁入りにしか見えないが」
クレオパトラは、その細い腕には不釣り合いなほど重い青銅の剣を、床にすらりと引きずりながら歩みを止めなかった。彼女が動くたび、ミルラの香りが波のようにカエサルを打つ。
「ええ。私は昨夜、貴方の足元に女王としての自分を捨て、殺したと言ったはず」
彼女はカエサルの眼前に立ち、その暗い瞳を真っ直ぐに見上げた。
「今の私は、貴方の隣で、いつ死んでも構わない一振りの刃。……それとも閣下、この『死装束』に触れるのが、お嫌かしら?」
彼女は、あえて「蕩けた恋心」を、この不吉極まりない死の装いの中に隠して微笑んだ。その微笑みは、自分自身の死さえも最高の舞台装置として使いこなす、狂気じみた女優のそれだ。 カエサルは、答えの代わりに彼女の細い腰を引き寄せ、逃がさないように強く、痛いほどに抱き寄せた。
「……よせ。そんな不吉な冗談は、私の心臓に毒だ」
カエサルの胸の中で、ドクン、ドクンと、早鐘のような鼓動が響く。 彼は、自分を「最高の味方」にしようとする彼女の演出に、戦慄しながらも、同時にどうしようもなく、狂おしく惹かれている自分を認めざるを得なかった。 これほどまでに美しく、これほどまでに死に近い女が、自分の隣にいる。
「行くぞ。……私の側を離れるな」
二人は、宮殿の堅牢な門を出た。 外には、自分たちの命を狙う数万の暴徒と、弟王の軍勢が、血に飢えた獣のように待ち構えている。 白い死装束の女と、真紅の外套の英雄。 死の香気を振りまきながら、二人はアレクサンドリアの混沌へと踏み出していった。
伊達政宗もびっくりの死に装束でのお墓参り、さてどうなることやら!
古今東西、相手をビビらせる衣装といえば白装束ですよね(ほんとか?)
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