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絨毯から始まるハニートラップ 弐

「……思っていたよりも素敵な方で安心しましたわ、執政官閣下。噂では、『ハゲの女たらし』と、聞こえていましたので」


 時が止まった。 護衛兵たちが息を呑む気配がする。 カエサルは一瞬、呆気に取られたように目を見開いた。自分の薄い頭髪を、初対面の、しかも命を救われたばかりの小娘に指摘されたのだ。


 そして、次の瞬間。 静まり返った執務室に、地鳴りのような、けれど低く洗練された笑い声が響き渡った。

「ははっ……! ははははは! なるほど、アレクサンドリアの教育は、礼儀作法よりも先に『急所の突き方』を教えるらしい」

 彼は実に愉快そうに、そして慈しむような手つきで、自らの薄くなりかけた額をなぞった。その仕草には、隠そうとする卑屈さなど微塵もない。むしろ、自分の弱点さえも一つの「勲章」として楽しんでいる、圧倒的な強者の余裕が漂っていた。


「その通りだ、小生意気な女王陛下。私は確かに、ローマ中の夫たちから恨まれ、理髪師を泣かせてきた男だ。だが――」


 彼は膝をついたまま、彼女に被せた赤い外套の襟元を、そっと整えた。 武骨な指先が、彼女の震える鎖骨にわずかに触れる。それは、先ほどまでの「保護」よりもずっと熱く、危険な温度を持っていた。


「……私の髪が薄いのは、君のような手に負えない女性たちのことを考えすぎて、知恵を絞りすぎたせいだよ。そして『女たらし』という評価については、これから君自身が、その鋭い舌で真実を確かめればいい」


 カエサルは彼女の瞳の奥、まだ消えぬ恐怖と、それを上回る野心が火花を散らす暗淵アビスを覗き込んだ。


「さて。ハゲの女たらしに命を預けた感想はどうかな? 案外、居心地が悪くないと思っているのではないか。……その赤い布は、君によく似合っている」


 クレオパトラは息を呑んだ。 彼の言葉は、挑発であり、誘惑だった。

 彼女は、カエサルの外套の重みを肩で感じながら、ゆっくりと立ち上がった。 膝の震えはまだ止まらない。けれど、彼女はその震えを「武者震い」へと昇華させるように、カエサルの執務机へと歩み寄る。そこには、エジプト全土の地図が広げられていた。

 クレオパトラの細い指先が、ナイルの河口から上流へと、地図の上を滑る。


「……呆れた。世界を征服した男が、エジプトを測るのにこんな稚拙な計算式を使っているなんて」


 彼女はカエサルを振り返る。

 その瞳には、先ほどまでの「助けを求める少女」の影はない。代わりに宿っているのは、数千年の王朝を背負う者だけが持つ、冷たくて眩い黄金の光だ。


「閣下。貴方が私をただの『保護すべき娘』として扱うなら、私は今すぐこの窓からナイルに身を投げましょう。死体であれば、貴方の政治の道具として使い勝手もよろしいはず」


 彼女は一歩、彼に近づく。

 カエサルの体温が伝わる距離。外套の下で、彼女の胸の鼓動が早鐘を打っているのがわかる。だが、彼女は退かない。



「けれど、もし貴方が、退屈なローマの元老院を黙らせ、真の『皇帝』になりたいと願うなら……私を、貴方の心臓の隣に置きなさい。貴方の剣に、私の知恵という毒を塗りましょう。二人で、この古びた世界を塗り替えるのです」


 カエサルは沈黙した。 目の前の21歳の少女は、自分を誘惑しているのではない。

「自分を使いこなしてみせろ」と、世界そのものを賭けて彼を挑発しているのだ。

 52歳の男の胸の奥で、久しく忘れていた、若き日のような荒々しい野心が、どくん、と跳ねた。 事務処理と元老院の根回しに追われる日々の中で、錆びついていた何かが、彼女の放つ熱によって溶かされていく。


 カエサルは、彼女の失礼な物言いに怒るどころか、まるで珍しい異国の宝剣を検分するように、その瞳を細めた。


「……度胸は認めよう、お嬢さん(プエッラ)」


 その呼び名には、明らかな年長者としての余裕と、わずかな揶揄が混じっている。

 カエサルは彼女の顎に触れていた手を離すと、わざとらしく自分の薄い頭頂部を撫で、困ったように肩をすくめてみせた。


「ハゲの女たらし、か。ローマの元老院も、エジプトの子供も、私のことをそのように喧伝しているとは。……だが、残念だったな。今の私は、ただの『女』には興味がない。私が求めているのは、ローマを、そしてこの世界を共に面白くしてくれる『共犯者』だけだ」


 彼は彼女を立たせるために、今度は指先ではなく、掌をしっかりと差し出した。 それは、庇護を与える者の手ではなく、契約を交わす者の手だった。


「今の君は、ただの震える小鳥だ。だが、その口の利き方だけは、確かに女王の毒を持っている。……面白い。君が私に『欲情』させたいのなら、肌を見せる必要はない。その賢すぎる脳髄で、私の退屈を殺してみせろ」


 クレオパトラは、差し出されたその大きな掌を見つめた。 ローマの剣ダコのある、分厚い手。 彼女は、自らの小さく白い手を、迷うことなくその掌に重ねた。 強く握り返される感触。その痛みにも似た力強さが、二人の運命を、そして歴史の歯車を、大きく回し始めた瞬間だった。


ハゲだけどスパダリ。

女たらしだけどローマ最大の英雄。

そんなカエサルがどなたかの胸に刺さるといいな、と思いつつ描いています。(私には刺さりまくってます!)


そんなハゲの女たらしを応援してくださるという同士の皆様はぜひ下にある**【☆☆☆☆☆】評価と【ブクマ】**を!!

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