立夏
とつとつと降る雨がまた季節を巡らせる。陽射しは日ごと熱を増し。なれど風は冷たさを残したまま、肌にまとわりつく湿っぽさを含み始めていた。
木々は枝を伸ばしては新芽を萌やしてゆく。まだ若い緑。柔らかなその色味が深緑に被さるように山を染めていた。
雨のち晴れ。
狐を共に山を歩いていた蓬霧は、その景色に足を止めた。それから慈しむように目を細め、微笑を浮かべる。
「おはよう、蓬霧。よい天気だねぇ」
ふいに、その背に柔らかな感触が抱きついてきた。首をめぐらせれば、豊満な身体を押しつけてくる夏の女神が寝ぼけ眼に微笑んでいた。深い、緑の香りがする。
「潤晴來起きたんだね」
「うん。おはよう」
蓬霧に輪をかけてのんびりとした性格の神は、少し低めの声でゆったりと言葉を紡いだ。その肩には尾が長く、目の周りに濃い青色をさした鳥が止まっている。彼女の共だ。
「久しぶりだね、サンコウチョウ。今年も無事、渡って来れたんだね」
えぇ。美しく高い声でサンコウチョウは鳴いた。
「またこの美しい女神に会うために、海を越えて参りました」
「うん。相変わらず、美しい声だね」
「そうだろう、蓬霧。此奴の声で目覚めるのは中々にいいぞ。今度、貸してやろうか?」
蓬霧の賛辞に、潤晴來は満面の笑みを浮かべ声を弾ませた。サンコウチョウもまた誇らしげに胸を膨らませている。
ほぅ、と蓬霧。その本気とも冗談ともつかない神の申し出に、慌てたのは狐だ。
「な、なりません。蓬霧さまのお世話は私の役目なのでございますから。サンコウチョウ殿の手を借りてしまったら、蓬霧さまとの時間が減ってしまいます! ね、蓬霧さま。蓬霧さまも狐の方がよろしいですよね!」
「お前はほんとに姦しいねぇ」
「蓬霧さま!」
必死な狐に対して蓬霧は微笑を湛えながら鷹揚に応える。彼らのやり取りに、潤晴來はあっはっはと朗らかに笑い声をあげた。サンコウチョウもまたクスクスと笑い、主人の提案を推辞した。
「えぇ私も貸出はご勘弁願いたいですね。どうぞご理解ください、潤晴來さま。あなた様と共に在れる時間が惜しいのです」
「なるほど。それは、悪いことを言ったね」
「いいえ。お褒めいただきありがとうございました」
蓬霧たちとはまた違う、おおらかに賑やかな彼女らの存在が山をざわめかせる。
木々の間を通る風はやはり湿った重さを増して肌を撫でていった。季節の変わり目。その気配を蓬霧は視線で追った。
春の神へ、夏の神は一首歌を詠む。
「惜しめども止まらぬ春もあるものを言はぬにきたる夏衣かな」
耳朶を震わせたその声に視線を戻した蓬霧はそっと、口元を綻ばせた。
「それを、君が言うのかい」
晴れ晴れと、浮かんだ笑みはこれからの季節そのものだ。
「私だから言えるのだろう? なぁ、蓬霧」
潤晴來が、蓬霧の頬に手で触れる。
「夏が来るぞ」




