ほどく
「あ、蓬霧さま! 見て、見て!」
いつものように山を巡り歩いていた途中。呼び止められた蓬霧が声のした方へと振り向いた。
そこにあったのは、まだ若いブナの木に巻き付く山藤の姿だ。声をかけてきたのは、どうやら藤の方のようである。
「見て、蓬霧さま。めっちゃ日当たり良好!」
「あぁそうだね」
頷くも、蓬霧の視線は空を見上げ途方に暮れているブナへと向けられていた。まだ枯れるほどではないが、このままではどうなるか分からない。ブナに蓬霧は声をかけた。
「随分と、見事にやられているね」
「えぇ。見事なものです」
「許してやってくれないか。あれに、悪気はない」
「承知しております。これも在るが儘でしょう。仕方のないことです」
苦笑して答える姿は諦めをふんだんに含んでいる。――蓬霧さま? と首を傾げる藤だけが陽気な声をしていた。
と、そこへ。山を登る人の気配が近づいてきた。蓬霧はそっと狐を抱え、ブナたちから距離をとる。
それでも彼らの声が届く位置ではあったが、ヒトからは蓬霧たちは見えていないようであった。
「あぁなんてざまだ。藤が絡んでやがる」
嗄れた声で藤を見上げるのは、山でよく見かける老人である。隣に立つのはこの頃共に来ていると聞く若人だろう。老人と共に鮮やかな花を垂らす藤を見上げる表情は、しかとその色彩に見惚れていた。
老人は違った。
「よし、ブナ傷つけないように藤、切っちまうぞ」
そういうと、手に持って来た道具の準備を始めたのだ。
「は?! バカ言ってんなよニンゲン! なんでオレを切るんだよ!」
「え、こんなに綺麗に咲いてんのに、切っちゃうのかよ」
叫ぶ藤の声は聞こえてはいないだろうが、若人はそれを代弁するかのように老人へと口を開いた。
――そうだ、そうだ。藤が若人の言葉に追従する。
しかし老人は頑なに若人へ言い聞かせる。
「美しかろうが藤をほっぽいたらブナは死ぬ。ブナが死んだら藤は隣へ移る。その木も死ぬ。だから切るんだ」
「けどこの藤だって生きてんだろ。これ以上広がらないようにすれば良くないか?」
蓬霧は、黙ってそれらを見ていた。ブナもまた黙している。
藤は抗い続ける。
「そうだ! 在るが儘だ! ヒトが手を出すな!」
「ダメだ。花が咲くまで気付けなかった俺が悪いが、こいつは切るしかない」
「こんな綺麗に咲いてんのに。今切ったらかわいそうだ」
「そうだよ、今年はうんと綺麗に花がついたんだ。なんで切るなんて言うんだよ!」
「かわいそうだって言うなら、お前が枝分けでもして庭で育ててやればいい。藤は強い。お前でもなんとかなるだろ」
否を返し続ける老人に、若人はついに口を閉ざした。その姿に慌てたのは藤だ。このままでは藤こそ枯れてしまうと、側で彼らを眺め続ける蓬霧に助けを求めた。
「蓬霧さま! 何とかしてくれよ。このままじゃオレ切られちまう。せっかく日の当たるところまで行ったのに。ねぇ、なんで黙ってんだよ!」
しかし、蓬霧はそれに応えることはなかった。
「藤、ヒトとて山の一部だ。彼らがそう判断したのなら、私はただそれを見守るだけだよ」
「そんな! 蓬霧さまは、山の守り神じゃないのかよ!」
「そんな大層なものじゃあないよ。私はただ見届けるだけだ。例えヒトが来ず、ブナが枯れることになろうとも。私は同じように見届けたよ」
「そんな……オレは、だって。だって、オレだって生きてくためだったんだよ」
「分かっているよ、山藤。山の者はみんな、分かっている」
ブナがそっと両者の間に立ち、藤を慰め始めた。納得がいかない藤はそれを煩わしそうに身を揺らした。
そうしている間に、ヒトたちの間では結論がでたらしい。
「じゃあ、どこら辺取ってけばいいかだけ教えてください。あとは帰ってから、自分で調べます」
「ならとっとと切るぞ。春になっても山の夜は早い」
「分かってる」
とうとう刃が藤へと向けられる。
「蓬霧さま!」
助けてと、藤は叫ぶがやはり蓬霧は取り合わなかった。
「在るが儘だよ、藤。根付けたなら、いずれまた会うこともあるだろう。達者でおやり」
それでも祝いだのは、蓬霧なりの情だろう。痛いと喚く藤とそれを慰めるブナに目を細め、蓬霧は歩き始めた。
「蓬霧さま」
腕に抱えられたまま、狐は主を呼んだ。けれど、続く言葉はない。
「さて、どこへ向かおうかね」
ゆったりとその背を撫でた春の神は、平素と変わらぬ声音で穏やかに微笑んでいた。




