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シオンノハナコトバ  作者: キリ
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後編 下

ーもし生まれ変わるなら。優しい兄弟に普通の見た目の、普通の人間になりたい。



***


もう夜が開けるというのに頼りない光が森を照らす。

百合姫が見たそこは荒れ果て、風が虚しく吹き抜けていた。百合姫は口元を覆い「これは」と震える。


『お姫様、これが紫苑だよ。それでもお姫様は紫苑を嫌わない?』


木の妖精モクはいつもよりもしっかりした口調で百合姫に問いかけた。

紫苑は妖で自分は人間。そんなわかりきった事実が目の前に置かれた時、初めて百合姫は紫苑を「こわい」と思ってしまった。


だけど


「私の気持ちは変わらない。これから先ずっと、私は紫苑が大好き。」


胸の前で指輪をきゅっと閉じ込めて微笑む。抉れた地面や、薙ぎ倒された草木。

生き物の。命に対して優しい紫苑がこうしてしまったのには、きっとちゃんとした理由がある。だからそれを聞いて理解した上で怒らなくてはいけない。

ただ、それだけ。こわいなんて気持ちはもうない。


『そっか………お姫様はとっても優しくて綺麗な心をもってるね』


モクはそう呟き、紫苑のいる場所に案内した。しかし、そこには紫苑の姿はなくボロボロになった杭や、破れた御札が散らばっているだけだった。


『こ、これは……紫苑がいない!』


『お姫様大変紫苑が………』


そう振り返ったが、先程までいた百合姫の姿も消えていて、モクはたりと汗をかいた。



『ボクいつから一人で喋って………じゃなくて!お姫様までどこに行っちゃったの?!』



……


目の前が急に遠のいた。

あれ?と疑問に思うより先に「行かなきゃ」と唇を動かし、モクに背を向けた。



ぶわっと吹いた風。百合姫の長い黒髪を撫で付けて通り過ぎる。

開けた場所に紫苑の花に囲まれたかぐやの大木があった。

ここはいつも紫苑が手を合わせる場所。自分と紫苑が逢う場所。沢山の思い出の詰まった大切な場所であり。



私が呪われた場所でもある。



虚ろな目で淡く光る木を見つめてそこに近づく。


「貴女は………だれ?」


大木の傍で佇む年の変わらない月色の少女。

透き通るような白い顔で月のように柔らかく笑い手を伸ばす。

無意識に手を挙げてそちらに伸ばした。


そっと手と手が触れ合うと、少女は百合姫を抱き寄せる。


そこで百合姫ははっと目を覚ましたようにその少女から離れようとするも、少女はくすくす笑いながら百合姫の頬を撫でた。そして。



「おやすみなさい。」


耳元でそう囁かれ。百合姫は目を見開いた。

ドクンと一度大きく脈を打った心臓が、少しづつ脈を弱めていく。


「ぁ……………ぅ………っ…」


ずるずるとその場で崩れていく体。

瞼が重くなっていくなか、その少女を見上げた。


「あな………た………は」


少女はくすっと口元を着物で隠して姿を消した。

百合姫は大木に寄りかかるように座り込み苦しい胸に涙を流しながら、指にはめた紫苑の花を見つめた。


「紫苑………」


ポロッと涙の雫が落ちて、ちょうど紫苑の花を濡らした。





あずきに跨って森を駆け抜ける。あずきを伝い紫苑の血がポツポツと地面を染めていた。

少しずつだが塞がっているが、この傷は後後紫苑にとってよくないことが起こることはわかりきっていた。

確実に寿命は縮められているだろう。


だが紫苑にとってそんなことは今どうでもよいことだった。



「百合姫……」


空が段々と白みだす。今日は百合姫が生まれた日。早く早くと逸るのは彼女に逢いたいから。会って触れたい。


それだけ。この気持ちはなにかを恐れているのではない。


悪い方に考えるのはやめなければ。そう思うのに頭の中でぐるぐると嫌なことばかりが渦巻いていく。


さわさわと夏の少しだけ涼しい風が紫苑の銀色の髪を撫でた。


「モク………?」


あずきが立ち止まったのはかぐやの大木があるあの場所。

そこでモクが微動だにせず浮いていた。

紫苑が声をかけると、モクはぴくりと反応してゆっくりと振り返った。


『紫苑………ごめん……』


ボロボロと涙が溢れて落ちた。

その言葉を聞いた紫苑は目を見開きモクの横を走り抜けた。


いやだ。そんな。違う。こんなの、絶対にあってはいけない。

いや、なんでよりによって…



なんでアイツが……!


浮かんだのはにこっと笑う百合姫。

影のある笑顔ではなく。心の底から笑う彼女。

優しくて繊細で。不器用なくせに一生懸命で、愛おしい。


どうして彼女が呪われているんだ。

根本的なことを今更考えた。彼女は自分のせいと言ったが、この世に神がいるのならばどうして彼女の呪いを解いてやらないんだ。


どうして、どうして、ワシは……



「百合姫!! 」


何もできずに泣いているんだ。


「紫苑………ああ、よかった。あなたに逢いたいと思っていたの…」

「百合姫……すまない。ワシはなんにもできん…お主のこと…くそっ」

「…そんなことない。傍にいてくれてる……それだけでいいの……

それより、ひどい怪我…手当しなくちゃ」

「そんなのいい。ワシなら平気じゃ」

「ダメ……」

「……頑固じゃな。わかった…すぐにする」

「ごめんなさい………」


もう百合姫の手はまともに動かない。小さな手を紫苑はそっと握り。彼女の身体を支えて、頬を撫でた。

悔しくて辛くて悲しくて。

瑠璃色の目からポロポロと透明な涙が溢れて落ちた。

その涙を見た百合姫は「泣かないで」とふわっと微笑む。本当はその頬に手を伸ばしたいのに、呪いが愛しい人に触れることを許さぬかのようにそれを阻んだ。


宝石のような瞳から同じく宝石のような涙が落ちてくる。

百合姫は自分の為に泣いてくれる紫苑を心の底から愛おしいと思った。

同時に離れたくないと強く思う。


「私………一度貴方を裏切ってしまった……苦しくて、辛くて……忘れたいと…約束をしたのに……ごめんなさい」

「ワシもじゃ…怒りで全て忘れても良いと思ってしまった……すまない」

「だけど今は違う…全然……違う。」


百合姫は美しい顔を歪めながら「忘れたくない」と言った。


「眠りたくもない……千年なんて、長くていや!…離れたくないよ」


ボロボロ涙を流す百合姫を抱きしめた。

どんどん体温をなくしていく彼女の背中をぎゅっと痛いくらい掴んで「あっという間じゃ」と言った。


「千年なんてな…目を瞑って10を数えている間に終わってしまう。怖がらなくていいんじゃ」

「それにな…ワシは千年後もお主を……百合姫を待っておる」


しっかりと伝わる紫苑の体温と、ドクドクと自分の物とは違う生きている音を聞いて、百合姫はゆっくりと頷いた。


「紫苑……泣かないでって…」

「泣いてなどおらん!……一々からかうんじゃねぇっ」

「うそばっかり………でも…ありがとう」


紫苑はゆっくり百合姫を横たえてそっと髪を撫でる。


「ねぇ紫苑………お願い…忘れないで」

「当たり前じゃ 」

「……紫苑…好きだよ…」

「…ぅっ…! 」


ぼふっと紫苑は赤くなりそっぽを向くが、すぐに向き直り息をすっと大きく吸い込んだ。



「愛してる」


あの日言えなかったセリフ。

真っ赤になった紫苑は口元を隠して「ずっとじゃ!変わらん」とぶっきらぼうに叫んだ。


百合姫はその言葉を聞いて頬を染めながら「私も愛してる」と泣きながら微笑んだ。

紫苑はその涙を拭おうと手を伸ばしたが、それを阻むように百合姫の体に茨が巻き付いていく。


「百合姫!!」

「………」


すうっと目を閉じた百合姫に手を伸ばすも、大木ごと覆うように生えた茨がそれを阻んだ。


茨は百合姫を傷つけはしないが、紫苑の身体は容赦なく傷つけ拒んだ。

そんなことも構わず茨に飛び込もうとしたがまるで陰陽師の結界のように紫苑は弾かれ、身体に傷をつけていく。


「くそっ、!畜生……」


もうだめだ。呪いを解くことなんてできない。それを理解した上で紫苑は茨に突っ込んでいく。


『紫苑……やめて…君の身体は脆いんだ…その傷……陰陽師の矢のものだよね…それは命を縮められてる』


モクの制止も聞かず、紫苑は血だらけの手で茨を引き千切る。

それでも茨が道を開けることはなく、百合姫の姿すら見えることはなかった。



朝日の白い光が紫苑の銀色の髪をキラキラ輝かせる。

紫苑は自分が植えた大切な紫苑の花の上で蹲りガンガンと土を叩いた。


「あいたい……百合姫に……逢いたいっ…」



千年月が巡るまでその願いは叶わない。




カサッと足音が聞こえた。紫苑は振り返らず、あの日の体勢のまま泣いていた。

百合姫が眠ってからもう半年が経っていた。


紫苑の背中にふわりと羽織がかけられて、その羽織の懐かしい香りにはっと顔をあげた。

横を向くと、彼女の母が悲しそうに微笑んでいた。


紫苑は何と言ったら良いかわからず、口を小さく開き形を変えながらゆっくり閉じた。


そして「すまない」と呟き、俯く。

百合姫の母はゆっくり首を振り「これを」と懐から小さな和紙を取り出した。


百合の香りがするその和紙を開くと、綺麗な筆跡で和歌がしたためられていた。


「これは?」

「あの子のものです。」


『千月に 忘るる事無き 隠れ草 傾く姫百合 彼咲き望む』


ー千年後も忘れないと約束してくれた紫苑に、先を望む勇気を貰いました。千年後も枯れることなく彼を想い続けます。姫百合は傾いて咲くことはないのですから。


「私はこの和歌を詠んだ、あの子の信じた貴方を信じます。」


そっと紫苑の肩に手を置いて百合姫によく似た顔で笑った。


「あの子をお願いします」


涙がポロポロと頬を伝う。

そこでようやく紫苑は自分のやるべき事に気付かされた。

こんなところで情けなく泣いていたって仕方がない。

それに、この人はもう……


ぐっと拳を握り「まかせてくれ」とドンと胸を叩いた。百合姫の母はこくりと頷き、姫百合の花を茨の傍に置いて手を合わせた。

そしてあずきの轡を引いて百合姫と紫苑に背を向けた。


多分彼女がここに来ることはない。紫苑は何故かはわからないがそう確信した。



『紫苑』

「なんじゃ、別に慰めなどいらんぞ」

『背伸びたんじゃない?』

「はぁ?!なんでそんなどうでも良いことを今言うんじゃ」

『えっ、ごめん。なんか他に言うべきことあったかな』

「っ!………まぁいい。どれそうまでいうなら測ってみるか…」



カサッと四季に囚われることのない場所から離れる。暖かな空間から1枚薄い壁をすり抜けるように、冷たい風と雪を踏みつける。

紫苑は「寒い寒い」と手をこすり合わせ、はぁと息を吐き出した。


百合姫が眠るかぐやの木のまわりは、何を植えても基本的に育ち枯れない。

紫苑はそれを利用し、毎日欠かさず紫苑の花を植えていた。

勿論南天の分も含めてだ。


手近な木に背をあずけ、自分の頭の上に線を引いてみた。

それを見つめ「おお、確かに少しばかり伸びた気がするぞ」と目を輝かせる。

モクは『百合姫に会うときにはもっと伸びてるんじゃない? 』と笑いながら紫苑の頭の上にすとっと降り立った。


「…そうじゃな」

『ん?』

「とりあえずワシの頭から降りろアホ!」


一瞬声のトーンが落ちて、紫苑は自分の胸元をそっと撫でていたように見えた。表情が見えなかったモクが、紫苑の頭から顔を覗かせると、首を掴まれてぺいっと弾かれた。


「……悪かった。お前の森を壊して」


紫苑がモクに謝る。モクは言っていることが一瞬わからずキョトンとしていたが、すぐに意味を理解し『ホントだよ!』と言ったが、にこっと笑い『春になったら覚悟してよね』

と言って、紫苑の頭にまた降り立った。




***

七回目の冬。紫苑は自宅として使うことにした南天の寺を綺麗に掃除していた。

休憩がてら自分で作ったカステラを頬張る。百合姫より美味いのではないかと失礼なことを考えてしまったが、彼女の作る物はなにとは言えないが自分では作れない「うまさ 」があった。「食いたいのう」と嘆きフラフラと足を揺らす。


早く雪なんて溶けてしまえばいい。


そう思った時。

ザリッと雪を踏み締める足音。紫苑はこの人物の臭いを知っていたし忘れることなどできなかった。

すぐに立ち上がり、その人物を睨んだ。


「てめぇ……まだワシを殺したいのか?」


「穗村!」


七年半前より若返っているように見える錦木穗村を睨みつけ。毛を逆立てるようにすごむ。穗村は紫苑をじっと見つめた後「百合姫は?」と訊ねた。


「てめぇに教える訳ねぇじゃろ!」

「そうか、概ねの検討はついているので構わない。邪魔をした」


「待ちやがれ!百合姫のところには行かせねぇぞ」


紫苑は穗村の背に叫ぶと同時に南天の部屋にあった刀を握る。

ゆっくりと穗村が振り返る。


「今の私はお前の寿命をさらに100年縮められる。」

紫苑はごくりとつばを飲み込んだ。

「だからどうした」とすごみたかったが、更に寿命を縮められるのは紫苑にとっては避けたい事で、相手に敵意がないことをもう一度確かめるようにじっと見つめてから、刀を握る手をゆっくり放して「何をしに来たんじゃ」と訊ねた。




ーー···

それは雪深い小さな集落の幼い少女の物語。


雪のような白い肌に黒檀の髪。その肌に差すように映える血潮のように紅い唇。


その少女は太陽に嫌われていた。


冷たすぎる手は、まるで氷のようで人と触れ合うだけでも溶けてしまうほどだった。


その少女は名を白雪六花。齢10の普通の人間から生まれた普通でない娘。


その少女と穗村が出会ったのは百合姫が眠りについたすぐ後のこと。

錦木家から追い出され行くあてもなくさ迷っていた時だった。


日に日に若返っていく姿は、愛しい実の姉紫真と共に過ごした20代にまでになっていた。

凍った水面に映る姿を見て嫌になる。せっかく仇を打つ為にこんなことまでしたのに、自分は情けなく紫苑に化かされた。


どうしてみんなアイツを選ぶのだろう。


姉もあんな家を捨てて戻ってくればよかったのだ。

百合姫も呪いを解くことを優先し紫苑を見捨てればよかったのだ。

彼女の母もそう、なぜ娘のことを優先しなかったのだ、わからない。


どうしてこんなにも虚しい気持になるのだろう。



「この村の人じゃないの?」

「っ! 」


背後を取られたのに気がつかなかった。

振り向きざまに刀を向けると、驚いたことにまだ幼い少女だった。

刀を収めるか迷ったが得体の知れない存在には代わりはないので刀を向け続けた。


「あなたお名前は?」


その刀の切っ先を見つめたまま少女は尋ねた。「先にこちらが名乗るべきだよね。」と言い「白雪六花。はじめまして」と太陽のように微笑んだ。



初めは警戒していた穗村だったが、行くあてもないのでしばらく彼女の世話になることにした。太陽が顔を背けるこの集落には、彼女と少数の村人だけしかいなかった。


「白雪は母や父はいないのか」

「いるよ。だけど六花は嫌われているから」


触れてはいけないことだったのかと穗村は視線をさ迷わせて「すまない」と小さく詫びる。しかし六花は「どうして謝るの?」と不思議そうに黒い瞳を丸めてから、ストッと小さい庭に降り立った。


そして椿の花を愛おしそうに見つめた後「ごめんね」と言いながらそれに触れる。


パキパキと小さな音を立ててその花は氷の中に閉じ込められた。


「お父さんとお母さんはここよりずっと離れた高いところにいるの。六花はこの村をずっと死ぬまで凍えさせなきゃいけないの。」

「六花はすぐに火傷しちゃうから、先に熱を奪っちゃうの。」


なぜ。と聞きたかった。

沢山の疑問が渦巻いた後出てきたのはやはり、さっきと同じ謝罪の言葉だった。


六花は「謝るのはもうやめにしよう。穗村はみんなと違って離れていかないから」と微笑んだ。

穗村はその笑顔を見て昔の自分を思い出していた。

才能のない自分に匙を投げた大人達。いつも泣いていた自分を唯一認めてくれた優しい姉。彼女は「ずっと一緒だよ」と言って離れていった。


ああそうか。私はずっと…


「私は白雪から離れない。約束しよう」


小指を差し出して跪く。

半分以上人間なんてやめてしまった自分には残されたことなんてなにもない。

それなら目の前の小さな女の子。自分とよく似た生い立ちの六花を喜ばせたいと思った。


「本当?嬉しい」


六花は手と手を合わせて頬を薄桃色に染めながらにっこり笑って、着物の裾で自分の手を隠して、布越しに穗村の指に自分の指を絡めた。


「六花の指冷たいでしょ」

「私も体温なんてほとんどないから同じさ」

「そうなのかな。でもそうなのかもしれない。」


二人の生活は寒い雪の中でも、まるで陽だまりのような暖かい日常で、次第に若返る穗村と少しずつ大人になっていく六花は互いの歳が徐々に近づいていくように、心も同じように急速に近づいていた。


布越しに触れ合う手と手の冷たい感触。

体温なんてなくても暖かい。二人は見つめ合ってゆっくり顔を近づけたが六花はそれを拒むように顔を逸らし「穗村を凍らせたくない」と呟きそして決意したように言った。


「六花、もうすぐ死んじゃうの。ごめんね」

「ずっとずっと前から決まってたの。18歳になる前の日にこの木の林檎を食べて死ななきゃいけないの。」



集落に住む7世帯の人々はそれぞれ重い罪を背負っていた。作物も育たない水もまともに出ない過酷な環境で過ごすという罰を与えられていた。それは彼女が5歳から数えて12年間。幼少期の大半を六花はひとりぼっちで過ごしてきた。

自分の未来もきちんと理解して。


しかし穗村は「そんなのおかしい」と声を荒らげた。


それは六花の両親に対してなのか、はたまた自分の辛すぎる運命を受け入れている六花に対してなのか、穗村は自身でもわからないでいた。

ただ一つわかることは、また穗村が大切な存在を失うということ。


「一緒に行こう」


そう手を出す。いや違うと首を振り、ゆっくり跪き「白雪を失いたくない。傍に居てくれ」そう手を差し出した。

六花は嬉しさを噛み締めるようにふわりと微笑み、ゆっくり首を横に振った。


「六花はこれ以上、お日様から逃げたくないんだ」


「もっと、堂々と空を眺めたい。」


分厚い雲が覆う空を見上げて手を伸ばす。

そんな彼女に胸を痛めた。きっとなにをしてもこの先の未来は変わらない。それなら、


「白雪のことはこの先もずっと守り続ける。ずっとずっと、一緒にいる。」



ああ、これではあの憎らしい住職。海月南天と同じではないか。

悔しいけれどこの感情はどうやっても曲がらない。

こんなことならもっともっと早くに彼女と出会いたかった。


もっと早く救われたかった。


手から滑り落ちる林檎。それを拾い上げて同じように噛み切るが、いくら飲み込んでも死ねなかった。


晴れた空から13年ぶりに太陽の光が注ぎ込む。

硝子の棺で横たわる六花は目を細めて太陽に手を伸ばす。


「あれ、溶けない………あったかいや」


その手を穗村は包み込み「すまない、私は体温がないんだ」と泣きながら言った。

透明な涙は頬から顎に伝いポタポタと雨のように落下した。

六花は穗村の手を弱々しく握り返して「六花の手はあったかい?」と訊ねた。


「とても、あたたかい。」

「そっか、よかった……もう誰も冷たくしないですむんだね…よかった」

「…そうだな。」

「ねぇ、お願いがあるの…」


六花の唇がお願いを言い終わる。それを言い終わると六花はゆっくり目を閉じて息を止めた。

かくりと力をなくした小さな手が、穗村の手の中でかすかなぬくもりだけを残して動かなくなる。


穗村は涙を拭って、六花の唇に自分の唇を重ね合わせる。

本来ならきっとここで目を覚ますはずなのに、六花は凍っていない涙を一筋流しただけだった。


頭の中で「せいぜい鬼にくれちまったもんに後悔しながら生きるんだな」と言った紫苑が浮かんだ。


そして奇しくもその通りで、穗村はこれまでにないほど後悔し純粋な涙を流し続けた。


いくら長生きしようが、若返ろうが大切な人1人守れないなら意味なんてないではないか。


穗村は一晩泣き明かし、その後六花の硝子の棺を木陰に安置し旅の支度を始めた。

せめてもの償いをした後、六花との約束を果たすことを胸に誓って。


***


百合姫の眠る木のそばに朝顔の花を添えて祈るように目を閉じた。


「お前の言う通り。私は後悔している。」


紫苑は「ようやく気が付いたのか」と素っ気なく返し「百合姫の為に祈ってくれた事には感謝する。じゃが用が済んだならとっとと帰ることじゃ」と睨みつけた。

穗村はすくっと立ち上がり「哀れな匙。」と呟いた。


「ワシはアイツじゃねぇ」

「いや、あの時確かにお前はあの匙だった。そしてお前は愚かなことをした」

「なんじゃいきなり。ケンカなんかせんぞ…ワシは生きて百合姫に再び逢うのじゃ」


穗村は一度目線を逸したあと、紫苑を憐れむように告げた。根本的な問題についてを、的確に。


「妖怪には呪いは解けない」


さあっと吹き抜けた風は、この春の地にそぐわない冷たいもので、外の雪の冷たさによく似ていた。


「それにお前は妖怪としての寿命は短くなっている。その後姫君は一人になるぞ。」


「あの時お前は完全に人間となっていた。その時に先に姫君の呪いを解くべきだったな。」


紫苑は言葉をなくして俯いた。

そのことに関して考えないようにしていたが、それはどうあがいても避けられる問題ではなかった。


ぽつり


「…お主の言う通り、ワシの命は大きく削られている………じゃが、それよりもワシが妖怪であることは変わらん……どうしたら良いかなんて…わかっている……」


紫苑はぎりっと拳を握った。

俯いていた表情は悲痛に歪んでいた。


「一つ良いことを教えてやろう…」


穗村はそんな紫苑にそう言って一つの賭けを打ち明けた。

紫苑は目を見開いて固まった。

その紫苑の横を通り過ぎて、穗村は「もう会うことはないだろう。」と小さく微笑んだ。

紫苑がばっと振り返った時にはもう、穗村が雪の中に戻った後で、紫苑は言われたことに小さく手を震わせていた。





小鳥の囀りと川のせせらぎ。

太陽にキラキラ反射する銀色の髪に歌っていた小鳥がパタパタと舞い降りた。その重みにすら気に留めることなく、紫苑は目の前のキャンバスに向かい続ける。


百合姫が眠りについて900年。紫苑はすっかり人の姿に化けるのが得意になっていて、日中はいつも人の姿で過ごしていた。


『おやおや、またお絵かき?』

「…こうしてないと落ち着かねぇからな」

『それにしても、君に芸術的才能があるとは驚いたもんだよ』

「もう聞き飽きた」


ふるふると首を振ると同時に頭の上に止まっていた小鳥が飛んでいく。

それを目で追いかけながら「完成」と絵に小鳥の姿も描く。


紫苑が絵を描き始めたのは『お姫様の髪って綺麗だったよね』というモクの一言からだった。

「絹のように艶やかだった」と言いかけて、紫苑は自分の口を覆った。記憶の中に確かにあるはずの百合姫の笑顔が、霞がかった霧の奥に潜んでしまったように薄ぼやけていて、はっきりとその輪郭さえも思い出せなかったのだ。


紫苑はすぐに筆を取り和紙に彼女の姿を描いた。何枚も何枚も。


「南天の顔は忘れてねぇのにのう」


サラサラと余った筆の赤で懐から出した和紙に彼を描く。


『それはこの人のお顔が単調だからじゃないかな?』

「ああ、なるほど……あいてっ!」


ごちんと木の実が紫苑の頭に落下した。失礼なことを言ったばかりだったので、南天の仕業だろうかと少し肩を震わせてから、紫苑は川に映る自分を見てため息をついた。


『自惚れないでね紫苑、世間一般よりは整っているけど絵草紙なんかにゃ乗らないよ』

「ちがうわアホ!」


もう900年も一人…やかましい妖精と生きてきたが、人間でいうところの20代後半位の見た目を保っている。

そう、保っているだけで、実際は寿命が縮んでいる分、いつその寿命が止まるかはわからない。が、そう長くないであろうことはよくわかっていた。


「ワシは百合姫と共に生きることはできるのじゃろうか…」

『弱気になるのは勝手だけどさぁ……お姫様には君しかいないんだよ?君が居なくなっちゃったらお姫様はどうなるのさ』

「……そうじゃな、ワシは死ねんなぁ」


約束をした。



絶対に忘れないと。



「忘れんさ…絶対に」


キャンバスに描かれた満面の笑みを浮かべた百合姫と、咲き誇る紫苑の花。そして真っ赤なスターチス。

乾いたばかりのその絵に触れて、紫苑は困ったようにため息を零す。

「ずっと…愛しておる」と呟く。それにモクは何も言わず、紫苑の肩にちょこんと座って、いつもとは変わり何も言わなかった。


**


生まれたことを疎まれた。

生きていることを蔑まれた。

それならどうしてこの世界で息をしているのだろう。

その答えは未だにわからない。

ただ、苦しみながらも生きていた彼女と出会って、ただの忌み子の嫌われものはほんの少しだけ、生きていることの意味と必要とされる心地よさを知ることができた。


彼女の横顔を見続けていたい。

そう思うのに、彼女と妖怪とでは生きる世界が違いすぎていたし、運命はそんなことを許してくれはしなかった。


ずっと傍にいたいのに。



こんなに、愛しているのに。



目の前で枯れていく茨を見て、その茨を掻き分けた。

何を叫んでいるのかわからない。必死に彼女の姿を探した。

息は上がって胸は苦しい。

早く早く……



「百合姫!!」


あの日と変わらないその美しい顔に触れて、木屑で汚れてしまった頬をそっと拭った。

長いまつげに縁どられた瞼が震えて、ゆっくりと上に開く。


「し………おん」

「おはよう……百合姫」


彼女の背中をかき抱くようにひしと包み込み、長く艶やかな髪を撫でた。

ボロボロ溢れて止まらない涙を流しながら「逢いたかった……ずっとずっと……待っていた」と切れ切れに言って言葉を詰まらせる。

言いたいことは山程あって、言葉にできない思いは数え切れない。

全部伝えるにはどうしたらいいのだろう。考えた結果は「愛してる」の言葉ただ一言だけだった。


「私も……紫苑…。ずっと逢いたかった……」

「愛してるよ 」


百合姫は紫苑の背中にそっと手を伸ばし、必死に彼を抱き返す。しかし、紫苑1000年もの間に急成長していて、背丈も容姿も大分大人びていて、自分が置いていかれてしまったような寂しさを感じた。

けれどすぐにこの長い年月を一人で待たせていたのに、彼の成長を寂しがるのはおかしいかと小さく笑い「かっこよくなったね」と彼の頬を撫でた。

間近で見る彼の顔は涙でクシャクシャになっていて申し訳ないけれど百合姫はくすっと笑ってしまった。


「紫苑…ふふっ」

「なんで笑っとるんじゃ!」

「だって嬉しくて」

「これからずっと一緒にいられるんだもん」


そう言った瞬間、紫苑は顔を曇らせて「百合姫」と彼女の手を握ってから「すまない」と謝り、ふらっと後ろに倒れていった。



ハラハラと紫苑の花が舞う。

百合姫は慌てて横たわった紫苑の肩を抱き上げる。

状況が掴めず「どうしちゃったの?」と顔を歪める。

紫苑は1000年前に寿命を縮められていることと今こうしているのがやっとであることを告げ悲しそうに笑った。

百合姫は頭がその意味についていけず、口を抑えて「そんな、」と呟き。溢れた涙を拭わないまま「いやだよ紫苑!」と首に抱きつく。


「ワシだって嫌じゃ……離れたくなんてない

。けど、この身体が持たんのじゃ 」

「お医者様を見つけよう!」

「ワシは妖怪じゃぞ。治らないかどうかくらいわかる」

「…どうして……そんな………うっうう」

「ワシもお主が眠る時同じ事を思った。百合姫……ワシのために泣いてくれとるんじゃな」

「当たり前じゃない!」


百合姫の涙は紫苑がいなくなって一人になる事を恐れているのではなく、紫苑が死んでしまうという事を悲しんで流しているもので、紫苑は自分の為に初めて誰かが泣いてくれているのを見て、こんな状況なのに笑ってしまった。百合姫に咎められても「嬉しくてつい」と言って、「これはワシの罰じゃ」と呟いた。


人間であった時も他人を恨み、心の奥で憎んでいた。猫の時もそうだ、人を嫌い嫉んでいた。そして自分の母を、他人の愛する人を傷つけ殺してしまった。

そして妖怪になって、同じことを繰り返してしまった。


「ワシではお主の呪いを解けない………」


悔しくて仕方が無い。愛しているのに…届かない。


百合姫の手は氷のように冷たくて、彼女の心臓は音もしない。

丸い頬を撫でて、柔らかな唇をそっと親指でなぞり「愛してる」と呟いた。


遠のく意識の中で、叫ぶように自分の名を呼ぶ百合姫に小さく微笑んで「ずっと、変わらん」と残した。


「ううっ、ああっ……私も………わた、しも………愛してる……っ」


音がなくなった彼の胸に顔をうずめ、嗚咽まみれに「紫苑」と彼を呼ぶも、それに返ってくるのは静寂と風の音だけ。


『お姫様…』


目を気緑色に充血させながらモクが一枚の紙を手渡した。

紫苑の姿は小さな仔猫に変わっていたが、その猫はぴくりとも動かない。


『紫苑は……お姫様のことずっと…待ってたよ』


百合姫はその紙を抱きしめて「うん」と泣きながら頷き「ありがとう……」と微笑んで、そして小さな子猫となった紫苑を抱きしめた。


「今度は……私の番…」





紙には白黒で二人の男女の姿が描かれていた。






シオンノハナコトバ ここまでありがとうございました。


妖怪紫苑とお姫様百合のお話しでしたが、この話にはいばら姫の他にも童話をねじ混んでいます。

かぐや姫と白雪姫ですが、ちょっと白雪姫は無理矢理でした。

本当は穗村は悪役貫かせるつもりだったのですが、書いているうちに救われて欲しいとも思い、こうしてみました。


ここで裏話を少々。


登場人物にはみんな大体花の名前がつけられています。

花言葉通りの方々ですのでここで紹介させていただきます。


紫苑 君を忘れない

姫百合 強いから美しい

南天 私の愛は増すばかり

錦木 あなたの魅力を心に刻む

朝顔(六花) 儚い恋


花浜匙 永遠に変わらない心


匙はだいぶキーマンなので覚えておいて欲しいです。


この物語はここで完結ではなく、この次のお話で完結します。



あと、ここで出てきたキャラクターを使って短編も書いてみようと考えています。


ここまでありがとうございました。


16/07/10

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