11.襖
俺は襖の前に立つとコンコンと、襖の表面を叩く。
「ナニカ、そっちに札が貼ってあるだろう。場所を教えてくれ」
冊子には、部屋は襖に張った札で封じられている、と書いてあった。
目に入る範囲にそんなものが見当たらない以上、恐らく貼られているのは内側だろう。
本来であれば、部屋の内側にあるお札を剥がすための正式な手順があるに違いない。だが、それが分からない以上、物理的に札を剥がすしか方法はない。
俺は、蔵から手当たり次第持ってきた道具のうち、大きな曲尺を拾い上げる。
しばらくすると、襖を引っ掻く音は止み、弱弱しいノックが襖の一角から聞こえた。
「よし、待ってろよ。ナニカ」
俺は四枚ある襖のうち、真ん中の襖と壁側の襖が僅かに重なる隙間の部分に、曲尺ぎゅうぎゅうとねじ込む。
そして、L字形の短い部分でナニカが示した場所に引っ掻くように、曲尺を動かしていく。
鉈や鑿で襖を壊すことが出来なかった末の苦肉の策だが、これで上手くいけば逆に都合が良いかもしれないと俺は考える。
あまり目立つような真似をすると、ナニカが外に出たことがばれて、連れ戻されてしまうかも知れない。
俺の目的は、単にナニカを部屋の外に出すことだけではなく、家に連れ帰り自分だけの弟にすることなのだ。
「っツ……」
汗で手から曲尺が滑り落ちそうになる。
重い曲尺を手の力だけで持つのはなかなか大変だし、襖の裏側を引っ掻こうにもやはり手探りだと勝手が掴めない。俺は角度を変えて、何とか見えない裏側を探っていく。
そう言えば、家に帰るまでどこにナニカを匿うか。
手先は作業に集中しながらも、俺はこの先のことに思考を巡らせる。
見つかるリスクを考えれば、家には早めに帰った方がいい。せっかく仮病を使ったわけだから、体調が良くならないと言って、父親に迎えに来て貰うか。
そこまで考えて、ふとナニカは車に乗れるのだろうか、と思い至る。
自分はナニカがどんな姿をしているのかも、知らないのだ。
ただ、いつの間にか自分より小さな子供の姿を想像していた。
「なんでだろう……」
ガリガリガリガリガリと、再び襖を引っ掻く音が聞こえてくる。
「――そっか。襖の向こうでする音が、低い位置から聞こえているからか」
例えば、それは自分の胸くらいの背丈しかない子供が出しているかのような……。
そこで、ふいに何かが頭を掠めたが、思考のピントが合わず考えがまとまらない。
外からは、まだかすかに祭囃子が聞こえている。
姿だけではない。自分はナニカの声を聴いたこともない。
喋らない生き物なのだと勝手に思い込んでいたけれど、ケイイチさんから聞いたこの家の伝承には人の言葉を使う記載があったから、本当は喋れるのではないだろうか。
ナニカとは、オンバシャ様とは、いったい何なのか。
――バンッバンッバンッバンッ!!……
「うわっ」
催促するように、襖が強く叩かれる。俺は無意識に止めていた手を、再び動かしだした。
あえて見ようとしていなかった死角から、じわりじわりと不安が滲み出す。それを、どうにか断ち切ろうと俺はわざと明るい声を出した。
「オンバシャ様は守り神らしいし、子供が好きみたいだから、何も問題ないはず」
だが、それならば何故、オンバシャ様は封じられなければならなかったのか。
目を逸らしていた疑問が、今更のように目まぐるしく脳裏を過る。
――鏡の如く人にどうとすると、声を何すると書いてあった?
――人に化ける生き物ならば、何のためにそうするのか?
嫌な想像が、次から次へと浮かんできて止まらなくなる。
――オバアサンは、どうしてあんなに必死になって俺を止めたの?
――祭りの由来でもあり、昔話にも語られた村の守り神に封じられた化け物とは?
――神隠しにあった子供たちは、いや、
「……ケンイチさんの弟は、どこに消えた?」
繋がった思考が導き出した悍ましい答えに、俺がとっさに身を引いたその時。
べリ
曲尺が何かに引っ掛かった感触がして、紙の破れる音がした。
「あ……」
俺は何も考えられず、ただ後退る。
―― ガタン
襖が揺れる。
―― ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
背筋を這い上がってくるのは、取り返しのつかないことをしてしまったと言う後悔か。それとも純粋な恐怖心か。
(だ、駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!)
本能が全力で警報を鳴らしている。
だらだらと脂汗が滲み、脳みそが逃げろと悲鳴を上げている。なのに、身体は強張ったように動かず目は襖に釘付けになっていた。
襖が揺れる。
襖の向こうからナニカが、オンバシャ様が、流浪の神が、座敷童が、人を喰う化け物が現れ出ようとしている!
本能と恐怖が拮抗し合い、それでも辛うじて一歩二歩と後退れば、それが呼水になったようにようやく身体が動いた。
激しく震える襖に背を向けて、俺は一目散に逃げだす。
部屋を飛び出した俺は、そのまま廊下を走る。
どこに行けばいいのか。
俺は懸命に頭を働かせる。
オンバシャ様の封じ方を知っている人がいるはずだ。
ならばケンイチさんたちに、親戚一家に助けを求めなければ。
オンバシャ様は祭囃子を嫌っている。
祭りが行われているうちに、大人たちがいる場所へ辿り着ければ、助かるはず――
だがそこで、俺は気付いてしまう。
絶望が足の感覚を奪っていく。
祭囃子が聞こえない。
五穀豊穣を祈り、悪霊を封じる祭りは、とっくのとうに終わっていたのだ。
ギシ、ギシリと廊下が軋む。
背後から何かが
ナニカが、近づいて来る
鏡の如く人に化け、声を真似るもの
双子のように見分けのつかない
人を喰らう化け物
恐ろしさに耐えきれず背後を振り返った俺は、
――コン
記憶は、ここで途切れている――
コン
コンコン……
襖の向こうから、ノックの音が……
……呼んで……




