12.呼ばうもの
気付けば、俺は街灯の明かりの下で汗まみれで立ち尽くしていた。
祭囃子はもう聞こえて来ない。
俺は弾む息を落ち着かせる為、小さくため息を落とす。
時計を見れば、大した時間は経っていない。
一人暮らしの記念に買った腕時計ーー。そう、俺はもう立派な大人で、小学生だったあの頃とは違う。
そのことを強く念じ、俺は怯えて竦みそうになる気持ちを何とか建て直す。
あの日、俺は廊下で気絶していた所を、帰って来た家人たちに発見されたらしい。
これは後から両親に聞かされた話で、あの頃、俺の記憶はひどく曖昧になっていた。
恐ろしい体験をした人間が、その前後の記憶を失う事――健忘症を患うというのはままあるらしい。なので、俺の場合もそれに該当するのかも知れない。
帰ってきた家で俺は、生まれたばかりの弟と対面した。
生まれる前はあれだけ気に食わなかった弟の存在も、実際に見てみれば可愛く思えた。成長すればそれはそれで生意気で煩わしく思うこともあったが、今も何かと甘やかしてしまっている。
結局、どうやって自分がナニカから、オンバシャ様から逃れられたのかは分からない。
襖の奥が今もまだ封じられているかも、さだかではない。
だが、あの日以降、俺は祭囃子が酷く恐ろしく感じられて堪らなくなっていた。
しかしそれでも、俺はあの時の事を深く追うことを――例えば、直接親に親戚一家の詳細や具体的な所在地などを聞くことを躊躇っている。
そもそも、あのことが真実本当にあったことかどうかだって、今となってはさだかではないだろう?
俺は強くそう思い込む。
あんな不思議で恐ろしい出来事が、現実のものであった筈がない。
ポケットの中でスマホが光を放つ。
恐らく弟からの雑談の続きだろう。
(そうだ。あいつが成人を迎える前に、会わないと……)
取るに足らない日常のやり取りだが、俺はホッとする。
こっちが紛れもない現実だという、証明に他ならないからだ。
やはりあれは子供の頃の、
過ぎ去った日の記憶でしかない。
夢がうつつかも分からない、ひと夏の思い出なのだ。
俺は拳を強く握り、目を閉じる。
例え、それ以前の自分が、いかに弟の存在を気に食わないと思っていたのだとしても。
瞼の裏に白いものが浮かび上がる。
それは四枚の襖。
どこかとも知れぬ地の、古びた日本家屋。
その奥に、封じられた襖の向こうに居たもの――
人の子を好み、人の姿を模し、家に富を与えるもの――
ナニカであったものは、今――
――ノックの音が、恐ろしい祭囃子に紛れて、聞こえた気がした。
【オンバシャ様之事】
家ノ最奥ニ、封ジラレタル部屋有リ。
其ノ内ニ祭壇アリ、「オンバシャ様」ナルモノヲ祀ル。
オンバシャ様ハ、家ニ富ヲ齎スト云フ。
然レドモ、村ノ守リ神トハ異ナル。
オンバシャ様ハ子ヲ好ミテ喰ラフト云フ。
又、鏡ノ如ク人ニ化ケ声ヲ真似ル。
故ニ、嘗テ旅ノ僧ヨリ賜ハリシ札ヲ、襖ノ内側ニ貼リ、部屋ヲ封ズ。
札ヲ剥ガスベカラズ。
襖ヲ開ケルベカラズ。
声ヲ掛ケルコトナク、返事努々スルベガカラズ。
但シ、七年ニ一度、祭ノ日ヲ選ビ、襖ヲ開クコトヲ許サル。
開ケタル後ハ直チニ古キ札ヲ剥ガシ、新タナル札ニ貼リ替フベシ。
何故ナレバ、オンシラ様ハ囃子ノ音ヲ嫌フ故ナリ。
祭ノ囃子鳴リシ間ニ、疾ク済マスベシ。
――以上、曾祖父ノ幼キオリ聞キ伝ウ通リ記ス。
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