9.祭り
冊子はだいぶ傷んでいた。文字もだいぶ掠れている上に、茶色のシミがあちこちにあり、読める個所は限られていた。
何より、引っ掻いたような角ばった文字で書かれる文体は古めかしく、難しい漢字も使われていて。内容を理解するのにひどく苦労する。
だがどうにか、俺はその冊子に目を通し、やはりここに書かれているのは『ナニカ』のことであると確信した。
「本当は、オンバシャ様っていうんだ……」
だが、俺にとってあの襖の向こうにいるのは、もはや弟分と言っても過言ではない「ナニカ」なのだ。
俺は「ナニカ」をあの部屋から解放するために、あてがわれた客室の布団の中に引っ張りこんだ冊子を、懐中電灯で照らしながらさらに捲る。
懐中電灯は、先日ケイイチさんに雑木林にカブト虫を採りに連れて行って貰った時に借りたものだ。
「七年に一度……祭りの日を選び……開く、許す……」
冊子には、七年ごとに部屋を封じている札を交換すると書いてある。そして、その七年がいつに当たるのか、随分先まで西暦がずらりと記載されていた。
それを見ると、次に襖が開くのは五年後の祭の日ということになる。
「だけど、逆にチャンスかもしれない……」
五年後に札を貼り変えるのということは、今年はあの部屋は放っておかれるということだ。
オバアサンが入院していることもあって、親戚一家はいつにも増して忙しそうだ。祭の当日ともなれば、それもひとしおだろう。
俺は、祭りの日に計画を実行することを決めた。
そして来る祭りの当日。俺は仮病を使った。
腹を壊したことにして、家人がみんないなくなるのを待って布団に横になっていた俺のところに、ケイイチさんがやって来る。
「ナオキ君、体調は大丈夫かい?」
ケイイチさんは、高齢化の進んだこの村では若手に入る。青年団の一員として祭りの実行委員も任されているとのことで、今日はかなり忙しいはずだった。
しかし、本来なら参加者に振るまわれるであろう菓子をいくつか見繕って持ってきてくれた彼は、心配そうな表情で枕元に膝をつく。
「うん、一日休めばたぶん平気……です」
ケイイチさんの言葉に俺はうなずく。
彼が先日村の歴史と一緒に教えてくれたことだが、今日の祭りはずばり『おんばしゃ祭』と呼ばれているらしい。
この地に災いをもたらす悪霊を封じ、五穀豊穣をもたらす氏神様に感謝する日なのだという。
冊子にも富をもたらす守り神みたいなことが書かれていたし、実はナニカはこの村の神様なのかもしれない。
俺はこの村から神様を奪ってしまうことに一抹の不安を覚えるが、部屋に閉じ込められた可哀そうな神様を逃がすことが悪いはずはないと、強引にその思いを振り払った。
「そっか、それは良かった。……お祭り見られなくて、残念だったね」
ケイイチさんは、ほっとした表情で俺を見る。
彼を騙していることが心苦しいが、同時に俺の中にひとつの疑問が沸き上がった。
「あの、ケイイチさんは、どうしてこんなに俺に良くしてくれるんですか?」
何くれとなく俺を気に掛け、遊びに連れて行ってくれたりもする彼の振る舞いは、単に預かった親戚の子供に向ける以上のものがあるように俺には感じられてならなかった。
ケイイチさんは、自分でそれに気づいていなかったのか、驚いたように目を見張る。
「そっか……。うん、そうかも知れないね」
苦笑を漏らした彼は、どこか物寂し気に視線を落とした。
「僕には、弟がいたんだ」
三十年以上前、と聞くと当時の自分には随分と大昔に思えるが、その頃からすでにこの村はだいぶ人口の減少が目立っていたらしい。
子供の数も、今ほどではないにしてもかなり少なく、遊ぶにしても何をするにしても、兄弟ふたりで過ごすことが多かったという。
「外で他の子どもたちと遊ぶよりも、室内にひとりでいるのが好きな子でね。君みたいにあの部屋で良く遊んでいたな」
それでもケンイチさんは、ことあるごとに弟を外に遊びに誘っていたようだ。それこそ、俺が魚釣りや虫捕りに連れて行ってもらったように。
「だけど、ある日……今の君よりも小さい頃だったな。弟は突然いなくなってしまったんだ。沢に落ちて流されてしまったのか、山に迷い込んで帰れなくなってしまったのか。言葉に不自由していた子だったから、助けを呼べなかったのかも知れないな……」
そう言って遠くを見るような眼をしたケンイチさんは、変なことを言ってごめんね、と気を取り直すように首を振る。
「無意識に君を弟に重ねて見てしまっていたのかも知れないね」
「あの、弟さんの名前、なんていうんですか?」
俺が尋ねると、懐かしそうに目を細めた彼は口を開いた。
「レイジっていうんだ」




