第78話「野心の男」
謁見の間の扉は、これまでとは違う重々しさを湛えていた。
兵士たちに導かれ、一行が足を踏み入れると、玉座の傍らに一人の男が立っていた。長身、鍛え上げられた体軀、鋭い眼光。リュゼリアやレオンとはまた違う、荒々しい覇気を纏っている。それが、リュゼリアのもう一人の異母兄――ザイードだった。
「――待っていたぞ、リュゼリア」
ザイードの声は低く、重い。玉座には国王の姿はなく、この場を仕切っているのは彼一人だった。
「兄上。……このような形でお会いすることになるとは思いませんでした」
「そう硬くなるな。俺は、お前を糾弾しに来たわけじゃない」
ザイードは腕を組み、値踏みするような視線をルートたちに向けた。
「――で、そちらが噂の異世界の勇者様たちか。レオンをああも簡単に叩き伏せるとはな」
「ザイード殿下」
ガイウスが一歩前に出ようとするのを、ザイードは手で制した。
「案ずるな。俺は喧嘩をしに来たわけじゃない。……レオンの件だ。奴が闇の組織と繋がっていたことは、俺にとっても寝耳に水だった」
「本当に、そうでしょうか」
カインが静かに、しかし鋭く問うた。
「あなたには、その言葉を裏付けるだけの誠意が見えません」
「ほう。しもべが随分な口を利くな」
「私はルート様のしもべであって、あなたのしもべではありません。あなたに礼を尽くす道理はない」
カインの声には、一切の揺らぎがなかった。ザイードは一瞬眉を上げ、それから小さく笑った。
「面白い男だ。……まあいい。俺の言葉を信じるかどうかは、お前たち次第だ。だが一つだけ、はっきりさせておきたいことがある」
ザイードはリュゼリアに向き直った。
「父上が回復されれば、いずれ後継者を正式に定めることになる。レオンが失脚した今、候補は俺と――お前だけだ、リュゼリア」
「……存じています」
「俺は、力こそが国を守ると信じている。優しさだけでは、この国はいずれ食い荒らされる。……お前にその覚悟があるか?」
ザイードの問いには、剥き出しの圧があった。だがリュゼリアは、一歩も引かなかった。
「わたくしは、力だけが国を守るとは思いません。力は、守るべきものを間違えれば、容易く牙を剥く。……兄上のおっしゃる『力』が、民のためのものなのか、それとも兄上ご自身のためのものなのか、わたくしには見極めがつきません」
「――は」
ザイードは短く笑った。その笑みには、侮蔑とも、あるいは僅かな敬意ともとれる複雑な色があった。
「言うようになったな。……いいだろう。ならば、力ではなく言葉で示してみせろ。父上が回復されるまでの間に、な」
「望むところです」
二人の視線がぶつかり合う。玉座の間に、ぴりぴりとした緊張が満ちた。
「私からも、一言よろしいか」
傲慢な口調のまま、しかし場を静める確かな威厳を伴って、一歩前に出る。
「――なんだ、お前は」
「私はルートの召喚獣であり、絆を司る柱の一柱。あなたが本当にこの国の未来を憂うなら、闇の組織との関わりについて、自ら潔白を証明してみせるべきだ。言葉だけでは、誰も信じない」
「……随分な物言いだな、召喚獣風情が」
「事実を言ったまでだ。それとも、証明できない理由でもあるのか?」
ザイードの表情が、僅かに硬くなった。それは怒りというより、痛いところを突かれた者の反応に近かった。
「……いいだろう。闇の組織との関わりについては、俺自身、独自に調べを進めている。近いうちに、証拠とともに示してやる」
「その言葉、忘れないことだ」
アシュルは静かにそう告げると、一歩下がってルートの隣に戻った。ルートは小さく彼女に目配せする。アシュルもまた、口の端をほんの僅かに緩めた。二人の間には、言葉にせずとも通じ合うものがあった。
「話は以上だ。……リュゼリア、父上の見舞いは許可されている。俺は、これで失礼する」
ザイードはそう言い残し、足早に謁見の間を後にした。その背中を見送りながら、リュゼリアは深く息を吐いた。
「……何を考えているのか、読めない人です」
「少なくとも、レオンとは違うタイプの厄介さがあるな」
ルートが呟く。カインが頷いた。
「力を信奉する者は、往々にして『力さえあれば正義になる』と錯覚します。ザイード殿がその典型でないことを、祈るばかりです」
「型、で結構です、カイン様」
リュゼリアが小さく笑った。緊張していた空気が、少しだけ和らぐ。
「ともあれ、今は父上の治療と、レオンの一件の調査を進めるしかない。ザイードのことは、警戒しつつも――今すぐ敵と決めつけるのはやめよう」
ルートの言葉に、皆が頷いた。
謁見の間を出て、一行は再び国王の寝室へと向かった。廊下を歩きながら、リュゼリアがふと、隣を歩くルートに視線を向けた。
「ルート様」
「ん?」
「……ありがとうございます。書庫でも、先ほども。わたくしの隣に、当たり前のようにいてくださって」
「当たり前だろ。俺たちは仲間なんだから」
ルートが照れくさそうに笑うと、リュゼリアも柔らかく微笑んだ。
「私」
少し後ろを歩いていたアシュルが、ぽつりと口を挟んだ。
「――お前たちの初々しいやり取りを見ていると、少々胸焼けがする」
「あ、アシュル!?」
「揶揄っているだけだ、ルート。本気にするな」
アシュルはつんと澄ました顔で言い放ちながらも、その視線はどこか温かい。カインが小さく肩を揺らして笑った。
「アシュル、あなたも昔は素直に喜べなかった口でしょう」
「――貴様、何の話をしている」
「いえ、何も」
カインは涼しい顔で受け流す。アシュルは一瞬睨みつけたが、それ以上は追及せず、ふいと視線を逸らした。その頬が、ほんの僅かに赤らんでいたことに、気づいたのはリュゼリアだけだった。
国王の寝室に着くと、既に容体は昨日よりも安定していた。医師の見立てでは、あと数週間で普通に歩けるまでに回復するという。
「――皆、ザイードと話したそうだな」
国王が静かに問うた。
「はい。……力を重んじる方だと、改めて感じました」
「あれは、悪い子ではない。ただ、不器用なだけだ。……幼い頃から、剣の才に恵まれ、周囲から『次期国王に相応しい』と持ち上げられ続けてきた。それが、あれの視野を狭めてしまったのかもしれん」
国王は目を伏せた。
「三人の子ら、それぞれに、私の至らなさが影を落としている。……それだけは、償わねばならないと思っている」
「陛下……」
「だが、な。だからこそ、リュゼリア。お前がこの国を継ぐことに、私は迷いはない。お前は、誰よりもこの国の民を見てきた」
「父上」
リュゼリアの瞳に、涙が滲んだ。ルートはそっと、その肩に手を添えた。
「大丈夫、リュゼリア。俺たちがついてる」
「……はい」
窓の外では、ヴァルドレイクの空が茜色に染まり始めていた。レオンとの戦いに一つの決着がつき、ザイードという新たな謎、王家の記録が示す新たな核の在り処、そして運営の正体に繋がるかもしれない古の一派の影――物語は、次の局面へと確かに歩みを進めていた。




