第77話「王家の記録」
翌朝、ヴァルドレイクの空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。昨夜の激闘が嘘のように、城の庭には小鳥のさえずりが響いている。
「――で、暗殺者たちの尋問結果は?」
朝食の席で、ルートはガイウスに問うた。城の一室、いつもより人数の多い長テーブルには、ルート、アシュル、カイン、ゼクス、シィナ、リュゼリアが揃っている。
「はっ。捕らえた五名のうち三名が口を割りました。いずれも闇の組織の下部組織――『夜蟲』と呼ばれる暗殺者ギルドの所属で、レオン殿下から直接雇われたとのことです」
「レオンが、直接?」
「はい。……ですが気になる証言もございます。彼らの一人は『依頼主はレオン殿下だけではなかった』と」
場に緊張が走った。リュゼリアが手にしていたカップを、静かにテーブルへ置く。
「もう一人の依頼主に、心当たりは?」
「本人たちも顔は見ていないとのことです。ただ、報酬の受け渡し方法が『夜蟲』の中でも最上位の依頼にしか使われない特殊な手順だったと。金額も、レオン殿下の私財だけでは到底賄えぬほどの額だったそうです」
「――ザイード」
ゼクスが低く呟いた。誰も否定しなかった。
「あくまで推測に過ぎません。ですが、状況から見て、殿下の兄君が無関係とは考えにくい状況です」
リュゼリアは目を伏せ、それから静かに息を吐いた。
「調べを続けてください、ガイウス。……ただし、確証のないまま兄上を糾弾することは避けたい。わたくしたちが疑心暗鬼になれば、それこそ闇の組織の思う壺です」
「御意」
「私からもひとつ、よろしいでしょうか」
カインが静かに手を挙げた。その口調は普段どおり、静かで丁寧なものだ。
「私は、レオンの纏っていた瘴気を近くで見ておりました。あれは単純な呪詛ではなく、術式として非常に洗練されたものでした。……あの方のような一介の王子が、独力で使える代物ではありません」
「つまり?」
「闇の組織の中でも、かなり上位の者が直接手を貸していた可能性がある、ということです、ルート様」
カインはそう言うと、隣に座るアシュルの皿に、さりげなく果物を取り分けた。誰に言われたわけでもないのに、当然のようにその手が動く。
「――貴様、いちいち世話を焼くな。私は子供ではないのだぞ」
アシュルが眉を寄せながら、しかし出された果物には手をつける。口調とは裏腹に、拒む素振りは一切なかった。
「あなたが食事の際、いつも果物を最後に残して食べ忘れることを、私は知っています」
「……ふん。よく見ているものだ」
アシュルはそっぽを向きながら、しかし頬はほんの少しだけ緩んでいる。その様子を見て、シィナが小さく笑いを堪えていた。
「二人とも、朝から仲良いね」
「――貴様には関係のないことだ」
アシュルがぴしゃりと言い放つ。シィナは「はいはい」と肩をすくめた。この気安いやり取りも、もうすっかりこの旅の一部だ。
「それより、ルート」
アシュルが話を変えるように、ルートの方へ向き直った。傲慢な態度は崩さないまま、しかしその視線だけが、他の誰に向けるものとも違う色を帯びる。
「昨夜はまずまずだったな。剣筋も、また少し洗練されてきた……と言えなくもない」
「そ、そうかな」
「当然だ。私が見込んだ男なのだから、成長して当たり前だろう。……もっとも、あの程度で満足しているようでは、師として困る」
言い回しは相変わらず上から目線で辛辣だが、その瞳にはルートへの深い慈愛が滲んでいる。カインが横で小さく息を吐いた。
「アシュル、あなたのルート様への評価は、いつも辛口すぎます」
「貴様に言われる筋合いはない」
「私はただ、ルート様が悲しい思いをされないかと」
「私がルートを悲しませるようなことをすると? 訂正しろ、カイン」
名を呼ばれた瞬間、カインの表情がほんの一瞬だけ緩んだ。誰も気づかないほど僅かな変化だったが、隣にいたリュゼリアだけは見逃さなかった。
(……カイン様、今、名前を呼ばれて嬉しそうな顔を)
リュゼリアは小さく微笑み、それ以上は何も言わずにお茶を口に運んだ。
「――ともかく」
ルートが場を仕切り直すように言った。
「今日は、国王陛下から預かった王家の記録を見せてもらう約束だったよな」
「はい。書庫の管理官が、既に該当の資料を用意してくれているとのことです」
ガイウスの案内で、一行は城の奥深く、王家専用の書庫へと向かった。
重厚な扉の先に広がっていたのは、天井まで届く書架がいくつも並ぶ、静謐な空間だった。埃ひとつない棚には、古びた革表紙の書物や巻物が整然と収められている。
「こちらです」
案内された一角の机の上には、既に数冊の古書と、一本の巻物が広げられていた。管理官らしき初老の男性が、恭しく一礼する。
「王家に伝わる『召喚術と柱の記録』でございます。代々、王族と、限られた学者のみが閲覧を許されてきました」
ルートは息を呑みながら、その古びたページに目を落とした。文字は古語で書かれており、読み解くのは容易ではない。
「私が読んでやろう」
アシュルが進み出た。古の柱である彼女にとって、この時代の古語も難なく読める言語のひとつだ。
「……ふむ。これは」
ページをめくる指先が、ある一節で止まった。
「どうした、アシュル」
「……ヴェルダが召喚術を封じた理由について、ここに記されている。わたくしたちが知っていたものより、詳細な記述があるようだ」
アシュルの声が、珍しく緊張を帯びていた。
「かつて、召喚術は『異なる世界の力を、こちらの世界に引き込む』技術だった。それ自体は問題なかった。……だが、ある時代、召喚士たちの中に、異世界そのものを支配しようとする一派が現れた」
「異世界を、支配……?」
「ええ。彼らは、召喚術の力を使い、こちら側の世界に繋がる、いくつもの『座標』を向こう側から操作しようとした。それはヴェルダにとって、絆を悪用する、決して許せない行為だった」
アシュルはページをめくり続けた。
「ヴェルダは、その一派を止めるために核を封じた。だがそれと同時に――彼らが接触していた『向こう側』の存在についても、記録に残しているようだ」
「向こう側……もしかして」
ルートの脳裏に、運営の存在が浮かんだ。
「時系列が合わない。ヴェルダが核を封じたのは、遥か古の時代のこと。お前たちの言う『運営』が、この時代に存在したとは考えにくい」
「じゃあ、別の何かが、大昔から関わっていたってこと?」
「……その可能性が高いですね」
カインが眉をひそめながら口を挟んだ。
「つまり、『運営』と呼ばれる組織は、もしかすると、その古の一派の末裔か、あるいは同じ思想を継ぐ何かかもしれない、ということです、ルート様」
リュゼリアが古書の別のページを指差した。
「こちらにも、何か書かれています。……『座標を渡る者たちは、代償として、その身の記憶か、あるいは生命そのものを支払う』と」
「記憶か、生命……」
ルートの胸に、嫌な予感が広がった。運営がプレイヤーをこの世界に引き込む際、何か大きな代償を払わせているのではないか――そんな疑念が、これまでの断片的な情報と重なっていく。
「もう一つ、気になる記述がある」
アシュルがさらにページをめくった。
「まだ解き放たれていない核について、この国の記録には、大陸の南に位置する『灼熱の火山』と、大陸最北の『氷の大回廊』に、それぞれ核が眠っているとの記述がある」
「南と北……まだ二つも」
「加えて――ヴェルダ自身が最後に封じられた場所についても、手がかりがあるようだ。『忘却の大迷宮群、その最奥』と」
部屋の空気が、静かに張り詰めた。ヴェルダ――召喚術を封じた張本人であり、アシュルの同胞でもある柱。物語の核心に、少しずつ近づいている実感があった。
「忘却の大迷宮群には、まだ早いですね」
カインが静かに言った。
「灼熱の火山と氷の大回廊、二つの核をまず解放してからでなければ、ルート様たちの力は十分ではありません」
「そうだね。それに、今は――」
ルートはちらりと、リュゼリアの方を見た。彼女はまだ、この国のこと、父のこと、そしてザイードのことに向き合っている最中だ。
「今は、この国のことが先だ」
「……ルート様」
リュゼリアの瞳が、僅かに潤んだ。
「ありがとうございます。……わたくしのために、そう言ってくださって」
「当然のことだ」
アシュルが横から口を挟んだ。
「わたくしたちは、仲間だ。誰か一人の問題を後回しにするような真似はしない。……もっとも、貴様に恩を売るつもりはないがな、リュゼリア」
素っ気ない口調だが、その言葉には確かな温かさがあった。リュゼリアは小さく笑って、頭を下げた。
「ありがとうございます、アシュル様」
「礼など不要だ」
その時、書庫の扉が控えめにノックされた。入ってきたのは、兵士の一人だった。
「失礼いたします。……ザイード殿下が、皆様にお会いしたいとのことです」
場の空気が、一瞬で張り詰めた。
「――ザイードが?」
リュゼリアの声に、緊張が走る。
「はい。謁見の間にてお待ちです。……その、殿下は、レオン殿下の件について、何か仰りたいことがあるようで」
ルートは、仲間たちと視線を交わした。誰の顔にも、警戒の色が浮かんでいる。
「行こう。……逃げるわけにはいかない」
「ルート様がそう仰るなら、私は従います」
カインが静かに頷いた。
「私は――」
アシュルは一瞬言葉を切り、それからルートをまっすぐに見据えた。
「お前がそう決めたなら、それでいい。私はただ、隣にいてやる。……誰よりもな」
素っ気ない言い方だったが、そこに込められた想いは、誰の目にも明らかだった。ルートは思わず微笑んだ。傲慢で、いつも師匠面をするアシュルが、こうしてふとした瞬間に見せる不器用な想いが、彼にとってはたまらなく愛おしい。
一行は書庫を後にし、謁見の間へと向かった。廊下を歩く足音が、静かな緊張感の中に響く。扉の先で待つのは、レオンとはまた違う、剥き出しの野心を持つ男――ザイード。物語は、新たな局面へと踏み出そうとしていた。




