第73話「二人の兄」
国王の治療が始まって数日、王城内にリュゼリアの帰還が正式に知れ渡り始めていた。
その日の朝、朝食の席で、マーサが少し心配そうにリュゼリアに話しかけた。
「リュゼリア様。……王子様方が、あなた様のご帰還を耳にされたようです。近いうちに、ご挨拶にいらっしゃるかもしれません」
その報告に、リュゼリアの表情が少し緊張した。
「そう……分かったわ、教えてくれてありがとう」
「お二人とも、癖の強いお方ですから。どうか、お気をつけて」
マーサの忠告に、リュゼリアは静かに頷いた。
「ええ、覚悟しておくわ」
その日の午後、応接間に一同が集まっていると、扉が勢いよく開かれた。
「――噂は本当だったか。リュゼリア」
その傲慢な響きを纏った声に、一同は揃って振り返った。入ってきたのは、豪奢な鎧を身に纏った体格の良い魔族の男だった。鋭い眼光が、その威圧的な雰囲気を際立たせている。
「ザイード兄様」
リュゼリアの硬い声に、ザイードは不敵な笑みを浮かべた。
「五年ぶりだな、妹よ。まさか今更、のこのこと戻ってくるとは思わなかったぞ」
その皮肉めいた口調に、ゼクスが思わず眉をひそめた。だが、ザイードはそれを気にも留めず続けた。
「父上の看病のため、とか。殊勝な心がけだ。だが――」
ザイードの視線が鋭くリュゼリアを射抜いた。
「まさか今更、王位を狙っているわけではあるまいな」
その直接的な問いに、リュゼリアは毅然とした態度で答えた。
「そのようなつもりはないわ。私は、ただお父様を助けたいだけ」
「ほう。……まあいい。せいぜい励むといい」
ザイードはそう言い捨てると、値踏みするような視線をルートたちへと向けた。
「それで、こいつらが噂の規格外の召喚士、というわけか」
「――ザイード様、でしょうか」
ルートが慎重に応じると、ザイードは鼻で笑った。
「規格外だか、なんだか知らんが、この国では力こそが全てだ。せいぜい、その力とやらを見せてもらおうか」
その挑発的な言葉に、アシュルが静かに、しかし鋭い視線を向けた。
「――我々は見世物ではない」
その冷ややかな返答に、ザイードは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐに余裕の笑みを取り戻した。
「ふん、生意気な召喚獣だ。……まあいい、今日のところは、これで失礼する」
ザイードはそう言うと、豪快な足取りで応接間を去っていった。その途中、ふと足を止め、カインの姿を、値踏みするように見やった。
「――そちらの黒い翼の召喚獣も、噂の規格外か。ふん、悪くない面構えだ」
「――あなたに褒めていただく理由はございません」
カインの素っ気ない返答に、ザイードは愉快そうに喉を鳴らした。
「面白い。この国でも、そういう生意気な口を利く者は、久しくいなかったぞ」
そう言い残すと、ザイードは今度こそ応接間を後にしていった。
その去り際の様子に、一同はしばらくの間、重い沈黙を共有していた。
「あれが……ザイード様」
シィナの恐る恐るの呟きに、リュゼリアは深く息を吐いた。
「ええ。……昔から、あんな感じだったわ。力こそが全てだと信じて疑わない人」
その説明に、ルートは真剣な表情で頷いた。
「陛下の病のこと、彼が関わっている可能性、あると思う?」
その問いに、リュゼリアは複雑な表情を浮かべた。
「――正直、分からないわ。あの性格なら、力ずくで王位を奪おうとしても、おかしくないとは思うけれど」
その時、応接間の扉が再び静かに開いた。今度現れたのは、先ほどとは対照的な物腰の柔らかな青年だった。
「リュゼリア、お帰りなさい」
その穏やかな声に、リュゼリアの表情が少し和らいだ。
「レオン兄様」
レオンと呼ばれた青年は、優しい笑みを浮かべながらリュゼリアに近づいた。
「五年ぶりだね。……本当に心配していたんだ。急にいなくなってしまうから」
その心配そうな言葉に、リュゼリアは少し申し訳なさそうに頷いた。
「ごめんなさい、レオン兄様。突然、姿を消してしまって」
「いや、いいんだ。お前が選んだ道なのだから。……それより」
レオンの視線がルートたちへと向けられた。
「あなた方が、リュゼリアの大切なお仲間、ですね。改めて、ようこそヴァルドレイクへ」
その丁寧な挨拶に、ルートは少し驚きながらも頭を下げた。
「ルートです。よろしくお願いします」
「レオンです。……父上の看病、本当に感謝しています。この国にとって、そして私たち家族にとっても、父上はかけがえのない存在ですから」
その温かい言葉に、シィナが感心したように頷いた。
「レオン様は、お優しい方なんですね」
その素直な感想に、レオンは穏やかに微笑んだ。
「そう言ってもらえると嬉しいです。……この国が、これ以上争いに傾かないよう、私なりに尽力しているつもりですから」
その言葉に、一同は静かに頷いた。だが、少し離れた場所から、その様子を見つめていたアシュルの表情には、わずかな警戒の色が浮かんでいた。
(――何か、引っかかる)
その直感に、アシュルはしばらくの間、レオンの様子を注意深く観察していた。だが、表面上は何一つ不審な点は見当たらなかった。
カインもまた、静かにレオンの様子を観察していた。
「――ルート様。彼の魔力の質、少々、掴みどころがないように感じます」
その小声での耳打ちに、ルートは静かに頷いた。
「うん、僕も、なんとなくそう感じる」
しばらくの、歓談の後、レオンは静かに辞去の挨拶を述べた。
「では、私はこれで。……何か力になれることがあれば、いつでも声をかけてください」
「ありがとうございます、レオン兄様」
リュゼリアの感謝の言葉に、レオンは優しく微笑み、応接間を後にしていった。
彼が去った後、リビングには、しばしの静寂が流れた。
「なんか……レオンさん、いい人、そうでしたね」
シィナの感想に、ゼクスも頷いた。
「ああ、ザイードとは大違いだな」
その意見に、しかし、アシュルは静かに口を開いた。
「――油断はするな」
その鋭い忠告に、一同は驚いたようにアシュルを見つめた。
「確証はない。ただの直感だが。あの穏やかな態度の奥に、何か違和感を感じる」
その指摘に、リュゼリアも少し考え込むように頷いた。
「――昔から、何を考えているか、分かりにくい人ではあったけど…」
その証言に、一同の間に新たな緊張が走った。
「二人とも、簡単には、信用しない方がいいかもしれないね」
ルートの慎重な言葉に、一同は静かに頷いた。
王城での複雑な人間関係、否、魔族関係を前に、一行はこれから、さらに慎重に事を進めていく必要性を静かに実感していくのだった。
その夜、就寝前、ルートは、庭に出て涼んでいたゼクスと、少しだけ言葉を交わした。
「なあ、ルート。お前は、どっちが、怪しいと思う?」
ゼクスの率直な問いに、ルートはしばらく考えてから答えた。
「正直、まだ、分からないよ。でも、アシュルの言う通り、どっちも簡単には、信じない方がいいと思う」
「だな。……にしても、リサの故郷が、こんなに複雑な事情を抱えてるとは思わなかったぜ」
ゼクスの呟きに、ルートは静かに頷いた。
「うん。でも、だからこそ僕たちが、しっかりリュゼリアさんを支えないと」
その決意に満ちた言葉に、ゼクスは力強く頷いた。
「ああ、その通りだ」
夜空に浮かぶ二つの月を見上げながら、二人はこれから始まるであろう新たな謎への挑戦に、静かに心を引き締めていた。
その少し離れた窓の内側では、リュゼリアもまた一人、静かに今日一日の出来事を振り返っていた。
「ザイード兄様も、レオン兄様も……昔と変わらないようで、どこか違う気がする」
その小さな呟きに、答える者はいなかった。だが、その胸の内には、これから向き合わなければならない大きな運命への確かな予感が、静かに芽生え始めていた。




