第71話「境界を越えて」
出発の朝、屋敷の前には旅装を整えた一同と、それを見送るシルヴァンやコハクの姿があった。
「気をつけて行ってきてくれ」
シルヴァンの真剣な言葉に、ルートは深く頷いた。
「はい、行ってきます」
「何かあれば、すぐに連絡をください。評議会からも可能な限り支援いたします」
コハクの心強い言葉に、リュゼリアは感謝を込めて頭を下げた。
「ありがとうございます」
少し離れた場所では、オーウェンが卵の入った籠を大切そうに抱えながら一同を見送っていた。
「無理はするなよ。……何かあったら、すぐに戻ってこい」
その不器用ながらも温かい言葉に、ルートたちは、それぞれ頷いた。
「行ってきます、オーウェンさん。卵、よろしくお願いします」
「ああ、任せておけ」
ガイウスの案内のもと、一行はヴァルドレイクへと続く街道を進み始めた。
道中、風景は少しずつ変化を見せていった。人間の街の賑やかな雰囲気から、次第に深い森と切り立った山々が広がる景色へと移り変わっていく。
「この辺りから魔族の領域に入ります」
ガイウスの説明に、一同は緊張した面持ちで周囲を見渡した。
「思ったより自然が豊かなんですね」
シィナの感想に、ガイウスは頷いた。
「ええ。ヴァルドレイクは深い森と山々に囲まれた国です。その豊かな自然が、我々魔族の力の源でもあります」
その説明を聞きながら、リュゼリアは静かに故郷の景色を見つめていた。その表情には懐かしさと緊張が入り混じっていた。
「リュゼリアさん、大丈夫ですか」
ルートの気遣いに、リュゼリアは小さく微笑んだ。
「ええ、大丈夫よ。……ただ、色々な記憶が蘇ってきて」
その言葉に、ルートはそっと彼女の隣に寄り添った。
やがて一行は大きな門の前に辿り着いた。門には精巧な彫刻が施されており、その荘厳な佇まいは、この国の歴史の重みを感じさせた。
「ここがヴァルドレイクの正門です」
ガイウスの言葉に、一同は緊張した面持ちで頷いた。
門をくぐると、その先には想像していた以上に活気に満ちた街並みが広がっていた。石造りの建物が立ち並び、様々な姿をした魔族たちが行き交っている。
「わあ……」
シィナが思わず感嘆の声を漏らした。
「人間の街とは、また違う雰囲気ですね」
「ええ。この国には、この国独自の文化と歴史が根付いていますから」
ガイウスの説明に、一同は興味深そうに街の様子を見渡した。
露店には、見慣れない果実や、精巧な細工の装飾品が並び、道行く魔族たちは、様々な色の肌や、それぞれに異なる角や翼を持っていた。子供たちが、路地で無邪気に駆け回る姿は、人間の街のそれと何も変わらなかった。
「あそこ、面白そうな店ですね」
シィナが指差した先には、魔法の触媒を扱う店があった。
「今度、時間があれば、覗いてみたいです」
その、無邪気な言葉に、ガイウスは、少し、微笑んだ。
「機会があれば、ぜひ。ヴァルドレイクの職人技も、なかなかのものですよ」
街の中央には一際大きな城、王城がそびえ立っていた。その荘厳な姿に、一同は思わず息を呑んだ。
「あれが……」
「はい。ヴァルドレイク王城です。これから、そちらへご案内いたします」
ガイウスの案内のもと、一行は王城へと向かった。
城門をくぐると、そこには多くの兵士たちが整列していた。彼らはリュゼリアの姿を見るなり、一斉に姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「殿下のご帰還を、心より歓迎いたします」
その丁重な出迎えに、リュゼリアは少し戸惑ったように、しかし、しっかりとした足取りで応じた。
「――ただいま、戻りました」
その静かな言葉には、これまでの五年間の様々な想いが込められているようだった。
城内へと案内された一行は、まず豪奢な応接間へと通された。そこで彼らを出迎えたのは、上品な装いの初老の女性、リュゼリアの乳母だったという人物だった。
「リュゼリア様……! 本当にお帰りになったのですね」
その感極まった様子に、リュゼリアは優しく微笑んだ。
「ただいま、マーサ。……変わらず元気そうで良かった」
二人の再会に、その場にいた一同も温かい気持ちで見守っていた。
「リュゼリア様、随分とご立派になられて。……あの小さかった、あなた様が」
マーサはそう言いながら、目元をそっと拭った。
「マーサこそ、いつまでもお元気そうで嬉しいわ」
その微笑ましいやり取りに、ルートたちも思わず頬を緩めた。
「陛下は、まだお目覚めになられていますか?」
リュゼリアの問いに、マーサは少し表情を曇らせた。
「ええ、意識はございます。ですが、日に日にお体が弱っておられて……。リュゼリア様のお顔を見れば、きっとお喜びになるでしょう」
その報告に、リュゼリアは真剣な表情で頷いた。
「すぐに、お会いしたいわ」
「もちろんです。ご案内いたします」
マーサの案内のもと、一行は国王の寝室へと向かった。
重い扉を開けると、そこには豪奢な寝台に横たわる、一人の老齢の魔族の男性の姿があった。かつては屈強だったであろう、その体は、今や痛ましいほどに痩せ細っていた。
「お父様……」
リュゼリアが静かにその名を呼ぶと、ゆっくりと国王の瞼が開いた。
「――リュゼリア、なのか」
そのかすれた声に、リュゼリアは涙を堪えながら頷いた。
「はい、お父様。リュゼリアです。……ただいま戻りました」
その言葉に、国王の目にみるみる涙が浮かんでいった。
「本当に……本当に帰ってきてくれたのだな」
その感動の再会に、その場にいた一同も静かに目頭を熱くしていた。
国王は震える手をリュゼリアへと伸ばした。リュゼリアは、その手をそっと握りしめた。
「お前が幸せになれる道を選びなさいと伝えたのは私だ。それなのに、こうして無理をさせてしまって、すまない」
「いいえ、お父様。私は自分の意志で戻ってきたのです。……お父様を助けたくて」
その真摯な言葉に、国王は静かに頷いた。
「――ありがとう」
その温かい再会の光景を見守りながら、ルートは静かに決意を新たにしていた。
(絶対にリュゼリアさんの大切なお父さんを助けよう)
その想いを胸に、一行はこれから始まる新たな戦いへの覚悟を静かに固めていくのだった。
その夜、王城に用意された客間で、一同はこれからの方針について話し合うことにした。
「まずは陛下の症状を詳しく調べる必要がありますね」
シィナの言葉に、アシュルは頷いた。
「ああ。魔力の乱れが原因だとすれば、私たちの目で確かめれば何か分かるかもしれない」
「宮廷の医師や魔術師たちの記録も見せてもらえるように頼んでみましょう」
リュゼリアの提案に、ガイウスが応じた。
「もちろんです。すぐに手配いたします」
ゼクスは窓の外に広がる見慣れない城下町の夜景を興味深そうに眺めていた。
「にしても、思ったより賑やかな国だな」
「ええ。表向きは平和に見えるでしょう。でも――」
リュゼリアは少し表情を曇らせた。
「水面下では後継者争いが静かに進んでいる。今日見た限りでは、まだその気配は感じられなかったけれど」
その言葉に、一同は気を引き締めた。
「油断せず慎重に動きましょう」
ルートの言葉に、一同は力強く頷いた。
窓の外、見知らぬ国の夜空に、いつもと変わらない二つの月が静かに浮かんでいた。まだ見ぬ困難への予感を抱きながらも、一行はこの新しい地での戦いに、確かな決意を持って挑もうとしていた。
その夜遅く、それぞれの客間に戻る前、リュゼリアはふと、ルートに声をかけた。
「ルート君、今日は色々付き合ってくれてありがとう」
「ううん、僕こそ、こうしてリュゼリアさんの故郷を見られて良かったよ」
その素直な言葉に、リュゼリアは優しく微笑んだ。
「明日から本格的にお父様の病について調べていくことになるわね。……頼りにしているわ」
「うん、任せて」
その力強い返事に、リュゼリアは安堵したように頷いた。二人はしばらくの間、静かに廊下の窓から見える城下町の夜景を眺めていた。




