第70話「父への想い」
ガイウスの訪問から数日、リュゼリアはいつも通り工房で仕事を続けながらも、時折、遠くを見つめるような静かな表情を見せることが増えていた。
夕食の席でも、リュゼリアの様子を、皆が、それとなく気にかけていた。
「リュゼリアさん、最近、少し、考え事をしていることが、多いですね」
シィナの気遣わしげな言葉に、リュゼリアは、はっとしたように顔を上げた。
「ごめんなさい、心配、かけてしまったかしら」
「いえ、無理に、聞き出そうとは、思いませんが……もし、話したいことがあれば、いつでも、聞きますから」
その優しい言葉に、リュゼリアは、静かに頷いた。
「ありがとう。……もう少し、自分の中で、整理がついたら、話すわね」
その日の朝、リビングに集まった一同を前に、リュゼリアは真剣な表情で口を開いた。
「みんなに話したいことがあるの」
その改まった様子に、一同は姿勢を正した。
「実は、ここ数日ずっと考えていたのだけれど、お父様の病気のこと、やっぱり放っておけないと思ったの」
その告白に、ゼクスが静かに頷いた。
「王位継承の争いに首を突っ込む、ってことか?」
「ううん、違うわ」
リュゼリアははっきりと首を振った。
「王位のことは、まだ私には決められない。でも、お父様の病を治すことは、王女としてじゃなくて娘として当然するべきことだと思うの」
その明確な区別に、ルートは感心したように頷いた。
「うん、その気持ち、よく分かるよ」
「私もそう思います」
シィナの同意に、リュゼリアは少し安堵したように微笑んだ。
「それに――」
リュゼリアは続けた。
「お父様の病が、どんなものなのか、まだ詳しく分かっていないの。もしかしたら、私の鍛冶の知識や、あるいは皆さんの力が必要になるかもしれないわ」
その説明に、アシュルが静かに口を開いた。
「もし病の原因が単なる老いや通常の病でないなら、何か魔術的な要因が絡んでいる可能性もあるだろうな」
その指摘に、一同の間に緊張が走った。
「それなら、なおさら僕たちが力になれることがあるかもしれませんね」
カインの言葉に、リュゼリアは深く頷いた。
「うん。だから、みんなに力を貸してほしいの。お父様を助けるために」
その真剣な頼みに、一同は迷うことなく頷いた。
「もちろんだ。俺たちは、いつだってリサの味方だからな」
ゼクスの力強い言葉に、リュゼリアは涙ぐみながら微笑んだ。
「ありがとう、ゼクス。……みんなも本当にありがとう」
その日の午後、一同はガイウスに連絡を取り、この決断を伝えることにした。
屋敷を再び訪れたガイウスは、リュゼリアの言葉を聞くと深く頭を下げた。
「殿下……いえ、リュゼリア様。そのご決断、心より感謝いたします」
「まだ王位のことは、何も約束できないわ。でも、お父様を助けたいという気持ちに嘘はない」
リュゼリアのはっきりとした言葉に、ガイウスは深く頷いた。
「承知いたしました。国王陛下の病について、詳しい状況をお伝えいたします」
ガイウスは懐から一枚の報告書を取り出した。
「陛下は半年ほど前から原因不明の衰弱に見舞われております。宮廷の医師や魔術師たちが、あらゆる手を尽くしましたが、未だに回復の兆しは見られません」
その説明に、アシュルが真剣な表情で尋ねた。
「衰弱の症状は、具体的にどのようなものだ」
「はい。体力の著しい低下、そして魔力の流れが少しずつ乱れていっているとの報告も受けております」
その答えに、アシュルの表情が険しくなった。
「魔力の乱れ、か。……もしかすると」
「アシュル、何か心当たりが?」
ルートの問いに、アシュルは少し考え込むように答えた。
「確証はない。だが、これまで私たちが目にしてきた様々な異変――核の歪みや穢れと似たような性質を感じる」
その可能性に、一同は緊張を新たにした。
「もし、それが本当なら、お父様の病も、この世界全体を覆う大きな問題と繋がっているのかもしれないわね」
リュゼリアの呟きに、ガイウスは驚いたように目を見開いた。
「そのような可能性が……」
「まだ確かなことは分からない。でも、調べてみる価値はあると思う」
ルートの言葉に、ガイウスは深く頷いた。
「ぜひ、お願いいたします。国王陛下のお命に関わることですので」
こうして一同は、魔族の国ヴァルドレイクへと向かうことを決意した。
出発までの数日間、それぞれが旅の準備に取り掛かった。リュゼリアは、道中で使う薬品や、治療のための道具を、丁寧に選び揃えていった。
「陛下の症状が、魔力の乱れによるものだとすれば、これも役に立つかもしれないわね」
そう言いながら、リュゼリアは、浄化の効果を持つ、特殊な結晶を、荷物に加えた。
「僕にできることがあれば、なんでも言ってください」
カインの申し出に、リュゼリアは感謝しながら頷いた。
「ありがとう、カイン。頼りにしているわ」
ゼクスもまた、故郷に近い場所へ向かうということもあり、いつも以上に真剣な面持ちで、装備の点検を進めていた。
「ヴァルドレイクか。俺は、行ったことないけどな」
その呟きに、リュゼリアはそっと寄り添った。
「そうよね。あなたは、ずっと、人間の街の方に、いたものね」
「ああ。でも、リサが行くところに俺も行く。それは変わらない」
その力強い言葉に、リュゼリアは静かに微笑んだ。
「それに」
ゼクスは、少し、続けた。
「魔族の国、ってやつを、この目で、見てみたい気持ちも、あるしな。俺も、一応、魔族の端くれだ」
その、少し照れくさそうな告白に、リュゼリアは、優しく笑った。
「ふふ、そうね。あなたにとっても、きっと、色々な発見が、あるはずだわ」
出発の準備を進める中、リュゼリアは改めて、これから訪れる故郷への複雑な想いを抱いていた。
「リュゼリアさん、大丈夫ですか」
工房で旅の道具を準備していたリュゼリアに、シィナがそっと声をかけた。
「ええ、大丈夫よ。……ただ、正直に言うと少し怖いの」
「怖い、ですか」
「故郷に戻ることが。あの場所には、色々な思い出があるから」
その素直な告白に、シィナは優しく微笑んだ。
「私たちも一緒に行きます。だから一人じゃないですよ」
その温かい言葉に、リュゼリアは涙ぐみながら頷いた。
「ありがとう、シィナちゃん」
その夜、ルートは庭で一人、夜空を見上げるリュゼリアを見つけた。
「リュゼリアさん」
「あら、ルート君」
「明日から大変な旅になると思うけど、僕、絶対、リュゼリアさんの力になるから」
その真剣な言葉に、リュゼリアは優しく微笑んだ。
「ありがとう。……あなたが傍にいてくれるだけで、本当に心強いわ」
二人はしばらくの間、静かに夜空を見上げながら、これから始まる新しい旅への想いを馳せていた。
「お父様に会うのは、もう五年ぶりになるの」
リュゼリアがふと呟いた。
「五年……長い時間だね」
「ええ。……最後に会った時、お父様は私に、こう言ったの。『お前が幸せになれる道を選びなさい』って」
その言葉に、ルートは静かに耳を傾けた。
「だから私は王家を出て、鍛冶師として生きる道を選んだの。でも、今は――」
リュゼリアは静かに続けた。
「お父様の命が危ないと知って、ただ幸せを追い求めるだけじゃいけないんじゃないかって思うようになったの」
その複雑な想いに、ルートは優しく頷いた。
「うん。……でも、リュゼリアさんが選んだ道も、間違ってなかったと思うよ。だって、こうして僕たちと出会えたんだから」
その優しい言葉に、リュゼリアは深く頷いた。
「ありがとう、ルート君。……その言葉、忘れないわ」
窓の外、二つの月が静かにその夜を照らしていた。
その後ろ姿を見つめながら、アシュルが少し離れた場所で静かにこの様子を見守っていた。
「――リュゼリアも、ようやく自分の道を見つけ始めたようだな」
その呟きに、隣にいたカインが静かに頷いた。
「ええ。ルート様との出会いが、彼女の背中を押しているのでしょう」
「そうだな。……私たちも、あの二人を支えていかねばな」
その確かな決意を胸に、二体は静かに夜の庭を見つめていた。
まだ見ぬ故郷への旅路への覚悟を胸に、リュゼリアは静かに、明日への一歩を踏み出す準備を整えていくのだった。




