第7話「雑多な街」
忘却の迷宮への出発は、三日後に決まった。装備を整え、体力をつけるための猶予期間として、ルートたちはひとまず街での準備期間に充てることにした。
冒険者ギルドを出たルートは、アシュルと共に大通りを歩きながら、あらためて街の様子を眺めていた。これまでは自分のことで精一杯で、あまり気に留めていなかったが、こうして意識してみると、行き交う人々の姿は驚くほど多彩だった。
「見て、アシュル。あの人、耳が尖ってる」
「エルフだな。この世界にはよくいる種族だ。今更気づいたのか」
「だって、最初はそれどころじゃなかったし……」
露店の並ぶ通りを歩くと、様々な種族が当たり前のように生活を営んでいる光景が広がっていた。長い耳を持つエルフの女性が果物を売り、恰幅のいいドワーフの男が鍛冶場で汗を流し、猫のような耳と尻尾を持つ獣人の子供たちが路地を駆け回っている。
露店の陰から、小さな羽をはためかせた妖精が数人、興味深そうにこちらを覗き込んでは、くすくすと笑いながら飛び去っていった。
「妖精まで……」
「悪戯好きな連中だ。気にするな」
アシュルが呆れたように言う横で、ルートは目を奪われていた。現実では、こんな光景を目にしたことは一度もなかった。人間だけで構成された、息苦しい世界しか知らなかった自分にとって、それはどこか眩しく映った。
通りの角を曲がったところで、ふと視線を感じた。
振り返ると、フードを被った長身の男が、静かにこちらを見つめていた。フードの隙間から覗く肌は、褐色よりも一段濃く、額には小さな角のようなものが覗いている。
「アシュル、あの人……」
「魔族だな」
あっさりとした返答に、ルートは少し面食らった。
「魔族って、敵とかじゃないの? ゲームの説明だと、たしか」
「古い話だ。かつては人間種族と敵対していた時代もあったらしいが、今はこの街でも普通に暮らしている。差別意識を持つ者もまだ一部にはいるようだがな」
説明を聞きながら、ルートは改めてその魔族の男を見た。彼は特に敵意を見せるでもなく、露店で果物を選んでいる。角があること以外は、他の住人と変わらない、ごく普通の買い物風景だった。
その時、ルートたちのすぐ横を、大柄な体躯の男が肩をぶつけるようにして通り過ぎた。
「チッ……魔族風情が、我が物顔で歩きやがって」
男は忌々しげに吐き捨てると、そのまま雑踏に紛れていった。魔族の男は、特に反応することもなく、静かに果物を受け取ると、その場を離れていく。
ルートは、その光景に胸の奥がざわつくのを感じた。慣れているような、諦めているような…まるで自分を見てるような…
「アシュル。今の……」
「ああいう手合いは、どこの世界にもいる。人間同士だろうと、種族が違おうと、な」
アシュルの声は淡々としていたが、その言葉には、どこか実感のこもった重みがあった。ルートはふと、目の前の小さな猫を見つめる。
「アシュルも、そういう目に遭ったことがあるの?」
問いかけに、アシュルは一瞬だけ動きを止めた。それから、いつものように、はぐらかすように視線を逸らす。
「さあな。今はお前の準備の話をしているんだろう。無駄話はそれくらいにしておけ」
明らかな話題逸らしだったが、ルートはそれ以上追及しなかった。アシュルにも、今はまだ話したくない何かがあるのだろうと、なんとなく察したからだ。
二人は装備屋へと足を向けた。看板には「ドワーフ工房・鉄の華」と書かれている。扉を開けると、槌を振るう音と共に、むせ返るような鉄と炭の匂いが漂ってきた。
「らっしゃい! ……おや、召喚士の坊主か」
カウンターの奥から現れたのは、立派な顎髭を蓄えたドワーフの女性だった。噂は既に広まっているのか、興味深そうにルートとアシュルを見比べる。
「規格外の召喚獣を連れてるって噂の坊主だね。ちょうどいい、うちの装備を試してみないかい?」
「あの……僕、まだお金があまりなくて」
「金の心配はいらないさ。あんたみたいなのを鍛えとくのは、あたしら職人にとっても悪い話じゃない。腕の見せ所ってもんだ」
豪快に笑うドワーフの女性――名をガルドという――は、店の奥から幾つかの武具を持ち出してきた。軽量な短剣、頑丈な軽装鎧、そして特殊な素材でできたグローブ。
「召喚士は基本、契約獣に戦闘を任せる職業だが、あんたの場合は少し違うようだからね。多少は自分の身を守れる装備を持っておいた方がいい」
ガルドの言葉に、ルートは装備の一つ一つを手に取ってみる。慣れない重みに戸惑いながらも、これから始まる戦いへの実感が、少しずつ湧いてくる気がした。
「ありがとうございます。頑張って稼いで、ちゃんとお代は払います」
「殊勝な心がけだ。気に入った。今回は特別価格にしといてやるよ」
ガルドは笑いながら、装備一式を格安で譲ってくれた。店を出る頃には、ルートの手にはずっしりとした荷物が増えていた。
装備を整えた後、二人は市場を巡り、旅の道具や保存食を買い揃えた。露店の店主たちは、種族も年齢も様々だったが、誰もが忙しなく、けれど活き活きと日々を営んでいた。それはどこか、現実で見てきた光景よりも、ずっと人間らしい―いや、種族の垣根を越えた「生きている」感じがした。
夕暮れ時、市場の外れの広場で、ルートは買い込んだ荷物を一旦地面に下ろし、一息ついた。
「思ったより、色んな種族がいるんだね」
「当然だろう。この世界は、お前たちが遊んでいたゲームの中の設定以上に、作り込まれている。……いや、作り込まれているという表現も、正確ではないかもしれんが」
「どういうこと?」
「今は言えん。いずれ分かる」
アシュルの物言いには含みがあったが、ルートはもう慣れつつあった。彼女が何かを隠している時は、まだその時ではないのだと。焦らず、いつか話してくれる日を待つしかない。
広場の中央では、獣人の子供たちと妖精たちが入り混じって遊んでいた。種族の違いなど気にする様子もなく、笑い声を上げながら駆け回っている。その光景を眺めながら、ルートはふと呟いた。
「こういう世界の方が、いいのにね」
「どういう意味だ」
「現実だと、みんな同じ人間なのに、些細なことで線を引いたりするから。ここみたいに、種族が違っても普通に暮らせるなら、そっちの方がずっといいと思って」
その言葉に、アシュルは珍しく黙り込んだ。しばらくして、静かな声で返す。
「……理想論だな。この世界にも、まだ差別も争いもある。さっきの男のようにな」
「うん。それでも」
ルートは、笑い合う子供たちを見つめながら、続けた。
「僕は、こういう景色を守れる自分になりたいな」
その言葉に、アシュルは何も言わなかった。ただ、その紫の瞳が、ほんの一瞬、驚いたように見開かれ、それからゆっくりと、優しく細められた。
誰も知らない、小さな変化だった。だが確かに、アシュルの中で何かが、静かに動き始めていた。
翌日、そして翌々日と、ルートは基礎的な戦闘訓練に励んだ。アシュルの指導は容赦がなく、何度も地面に転がされたが、その度に少しずつ、体の動かし方や力の使い方の感覚を掴んでいった。
そして三日目の朝。準備を整えたルートとシィナは、冒険者ギルドの前で落ち合い、北の山々にそびえる「忘却の迷宮」へと足を踏み出した。
私は昔からファンタジーの中の悪魔とか魔族に対して何で毎回悪者なのだろうと思ってた…見た目とか…自由で良いじゃん?ってだからこそ私の世界では魔族もただの種族として生きて欲しかった




