第68話「授かりし命」
いつもと変わらない、穏やかな夜だった。
夕食を終えたあと、アシュルは少し前から体の内側に感じていた不思議な感覚について、カインにそっと打ち明けていた。
「――ここ数日、体の奥で何か温かいものが育っているような、そんな感覚がある」
「それは……」
カインははっとしたように目を見開いた。
「もしや」
「ああ。恐らく、あの日、私たちが交わした誓いの証が、今、形になろうとしているのだろう」
その静かな告白に、カインは深く頷いた。
「アシュル、大丈夫ですか。お辛くはありませんか」
「――少し不思議な感覚はあるが、辛くはない。恐らく、もうすぐだ」
その夜、アシュルは皆に事情を静かに打ち明けることにした。
「ルート、少し話がある」
自室に戻ろうとしていたルートを、アシュルは庭へとそっと誘った。カインも静かに、その隣に寄り添っている。
「アシュル、どうしたの?」
ルートの問いに、アシュルは少し緊張した面持ちで告げた。
「――今夜、私たちの子が生まれる」
その告白に、ルートは大きく目を見開いた。
「今夜、って……」
「ああ。だから皆にも立ち会ってほしいと思っている」
その言葉に、ルートはすぐさま屋敷の皆を呼び集めた。
「ゼクス、シィナ、リュゼリアさん! アシュルが、もうすぐ産まれるって!」
その知らせに、皆が慌てて庭へと駆けつけてきた。
「本当ですか」
シィナの驚きの問いに、アシュルは静かに頷いた。
「ああ。少し時間がかかるかもしれないが、どうか見守っていてほしい」
その言葉と共に、アシュルの体が淡い白銀の光に包まれ始めた。カインがそっと、その手を握りしめる。
「私が傍にいます。安心してください」
「――ああ、頼りにしている」
しばらくの間、静かな緊張が庭に満ちていた。アシュルの体を包む光が少しずつ強さを増していく。額には、うっすらと汗が滲んでいた。
「――ん……」
小さな呻き声と共に、アシュルは静かに目を閉じ、意識を集中させていった。
やがて光が最も強く輝いた、その瞬間――アシュルの体の前に、ふわりと一つの卵が姿を現した。
庭の中央、夜露に濡れた草花に囲まれるようにして、一つの美しい卵が静かに佇んでいた。表面には白銀と漆黒が混ざり合ったような幻想的な模様が浮かび上がっており、淡い光を絶えず放っている。
「――生まれた」
アシュルの静かな呟きに、その場にいた全員が揃って息を呑んだ。
「アシュル、大丈夫か!?」
ゼクスの心配そうな問いに、アシュルは少し疲れた様子ながらも静かに微笑んだ。
「ああ、大丈夫だ。……見てくれ、カイン。私たちの子だ」
カインはそっと、その卵に手を伸ばした。触れた瞬間、卵は優しい光を放った。
「――間違いありません。私たちの子です」
その告白に、一同は揃って驚きと感動の声を上げた。
「本当に!?」
ルートの驚きの問いに、カインが静かに頷いた。
「ええ。恐らく先日の、あなた様との対話――親になることへの覚悟が固まった、あの夜から、この奇跡が静かに育まれ始めていたのでしょう」
その説明に、シィナが感動したように目を潤ませた。
「アシュルさん、カインさん……本当におめでとうございます」
その心からの祝福の言葉に、アシュルは少し照れくさそうに、しかし確かな幸福感と共に頷いた。
「――ありがとう、シィナ」
ゼクスも感慨深そうに、その卵を見つめていた。
「まさか、今夜、その日が来るとはな」
「本当に。……でも、素敵なことです」
リュゼリアも優しく微笑みながら頷いた。彼女はそっとアシュルの体調を確認するように近づいた。
「アシュル、体は本当に大丈夫? 無理はしていない?」
「――ああ、大丈夫だ。少し疲れたが、それだけだ」
「なら良かった。今夜はゆっくり休んでね」
その優しい気遣いに、アシュルは静かに頷いた。
ルートはそっと、その卵に近づいた。手を伸ばすことを少し躊躇いながらも、アシュルの頷きを確認して、そっとその表面に触れてみた。
その瞬間、温かい鼓動のようなものが伝わってきた。まるで、その卵の中に確かな命が宿っていることを示すかのように。
「これが……アシュルと、カインの子」
ルートは静かな感動を噛み締めながら呟いた。
「ルート」
アシュルが静かに口を開いた。
「以前話した通りだ。この子の名付け親を、お前に託したいと思っている」
その言葉に、ルートは真剣な表情で頷いた。
「うん。……でも、まだ生まれてもいないのに、名前を考えてもいいの?」
その問いに、カインが静かに答えた。
「もちろんです。この子が生まれてくる、その日までに、ゆっくりと考えていただければ、と」
「うん、分かった。……大切に考えるね」
その決意に満ちた言葉に、アシュルとカインは、それぞれ温かい笑みを浮かべた。
その様子を見ていたシィナが、ふと、気になったように尋ねた。
「アシュルさん、この卵って、どれくらいで、孵化するものなんですか?」
その問いに、アシュルは、少し、考え込むように、視線を落とした。
「――正直、私にも、正確なところは、分からない。柱と、召喚獣の間に、子が生まれるという、前例のない出来事だからな」
「そう、なんですね」
「だが、フィオレーナ様に、相談すれば、何か、手がかりが、得られるかもしれない。評議会の、書庫にも、こうした、規格外の存在に関する、記録が、あるかもしれないからな」
その提案に、ルートは頷いた。
「うん、今度、聞いてみよう」
カインも、静かに、補足するように言った。
「いずれにせよ、この子が、無事に孵化するまで、私たちが、しっかりと、見守っていく必要があります」
「もちろんだよ」
ルートの、力強い返事に、カインは、安堵したように、微笑んだ。
その後、一同はこの卵をどのように育てていくべきか、真剣に話し合うことにした。
「まず、安全に保管できる場所を作らないと、ですね」
シィナの提案に、リュゼリアが頷いた。
「そうね。工房の一角に、専用の揺りかごのようなものを作りましょうか」
「私も手伝う」
ゼクスの申し出に、リュゼリアは嬉しそうに微笑んだ。
「木材は、庭にある、良質なものを、使いましょう。あとは、卵を、優しく、包み込めるような、柔らかい布も、必要ね」
「それなら、街で、買ってくるよ」
ルートの申し出に、リュゼリアは頷いた。
「ありがとう、ルート君。じゃあ、お願いできるかしら」
こうして、それぞれが、自分にできることを、見つけながら、この、新しい命を迎え入れるための準備が、着実に、進んでいった。
その日、一同は総出で、この新しい家族の迎え入れの準備を進めることにした。リュゼリアとゼクスは、卵を安置するための特別な台座を作り上げた。シィナは卵の周りを優しく彩るように花を飾った。
「これで、ひとまず安心ね」
リュゼリアの言葉に、一同は満足げに頷いた。
アシュルとカインは、その様子を静かに見守りながら、これから始まる新しい日々に、それぞれの想いを馳せていた。
「――こんなにも早く、この日が来るとは思わなかったな」
アシュルの呟きに、カインは静かに頷いた。
「ええ。ですが、これも私たちの絆が育んだ確かな証なのでしょう」
その言葉に、アシュルは優しく微笑んだ。
「――そうだな」
夕暮れ時、一同はリビングに集まり、改めて、この新しい命の誕生を静かに祝うことにした。
「アシュル、カイン、そして、これから生まれてくる新しい家族。みんなで大切に育てていこうね」
ルートの言葉に、一同は力強く頷いた。
「もちろんだ」
「私も全力を尽くします」
「私たちも応援してます」
その温かい団結に、アシュルとカインは深い感謝の想いを噛み締めていた。
窓の外、二つの月が静かにその夜を照らしていた。まだ見ぬ命の誕生を心待ちにしながら、一同は新しい未来への期待を静かに抱いていくのだった。
その夜、卵の傍らに静かに寄り添う、アシュルとカインの姿があった。
「――この子が無事に生まれてくることを、心から願っている」
アシュルの静かな祈りに、カインは優しく頷いた。
「私も同じ想いです。……そして生まれてきた、その時には、精一杯、この子を愛し育てていきましょう」
その確かな決意を胸に、二体はこれから続いていく新しい日々への覚悟を、静かに固めていくのだった。
少し離れた窓辺から、その様子をそっと見守っていたルートは、静かに微笑んでいた。
(アシュルとカインの子。どんな子が生まれてくるんだろう)
まだ見ぬその存在への期待と、そして名付け親としての確かな責任感を胸に抱きながら、ルートは静かに自室へと戻っていった。
その夜、ベッドに横たわりながら、ルートはこれから生まれてくる、その子のために、どんな名前が相応しいか静かに考え始めていた。
(アシュルとカインらしい、そして、その子自身が誇りに思えるような名前……)
その答えは、まだ見つからなかった。だが、ルートは焦ることなく、じっくりとこの大切な役目に向き合っていこうと心に決めていた。
考えているうちに、ふと、幼い頃、誰にも名前を呼ばれることが少なかった、自分自身の記憶が、脳裏をよぎった。名前を呼ばれる、それだけのことが、こんなにも、人の心を温めるのだと、この世界に来てから、初めて知った。
(だからこそ、その子には、誰かに呼ばれるたびに、幸せを感じられるような、そんな名前を贈りたい)
その、静かな決意を、胸に刻みながら、ルートは、ゆっくりと、瞼を閉じていった。
窓の外、二つの月の光が、静かに、部屋の中を、照らしていた。新しい命の誕生を待ちわびる、穏やかな夜が、こうして、静かに更けていくのだった。




