第67話「まだ見ぬ未来へ」
湖畔での休日から数日が経った、ある夜のこと。
その日の夕方、工房では、リュゼリアが、次の依頼のための素材を整理しながら、ゼクスと、他愛のない話をしていた。
「なあリサ、最近、アシュルとカイン、なんだか、いつも以上に静かな時間、過ごしてないか」
ゼクスの何気ない指摘に、リュゼリアは微笑みながら頷いた。
「そうね。きっと二人にしか分からない、大切な話があるんじゃないかしら」
「そういうもんか」
「ええ、そういうものよ。……あなたとシィナちゃんも、これから、そういう時間をたくさん重ねていくといいわね」
その姉らしい言葉に、ゼクスは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「な、なんだよ、急に」
「ふふ、なんでもないわ。ただ、弟の幸せを願う姉の気持ちよ」
その、微笑ましいやり取りを終え、二人は、それぞれの持ち場へと戻っていった。
夕食を終えた後、アシュルは珍しく一人で庭に出て夜空を見上げていた。その様子に気づいたカインが静かに歩み寄ってきた。
「アシュル、何か考え事ですか」
その問いに、アシュルは少し迷うように視線を落とした。
「――少しな。この間の湖での話を思い出していた」
「家族の話ですか」
カインの確認に、アシュルは静かに頷いた。
「ああ。……正直に言えば、あれからずっと考えている」
「どのようなことを」
カインの優しい問いかけに、アシュルはしばらくの間、言葉を探すように沈黙していた。
「――私たちが、いつか子を成すことがあるとしたら。その子は一体どんな存在になるのだろうか、と」
その率直な疑問に、カインは静かに頷いた。
「私も同じことを考えたことがあります」
「そうか」
「柱と召喚獣という、これまでに前例のない組み合わせです。もし私たちの間に子が生まれるのなら、それは恐らく、この世界の理を超えた規格外の存在になるのでしょう」
その静かな考察に、アシュルは複雑な表情を浮かべた。
「規格外か。……それは、この世界にとって幸福なことなのか、それとも」
「不安ですか」
カインの問いに、アシュルは正直に頷いた。
「――ああ。私はかつて、リエナと彼女の獣の悲劇を間近で見てきた。強すぎる絆や力が、時に周囲の恐れや憎しみを招くことも知っている」
その言葉に、カインは静かに耳を傾けた。
「もし私たちの子が規格外の力を持って生まれてきたなら、その子もまた同じような苦しみを背負うことになるのではないかと。そう思うと」
その深い不安の吐露に、カインはしばらくの間黙り込んでいた。それから静かに、しかし確かな決意を込めて口を開いた。
「アシュル。その不安は私にも理解できます。ですが」
「だが?」
「私たちには、リエナたちにはなかったものがあります」
その言葉に、アシュルは驚いたようにカインを見つめた。
「なかったもの、とは」
「ルート様、ゼクス様、シィナ様、リュゼリア様、そしてシルヴァン殿やフィオレーナ様のような、心強い味方たちです」
カインは静かに続けた。
「かつてのリエナたちは孤立無援の中で悲劇に見舞われました。ですが私たちには、共に支え合える仲間たちがいます。もし私たちの子に何か困難が降りかかったとしても、一人で抱え込ませることは決してないでしょう」
その力強い言葉に、アシュルの表情が少しずつ和らいでいった。
「――そうだな。私は、また同じ過ちを繰り返すことを恐れていたのかもしれない」
「その恐れは当然のものです。ですが、今の私たちは、あの頃とは違います」
カインは優しくアシュルの手を取った。
「私たちの子がどのような存在になろうとも、私はその子を、そしてあなたを、この命に代えても守り抜きます」
その真摯な誓いに、アシュルは静かに目を潤ませた。
「――ありがとう、カイン」
しばらくの間、二人は寄り添いながら静かに夜空を見上げていた。
「なあカイン」
「なんでしょうか」
「もし、本当に子が生まれたら……その子には、どんな名前をつけたいと思う?」
その問いに、カインは少し考えるように目を細めた。
「――そうですね。まだ確かなことは言えませんが、できれば、その子自身が自分の存在を誇りに思えるような、そんな名前がいいですね」
「誇りに思える名前、か」
アシュルは、その言葉を静かに噛み締めた。
「私も同じ想いだ。……もっとも、その名前を考える権利は、恐らくルートに託すことになるだろうがな」
「ルート様に、ですか?」
カインの意外そうな問いに、アシュルは静かに微笑んだ。
「ああ。私たちの子が生まれたら、ルートに名付け親になってほしいと思っている。あの子ほど誠実に名前の重みを考えてくれる者はいないだろうから」
その言葉に、カインは深く頷いた。
「良い考えだと思います。ルート様なら、きっと、この上ない素晴らしい名前を贈ってくださるでしょう」
その確信めいた言葉に、アシュルは静かに微笑んだ。
その後、二人はしばらくの間、これから訪れるかもしれない未来について静かに語り合った。子育ての不安、そして期待。まだ見ぬ我が子への想い。
「正直、まだ実感は湧かない。だが」
アシュルは静かに続けた。
「もし本当に、その日が来たなら、私は精一杯その子を愛し、守り抜きたいと思う」
「私も同じ想いです」
二人は静かに頷き合った。
その様子を、実は少し離れた窓辺から見守っていた者がいた。ルートだった。
「アシュル、カイン……」
その静かな会話の断片を聞いていたルートは、温かい気持ちで胸を満たされていた。
翌朝、朝食の席で、ルートはさりげなく二人に声をかけた。
「アシュル、カイン。もし、いつか子供が生まれたら、名前、僕に任せてくれるって本当?」
その問いに、アシュルとカインは揃って驚いたようにルートを見つめた。
「ルート、まさか昨夜の話を……」
「あ、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど。……ごめんね」
少し決まり悪そうに謝るルートに、アシュルは小さく笑った。
「――いや、構わない。むしろ、直接聞いてくれて助かった」
「本当に、僕が名付け親になっていいの?」
その真剣な問いに、カインは静かに頷いた。
「もちろんです。ルート様以上に相応しい方はいらっしゃいません」
その信頼の言葉に、ルートは深く頷いた。
「うん、分かった。その時が来たら、心を込めて考えるね」
その決意に満ちた言葉に、アシュルとカインは、それぞれ温かい笑みを浮かべた。
「ありがとう、ルート」
「私からも心より感謝いたします」
朝食の席に温かい空気が広がっていく中、シィナが興味深そうに口を挟んだ。
「なんだか素敵な話ですね。皆さんの、これからの家族の形」
その言葉に、リュゼリアも優しく微笑んだ。
「本当に。……私たちも皆で、その日を楽しみに待ちましょう」
ゼクスも静かに頷いた。
「ああ。どんな形の家族になっても、俺たちが支えるさ」
その皆の温かい言葉に、アシュルとカインは、それぞれ深い感謝の想いを噛み締めていた。
食後、リュゼリアは少し思い出したように、ルートに声をかけた。
「そういえば、ルート君。名付け親といえば、私も、昔、故郷で、そういう風習について、聞いたことがあるわ」
「風習、ですか?」
「ええ。魔族の王家では、生まれた子に、その子の運命を象徴するような古い言葉から名前をつける習わしがあったの。……もっとも私自身は、あまり詳しくは知らないのだけれど」
その少し曖昧な言葉に、ルートは興味深そうに耳を傾けた。
「今度、機会があれば、詳しく知りたいです」
「ふふ、そうね。……いつか話せる日が来ればいいのだけれど」
その、どこか意味深な言葉に、ルートは少し首を傾げたが、リュゼリアはそれ以上は語らず、優しく微笑むだけだった。
(王家の風習、か。……リュゼリアさんの、故郷の話、いつか、もっと、聞かせてもらいたいな)
ルートは、そんな想いを、静かに、胸の内に、しまい込んだ。今はまだ、聞くべき時では、ないのかもしれない。だが、いつか、リュゼリア自身の口から、その過去を、聞かせてもらえる日が、来ることを、密かに、願っていた。
窓の外、朝の柔らかな光が屋敷を優しく照らしていた。まだ見ぬ未来への期待と、そして確かな絆を胸に、一同は新しい一日を静かに始めていくのだった。




