第59話「不器用な二人」
アシュルとカインが正式な関係になってから数日、屋敷の空気はこれまでとは少し違う微笑ましいものになっていた。
朝食の席で、シィナがふとあることに気づいて小さく笑った。
「あの、アシュルさん。カインさんのお茶、いつもより濃く淹れてあげてますよね」
その指摘に、アシュルは少しぎこちなく視線を逸らした。
「――別に深い意味はない。ただ貴様の好みを把握しておくのも悪くないと思っただけだ」
「あなたが私の好みを気にかけてくださるとは。光栄です」
カインの素直な感謝に、アシュルは少し頬を赤らめた。
「調子に乗るなよ」
その初々しいやり取りに、朝食の席にいたゼクスとリュゼリアが思わず顔を見合わせて笑いを堪えていた。
「なあリサ。あの二人、なんか見てて微笑ましいよな」
ゼクスの小声の呟きに、リュゼリアはくすくすと笑いながら頷いた。
「ええ、本当に。でも、あんまりからかいすぎると可哀想かもしれないわね」
「いや、俺は思いっきりからかいたい気分だ」
その、いたずらっぽい言葉に、リュゼリアは思わず吹き出してしまった。
朝食を終え、それぞれの日課へと向かう中、庭ではアシュルが一人で剣の手入れをしていた。そこへカインが静かに歩み寄ってきた。
「アシュル、少しよろしいでしょうか」
「なんだ」
「その剣の手入れ、私がお手伝いいたしましょうか」
その申し出に、アシュルは少し驚いたようにカインを見つめた。
「貴様が私の世話を焼く必要はないだろう」
「いえ、その……恋人として、少しでもお役に立ちたいと思いまして」
その少し照れくさそうな告白に、アシュルはしばらくの間、言葉を失っていた。
「――そうか。なら頼む」
その素直な返答に、カインは嬉しそうに微笑んだ。
二人はしばらくの間、並んで剣の手入れを続けた。穏やかな沈黙の中、時折交わされる他愛のない会話が、二人の間に温かい空気を作り出していた。
「そういえば」
カインがふと口を開いた。
「先日、ルート様があなたのことを『恋する乙女みたい』と仰っておりました」
その思いがけない報告に、アシュルは大きく目を見開いた。
「な……! そんなこと、ルートが言ったのか!?」
「ええ。とても微笑ましそうに仰っておりました」
その報告に、アシュルは少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「――あの子は余計なことを」
「私も同意見です。あなたのそういう一面、とても可愛らしいと思います」
その率直な感想に、アシュルは思わず剣を取り落としそうになった。
「い、いきなり何を言い出すんだ、貴様は……!」
珍しく動揺するアシュルの様子に、カインは静かに笑みを深めた。
「失礼いたしました。ですが本心です」
その素直な言葉に、アシュルはしばらくの間、何も言えずにいた。
一方その日の午後、リビングではシィナとリュゼリアが二人の様子を微笑ましそうに眺めていた。
「なんだか二人とも、まだ少しぎこちない感じですね」
シィナの言葉に、リュゼリアは頷いた。
「そうね。長年ライバルとして過ごしてきた二人だもの。急に恋人同士になるのも簡単なことじゃないわよね」
「でも微笑ましいです」
「ええ、本当に」
その時、リビングにルートが顔を出した。
「あれ、二人ともどうしたの?」
「いえ、アシュルさんとカインさんの様子を見ていて」
シィナの説明に、ルートは興味深そうに頷いた。
「確かに、最近二人とも、なんか雰囲気柔らかくなった気がする」
「そうよね。ルート君、二人の様子、気づいてた?」
リュゼリアの問いに、ルートは少し考えるように頷いた。
「うん、なんとなく。……なんか嬉しいな。二人が幸せそうで」
その素直な言葉に、リュゼリアは優しく微笑んだ。
「ルート君らしい感想ね」
夕方、それぞれの日課を終えた一同がリビングに集まった。夕食の準備を進める中、ゼクスがふと悪戯っぽく口を開いた。
「なあアシュル。今度カインと、デートとかしないのか?」
その率直な問いに、アシュルは思わず動きを止めた。
「――で、デート、だと?」
「ああ。恋人同士なら、そういうの、するもんだろ」
ゼクスの指摘に、アシュルは少し困惑したように視線を彷徨わせた。
「そういうものなのか……」
その様子を見ていたカインが静かに口を開いた。
「アシュル。もしよろしければ、今度私と二人で街に出かけてみませんか」
その提案に、アシュルは驚いたようにカインを見つめた。
「貴様、そんなこと考えていたのか」
「ええ、実は少し前から。ですが、切り出すタイミングを逃しておりました」
その正直な告白に、アシュルはしばらくの間考え込んだ後、静かに頷いた。
「――分かった。今度、行ってみよう」
その決意に、カインは心から嬉しそうな表情を浮かべた。
「ありがとうございます」
その、やり取りを見ていた一同が、温かい笑みを浮かべた。
「良かったな、二人とも」
ゼクスの言葉に、アシュルは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「――からかうなよ」
「からかってねえよ。本心で言ってるんだ」
その真剣な言葉に、アシュルは静かに頷いた。
「――ありがとうな」
その夜、自室に戻ったルートの元へ、いつものように猫の姿になったアシュルが丸くなりにやってきた。
「アシュル、今日カインと、デートの約束したんだね」
ルートの問いに、アシュルは少し恥ずかしそうに頷いた。
「ああ。……正直、まだこういうことに慣れていない。だが」
「だが?」
「カインと色々な時間を共有していくことは悪くないと思っている」
その素直な言葉に、ルートは優しく微笑んだ。
「うん、絶対楽しいと思うよ」
「――そうだな」
窓の外、二つの月が静かにその夜を照らしていた。少しずつ育まれていく新しい絆。それはこれから二人にとって、かけがえのない大切な時間を紡いでいくことになるのだろう。
数日後、いよいよ迎えたデート当日。アシュルは朝から珍しく、そわそわとした様子を見せていた。
「アシュル、大丈夫? なんか緊張してる?」
ルートの心配そうな問いに、アシュルは少し動揺したように答えた。
「――緊張など、していない」
「でも、さっきから同じところ、行ったり来たりしてるよ」
その指摘に、アシュルははっと我に返った。
「――そうだったか」
少し気まずそうに呟くアシュルに、ルートは思わず微笑んだ。
「大丈夫だよ。カインと楽しんできて」
「――ああ、行ってくる」
玄関で待っていたカインが、そんなアシュルを優しく出迎えた。
「お待たせしました」
「いや、私が勝手に慌てていただけだ」
その正直な告白に、カインは静かに微笑んだ。
「そんなあなたも可愛らしいと思います」
「――だから、そういうことをいちいち言うな」
照れくさそうに、しかしまんざらでもなさそうな様子で、アシュルはカインと共に街へと出かけていった。
二人は、街の露店を、のんびりと見て回った。カインは、アシュルの興味を引きそうな品を、さりげなく指差しては、その反応を、静かに楽しんでいた。
「これなど、あなたに、似合いそうです」
カインが示したのは、繊細な細工の施された、小さな髪飾りだった。アシュルは、少し驚いたように、それを見つめた。
「私が、こういうものを、身につけると、思うか」
「試してみなければ、分からないでしょう」
その、悪戯っぽい提案に、アシュルは、しばらく迷った末、渋々といった様子で、頷いた。
「――一度だけ、だぞ」
店主に勧められるまま、髪飾りを、そっと着けてみたアシュルの姿に、カインは、目を細めた。
「――よく、お似合いです」
その、心からの称賛に、アシュルは、思わず、頬を赤らめた。
「そ、そうか。……なら、これを、貰おう」
そんな、些細なやり取りの一つ一つが、二人にとって、これまで知らなかった、新しい喜びとなっていった。
その後ろ姿を見送りながら、ルートは静かに微笑んだ。
(二人とも幸せそうで良かった)
その温かい想いを胸に、ルートはいつもと変わらない賑やかな一日を過ごしていくのだった。
――夕暮れ時、街から戻ってきた二人は、これまで以上に穏やかな表情を浮かべていた。
「おかえり、二人とも! どうだった?」
ルートの待ちきれない様子の問いに、カインが静かに答えた。
「とても良い時間を過ごさせていただきました」
「ああ。……悪くなかった」
アシュルの素っ気ないながらも確かな満足感の滲む返答に、ルートは思わず笑ってしまった。
「アシュルらしいね、その言い方」
「うるさい」
その微笑ましいやり取りに、屋敷はまた一つ、温かい笑い声に包まれていくのだった。




