「揺れる想い」
穏やかな休日から数日、屋敷には、いつもと変わらない、賑やかな日常が流れていた。だが、その水面下では、少しずつ、確かな変化が、静かに育まれ始めていた。
その日の午後、リュゼリアは、工房で、黙々と作業を進めていた。次の遠征に向けて、装備の点検と、細かな調整を行うためだった。
「リュゼリアさん、お疲れ様です」
差し入れの茶を持って、工房を訪れたのは、ルートだった。
「あら、ありがとう。ちょうど、休憩しようと思っていたところよ」
リュゼリアは、手を止め、微笑みながら、茶を受け取った。
「ルート君の片手剣、そろそろ、少し刃こぼれが出てきてるわね。今度、研ぎ直しておくわ」
「いつも、ありがとうございます」
ルートは、リュゼリアの隣に、そっと腰を下ろした。工房には、二人だけの、静かな時間が流れていた。
「なんだか、リュゼリアさんと、こうして二人で話すの、久しぶりな気がします」
「そうね。最近は、みんなでの時間が、多かったから」
その言葉に、ルートは、少し照れくさくなりながらも、素直な気持ちを口にした。
「僕、リュゼリアさんと、こういう時間、結構、好きです」
その言葉に、リュゼリアは、少し驚いたように、目を瞬かせた。それから、優しく、微笑んだ。
「私も。ルート君と話していると、なんだか、落ち着くのよね」
その返答に、ルートの胸に、じんわりと、温かいものが広がった。
「リュゼリアさんは、これから、どうしたいとか、考えてますか? その、ゼクスのこと以外で」
ルートの問いに、リュゼリアは、少し考えるように、視線を落とした。
「正直に言うと、あまり、先のことは、考えてこなかったの。ゼクスの成長を見守ること、そして、鍛冶師として、皆さんの力になること。それが、今の私にとって、一番大切なことだったから」
「でも?」
「でも、最近は……」
リュゼリアは、少し言葉を選ぶように、間を置いた。
「この場所での日々が、私にとって、かけがえのないものになっている、と感じることが、増えてきたわ。みんなと過ごす時間、そして――」
リュゼリアは、ふと、ルートの顔を見つめた。その視線に、これまでとは、少し違う色合いが、混じっているように、ルートには感じられた。
「あなたと、こうして話す時間も、その一つよ」
その言葉に、ルートの心臓が、思わず、跳ねた。
「僕、も……」
何かを言いかけて、しかし、うまく言葉にできず、ルートは、頬を赤らめながら、視線を逸らした。その様子に、リュゼリアは、くすりと、優しく笑った。
「ふふ、可愛いところがあるのね、ルート君にも」
「か、からかわないでください」
「からかってなんかいないわ。本心よ」
その優しい言葉に、ルートは、ますます、頬を赤くした。
一方、その頃、家の裏庭では、ゼクスとシィナが、それぞれの鍛錬を、共に行っていた。
「シィナ、その詠唱、もう少し、短縮できないか? 実戦だと、少しでも早く発動できた方が、有利なはずだ」
「そうですね……でも、あまり急ぐと、精度が落ちてしまいそうで」
シィナの言葉に、ゼクスは、少し考えるように、腕を組んだ。
「なら、俺が、少し、隙を作ってやるよ。その間に、じっくり、詠唱を試してみるといい」
「いいんですか?」
「ああ、任せろ」
ゼクスは、そう言うと、漆黒の炎を纏わせ、模擬戦の構えを取った。シィナも、杖を構え、真剣な表情で、それに応じた。
しばらくの間、二人は、真剣に、鍛錬を重ねた。額に汗を滲ませながら、互いに、声を掛け合い、時には、笑い合いながら。
「はぁ……ありがとうございました、ゼクスさん」
鍛錬を終え、シィナが、息を切らしながら、礼を言った。
「いや、いい訓練になった。シィナの魔法、また、精度が上がった気がするな」
「そうですか? なら、良かったです」
その笑顔に、ゼクスは、ふと、視線を逸らした。
「なあ、シィナ」
「はい?」
「今度、二人で、また、街に出かけないか? その、買い出しじゃなくて……純粋に、遊びに行く感じで」
その、少し照れくさそうな提案に、シィナは、驚いたように、目を見開いた。
「それって……」
「い、いや、変な意味じゃなくて! ただ、その、前に出かけた時、楽しかったから、また、そういう時間が、あってもいいかなって……」
珍しく、しどろもどろになるゼクスに、シィナは、思わず、笑ってしまった。
「はい、喜んで。私も、あの時間、とても、楽しかったので」
その素直な返事に、ゼクスは、安堵したように、表情を緩めた。
「なら、決まりだな。今度の休みにでも、行こうぜ」
「はい、楽しみにしています」
二人の間に流れる、柔らかな空気を、少し離れた場所から、アシュルが、静かに、見守っていた。
「――順調なようだな」
その呟きに、隣にいたカインが、静かに頷いた。
「ええ。あの二人の関係、着実に、深まっているようです」
「それに――」
アシュルは、視線を、工房の方へと向けた。そこでは、まだ、ルートとリュゼリアが、穏やかな時間を、過ごしているようだった。
「ルートの方も、少しずつ、変化が見え始めているな」
その言葉に、カインは、わずかに、表情を曇らせた。
「――複雑な、心境です」
「ほう。貴様も、そういう感情を、持ち合わせているのだな」
アシュルの、からかうような言葉に、カインは、静かに、しかし、確かな声で答えた。
「ルート様の幸せこそ、私の望みです。それが、たとえ、私自身の、複雑な想いを、伴うものであっても」
その真摯な言葉に、アシュルは、少し、意外そうな表情を浮かべた。それから、静かに、頷いた。
「――そうか。貴様も、存外、まっすぐな奴だな」
「あなたにだけは、言われたくありません」
二体の、いつもの応酬に、しかし、どこか、これまでとは違う、穏やかな空気が、漂っていた。
夕暮れ時、それぞれの時間を過ごした一同が、リビングに集まった。夕食の支度をしながら、ゼクスとシィナは、こっそりと、視線を交わし合い、リュゼリアとルートも、どこか、いつもより、少し、距離が近いように見えた。
「今日も、賑やかな一日だったね」
ルートの言葉に、一同は、それぞれ、頷いた。
「ああ。これからも、こういう、穏やかな日々が、続いていくといいな」
ゼクスの言葉に、シィナも、静かに、微笑んだ。
「はい。皆さんと一緒なら、きっと、大丈夫です」
窓の外、夕日が、賑やかな屋敷を、優しく、照らしていた。
それぞれの想いが、少しずつ、静かに、育まれていく。誰もが、まだ、その変化に、名前をつけられずにいたけれど――確かに、何かが、動き始めていた。
その夜、自室に戻ったルートは、ベッドに横たわりながら、今日、リュゼリアと交わした言葉を、静かに、思い返していた。
「アシュル」
「なんだ」
「僕、リュゼリアさんのこと、どう思ってるんだろう」
その、素直な問いかけに、アシュルは、少し、驚いたように、ルートを見つめた。それから、静かに、微笑んだ。
「それは、お前自身が、これから、見つけていくべきことだろうな」
「うん……そうだよね」
窓の外、二つの月が、静かに、その夜を、照らしていた。それぞれの想いを胸に、屋敷の夜は、穏やかに、更けていったのだった。




