第3話「規格外」
広場を抜けると、街の全景が見えてきた。
石造りの建物が入り組むように並び、大通りには色とりどりの装備を纏ったプレイヤーたちが行き交っている。露店からは香辛料の匂いが漂い、鍛冶場からは金属を打つ音が響く。ゲームの中とは思えないほど、生きた喧騒に満ちていた。
肩に乗った小さな猫姿のアシュルが、興味なさそうに欠伸をする。
「見た目は賑やかだが、しょせんは張りぼての世界だ。あまり期待するな」
「張りぼてって……アシュルは、この世界のこと詳しいの?」
「詳しいというより……まあ、いい。今はお前自身のことが先だ」
アシュルはそう言うと、陽翔の視界にウィンドウを一つ開いて見せた。プレイヤーのステータス画面らしい。
【結城陽翔】
職業:召喚士
レベル:1
契約獣:アシュル(規格外個体)
「レベル1、か。ま、当然だな。だが…」
アシュルはステータス画面の隅、小さく表示された数値を指差した。「潜在力」という項目に、見たこともない桁の数字が並んでいる。
「これが、お前の中にある『本物』だ。今はまだ、器が追いついていないだけの話」
「これって……???普通のプレイヤーと、何が違うの?」
「普通のプレイヤーは、この項目自体が存在しない。そもそも見えないようになっている、と言った方が正しいかもな…」
陽翔には、その意味がまだよくわからなかった。ただ、自分の中に何か特別なものがあるらしいという実感だけが、じわりと広がっていく。
その時、大通りの向こうから悲鳴が聞こえた。
「魔物だ! 街の中に魔物が入り込んだぞ!」
人だかりの向こう、市場の露店をなぎ倒しながら、犬ほどの大きさの黒い獣が暴れていた。牙をむき出しにし、近くにいたプレイヤーに襲いかかろうとしている。
周囲のプレイヤーたちは武器を構えるものの、明らかに腰が引けていた。
「Bランクか……ここらのパーティじゃ手に負えないぞ!」
「衛兵は? 衛兵はまだなのか!!!」
陽翔は反射的に足を止めた。誰かが傷つく光景を前に、体が竦む。関わらない方がいい。自分に何かできるはずがない。いつもの諦めが、頭の中に染み渡ろうとする。
だが。
「行かないのか???」
肩の上から、アシュルの静かな声が届いた。試すような、それでいてどこか促すような響き。
陽翔は、逃げ惑う人々の中に一人、逃げ遅れた少女がいるのに気づいた。腰を抜かして地面に座り込み、黒い獣が今まさに飛びかかろうとしている。
考えるより先に、体が動いていた。
「やめろ!!!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。獣の意識が陽翔に向く。
「馬鹿な真似を」
呆れたような声とともに、アシュルの体が光に包まれ、羽の生えたメイド姿へと変わる。一瞬で陽翔と少女の前に割り込み、獣の爪を素手で受け止めた。
衝突音が、街中に響き渡る。
「キィンッ」
獣の爪は、アシュルの手のひらに触れた瞬間、まるで見えない壁に阻まれたかのように弾かれた。獣自身が驚いたように後ずさる。
「格の違いというものを、教えてやろう」
アシュルが軽く手を振ると、それだけで獣の体が吹き飛び、地面を転がって動かなくなった。周囲のプレイヤーたちが、呆然とその光景を見つめている。
「な……今の、一撃で……?」
「Bランクの魔物を、素手で……?」
ざわめきが波のように広がっていく。誰もが、陽翔とアシュルの方に視線を向けていた。
アシュルは涼しい顔で振り返ると、陽翔に向かって小さく肩をすくめた。
「この程度、お前の中にあるものからすれば赤子にも等しい。……もっとも、まだお前自身にはその力を扱えないがな」
「今の、アシュルがやったんだよね……?」
「私はあくまで、お前と繋がっているから力を振るえる。忘れるな、これはお前の力の一部にすぎない」
その言葉の意味を、陽翔はまだ半分も理解できていなかった。ただ、先ほどまで座り込んでいた少女が、涙目でこちらに駆け寄ってくる。
「あ、ありがとうございます……! 助けていただいて……」
「あ、いや、僕は何も……」
しどろもどろになりながら、陽翔は困っていた。
少女が期待するように言った。
「お名前を教えて下さい!!!」
反射的に「結城陽翔」と名乗りかけて…止まった。
その名前は、あの教室で誰にも見向きもされなかった自分の名前だ。ここでまで、その名前を名乗る必要があるのだろうか…
考えて…新しい名前を…ここで相応しい名前を考えた。
「……ルートです」
自然と、そう口をついて出た。ログイン時に登録した、ただの記号のようなその名前が、今初めて、自分自身のものになった気がした。
「ルートさん、ですね。私、シィナといいます。本当にありがとうございました……!!!」
少女――シィナは、涙目のまま何度も頭を下げた。
「大したことは、してないから」
そう言いながらも、陽翔――いや、ルートは、胸の奥にじんわりと広がる感覚に戸惑っていた。名前を呼ばれること。感謝されること。そのどちらも、これまでの自分には縁のないものだった。
肩の上から、アシュルが静かに目を細めていた。誰かのために動いた主。そのことに、彼女自身、少なからず驚いているようだった。
………遠く、雑踏の一角。
フードを深く被った人物が、その一部始終を見つめていた。
「……間違いない。あれが、例のイレギュラーか…」
誰にともなく呟くと、その人物は雑踏に紛れるようにして姿を消した。




