第2話「戻れない…けれど…」
2話目突入〜〜あたためていた物語を形にできるのがとても嬉しい。
「もう、あちらの世界には戻れない」
アシュルの言葉が、頭の中で何度も反響する。
陽翔は視界を覆うノイズの中で立ち尽くしたまま、乾いた声を絞り出した。
「戻れないって……そんな、だって、これはただのゲームで……」
「ただのゲーム…ね…」
アシュルは腕を組んだまま、冷めた目で周囲を見渡した。儀式の間だったはずの空間は、今や壁一面に赤いエラー表示がびっしりと並び、まるで別の場所のように様変わりしていた。
「言っておくが、私はこのシステムとやらの都合で存在しているわけじゃない。お前たちの言う『データベース』にない存在を、無理やり枠にはめ込もうとした結果がこれだ。……まあ、私にとってはどうでもいい話だがね」
「どうでもいいって、それじゃ……僕は、一生ここに……」
声が震えた。恐怖よりも先に浮かんだのは、奇妙な安堵だった。戻ったところで、あの家に…あの教室に…あの世界に…
自分の居場所なんてなかった。それでも、体は震えを止められない。知らない世界に閉じ込められるという事実は、それ自体が重すぎた。
アシュルはそんな陽翔を一瞥すると、小さくため息を吐いた。
「そう不安がるな。少なくとも、飢えて死ぬような雑な作りの世界ではなさそうだ。それに――」
言葉を切り、アシュルは陽翔の胸のあたりに視線を落とした。まるでその奥にある何かを見透かすように。
「お前の中にあるものが本当なら、この程度の異常事態、遠からずお前自身の手で解決できるようになる…私が育ててやると言っただろう」
そう言い切る声には、迷いがなかった。根拠のない気休めではなく、確信めいた響き。陽翔はその強さに、わずかに息を呑んだ。
その時、エラー表示が一斉に消えて儀式の間の扉が勢いよく開いた。
いつの間にか周りのプレイヤー達も消えていた…
「いたぞ! あのイレギュラー個体を呼び出したプレイヤーだ!!!逃がすな!!!」
飛び込んできたのは、この世界の運営スタッフを示す紋章付きの鎧を纏った、NPCとも人間とも判別のつかない一団だった。先頭に立つ女がどこか事務的な、感情の薄い声で告げる。
「結城陽翔。あなたが契約した個体は、登録データベースに存在しない異常個体として認定されました。安全確認のため、当該個体の一時的な隔離と、あなたの権限凍結を実施します」
「隔離……?」
「アシュルを、僕から取り上げる…という意味ですか?」
その言葉を聞いた瞬間、陽翔の中で何かが冷たく凍りついた。誰にも見向きもされなかった自分を、初めて「主」と呼んでくれた存在。理由が打算だろうと、それでも今、隣にいてくれる唯一の存在を、また奪われるのか。
「嫌だ……」
自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。
「アシュルを、連れて行かせない」
アシュルが横目で陽翔を見た。値踏みするような、同時にどこか興味深そうな視線だった。
「ほう。少しは骨があるじゃないか」
運営スタッフの女が、感情のこもらない目で手をかざす。
「抵抗は無意味です。プレイヤー権限レベル1のあなたに、対抗する術はありません」
拘束用の光の鎖が、四方から陽翔とアシュルに向かって伸びる。逃げ場のない速さだった。
陽翔は咄嗟に叫ぶ
「アシュル!!!」
アシュルが、ため息をついて静かに一言つぶやいた。
「くだらない…」
次の瞬間、彼女の周囲に白銀の光が渦を巻き、迫っていた光の鎖はまるで存在しなかったかのように弾け飛んだ。運営スタッフたちが驚愕の表情を浮かべ、後ずさる。
「馬鹿な……登録範囲を超えた力……!?」
「言ったはずだ。私は、お前たちのゲームとやらの外にいる存在だとね」
アシュルは陽翔の前に庇うように立ちはだかり羽を大きく広げる、周囲の空気がぴりぴりと震える。
「主に手を出すというなら、相応の対価を払ってもらう」
その姿を見上げながら、陽翔は不思議な感覚に包まれていた。恐怖ではなく、むしろ胸の奥が熱くなるような感覚。誰かが、自分のために本気で怒ってくれている。そんな経験は、生まれて初めてだった。
運営スタッフの女は、しばらくアシュルを睨みつけていたが、やがて小さく舌打ちをして手を下ろした。
「……上に報告します。今回はこれで引きますが、あなたたちを『監視対象』としたことは変わりません」
そう言い残し、一団は光の粒子となって姿を消していった。
静寂が戻った儀式の間に、陽翔とアシュルの二人だけが残される。
「……ありがとう」
自然と、その言葉がこぼれた。アシュルは一瞬、驚いたように陽翔を見たが、すぐにいつもの尊大な表情に戻る。
「勘違いするな。お前を守ったのは、あくまで契約上の理由だ。お前が壊れれば、私の投資が無駄になる。それだけの話だ」
「うん。それでも……ありがとう」
突き放すような物言いの裏に、確かに何かがあった気がした。陽翔にはまだそれをうまく言葉にできなかったけれど。
アシュルは何か言いかけて、結局小さくため息をつくと、ふわりと姿を変えた。羽の生えた小さな白銀の猫が、陽翔の肩に飛び乗る。
「とりあえず、今の状況を把握するぞ。お前は何も知らなすぎる」
「うん…これからよろしく」
猫の姿になっても、口調は変わらない尊大さだった。だが、その温かい重みが肩にあることが、今の陽翔には何よりも心強かった。
二人は儀式の間を後にし、見知らぬ世界の広場へと足を踏み出した。頭上に広がるのは、現実では見たことのない、二つの月が浮かぶ空だった。
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