第21話「特訓の日々」
灰色の森での戦いから数日、街に戻ったルートたちは、イグナイトへの出発前に、それぞれの準備期間を設けることにした。
シィナとゼクスがギルドで情報収集や依頼をこなす一方、ルートはアシュルと共に、街外れの訓練場で本格的な特訓に励むことになった。
「いいか、ルート。この前の戦いで、お前は自分の力の一端を垣間見た。だが、まだ制御できているとは、到底言えない」
「うん……あの時、正直、自分でも何が起きてるのか、よく分からなかった」
「だろうな。今日から、その力を、お前自身の意志で引き出せるようにする」
アシュルは、人型の姿のまま、訓練場の中央にルートを立たせた。
「まずは、基本からだ。お前の内側にある力を、感じ取れ」
「感じ取れって言われても……」
「目を閉じろ。呼吸を整え、体の奥に意識を向けるんだ」
言われるがまま、ルートは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。しばらくすると、体の奥、胸のあたりに、微かな熱のようなものを感じ始めた。
「これ……なんか、あったかい感じがする」
「それだ。焦らず、その感覚を保て」
アシュルの声に導かれるように、ルートはその熱を、少しずつ意識の中心に据えていった。だが、集中しようとするほど、熱は不安定に揺らぎ、時折、体の奥で暴れるように膨張する。
「うわっ……」
「落ち着け。力とは、抑え込むものではない。導くものだ」
アシュルが、ルートの背中にそっと手を添えた。その温もりが、不思議と、暴れる力を落ち着かせていく。
「アシュル、今……」
「私の力を、少しだけ流している。お前自身の力と、共鳴させるためだ」
しばらくすると、暴れていた熱が、次第に穏やかな流れへと変わっていった。
「これが、僕の力……」
「そうだ。今のお前は、まだこの流れを、一時的にしか保てないだろう。だが、繰り返せば、いずれ自在に扱えるようになる」
その日から、ルートの特訓は本格的に始まった。朝から晩まで、アシュルの指導のもと、体術、剣術、そして自らの内なる力の制御――あらゆる面での鍛錬が続いた。
「もう一度だ」
「ま、待って、アシュル……ちょっと、休憩……」
「甘えるな。この程度で音を上げていては、大迷宮群になど、辿り着けんぞ」
容赦のない指導に、ルートは何度も音を上げそうになった。だが、そのたびに、アシュルは決して見捨てることなく、隣で励ました。
「アシュルも、疲れないの?」
ある日の休憩中、ルートがそう尋ねると、アシュルは少し驚いたように目を瞬かせた。
「私は、お前とは体の造りが違う。疲労という概念自体、希薄だ」
「そうなんだ。……でも、ずっと僕に付き合ってくれて、ありがとう」
その素直な感謝の言葉に、アシュルは一瞬、視線を逸らした。
「礼を言われるようなことでは、ない。私が育てると決めた器だ。当然のことをしているに過ぎない」
いつもの言い回しだったが、その口調には、以前よりも柔らかい響きが混じっているように、ルートには感じられた。
特訓は、日を追うごとに、少しずつ成果を見せ始めた。最初はほんの一瞬しか維持できなかった力の流れも、次第に安定し、剣を振るう度に、確かな手応えを感じられるようになっていった。
「今日は、少し違う訓練をする」
ある朝、アシュルがそう切り出した。
「違う訓練?」
「実戦形式だ。私が、お前と本気で打ち合う」
その言葉に、ルートは思わず息を呑んだ。
「アシュルと、本気で……大丈夫なの、僕」
「安心しろ。手加減はする。だが、緊張感のない稽古では、限界を超えられん」
訓練場の中央で向かい合う二人。アシュルが構えを取ると、その周囲に、これまで見たことのないほどの威圧感が漂った。
「――来い、ルート」
その一言を合図に、ルートは短剣を構え、アシュルへと踏み込んだ。
振るった一撃は、あっさりとかわされた。アシュルの動きは、これまで見せてきたどんな戦闘よりも洗練されていて、無駄がない。
「遅い。もっと、体の力を抜け」
「言うのは簡単だけど……!」
ルートは繰り返し斬りかかるが、その全てが、まるで最初から見えていたかのように躱されていく。息が上がり、汗が滴り落ちる中、それでもルートは何度も食らいついた。
「なぜ、そこまでする」
不意に、アシュルが動きを止めて尋ねた。
「え?」
「何度倒れても、お前は立ち上がってくる。なぜだ」
その問いに、ルートは荒い息を整えながら、まっすぐにアシュルを見つめた。
「アシュルが、僕のために時間を使ってくれてる。それなら、僕も、その期待に応えたいから」
その答えに、アシュルは一瞬、動きを止めた。紫の瞳が、わずかに揺れる。
「……お前は、本当に」
「アシュル?」
「いや、何でもない。続けるぞ」
アシュルは、いつも通りの口調に戻ると、再び構えを取った。だが、その一瞬の沈黙に、ルートは何か確かな変化を感じ取っていた。
稽古は、日が傾くまで続いた。何度も地面に転がされ、何度も立ち上がる。その繰り返しの中で、ルートの動きは、少しずつ洗練されていった。
「今日は、ここまでにしよう」
アシュルがそう告げた頃には、ルートはすっかり息も絶え絶えで、地面に大の字になって倒れ込んでいた。
「はぁ……はぁ……アシュル、鬼だよ、ほんとに」
「軟弱なことを言うな。この程度、当然だ」
そう言いながらも、アシュルはルートの隣にそっと腰を下ろし、水筒を差し出した。
「飲め。脱水症状にでもなったら、元も子もない」
「ありがとう……」
ルートは、起き上がりながら水筒を受け取った。喉を潤しながら、夕暮れの空を見上げる。
「アシュル、今日の稽古で、ちょっとだけ、分かった気がする」
「何をだ」
「力を無理に抑え込むんじゃなくて、体の動きに合わせて、自然に流す感じ。さっき、何回か、それっぽい感覚があった」
その報告に、アシュルは満足げに目を細めた。
「上出来だ。その調子で、少しずつ体に染み込ませていけ」
「うん」
二人は、しばらく無言のまま、夕日に染まる空を眺めていた。訓練場に吹く風が、汗ばんだ肌に心地よかった。
「ねぇ、アシュル」
「何だ」
「アシュルって、最初は僕のこと、『使えるかどうか』だけで見てた感じがしたけど……最近、なんか、違う気がするんだ」
その指摘に、アシュルは一瞬、言葉に詰まった。
「……気のせいだろう」
「そうかな」
「そうだ」
いつになく早口な返答に、ルートは思わず笑ってしまった。
「なんで笑う」
「ううん、なんでも。ただ、アシュルがそうやって、ちょっと動揺してるの、なんか可愛いなと思って」
「か、可愛いだと……!? 私を愚弄しているのか」
珍しく声を荒げるアシュルに、ルートはますます笑いを堪えられなくなった。その様子を見て、アシュルもまた、毒気を抜かれたように、小さく息を吐く。
「……まったく、お前という奴は」
呆れたような声色の中に、確かな温かさが滲んでいた。
その夜、宿に戻ったルートは、ベッドに横たわりながら、今日の特訓を振り返っていた。体中が悲鳴を上げるほど疲れていたが、それ以上に、心の中に、満たされたような感覚があった。
「アシュル、明日も、稽古よろしくね」
「ああ。だが、明日はもう少し厳しくするぞ。覚悟しておけ」
「うっ……ほどほどにお願いします」
軽口を交わしながら、ルートは瞼を閉じた。膝の上で丸くなったアシュルの温もりを感じながら、明日への活力を静かに蓄えていく。
窓の外、二つの月が、静かに夜を照らしていた。この特訓の日々もまた、これから続く長い旅路を支える、大切な礎になっていくのだろう。ルートは、そんな確かな予感を抱きながら、眠りに落ちていった。
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